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延命治療はやめてください…「終末期治療の中止を求める意思表明書」
http://biz-journal.jp/2017/04/post_18546.html
2017.04.02 文=蒲谷茂/医療ジャーナリスト Business Journal
先日、私は誕生日を迎えました。Facebookをしているので、自分の誕生日を登録してあります。すると、Facebook上で友だちになった人をはじめ、昔からの知り合いも含めて、いろいろな人からメッセージが届きました。この歳になって、直接お目にかかっていない人からもお祝いのメッセージをいただくと、なにやら考えることもあります。
子どもの頃、正月に叔父のところへ年始のあいさつに行ったとき。お年玉が目的ですが、叔父が「正月や冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という一休さんの言葉を紹介してくれました。「昔は正月になると皆一様に歳を取ったものだ。年を取ればそれだけ死ぬ時が近づいてくる。だから、めでたくもありめでたくもなし」という意味ですが、この言葉は、子ども心に強烈な印象を残しました。
私は拙書『自宅で死にたい』(バジリコ)で、自らの終末について書いたのですが、誕生日はまさに冥土の旅の一里塚。そこで、誕生日を機に終末宣言をすることをお勧めしたい。
若い人はそんなものはいらないと思うでしょうが、そろそろ自分の最期をどのようにしようかと考えている人は、ぜひやってみましょう。私が推奨する終末宣言のひな型を紹介しておきましょう。
愛知県がんセンター名誉総長大野竜三(りゅうぞう)氏が提案されています。『自宅で死にたい』でも紹介したのですが、原本は大野氏の著書『自分で選ぶ終末期医療』(朝日新聞社)にあります。以下に引用します。
【終末治療の中止をもとめる意思表明書】
私はこれまでの人生を、私なりに一生懸命生きてきました。
ここに、私の人生が終わるとしても、決して悔いはありません。
いま、私は意識を失うような状態に陥っていると思います。あるいは、呼びかけに応じているかもしれませんが、意識はもうろうとしていると思います。ということは、私はいま自分の力では水も飲めないし、食べ物を食べられないでしょう。
自分で呼吸できない状態にあり、人工呼吸器により呼吸をしているかもしれません。繰り返しますが、私は、いま私の人生が終わるとしても、決して悔いはありません。
ですから、もし、人工呼吸器をつけてから四八時間経っても、私の自発呼吸が戻らなかったら、人工呼吸器を外してください。
たとえ、自発呼吸がある場合でも、もし意識を失ったり、もうろうとなってから四八時間経っても意識が戻らなかったりもうろう状態が続いていたら、点滴も栄養補給もやめてください。
もし、私の意識状態に明らかな回復兆候がみられる場合には、さらに二四時間待っていただき、その時点で、私の意識が戻っていなかったり、もうろう状態が続いていたら、点滴も栄養補給もやめてください。
意識の判定は、厳密にしていただく必要はありません。ふつうの呼びかけに対し、声を出して答えなくなったら、意識はなくなっていると判断してください。
また、点滴と栄養補給をやめた後、私が自力で飲み食いできる状態にないなら、無理に飲ませたり食べさせたりしないでください。
もちろん、そうなったら、昇圧剤も輸血も人工透析も血漿交換などもやめてください。
もし、私が苦しがっているように見えるならば、その状態を緩和していただける治療は、喜んでお受けします。
ただし、昇圧剤や脳圧低下薬などの、延命のための治療はやめてください。
いま、私の命を永らえるために努力をしてくださっている、お医者さん、看護師さんやその他の病院スタッフの皆さまにも、心から感謝しています。
せっかく、努力をしてくださっている皆さまには、たいへん申し訳ありませんが、どうか、私の願いを聞いてください。決して、決して、悔いはありませんので、お願いいたします。
私はこの終末治療の中止をもとめる私の意思表明書を、意識も鮮明で、書いている内容を十分に理解している状態で書いています。
たとえ、家族の誰かが反対しても、私の意思を尊重してください。
四八時間という時間は短いかもしれませんが、決して悔いはありません。どうか私の願いを聞き届けてください。
年 月 日
住所
本人自署名 歳 印
(可能であれば)家族自筆署名
70歳という年齢
この「終末期治療の中止をもとめる意思表明書」は、大野先生は70歳以上の人を仮定するとあります。70歳という年齢に説得力があります。自分は70年という人生を精いっぱい生きた、自分の身に何かが起こっても決して悔やむことはないほど、十分長い人生を体験してきたと書きましょう、と。人生の終わりを諦念とともに悔やむことはない、と。
これはたいへん大切なことだなと思います。誕生日に当たって、自らの終末を考えるのも大切なことです。自分のためにも家族のためにも。
(文=蒲谷茂/医療ジャーナリスト)
●蒲谷茂
医療ジャーナリスト。1949年生まれ。立教大学卒業後、健康雑誌『壮快』の編集にかかわり、8年後に独立。多くの医療・健康に関する雑誌の編集・執筆、テレビ番組の企画・制作にも携わる。95年『大丈夫』(小学館発行の健康雑誌)の創刊編集長に就任。その後、30年以上にわたる経験や人脈を生かし、自分のからだは自分で守るための情報を発信し続けている。著書は、『民間療法のウソとホント』、『歯は磨くだけでいいのか』(共に文春新書)、『測るだけで大丈夫』(八重洲出版)、『死に至る病・チェックブック』『自宅で死にたい』(共にバジリコ)などがある。現在、八ヶ岳南麓に住み、FM八ヶ岳のパーソナリティもつとめている。
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