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AIはシンギュラリティの夢を見るか?
シンギュラリティはいつ起きるのか?
未来学者ポール・サフォーにAIをきく
2016/11/17
川手恭輔 (コンセプトデザイン・サイエンティスト)
AOSリーガルテック社が主催した「リーガルテック展 2016」での講演のために来日した、スタンフォード大学や、シンギュラリティ大学で教鞭をとる未来学者ポール・サフォー氏に、AIやシンギュラリティについてインタビューする機会を得ることができた。サフォー氏とは、ちょうど2年前にサンフランシスコを訪れたときに、カメラマンの小平尚典氏の紹介で初めてお会いし、丸一日かけてシリコンバレー周辺を案内してもらって以来になる。
以下、講演を含めて、彼が話してくれた言葉を読み解いてみる。
ポール・サフォー教授 ©Naonori Kohira
日本企業へのアドバイス
AIを活用して成長しようとする企業は「イノベーション」ではなく「トランスフォーメーション」に取り組むべきです。これは、他の高度な技術を活用する場合と変わりはありません。イノベーションとは古いゲームをうまくやること、トランスフォーメーションとはゲーム自体を変えることです。大企業は高度な技術を使って、牛が通っていた道を舗装して自動車が通るための道を造るようなこと(イノベーション)ばかりしています。
例えばスマートフォンは、少し前までのスーパーコンピュータに匹敵するものであるにもかかわらず、旧態然とした電話のスタイルを引きずっています。電話のプッシュボタンの画面は、(1967年に発売された)プッシュボタン式電話機のデザインを踏襲しています。当初は0〜9の10個のボタンだったが、0の両側にスペースが空いていたので、2つの記号のボタンを追加して4行3列にしました。それを考えた人の名から「#」はオクトソープと呼ばれています。それがそのままスマートフォンの電話の画面のデザインになっているのです。
トランスフォーメーションを行うためには、このような「クレイジーなこと」をおかしいと思う必要があります。常に周囲を見回して、すでに合理的ではなくなってしまったことに気づかなければなりません。
イノベーションを引き起こした技術革新が連続的なものであるか否かによって、インクリメンタル(連続)とラディカル(不連続)に分類するそれまでのイノベーション分類に対し、クレイトン・クリステンセンは既存の有力企業の事業が存続可能か否かという視点から、そのイノベーションに対応して存続可能なものを持続的イノベーション 、対応が困難で事業の存続が不可能なものを破壊的イノベーションとする独自の軸を加えて、イノベーションを4つの象限に分類している。持続的イノベーションに最適化された組織では破壊的イノベーションを起こすことができず、そのジレンマに陥った組織の事業は、やがて他者によって起こされた破壊的イノベーションによって衰退してしまうと指摘した。
iStock
サフォーのいうトランスフォーメーションは、(ゲームを事業に言い換えれば)破壊的イノベーションに相当する。サフォーは、大企業は、まずAIのような高度な技術(ラディカルな技術革新)によって「すべきこと」を考えなければならないという。確かに「すべきこと」が明確になってからでないと、それができるか否かのジレンマを感じることはない。初めから「できること」だけに取り組んでいる多くの大企業にはジレンマすら存在しないのかもしれない。
ペイパルやパランティアの共同創業者ピーター・ティールも、偉大な企業は目の前にあるのに誰も気づかない重要な真実の上に築かれるという。誰もが信じている嘘を特定することができれば、その後ろに隠れているもの、すなわち「逆張り(contrarian)の真実」を発見できると。「誰もが信じている嘘」がサフォーのいう「クレイジーなこと」だろう。
デザインの世界で「経路依存性」や「メタファー」という言葉が使われることがある。「経路依存性」とは、物事において、その歴史的経緯はとても重要であるという、元々は経済学の世界における概念だが、デザインに関しては、機械式タイプライターのときに(ある意味があって)使われていたキーボードの配列が、それが無意味となったパソコンでも同じように使われている理由を説明するときなどに使われる。「メタファー」は、ある抽象的な物事を他の具体的な物事で伝えることをいう。パソコンの画面の「ゴミ箱」のアイコンを見れば、それが「そこに何かを捨てる」ということを意味することがわかる。
スマートフォンのプッシュボタンの画面は「経路依存性」と「メタファー」の両方の意味を持っている。それは、これまでユーザーインターフェースのデザインとして否定されるものではなかった。しかしサフォーは、AIのような高度な技術を活用してトランスフォーメーションを行うには、そのように、あたり前と思っていることを疑ってかからなければならないと言っている。
シンギュラリティはいつ起きるのか?
