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欧州も警戒し始めた中国の独善
2016年07月25日(月)岡崎研究所
仏戦略研究財団アジア部長のニケが、Diplomat誌ウェブサイトに6月11日付で掲載された論説において、先のシャングリラ・ダイアローグにおける中国の態度があまりにも悪かったことも手伝って、最近では従来アジアの安全保障に関心の低かった欧州の認識が変わってきていると述べ、仏がその牽引役となることを歓迎しています。要旨、次の通り。
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演説の荒々しいトーン
今年のシャングリラ・ダイアローグにおいて、中国の孫建国副参謀総長は「アジア太平洋地域の文明は、調和の中で混ざり合い、相互の順応も活気に満ちている」と述べた。だがこうした人々を安心させるような言葉にもかかわらず、演説の荒々しいトーンや南シナ海で繰り返される領有権主張、仲裁裁判判決をあらかじめ拒否するといったことは、地域の大きな懸念になっている。しかもこうした懸念は、アジア太平洋の安全保障の中心から離れた国にまで広がっている。従来これらの国々は、中立ではないにせよ、バランスをとるのを好んでいたはずだ。
その姿勢の変化は、「ハードな安全保障」に取り組まないことで知られていたEUに顕著である。中東や移民、テロといった自分たちの地域で高まる問題にもかかわらず、EUは徐々にアジアにおける利害の大きさを認識しつつある。
こうした変化をもたらしている主要要因は、言うまでもなく中国による南シナ海での主張、国際規範の拒絶、近隣諸国に強制しているヒエラルキーシステムである。また、中国がよりアグレッシブな戦略的選択をすることは、内政要因や体制変革への懸念と直接的に関係している。シャングリラでの中国の演説は、今まで以上に主張が激しく、イデオロギー的なものであった。
EUを含む国際社会にとっての主要課題の1つは、中国が、自らも批准している国際合意に基づくいかなる制約にも強い拒否反応を示すという点である。これは国連海洋法条約や中比仲裁裁判の判決について顕著である。これは、条約や国際約束を遵守するのは、共産党指導部が狭く規定する国益に適う場合のみだということであり、大きな不安定化要因となる。
この点、ル・ドリアン仏国防大臣がシャングリラで述べたようなフランスの明確な立場は歓迎されるべきものだ。海洋における法の支配の原則が脅かされていることについて、ル・ドリアン大臣は、国連海洋法条約の不遵守問題は地域を越え大西洋から北極にまで影響しうることを想起させた。
欧州における主要軍事国の1つであるフランスは、インド太平洋地域に及ぼしうる十分な軍事プレゼンスをもっている。そして、国連海洋法条約が認める航行や上空飛行の自由の原則に対する脅威は受け入れられない。伊勢志摩サミット後の共同声明でも言及されたように、ル・ドリアン大臣は、ルールに基づく海洋秩序、国際法の尊重、対話が脅しや強制、武力の行使によって妨げられてはならないことを述べた。
欧州の海軍間で調整を行い連携することで南シナ海で欧州による航行の自由作戦を行うとの提案は、歓迎された。もしそれを実行に移せば、同提案は、すべてにおいて重要な意味を持つ地域の安定に貢献する欧州の取り組みとしてポジティブなシグナルになるだろう。
出典:Valérie Niquet,‘France Leads Europe's Changing Approach to Asian Security Issues’(The Diplomat, June 11, 2016)
http://thediplomat.com/2016/06/france-leads-europes-changing-approach-to-asian-security-issues/
アジアの安全保障問題について、これまで比較的関心の薄かったEU諸国が、中国の南シナ海への海洋進出に対し、強い懸念を示し始めたことは、当然とはいえ、歓迎すべきことです。特に、フランスが率先して海洋分野における法の支配を重視する言動を取り始めたことは高く評価できます。伊勢志摩サミットの首脳宣言において、海洋秩序の維持のために国際法の諸原則に基づくルールを遵守することの重要性が強調されたことの意味は大きいものがあります。
強硬かつ独善的な態度
その後のシンガポールのシャングリラ会議において、中国側の態度が強硬かつ独善的であったことが、関係諸国の間に中国に対する警戒感を一層高めることとなりました。
ドイツも最近、これまで以上に中国の南シナ海進出に対し、警戒感を示すようになりました。これは、先日のメルケル・習近平会談においても見られた通りです。欧州はこれまで全体としてアジアから離れているという地理的要因に加え、経済関係を通じ中国との関係を強めてきたため、中国に対し、比較的微温的な対応をとってきました。しかし、ル・ドリアン仏国防大臣の指摘するように、南シナ海の問題はやがては、大西洋から北極に至る海域でも同様のことが起こり得ることを欧州の国々に想起させることとなりました。
フィリピンが提訴した国際仲裁裁判所の判決については、日本としては、あくまでも国際法、国際ルールに基づき対処するとの立場で、米、ASEAN諸国、EUと協力しつつ対処すべきです。日本にとっては、南シナ海が東シナ海、台湾海峡に隣接し、かつシーレーンにあたる戦略上の要衝の地であることに何ら変わりはありません。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7348
中韓だけじゃなかった!
