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末期がんの私が代替療法を選んだ「本当の理由」 働き盛りのがん闘病記(8)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51337
2017.04.02 朱郷 慶彦 小説家 脚本家 現代ビジネス
〔前回までの話〕2015年11月、働き盛りの私の身に、思いもよらぬがん宣告が下された。ステージWAの末期がん、余命は1年。私は医師がすすめるがんの標準治療ではなく、代替療法でいくことを選んだ。しかし、その中心となる食事療法の根幹「野菜ジュース」の試練(材料費と手間)に耐えきれなくなった私は……。
(*連載第1回はこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/47524 )
■「ノニ」ってなに?
前回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51233)、やや思わせぶりな前フリで終わったが、今回の情報は本当にかなり有効な情報だと思う。
有効であると同時に、誤解を受けやすい情報でもある。
なので、まずは私の体験談からご紹介したい。まあ、闘病記なのだから体験談を書かなかったら何を書くのだという話ではあるのだが。
私が中咽頭がんのステージWAと診断されて以降、本当にたくさんの方から連絡を頂いた。みなさん、私の身体を気遣っての思いやりのこもった激励のご連絡がほとんどであったが、がんに効果がある治療法についての情報を教えてくださった方も多かった。
その中で印象的だったのは、以前から親交のあった料理研究家のK女史から頂いた手紙であった。
手紙には、「実は私も以前、乳がんにかかり、手術を受けました。その後、抗がん剤を拒否して自然治癒力を活かした方法で完治しました」と書かれてあった。
K女史はスイーツを専門とした料理研究家で、姉御肌でさっぱりした物言いが小気味よい、素敵な大人の女性である。あの明るいK女史に、がんとの闘病という壮絶な過去があったとは。そして、私の病状を耳にして激励の手紙をくれた思いやりの深さを思い、鼻の奥がつんとなった。
K女史からの手紙の内容を要約すると、下記のようになる。
●私は抗がん剤と放射線治療を拒否し、自然治癒力でがんを治した。
●医者の言うことを聞くと殺される。
●ノニがお勧めである。どこの会社のものでも良いから試してみるべし。
手紙を読み終えて、私の頭はクエスチョンマークでいっぱいになった。
がんの闘病記を書き始めて以来、様々な方からご連絡を頂く機会が増え、世の中には標準治療を選択せずに自然治癒力だけでがんを克服した方が意外と多いという事実を何度も見聞きしてきた。そのため、1番目については、「あのK女史が」という点以外は、それほど驚きはなかった。
2番目については、さすがに言い過ぎのように感じられるが、まあ、標準治療以外の選択肢を全否定しがちな医学界に対する憤りが言わせた言葉と考えれば、理解できなくもない。
問題は3番目だ。
ノニってナニよ?
駄洒落ではない。本当に知らない言葉だった。
50も過ぎると、知らない言葉というのは少なくなってくる。ましてや言葉を扱うのが私の仕事である。他の職業の方よりも、多少は語彙も豊富なはずだ。しかし、ノニという単語には、思わずポカーンとなった。
あ、ポカーンっていうのはすでに死語か? ギャフンと同じ扱いだろうか? そう思ってキーボードを再度叩いてみると、(“゚д゚) という顔文字が変換候補に出てきた。まだ使われてるんだな。試しにギャフンを入力してみたところ、顔文字は出てこない。なるほど。平成29年3月現在、ポカーンはセーフで、ギャフンはアウトなのね。
まあ、そんなことはどうでも良い。問題はノニだ。
■ノニの正体
これが昭和だったら、分からない言葉は人に聞きまくるか、どの家にもあるけど家族の誰も使っているところを見たことがない百科事典で探すしかなかった。
しかし、百科事典というのは、購入時点ですでに内容がいささか古くなっており、最新の言葉は見つからない場合が多いという、今考えれば不便な代物だったなぁ。
そんな感慨もどうでも良い。先を急ごう。
現代では、分からない言葉はネットで検索すれば良いのである。
<ノニ(ヤエヤマアオキ)>
ノニ(学名:Morinda citrifolia)は、アカネ科ヤエヤマアオキ属の常緑小高木。漢字では「八重山青木」。もともとはインドネシアのモルッカ諸島(現・マルク諸島)が原産地で、 インドネシアを中心にインド、太平洋諸島、オーストリア東部、フィリピン、台湾、小笠原諸島、沖縄など広く分布する。