『人工知能は敵か味方か』(日経BP)という著書の中で、ニューヨークタイムズのジョン・マルコフは、シンギュラリティについての「クリアに見えるからと言って、すぐに起こるわけではない」というサフォーの言葉を紹介している。
1956年にジョン・マッカーシーが提唱したような、汎用的なAIが生まれるまでにはもう少し時間がかかるでしょう。しかし、すぐに起こると思われていることが実は遠いものであったり、逆に誰もそんなことは起きないと信じていることが、突然に起こることがあります。それを「ゆっくりとした変化の早いペース(fast pace of slow change)」のパラドックスといいます。
ボブ・ディランがノーベル賞を受賞しました。彼は無視しているようですが、(大ファンの)私は興奮しています。しかし、AIがノーベル文学賞を受賞する時代が来るかもしれません。物理学や化学といった分野では難しいかもしれませんが。作者が明かされないまま、サリンジャーのように小説を書き続け、その長年の功績によってノーベル賞が授与された後に、それらの作品がAIによるものだったと判明するかもしれません。文学のような古くから人間が行ってきたことを、AIが代って行うようになる可能性が出てきたことは非常に興味深いことです。
もしシンギュラリティが明日起きたら、大混乱になるでしょう。しかし、それが2040年に起きるのであれば、それまでのゆっくりとした変化で人々は順応してしまい、シンギュラリティが起こったことにも気づかないかもしれません。むしろルイC.K.のように、なぜこんなに時間がかかったんだと文句を言うかもしれません。
著書『ライ麦畑でつかまえて』で有名な作家J.D.サリンジャーは、46歳になってからは執筆をやめて隠遁生活を送ったが、実は多くの作品を書き上げていたという噂があった。
脚本家でコメディアンのルイC.K.は、早くから自分が演じるトークショーをWebサイトで無償で公開してきた。サフォーは、飛行機が着陸するやいなやポケットからスマートフォンを取り出して電源を入れ、その立ち上がりの遅さに罵声を浴びせる人々を揶揄するルイC.K.のコメディーを引用している。少し前のスーパーコンピュータが数十秒で立ち上がることはすごいことなのに、我々はそれをあたり前どころか不満に感じてしまう。
新しいアイデアやテクノロジーが生まれた時、メディアの過剰な煽りなどによって市場の期待が急激に高まることがある。それをハイプ(誇張)という。しかし、そのアイデアやテクノロジーの未成熟さから、なかなか実際の製品やサービスとして実現されないと、その期待が一気に幻滅に変わる。そして、そのなかから成熟したものが生き残り、実際の製品やサービスとして市場に提供されていくという流れを、ガートナーはハイプ・サイクルと呼んでいる。
これまで2度にわたって市場を幻滅させてきたAIは、いま3度目のハイプの頂点にある。しかし、コンピュータ(半導体)技術の指数関数的な進歩によって、人間の脳の構造を模倣したニューラルネットワークやディープラーニングなどの機械学習と呼ばれるAIの技術が、ビッグデータという膨大な情報から「重要な真実」を発見し、囲碁で人間に勝つほどのソフトウェアを生み出すことができるようになった現在でも、マッカーシーが提唱した、人間が知能を使ってすることをコンピュータにさせようという汎用的な(強い)AIへの道筋はまだ見えていない。
一方で「画像認識」「音声認識」「自然言語処理」などの、分野を限定した(弱い)AIは成熟期にさしかかっており、すでに人々の生活にゆっくりとした変化を起こし始めている。サフォーは「世の中を大きく変えるようなことも、それが臨界点に達するまではゆっくりと変化し、多くの人はその変化に気がつかない」という。その時代を生き抜こうとする企業は、ハイプに踊らされたり幻滅したりすることなく、ゆっくりとした変化の先に必ず起こるであろう未来を見据えてトランスフォーメーションに取り組む必要があるだろう。
