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2016年4月27日 窪田順生 [ノンフィクションライター]
マスコミが被災地で繰り返し暴走するのはなぜか
熊本地震の被災地でたびたび、マスコミ関係者が起こすトラブルが問題になっている。しかし、これはなにも今に始まった話ではなく、過去、何度も災害が起こるたびに繰り返されてきた。マスコミ業界の根深いトラブル体質の原因はどこにあるのだろうか?
雲仙普賢岳の取材では巻き添え死者も
繰り返される被災地でのマスコミトラブル
マスコミと被災者の「トラブル」が多発している。4月21日、TBSのNスタが熊本県益城町の避難所からボランティアの受け入れ状況について生中継していたところ、リポーターの背後からあらわれた被災者と思しき男性から、「見世物ではない」「車、邪魔、どかせよ!」などと怒鳴られたのだ。その様子をスタジオで見た堀尾正明アナウンサーは慌てて、「ご迷惑になっているようで、すみません」と謝罪。中継を打ち切る事態となった。
マスコミが被災地取材でトラブルを起こすのは、今に始まったことではない。1991年の雲仙普賢岳噴火の際には「迫力のある絵」にマスコミが固執した結果、関係のないタクシー運転手や消防団員、警察官も巻き込んだ死者を出す事態が起きてしまった
その前の週にも、益城町からの中継準備で焦った関西テレビの取材クルーがガソリンの給油待ちをする被災者の列に割り込みをしたとして謝罪。さらに、この割り込みの事実を指摘した被災者のTwitterを、仙台放送のカメラマンが「デマ」扱いをしたことで、こちらも謝罪に追い込まれた。
このような「トラブル」は氷山の一角にすぎず、今回の災害を後にしっかりと検証した際には、似たような話がゴロゴロと出てくるだろう。それは歴史が証明している。日本の災害報道の歴史は、マスコミと被災者の「トラブル史」と言っても過言ではないのだ。
1991年、火砕流で43人が亡くなった雲仙普賢岳。原地で取材をした西日本新聞の元島原支局員・安達清志氏は、後にこのように振り返っておられる。
《避難所の小学校へ向かった。ごった返す中、取材を申し込むと「おまえらに用はなか。帰れ」と思いがけない言葉。定点周辺での無神経な駐車、避難者の留守宅に入り込み勝手に電気を使った社もあるなど、報道機関に対する住民の不信感の強さを思い知らされた》(西日本新聞2011年5月29日)
「定点」とは、雲仙の溶岩ドームをのぞめる高台。「迫力のある絵」が撮れることから、日本全国からマスコミが押しかけていた。自治体や警察から避難勧告が出ていたが、「他社がいるのに引くことではできない」と誰も耳を貸さずに居座るため、チャーターされたタクシー運転手や消防団員、警察官も、その場に残らざるを得なくなった。その結果、高台を直撃した火砕流で43人もの尊い命が失われたのだ。
この4年後の阪神・淡路大震災でも、噴煙の上がる市街地をヘリから興奮気味に「まるで温泉です」とレポートしたり、大切な人を失い茫然自失となった家人に無神経にマイクを向けたり、というマスコミに被災者から批判が寄せられた。
当時、学生ボランティアとして現地入りをした沖縄タイムスの田嶋正雄記者も、そんなマスコミの傍若無人ぶりを目撃したひとりだ。
《報道カメラマンやテレビクルーを何度か見掛けた。「獲物」を狙うようにやってきて、撮りたい「絵」を撮って「ネタ」になる話だけ聞いたら、黒塗りのハイヤーでそそくさと「次」へと去っていく。そんな様子を冷ややかに見ていた。「あっちの現場の方がエグいな」。漏れ聞こえる無神経な会話には怒りを覚えた》(沖縄タイムス2015年1月15日)
スイスから来た救援隊もびっくり!