まあ、ウィキペディアの記載を要約すると上記のようになる。どうやら熱帯の果物らしい。
さらに調べてみると、次のような記載が目についた。
●ノニは熱帯地方の先住民の間で「神様からの贈り物」「ハーブの女王」などと呼ばれ、6000年以上前から感染症、関節炎、高血圧、疼痛その他あらゆる病気の治療に用いられてきた。
●種を植えると8〜9ヵ月で実をつけ始め、年に4回も成熟する驚異の生命力で、1本の樹木に100年間実をつけ続ける。
●古代、優れた航海技術で東南アジアからミクロネシア諸島まで開拓を続けたポリネシア人たちは、航海中や移住後に薬として用いるため、ノニの実を必ずカヌーに載せていったという。
●1990年代にアメリカの会社が製品化に成功し、ノニジュースとして販売を開始。現在、世界中に愛飲者がいる。
●近年、ノニの薬効に関する科学的な検証が進みつつあり、脳機能の向上、がん予防・活性抑制、免疫システムの向上、血圧への作用、抗菌・抗ウィルス作用などの効果が確認されている。
ほほう。
つまり、新手の健康食品というわけか。
その頃は、私のもとに知人たちから次々と、がんに効くと言われる健康食品や治療器具の話が殺到している時期でもあり、私の感想は淡々としたものであった。
K女史の厚意には感謝しつつ、すぐにノニを買ってみようという気にはならなかったのである。
私はここでいったん、ノニについて忘れてしまう。
しかし、私がノニを忘れても、ノニは私のことを忘れてはいなかった。
■野菜ジュース問題
K女史から手紙を受け取って3ヵ月ほど経った2016年5月頃。
済陽(わたよう)式食事療法を続けていた私は、夏が近づくにつれて、毎日搾る野菜ジュースの材料の品質が下がってきているのを感じていた。
有機野菜と果物はネットで箱買いしていたのだが、人参もりんごも、4月過ぎあたりから、どんどん小さく、味が薄くなってきていた。有機栽培だけに、季節によって出来映えに大きな差が出るのかもしれなかった。
酷いときは、箱の中の果物の2割くらいが腐っていたことすらある。
ネットで購入する場合は、1日の使用量に日数を乗じて、2週間程度の分を買い置きするようにしていたのだが、質が落ちると、それだけジュースを必要量作るために投入する量が増える。冬場の人参なら1日10本程度で1.5リットル分のジュースが作れていたものが、4月頃には、1日15本程度投入しないと同量のジュースにならないのだ。
すると、購入した1箱を使い切って、次の箱が届くまでに、手持ちの有機野菜がなくなってしまう。
だからといって、スーパーで普通の人参やりんごを買ってくる気にもならない。なにしろ、「有機」というのが食事療法の至上命令なのだから。
そこで、足りない分は有機野菜を取り扱っている店舗まで出向いて買うことになる。幸いにも東京にはナチュラルハウスというオーガニック食材の専門店があるため、私はそこに足繁く買い物に通うこととなった。
■第一次ノニ体験
ナチュラルハウスに行かれたことがある方ならお分かりと思うが、さすが東京・北青山に本社を置く日本最大のオーガニック生鮮・食品チェーン店だけあって、店内はお洒落な雰囲気でまとめられており、来店しているお客さんもハイソな雰囲気の女性たちが多い。
いかにも意識高い系といった感じの30代の夫婦が楽しそうに店内を見て回っている。
きっとこの人たちは、日曜にはオーガニックなデュラム粉で生パスタを手作りしたりするんだろうな。
着ているのは、フェアトレードで輸入されたオーガニックコットンの室内着に違いない。
リビングにはクレモンティーヌのボサノバが流れ、ご主人は外資系のディーラーか何かに決まっている。
結婚して子どもができてからは、夫婦でデートを楽しむ回数も少なくなりがちで、今日は私の誕生日なのに、あの人ったら思い出してもくれない。
昔のあの人はあんな人じゃなかったのに。はぁ……。
あれ? 電話だ。誰だろう。こんな時間に。
電話を取ると、噂をすれば影のことわざ通りに主人。
なによ、忘れ物?
うん、悪いけどウォークインクローゼットの一番右上の棚に小さな箱があるんだけど、見てくれないかな。
まったく、この人ったら。子どもじゃないんだから。
溜め息をつきながら私は言われた通りにウォークインクローゼットに行き、一番右上の棚を開ける。
中には小さな箱が見えた。
「あったわよ」
電話に向かって言うと、すでに電話は切られている。
なによ、まったく。馬鹿にしてるわ。自分で頼んでおきながら電話を勝手に切るなんて!