AIは召使いではない
前回のコラム『AIがiPhoneのエコシステムを揺るがす』で、アップルのSiriやグーグルのGoogle Assistantなどのソフトウェアエージェントが、次の大きな変化を起こそうとしていると書いた。
ソフトウェアエージェントというコンセプトは新しいものではありません。1987年にジョン・スカリー(アップルの元CEO)が、人と音声で対話するナレッジナビゲータという同様のコンセプトを発表しています。当時はすごいものでしたが、それはずいぶん昔の重要な歴史になりました。イノベーションにはなるでしょうが、それでトランスフォーメーションを起こすことはできません。
ナレッジナビゲータのコンセプトを説明するための動画の制作に関わりましたが、いまそれを見ると非常に恥ずかしくなります。そこで描かれているアシスタントという考え方は封建時代の陳腐なもので、ある意味で女性蔑視で傲慢です。AIは召使いではありません。
アラン・ケイは彼の最初の論文の中で、ダイナブック(Dynabook)というパーソナルコンピューターの元となる構想を発表しました。ダイナブックはアシスタントではなく、ユーザーに寄り添う親しい友人のようなものです。
私のペットの犬は、いつも私と妻の様子を観察しています。AIも常に私たちを観察し、宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』の神々のようにAIどうしが会話をしていて、その会話に私たちが割り込むようになるのかもしれません。
アラン・ケイのダイナブックの構想は、1977年に『IEEEコンピュータ』誌に掲載された『パーソナル・ダイナミック・メディア』にまとめられている。翌年に書かれた『マイクロエレクトロニクスとパーソナル・コンピュータ』と共に、その翻訳が収められたアスキー出版局の『アラン・ケイ』は、残念ながらすでに絶版になっている。
『マイクロエレクトロニクスとパーソナル・コンピュータ』で、アラン・ケイは初めて「パーソナル・コンピュータ」という言葉を使い「将来、マイクロエレクトロニクス・デバイスの容量の増大と、価格の低下によって、コンパクトで強力なハードウェアの登場が促されるだけでなく、人間とコンピュータの対話方法も、質的な変化を被ることになるだろう」と予言した。
その30年後にアップルが発売したiPhoneによって、アラン・ケイの予言は「ほぼ」実現されたといっていいだろう。iPhoneは「可能なかぎり小さく、持ち運び可能で、人間の感覚機能に迫る量の情報を出し入れできる装置」というダイナブックのモックアップよりもさらに小さい。
「ほぼ」という但し書きをつけたのは、アラン・ケイが、コンピュータがほんとうに「パーソナルなもの」なら、子供といわず大人といわず、あらゆるユーザーが、専門家の力を借りることなく、コンピュータに有益な仕事をさせられなくてはならないとしたからだ。それはユーザーが、なんらかのプログラミングをしなければならないということを意味している。専門家がレディメードの(アプリケーション)プログラムを提供したとしても、建築家や医者や作曲家や家事をする人やビジネスマンや教育者の、それぞれの要求を明確に予測することは難しい。アラン・ケイは、それがパーソナル・コンピュータの最大の障碍(しょうがい)だと認めている。
ダイナブックの構想に残された「いかにしてパーソナライズするか」という課題を解決するために「あらゆるユーザーが自分のためにプログラミングをする」のではなく「個々のユーザーのためにAIがプログラミングをする」あるいは「AIがプログラムをパーソナライズする」ほうが、より現実的になってきた。
ケンタウロスの時代