ヨーロッパでも歴史はねつ造されている
サンチアゴ巡礼心の旅〜78日間で1650km踏破(第5回)
2016年07月24日(日)高野凌 (定年バックパッカー)
[フランス中西部Le Puyからスペインの聖地Santiagoを経てMuxiaまで]
(2015.4.22-7.16 86days 総費用37万円〈航空券含む〉)
5月8日は対独戦勝記念日というが……
5月8日(金) コンク(Conque)から雷雨、氷雨、一時晴れのち曇りという変化の多い21kmを踏破してデカズビル(Decazville)という比較的大きな街に到着。手持ちの食料を食べ尽くしており、しかも何かの休日のようで店が全て閉まっていた。巡礼宿で夕食を頼んだが既に調理を終えており追加はできないと。仕方なく外食すべく街に出たが空いている食堂が見つからず途方に暮れた。
散歩していた老人に尋ねると「駅の近くのホテルのレストランが開いている。散歩コースの途中だから」と案内してくれた。老人は技術者として地元の炭鉱で働いていたという。2000年に炭鉱が閉山してから町の人口は激減して町はすっかり寂れたという。英語・フランス語のチャンポンで訥々と語ってくれた。
村の中心に建てられている第一次世界大戦戦没者慰霊碑
今日は祝日で“対独戦勝記念日”であるとのこと。老人は46年生まれであるから対独戦争終結の翌年生まれで今年69歳だ。
老人の父親は警察官、母親は電話交換手であったという。戦後ずっと両親は大変な苦労をしたという。配給の食料すらもらえないこともあったほど両親は生活に苦労したという。私はハッと老人の言葉の意味を悟った。
村の中心の交差点に設置された戦没者慰霊碑
Le Puyからピレネー山脈を越えるまでの巡礼道のとおる地域は考えてみるとこのデカズビルも含めて全て第二次大戦中はビシー政権の支配下にあったのだ。39年にドイツ軍機甲師団が電撃作戦でフランスの巨大塹壕のマジノ線を突破すると即座にフランスは無抵抗で独軍に降伏。パリを中心とするフランスの北半分はドイツの軍政下におかれた。フランスの南半分は親ナチスドイツのペタン元帥によるビシー政権が終戦まで支配していたのだ。
親ナチスドイツのビシー政権における警察官は“対独協力者”と見なされて、戦後のド・ゴール将軍時代には老人一家は周囲から有形無形の差別を受けたのであろうと想像した。
老人に案内されてデカズビルの中心街に来た。老人がつまらなそうに指さした。そこには大きな対独戦勝記念碑があり、フランス軍兵士の英雄群像が聳えていた。私はこの英雄群像が虚構であり「嘘っぱち」であることがすぐに理解できた。フランス軍はドイツ軍に対して組織的・持続的な戦闘をほとんどしていないからである。
フランスの田舎の戦没者慰霊碑
この地方は肉牛の一大生産地。毎年6月に牛祭りが開催される
巡礼道を辿っているとどんな辺鄙な田舎の村でも必ず地元出身兵士の戦没者慰霊碑がある。よく見ると普仏戦争、第一次世界大戦における地元出身の戦没者の氏名が彫られている。それぞれの村の戦没者は普仏戦争ではせいぜい数名くらいであるが、第一次世界大戦では数名から数10人の戦死者があったことが分かる。
ところが第二次世界大戦については何も記録されていないことが多い。偶に記録されていても第二次世界大戦及びレジスタンス運動を併せて1名か2名であった。Le Puy出発以来そうした慰霊碑を数多く見てきたのでデカズビルの英雄群像が虚構であると直感したのである。
雨上がりの虹、Decazvilleに向かう山道にて
スペイン出身の才女、アナ
5月22日 真昼の灼熱地獄の中、ミディー・ピレネー地方のCaster-Arrayから28km先にあるLa Romieuを目指して歩いていた。この日は28km歩かねば次の巡礼宿にたどり着けないので早朝から気合を入れて歩いていたが、昼前から太陽がギラギラと照り付けて消耗戦となってきた。
草叢をかき分けて進んでいると後方から歩いてきた女性と出会った。年齢は30代後半か。彼女はアナと名乗りスペイン出身という。ウィットに富んでおり話していて滅茶苦茶に面白い。アナは大変な才女であった。
マドリード近郊の高校を卒業して米国に留学し化学を専攻。博士号を取得するまで学資は全て奨学金で賄ったので親に一切負担をかけていないと。米国の大手ケミカル会社に就職したが研究職の待遇が期待以下であったので数年で退職して高収入の特許問題弁護士となるべく法科大学院(ロースクール)へ。特許法を専攻して弁護士資格を取得して世界的製薬最大手のN社に就職。現在はスイスの本部でN社の全世界における特許権・知財権の管理をしている。