行き場のない怒りを抑えながら、小さな箱にふと目をやると、何やら小さなメモが貼ってある。
「いつも綺麗な君へ。お誕生日おめでとう。永遠に君を愛している君の夫より」
えっ! 驚いて箱を開ける私。中にはハリー・ウィンストンのダイヤの指輪が。
あなた、ありがとう。愛してるわ、あなた……。
ふざけんな、このバカップル。お前らは80年代のトレンディドラマかっ。早く家に帰って、ミルクティーでも飲みやがれ!
「あの……何かお探しですか?」
つまらない(しかも何故か女性目線の)妄想で目の前の若夫婦を睨みつけていた私は、店員さんの当惑した声にハッと我に返る。
「あ、いえ、その、人参を60本ください」
「60本ですか!」
店員さんが驚いてバックヤードへ在庫を確認しに行く。
驚かれても仕方がない。このお洒落な店で人参を60本もまとめ買いするのは、健康オタクの馬を除けば私くらいのものだろう。
バツの悪さと手持ちぶさたを紛らわすために、レジ横の棚を見渡す私。すると、そこに見覚えのある字が。
「ノニジュース」
おお、これが、K女史が言っていたノニというやつか。
値段を見てみると、900ミリリットルの瓶1本で6千円ちょっと。結構良い値段だ。
しかし、当時の私は値段などそれほど気にしない。自ら自然治癒力でがんを克服したK女史が手紙でわざわざ教えてくれたノニである。どこの会社のものでも良いと書いてあったし、ならば、有機栽培にこだわっているナチュラルハウスが扱っている商品なら文句ないだろう。
私は人参60本にノニジュース1本を購入し、意気揚々と帰宅した。
■人生は取捨選択
ノニジュースの瓶に貼ってある説明には、1日30ミリリットルを目安に飲むように書いてある。
私は早速、30ミリリットルを飲んでみた。
やや酸っぱいベリー系の果汁の味だ。無茶苦茶美味しいというわけでもないが、果物好きな私にとってはそれほど抵抗のない味でもある。
こうして、私はノニジュースを毎日30ミリリットルずつ飲み始めた。900ミリリットル入りの瓶だから、大体飲み終わるまで、1ヵ月ほどかかっただろうか。
私と付き合いのある方々は、私のいい加減な性格をよくご存じであろう。
高校時代は、年間139日の遅刻という最多不倒の記録を持っている男である。
中学2年生の時の三者面談では、技術の授業で作った本箱を目の前にデンと置かれ、担任の教師から父親に 「お父さん、これを見てください。この歪みが、彼の性格を表しています」 とまで言われた男である。
その昔、妻が私の乗っていた車の中の掃除をして落ちているコインを集めたら10万円になったという逸話を持つ男でもある。
しかし、こんなクズで出来上がったような男にも、一つだけ良いところがある。
一度決めたことは、律儀に守るという点である。
一度禁煙と決めれば、その後一切煙草は吸わない。食事療法で肉を禁じられれば、肉は食べない。サプリメントの類も、一度飲むと決めたら毎日ちゃんと飲む。
私は本来、律儀な男なのである。(反論は認めない)
ノニも当然、毎日飲み続けた。
そして、1ヵ月後、どうだったか……。
何も感じない。良いとも悪いとも感じなかったし、続けたいという気も起きなかった。
がんになってからというもの、数多くの治療法やサプリメントを勧められるようになり、最初の頃は害がなさそうだと思えば、気軽に試していたものである。そして、こういうところだけ律儀な私は、当然の帰結として、毎日の日課がどんどん増えていった。日々摂取するサプリメントだけで10種類近くになった。
なんだか、サプリメントを飲むだけで1日が終わってしまう。
こんなことは、いつまでも続けられるはずもない。
そこで私は、自分の感性を信じて、「これは良いな」と感じるものだけを残し、特に何も感じないものはどんどん切っていくというやり方を身につけるに至った。
調べれば調べるほど、もの凄い数の代替療法が存在する。
そのどれもが、それなりの根拠と、がん患者を改善させた実績を持つのだろう。
しかし、人間である以上、そのすべてを試してみることなど結局はできはしないのだ。
世の中に素晴らしい美女が数多いるとしても、全員と結婚することは所詮できはしないのと同じだ。ちょっと違うか。
いずれにしても、人生は取捨選択である。
客観的な基準など存在しなくても、取捨選択をしなければ前に進めない。
自分の感性を信じるしかない。
■QOLが問題だ!
