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『週刊新潮』9月1日号
P.45〜48
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「EU離脱派衆愚の選択だったのか?」英国の巨匠2人に尋ねる
世界中を景撼させた英国の“国民投票”から2カ月―。離脱劇を巡る混乱は未だ収束を見ない。果たして、EU離脱は“衆愚の選択”だったのか? ジャーナリストとしての経験も豊富な、英国きっての巨匠作家2人に、母国が下した歴史的決断の真価を問う。
「欺瞞に満ちた支配から国を取り戻せ」
作家フレデリック・フォーサイス
(1938年、英国ケント州生れ。ロイター通信、BBC放送の記者を経て、1971年、ド・ゴール暗殺をテーマに描いた『ジャッカルの日』で小説家デビュー。『オデッサ・ファイル』や『戦争の犬たち』といったベストセラーを著す。2015年には、長年に亘って英国秘密情報部(MI6)と協力関係にあったことを公表した。)
ブレア、キャメロン両政権への批判も渦巻く
何十年も前のこと、私はペンシルベニア州の小さな町にある墓場の縁にいた。
1863年11月19日、米国史上最も偉大な大統領がその場所に立ち、最も偉大な不朽の演説を行ったのだ。町の名はゲティスパーグ、南北戦争中に血なまぐさい戦師が行われた場所である。大統領の名はエイブラハム・リンカーン。
演説の締めくくりに、彼はこう言った。
「我々はここに堅く決意する。死者たちの死を無駄にはしないと……。そして、人民の、人民による、人民のための政府がこの地上から消え去ることは決してないと」
リンカーンがわずかな言葉で端的に示してみせたのは、誰もが知っている民主制という政体のごく簡潔明瞭な、最良の定義だった。
すべての市民に、投票という形で自分たちが誰にどう治められるかを選ぶ権利が与えられるのは、この体制をおいて他にない。西洋世界でこの政体を案出したのは英国だった。君主や貴族、有力者や軍指揮官から権力を取り上げ、国民に付与する仕組みを何世紀にもわたって徐々に創り出し、改良してきたのだ。
だがそれは、創るのは難しく壊すのは容易な、もろい体制でもある。民主制の体裁をとっている多くの国も、まともに実施できているとはいえない。選挙は操作され、候補者は嫌がらせを受けて投獄され、投票箱には偽造の票が詰め込まれ、投票者は脅され……。不正のリストを挙げていけばきりがない。
それでもわが英国は、公正な選挙を実現する条件を備えた体制―立候補の自油、選挙費用に上限を設ける厳密な規則、無記名投票、全成年男女による選挙、あらゆる腐敗に対すを厳しい罰則、次回の総選挙までの5年の任期など―を保ってきた。
リンカーンの演説から82年経った1945年には、彼の言葉を一音節たりとも変えることなく、わが国も使うことができた。あの恐ろしい戦争に参戦し、何十万人もの若者の血を流させ、勝利はしたものの、恐るべき犠牲が伴った。それでも戦ったのには二つの理由があった。
ひとつはナチズムという、この地上に作り出された最も酷薄な主義を破ること。もうひとつはアドルフ・ヒトラーが破壊しょうとしたわが国の国家主権、そして、民主主義を守ることだ。
民主制はあまりに危険
一方、それとほほ時を同じくして、欧州のある知酸人グループが、ジャン・モネというフランス人の指揮の下に結集した。
彼らは悪漢ではなく、その目的は崇高なものだった。
もう二度と戦争が起こりえないような、新たな欧州を創り出すこと。これは単なる夢にはとどまらなかった。ひとつのビジョンとなって、今日に至るまで存続している。モネの肩書きであった欧州合衆国活動委員会委員長から、欧州合衆国(USE)と呼ばれるものだ。
モネとその同僚たちは、政治屋でも政治家でもなく、夢と理想を追う知識人だった。鉄のカーテンの西側にある欧州各国に働きかけ、それぞれの国の統治機関を廃止し、統合を通じて大陸にひとつの統治機関を打ち立て、徐々に大陸を一国家へと統合していくことを目指す。それが達成された時、戦争は永遠になくなるだろう、と。
私の見るところ、モネは二つの誤りを犯した。そして、こうした見方は次第に支持者を増やしつつある。まず、巨大な連邦国家の内部にも、戦争は起こりうるということだ。こうした内戦はしばしばきわめて恐ろしいものとなる。イングランドにも内戦はあった(1645〜1649年)。スペインは1935年から1939年にかけて二つに引き裂かれ、ギリシャとバルカン諸国も内戦によって荒廃した―。後者はわずか20年前のことだ。
競合だけで戦争がなくなるわけではない。
しかし「モネの犯した誤りの最たるものは、新たな欧州合衆国政府のあり方に対する姿勢だった。この時代の多くの人々と同様、彼もアドルフ・ヒトラーの台頭から精神的な傷を負っていた。1933年にドイツ国民が集団的狂気に駆られ、ヒトラーを最高権力者に選出したことが忘れられずにいたのだ。モネがそこから得た教訓は明快だった。
二度と人民に権力を委ねてはならない。民主制はあまりに危険すぎる。
モネが考え出した体制は、教育と見識を備えたエリート―すなわちモネ自身やその同僚たちによる統治を必要とした。欧州連合(EU)とは、元々こうした発想に基づいたものだ。
EUにおける最高統治機関は、ブリュッセルに本部を置く欧州委貝会である。28の加盟国からそれぞれ一人ずつ任命された委員によって構成される。