林の中の巡礼道
製薬業界は特許権・知財権を巡り熾烈な戦いが繰り広げられている世界である。アナによると新薬開発には30億ドル、40億ドルという巨大な開発費用と何年もの開発期間を要する。こうして画期的な新薬が開発されると競合相手はすぐさま新薬をコピーした類似商品を特許申請して独自に開発した商品として発売する。
高度な専門的化学知識と複雑な法律を駆使してこうした巧妙な競合相手と世界中で訴訟合戦を展開し日々裁判闘争しているという。訴訟手続きの煩雑さ、裁判費用と判決までの期間、などなどを総合的に判断して和解に持ち込むことも多いという。
ハリソン・フォード主演の『逃亡者』はこうした巨大製薬会社の陰謀を描いた映画であるが、アナに聞くと製薬業界は巨大な開発費の見返りに莫大な利益を上げるという仕組みなので映画の様に“dirty”な陰謀が大なり小なりあることは否定できないと。
Condomの町の三銃士像
道端のキリスト像
ヨーロッパでは歴史を捏造(forge)するのは当然
アナはどんな問題でも自分なりの見解を持っていた。私が「第二次世界大戦でフランス軍は実質的にドイツと戦っていないのに戦後フランスは対独戦争の勝利者として振る舞っているのはおかしい。」と疑問を呈したらアナは「当然よ。ヨーロッパでは歴史を捏造したり隠したりするのはどこの国も同じよ」と切って捨てるように断言。
草叢を歩くオジサン
アナ曰く「フランスでは第二次大戦当時ヒトラーのシンパが沢山いたのよ。だからカトリックを信仰する保守派が多い中南部フランスではナチスに協力するビシー政権が成立したのよ。そしてフランス人のヒトラー信奉者の義勇兵部隊が組織されて東部戦線でソ連軍と戦ったのよ。だからフランスの対独戦争なんて戦後に造られたレトリックだわ。戦争が終わってからパリを中心とするプライドの高いフランス人達が“対独レジスタンス闘争”だとか“対独戦争”なんていうストーリーを捏造したのよ」
引退したアメリカのカップル。男性の前妻との間にできた息子の嫁が日本人だったが離婚して京都に戻ったとのこと。 欧米人の中高年カップルの家族関係は複雑で慣れないと理解し難い。来年はカップルでペルーで英語を教えるボランティアをする計画という
「“フランス人みんなでナチスドイツと戦って勝利した”というストーリーならばフランス人として誇れる歴史になるからよ」
私が唖然として聞いているとアナはさらに「スペインでも似たようなものよ。スペイン内戦ではナチスの支援を受けた王党派とソ連の支援を受けた左派市民連合が殺し合ったのよ。当然、今でも内戦のことを語るのはタブーよ。当時の王党派や左派の子孫は当然のことながら相手方の子孫を憎むわ。だからスペインの学校では内戦の背景や原因に触れざるを得ない近現代の歴史は教えることができないの。だから学校の歴史教育では大航海時代・世界帝国建設までをしっかりと教えるだけ」
森の小道からLa Romieuの町を望む
歴史を捏造し都合の悪い史実を隠すのは中国、韓国のお家芸と思っていたがヨーロッパではそれが当然とは目から鱗であった。よく考えればどこの国でも多かれ少なかれ同様であろう。
スペイン出身の才女、特許法弁護士アナ
才女アナの休日
5月23日 ラ・ロミュー(La Romieu)の町の城壁を囲むように流れている小川の側の芝生でアナがボーイフレンドとのんびり日光浴しているのに遭遇。彼氏はボーイング社で設計をやっているという。アナのスケジュールにあわせて休暇を申請してシアトルから飛行機を乗り継いで昨日やっとラ・ロミューに到着したという。彼氏はちょっとケビン・コスナ―似のナイスガイだ。
才女アナはプライベートでも頑張っているようだ。お邪魔にならないように「Have a nice holiday and Buen Camnino!(スペイン語で“巡礼道中つつがなく”という別れの挨拶)」と言って別れた。
⇒第6回に続く
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7053
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