以前にも述べたが、私は喉の腫瘍部に感じる痛みを一つの基準にしている。
喉に転移した腫瘍は、普段はまったく痛まない。がん細胞は組織が死んでいるのだから、痛まなくて当然だろう。がん組織が広がり、神経に触れれば痛むのだろうが、その時はもう毎日痛みとの戦いとなるはずだ。
しかし、標準治療を選択せず、自然治癒力に任せて「放置」したがん患者の場合、痛みはそれほど酷く出ないケースが多いようである。死ぬ直前まで車を運転して仕事をしていたなどという例も良く見聞きするところである。
私は、死ぬのはそれほど恐くないが、痛いのは恐い。
神様が突然現れて、「痛みを我慢すれば2年余計に生かしてあげます」と言われたとしよう。(神様がそんな変なことを言うか、という疑問はこの際なしである。金と銀の斧を持って現れる神様だっているのだから、この程度の取引を持ち掛けてくる物好きな神様がいたって良いだろう)
私はお断りだ。断固としてお断り。神様には悪いが、塩を撒いてお帰り頂く。神様に塩が効くのかどうかは知らないけど。
私が代替療法を選んだ理由も、突き詰めてみれば、「標準治療は必ず痛い思いをする」という点が最大の理由だったように思う。
だって、女医さんがそう言うんだもん。「治療は決して楽ではありません。でも、頑張りましょう」って。もう、そう言われた時点で戦意喪失である。
闘わなければ、がんというのはそれほど恐いものでもないのである。
まだ医学がそれほど進歩していない時代、老衰で死んだとされた老人のかなりの割合はがんにかかっていたのではないかと言われているくらいである。それくらい、がんというのは、死の直前まで意識がしっかりしていて、生活も普通通りに営める病気なのだ。
がんが痛く苦しく恐ろしい病気だというイメージは、ほとんどのがん患者が抗がん剤治療や放射線治療によって体を痛めつけ、副作用に苦しんだ結果亡くなっているというところから来たもののように思われる。
もちろん、その辛く痛い治療の結果、寿命が伸びた患者も多いだろう。だから医師も「一緒に闘いましょう」と励ましてくれるのだと思う。
しかし、私は嫌だ。痛いのは嫌い。嫌なものは嫌。
こう言うと、良い年をして駄々っ子みたいだから(まあ、実際そうなのだが)、もう少し格好の良い言い方をしよう。
「私はQOLを重視しているのです」
どうよ、これ。
QOL。すなわち、Quality of Life.
クオリティ・オブ・ライフ。
もうバックにはシャーデーの曲が流れてくる気がするではないか。
QOLをウィキペディアで見てみよう。
“QOLに対する取り組みは医療の歴史とともに発展してきた。医療は人を診るものであり医学は病気を診るものだとする考え方があったが、医療も科学的側面が強くなり、「病気は治ったが患者は死んだ」という状態が問題となった。
現状、長期療養を要する疾患、ならびに消耗の激しい疾患や進行性の疾患では、いたずらな延命治療、患者への侵襲が激しい治療を継続することによって、患者が自らの理想とする生き方、もしくは社会的にみて「人間らしい生活」と考える生活が実現できないことが提唱された。このような状況を「QOL(生活の質)が低下する」と呼んでいる。
これに対して、患者が自身の尊厳をより保ち得る生活の実現を目的とした援助が重要であるという考え方が生じたのである。これを「QOL(生活の質)を維持する、向上させる」などという。“
そうそう。私はQOLを死の直前まで維持したいのだ。
数年寿命が延びたとしても、その数年が痛みに苦しめられ、病院のベッドの上で管につながれたままになっていたのでは、生きている意味がないではないか。
「ご家族の気持ちを考えてください!」
と言われることも多い。
そりゃ、家族は一日も長く生きて欲しいと思うのかもしれない。でも痛いのはこっちだ。
それに、いくら最愛の家族だといえども、死んだら死んだで、いくらでもその状況に順応していくのが人間というものである。
私だって、家族のことは考える。家族のために、少しでもお金を稼いでおきたいと思う。特に事業に失敗した今の境遇ではその思いは痛烈と言って良い。
だからこそのQOLである。
病院に寝たきりになって、痛みに耐えながら、どれほどの仕事ができるだろうか。しかも仕事もしないのに入院しているのでは、費用ばかりがかかるということである。これこそが家族の重荷だ。