被災地で傍若無人に振る舞う日本のマスコミ
こういう2つの大災害の教訓を踏まえ、マスコミに襟を正そうという動きがなかったわけではない。阪神・淡路大震災後の中央防災会議ではマスコミの空撮ヘリのせいで、救助活動に差し障りがあるという話がでたので、今後は大震災後の3日ほどは空撮取材禁止か、自粛を求めたらどうかという案がでた。どうしても空撮映像が欲しければ、自衛隊が撮影すればいいというのだ。
これは、「メキシコ地震は人命優先でメディアの飛行が規制された」という意見を述べる委員がいたということもあるが、阪神・淡路大震災の救援にかけつけてくれたスイスの災害救助隊から、「人命救助の最中に、テレビカメラがぞろぞろついてきて驚いた」という声が聞こえてきたことが大きい。
かの国は、国境なき記者団の「報道の自由ランキング」でもそこそこ上位につけるほど、メディアの自由は確保されている。が、人命救助を優先すべき現場で、レポーターが「ご覧ください、今にも崩れそうな建物です。あぁ!危ない!」なんてプロレス中継のような報道をする「自由」は認めていないというわけだ。
だが、この「災害報道規制論」は結局うやむやにされる。マスコミから猛烈な反発があったからだ。
たとえば当時、「朝日新聞」の編集委員だった軍事評論家の田岡俊次氏も、「まるで有事の際、自衛隊のヘリの飛行を禁止し、報道のヘリに機関銃を積んで、対地攻撃させるような珍案だ」(朝日新聞1995年3月15日)と痛烈に批判。その他のマスコミも「知る権利を守れ」とシュプレヒコールを送った。
その翌年、長野県更埴市での山火事取材中、テレビ信州と長野放送の取材ヘリが空中衝突して6人が死亡するという痛ましい事故が発生しても、マスコミの主張はブレることはなかった。それは2000年代に入っても変わらない。
有珠山、三宅島の噴火、新潟中越沖地震、そして東日本大震災でも被災地入りしたマスコミは「報道」の名のもとで「自由」に振る舞い、その度に被災者と衝突してきた。もちろん、そういう話が注目を集めるたびに、「災害報道のあり方を考えよう」なんて議論にはなるが、喉元過ぎればなんとやらで、気がつけば25年以上も同じようなことを続けてきたというのが「現実」なのだ。
リコール隠しをした三菱自動車が幾度となく不正に手を染めたことを、マスコミは「隠蔽体質」だと批判をしている。同じロジックでいけば、25年も同様のトラブルを繰り返すのは、マスコミに染み付いた「体質」によるものだと考えざるをえない。
絶大な“金力”を誇り
殿様取材を繰り広げる在京キー局
では、どのような「体質」なのか。まずひとつ考えられるのは、「メディアの上下関係」という点だ。
どこかの場所で災害が起きる。それを取材して、被災地に情報を迅速に届けるという意味では、現地の地方紙や地元テレビ局の役割は非常に大きい。阪神・淡路大震災や東日本大震災でも、輪転機がないなかで情報を届け続けた地元新聞が、被災者たちに大いに役立ったのは有名だ。
しかし、一方で現地メディアも「被災者」であるため、マンパワーが足りない。そこで在京メディアを中心に他地域から「応援」がくる。そう聞くと、彼らは当然、現地メディアのサポートにまわるものだと思うかもしれないが、必ずしもそうではない。中継技術やら新聞発行の協力はするものの、取材で現地メディアの「指揮下」に入るというわけではなく、むしろマンパワーが足りない現地メディアの方が地の利があるということで、在京・在阪メディアのコーディネート的なサポートにまわる局面も多い。
なぜか。テレビの場合は特に露骨だが、キー局と系列の地方局は明確に「上下関係」があるためだ。
地方局にとってキー局は、潤沢な制作費でつくられた映像コンテンツの供給元であると同時に、「ネットワーク費」をいただける大事な存在だ。これはキー局が系列局の「枠」を買い取った費用とされているが、実際のところ地方局への「補助金」という側面もある。
こういう強い立場の人間なので、少しくらい非常識な振る舞いをしても現地メディアも諌めない。結果、被災者と衝突してしまうというわけだ。
いやいや、いくら殿様気分でやってくるからといって、誰も彼もが非常識なことをするわけではないでしょとツッコミが入るかもしれないが、残念ながらそんなことはない。在京・在阪メディアの「常識」は、被災者たちの「非常識」になってしまうという構造的な問題があるからだ。
被災地のメディアは、自分たちの読者・視聴者のために報道をおこなう。つまり、被災者が必要な支援など、より地域に根ざした情報に重きを置く。しかし、在京・在阪メディアはそうならない。
彼らの読者・視聴者というのは、「被災者以外の全国民」なので、被災地のどこそこの小学校で水が足りていないなどの情報では「数字」がとれないのだ。だから、遠く離れた人々にも巨大地震を「体感」できるよう「被害」取材に重きを置く。かくして、雲仙の火砕流のように「大災害らしい絵」を求める取材競争が繰り広げられるのだ。
「修羅場が撮れてナンボ」
被害ばかりを追いかけ回す