ユーロ圏は崩壊寸前
私のように反対する者たちは、民主制では最高権力機関は必ず選挙で選ばれなくてはならないと考える。そうして選出された政府は、さまざまな役職で、さまざまな役職を果たさせようと、たとえば軍指揮官や警察署長、行政官、公務員、銀行家などに非運出の人間を任命するかもしれない。彼らは人民に仕えるように任じられるが、最終的には選挙で達ばれた政府に従う。だが、ブリュッセルの欧州委員会は、各国政府の上位にあるにもかかわらず、選挙で選出されてはいない。これは民主主義ではありえないことだ。
ところが、モネはそこからきらに潜み込んだ。自らのユートピア的ビジョンの中で、民衆がすんなり主権を手放さないことに気づいたのだ。そこで非公式にこんなことを書いた。(欧州各国は、その国民に実情を知らせることなく、欧州合衆国へと導かれねばならない。これは経済的な目的を装いながら、最終的、不可避的に連邦へと誘導することで、段階的に達成できる)。
要するに、我々国民を説得することができないなら、騙せばいいということだ。欺瞞による統治である。これは欧州経済共同体(EEC)と呼ばれるようになる。
1973年にエドワード・ヒース首相の下、わが国はローマ条約を可決・批准し、欧州経済共同体なるものに加盟した。これはあくまで貿易に関するもの、したがって繁栄をもたらすものという話だった。しかし、ヒースは熱狂的な統合論者だった。条約の全文を読み、最終日的が大陸統合にあることを知っていた。ヒースは我々を欺いたのだ。
1992年にはジョン・メージャー首相の下、マーストリヒト条約が締結された。まったく害はない、「運用を整理する」だけだとメージャーは言った。それは嘘だった。この条約は変化をもたらした。欧州経済共同体の欧州連合への移行を。権限は次々にロンドンからブリュッセルへ引き渡されていった。国家主権はゆるやかに上位の横開へと移された。わが国はやがて、規則や法規や法律からなるEUという官僚機構に従属するようになった。自分たちで定めたわけではまったくない規則に従わざるを得なくなったのだ。
国を挙げての激しい闘いの後でなんとか免れられたのは、英国の通貨ポンドを廃止してEUの新通貨ユーロに換えるという案だった。わが国にはまだポンドがある。ユーロ圏は今や崩壊を始めている。ドイツに牛耳られたユーロはギリシャをほぼ破綻させ、他にも4カ国がその寸前にある。
ブリュッセルの権力が次第に強まるのを見るうちに、動揺が広がっていった。自分たちの国が奪い取られようとしていると、多くの人々が感じはじめた。だが、メージャーの後を継いだトニー・ブレアも、やはり熱烈なEU支持者だった。実際に通貨をポンドからユーロに切り替えさせたがったが、それを実現するには国民投票が必要なのを知っていた。しかし、世論調査で反対派に太刀打ちできないとわかると、プレアは怖気づき、我々はポンドを手放さずにすんだ。それでも動揺は高まり続けた。
同時に、私と意見を同じくする人々も増えてきたが、私自身は小英国主義者ではない。ヨーロッパに深く親しみ、4カ国語を話し、この大陸を愛している。ただ平和と友情のための協力や協調であれば、私も諸手を上げて賛成するだろう。
だが、そうではない。これは支配の話なのだ。私は自分の国が、外国の都市にいる非選出のスーパー官僚たちに従属するようになることに賛成したことは一度もない。従属こそが今回の焦点なのだ。欧州委員会は英国政府の意向を抑え込める。欧州司法裁判所は英国最高裁判所の決定を覆し得るが、その逆のことは決して起こらない。
デイビッド・キャメロンはついに、我々の唯一の要求に譲歩せざるを得ないことを悟った。国民投票である。2015年5月の前回選挙の前に、キャメロンは2017年12月までに国民投票を行うという公釣を、保守党のマニフェストに盛り込んだ。EU離脱を掲げるイギリス独立党(UKIP)に数百万の票が流れることを恐れたのだ。そして、選挙戦には勝った。
それから2016年夏の国民投票を推し進めた。必ず勝てると確信し、自らの政治生命を賭けて臨んだ。そして敗れた。イエスマンの顧問たちに囲まれて、国民感情を読み誤ってしまったのだ。体制側のあらゆる人物はEU残留を唱えた。だが、国民には別の考えがあった。
事実として言えるのは、あきらかに多数の国民が自分たちの国を取り戻すことを望んだということ。そして、ついにそれが叶えられるということだ。
これからわが国はヨーロッパや世界に対し、テロ、国際犯罪、文化、観光、科学、研究、相互防衛などの分野で、共通の利益が得られるかぎりあらゆる横会を捉えて協力関係を結んでいくだろう。そして、大陸とのみならず、全世界的な貿易を行うことになる。これまで恐ろしく長い問無視してきた国々にも目を向けるだろう。54カ国からなる大西洋同盟、さらには世界中の友好国―そこにはもちろん日本も含まれる。
本稿は引用から始めたので、最後も引用で締めくくらせてほしい。劇作家のG・K・チェスタトンがずっと以前に言った言葉だ。
「我々を笑うのも、注意を払うのも、無視するのもいい。だが、ゆめ忘れてはならない。我々はイングランドの民であり、まだ一度も声をあげていないことを」
さて皆さん、我々はいま声をあげた。そして自分たちの国を、この事に取り戻そうとしているのだ。
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