ならば、QOLを維持しながら仕事が続けられる時間が少しでも長い方が良い。
代替療法の一番の敵
「痛いのが嫌」という内容を、大人の男としての威厳を最大限生かしつつ言い換えるとすれば、大体上記のようになるであろう。
話は大幅に逸れたが、標準治療を受けていない限り、本来、患部が痛むということは死の直前にならない限り起こらないだろうというのが、私の楽天的観測である。
しかし、たまに患部がじい〜んと痛むことがある。
本当に、地の底から何かが湧き上がってくるかのように、ワーグナーの曲が突然始まったかのように、「じわ〜ん、ぐわ〜ん」と痛むのである。そして、しばらくすると、嘘のように痛みは治まる。
最初は、「もう死ぬんだ」と思い、うろたえた。「痛みが出るようじゃ、もうお終いだ。やっぱり代替療法なんかにか賭けるんじゃなかった」と考えた。「今からでも遅くない。標準治療をやっぱり受けよう」とまで思った。
ちなみに(また話が逸れるのかよ!)、代替療法の一番の敵は、これらしい。
代替療法でがんを克服した方にお話を聞いた中で、多くの方が言われたのは、「良くなる前に、症状は一度悪化する。腫瘍が大きくなったり、痛みが増したりする。そこで多くの人はうろたえて、やっぱり抗がん剤を飲もう、と考えてしまう。ここを乗り越えれば治るという直前なのに、本当に惜しい」 ということであった。
気持ちは、よーくわかる。
命がかかっているのだ。痛みが出たり、腫瘍が大きくなったりすれば、もう眠れないほど不安になる。
がん患者が目先の症状の変化に一喜一憂するというのは嘘だ。一喜百憂というのが正しい。
私も、最初に患部が痛み出した時には、この世の終わりかと思った。
しかし、やがて不思議なことに気がついた。
がんが悪化して痛むのならば、断続的に痛むのは良いとして、どんどん痛む頻度が高くなり、痛み自体もどんどん強くなるのではないだろうか。
しかし私の場合、痛みは不定期に来て、そして強くなることもない。
やがて私は、この痛みという現象が、何らかの治療法を試した後で起こることに気がついた。
さらに気をつけていると、その治療法というのが、私が感覚的に「これは良い」と感じた場合に、痛みを伴うことが分かってきたのである。
ある医師に相談すると、
「それは、あなたの自己免疫力ががんと闘っている証拠だね」
と言われた。
まあ、その医師も代替療法に理解のある人だったので、標準治療派の医師(ほとんどはそうだろうが)はまた違った意見かもしれない。
しかし、「自分の免疫力が高まってがんと闘う結果、痛みが生じている」という考え方も、十分に成立するように思える。第一そう考えないと、痛みが悪化しない理由が分からないのである。がん細胞が正常細胞を侵食し、ついに神経に触れて痛んでいるのであれば、どんどん痛みが悪化するか、痛みが常態化していかないことには理屈が合わない。
さらに様子を見ていると、患部でも痛む場所と痛まない場所があり、痛んだ場所は、しばらくすると腫瘍が少し小さくなっていることに気がついた。
腫瘍が小さくなる? そんなことが起こるのだろうか。がん細胞って、一方的に大きく増殖していくものではないのか? 小さくなっているということは、がん組織が正常な組織に変わっているということではないか。つまり、この現象が広がっていけば、がんが治ることもあるのではないか?
まあ、そのような素人考えにより(代替療法を選択すると、自分で考える以外に基準はなくなるのである)、「治療後のずし〜んと来る鈍い痛みは、その治療が効いている証拠」というのが、私の一つの判断基準となった。これを「朱郷反応」と呼ぶことにしよう。
そして話はようやくノニに戻る。
ナチュラルハウスのノニジュースは、全然、じい〜んと来なかったのである。
何の感触も得られないサプリメントにお金を使い続ける気はしない。
ノニジュースはここでいったん、私の日常から姿を消すことになった。私もノニのことは再び忘却の彼方へと押しやった。
しかし、私がノニを捨てても、ノニはまだ私のことを捨てはしなかったのである。
(つづく)
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