倒れなかった建物より、無残に崩れた建物。無事で明るくしている人より、途方に暮れた人々。そういう「被害」ばかりを追いかけ回す姿を見た被災者が、「見世物じゃねえぞ!」と罵声を浴びせたくなるのは、容易に想像できよう。
実際、兵庫県・復興10年委員会が編纂した『阪神・淡路大震災 復興10年総括検証・提言報告』のなかでも以下のような問題が指摘されている。
《大きな批判のひとつに、「被害の大きな火災や倒壊の場面ばかりを報道している」があった。神戸市長田区の菅原市場や鷹取東地区の火災や芦屋市西部、中央地区の激しい家屋の倒壊現場が、テレビで繰り返し報道されているではないか。その繰り返し放送は被災地にとってなんの役に立つのだ、もう分かりきったことを何度も放送するよりも、避難生活に役立つ情報を報道すべきだ、ということだ》
このような「被害リピート」の報道姿勢が、現在多発しているマスコミと被災者の「トラブル」を産む本質だ。
ガソリンスタンドの列に割り込んだ関テレの取材クルーは、甚大な被害が出た益城町の現場に急行するために焦っていた。これはつまり、目の前に並ぶ被災者より、「被害」を知りたい大阪の視聴者を優先したと言える。
自分の弁当を無邪気にツィートした毎日放送のアナウンサーもそうだ。彼には「被災者の視点」というものがゴッソリ抜け落ちているわけだが、これも彼が自分のフォロワー、つまり大阪の視聴者のことしか頭になかったと考えれば筋が通る。
このような在京・在阪メディアの「災害報道」のスタンスがいつから出来上がったのかをたどっていくと、1985年の日航機墜落事故につきあたる。
乗客ら524人全員の生存が絶望視されるなかで、マスコミ各社が競い合うように御巣鷹山の尾根を目指したのは有名だが、この過酷な取材競争を勝ち抜き、奇跡的な生存者救出の瞬間をお茶の間に届けたのが、フジテレビだ。災害報道の雄であるNHKを出し抜き、高視聴率も叩き出した世紀の救出劇は、報道の世界でも「テレビの同時性をいかした」と高く評価され、フジテレビに開局以来初の新聞協会賞(編集部門)をもたらした。
このあたりから大きな災害や事故では、読者や視聴者のために「衝撃的な映像」を切り取ることこそが正義だという思想が強まったような気がしている。
実際、この6年後には先ほど述べた雲仙普賢岳の悲劇、そこから4年後には阪神・淡路大震災での批判が起きている。そして、この「衝撃映像押し」の風潮は、東日本大震災にもつながっているのだ。
当時、石巻赤十字病院の現地本部で救援活動をおこなった岡山赤十字病院の石井史子医療社会事業部長の言葉が、それを端的に言い表している。
《『対岸の火事に油を注ぐ』ようなニュースの羅列に辟易(へきえき)した。例えば、政府や電力会社の非をひたすらあげつらう、街が津波に襲われる映像を延々と流し続ける、被災者に無遠慮にマイクを向ける――といった具合。何日も終日、流し続けることにどれほど意味があるのか。(中略)『火を消す意思』が感じられない報道には腹が立った》(山陽新聞2011年10月15日)
大被害が収まれば撤収
絵にならない「復興」は報じない
東日本大震災直後には、あれほど現地に押しかけた全国のメディアが、「復興」ということになった途端パタリと消えた。これはテレビの同時性をいかして報じたい「火」が消えてしまったからに他ならない。
では、マスコミはこういう被災者目線が欠如した災害報道のスタンスを変えることができるのかというと、それはかなり難しい。
「報道」ほど旧態依然とした世界はないからだ。原稿作成や撮影・中継の技術が格段に進歩をしたところで、「取材」というきわめて属人的なノウハウは結局のところ、先輩から後輩へという古典的なOJTのなかでしか受け継がれない。つまり、他業種のようなイノベーションが期待できない世界なのだ。
こういう閉鎖的で硬直した世界では、「上」の掲げた目標に「下」は固執するしかない。日航機墜落事故のスクープこそが「理想」と考える世代がまだまだ多く残っている組織では当然、現場にあのようなインパクトのある衝撃映像を求める。「下」は黙ってそれに従うよりない。
そういう「報道ムラ」の論理をなによりも優先する人々が、一般人と混じってのんびりとガソリンの給油待ちなどできるわけがない。ましてや、各局が土砂崩れ現場から中継している最中である。つまり、被災地にいるマスコミの非常識な振る舞いというのは、個々のモラル云々の問題というより、マスコミという業界の構造的問題によるところが大きいのだ。
テレビ局は収益悪化で、「ネットワーク費」もかなり削られている。が、そう簡単に「中央と地方の上下関係」がいきなり変わるとは思えない。
日本はどこでも大規模災害に見舞われる恐れがある。ということは、誰もがこのような「災害報道の被害者」になり得るということでもある。雲仙普賢岳のような、一般人を巻き込む過ちだけは繰り返さないでくれと願わずにはいられない。
http://diamond.jp/articles/-/90362
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