サフォーは講演の中で、コンピュータ(AI)が人間の仕事を奪ってしまうのではないかという危惧に触れ、コンピュータは答えることはできるが適切な質問をする(考える)ことができないと指摘した。コンピュータは囲碁というゲームで人間に勝つことはできるが、新しいゲームを考え出すことはできない。そして、ケンタウロスのように人間とコンピュータが融合し密接なパートナーシップを結ぶことによって、人間単独あるいはコンピュータ単体よりも大きな力を発揮できると考えるべきだと話した。
人間とコンピュータの融合とは「人間の脳の構造が研究しつくされて、コンピュータが超高性能になったときシンギュラリティ(技術的特異点)が訪れ、科学技術によって人間の能力が根底から覆り変容する」というレイ・カーツワイルの描いた世界と共通するが、恐ろしげな姿の半人半獣のような物理的な融合ではなく、その関係は親しい友人としての相互補完的な役割分担をイメージすべきだろう。
『マイクロエレクトロニクスとパーソナル・コンピュータ』の最後で、アラン・ケイは「自分の仕事そのものを自動化してはいけない。素材だけにとどめるべきだ。絵を描くなら、描く作業を自動化するのではなく、新しい画材をつくるためにコンピュータをプログラムすべきだ。音楽を演奏するなら、自動ピアノを作るのではなく、新しい楽器をプログラムすべきだ」と、将来、実現されるであろうダイナブックとの関わり方を説いている。
サフォーの言葉のように人間とコンピュータが親しい友人になるには、コンピュータが一方的に進化するだけでは不十分で、それを扱う人間の方でもコンピュータの進化に合わせてトレーニングし進化することが必要だろう。
講演の後、サフォー氏は長年の友人でもある小平氏と連れ立って、岩手県宮古市重茂の姉吉地区にある「大津浪記念碑」を訪れた。東日本大震災によって引き起こされた巨大津波によって、沿岸部の家々が津波で押し流された宮古市で、姉吉地区は建物被害が1軒もなかった。この地区に来襲した1896年の大津波の被害をうけた地域の住民が、子孫への警告として設置した災害記念碑の碑面には次のような言葉が刻まれている。
高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心あれ
くれぐれも要心あれ。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8155
デジタルトレンド・チェック!)人工知能が本
2016年11月10日16時47分
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写真1 クエリーアイの水野政司社長。AI「零」を開発し、「本」を書かせた。同社内には、AIの学習に使うパソコンが多数並ぶ
知能(AI)の技術は、近年急速な進歩を遂げました。音声認識や画像認識などで身近になりつつあります。そんな中、この8月、ちょっと面白い動きがありました。AIが本を書いたのです。AIが「本を書く」とはどういうことなのでしょうか? 「賢人降臨」と名付けられた本を書いたAI「零」を開発した、クエリーアイ株式会社・社長の水野政司さん(写真1)に話を聞きました。(ライター・西田宗千佳)
■著作から学習、「その人の発想」をAIが文章化
8月24日に一冊の電子書籍が発売されました。タイトルは「賢人降臨」。
「若者もあり、あるいは才智(さいち)逞(たくま)しゅうして役人となり商人となりて天下を動かす者もあり……」という書き出しから始まる、少々古めかしい文語調で書かれた本ですが、決して古い本ではありません。執筆されたのは2016年8月。古いどころか、バリバリの新刊です(画像2、3)。
著者は「零」。ペンネームではありません。それどころか人間でさえありません。零はAIです。福沢諭吉と新渡戸稲造の著書から学び、全ての文章を零だけが書きました。賢人降臨のうち、人が書いているのは序文とあとがきだけ。それ以外は、一文字たりとも人の手による編集が入っていません。賢人降臨を読むと、その完成度に驚かされます。よく読むと、文章のつながりがおかしいところ、単語の使い方が正しくないところが見受けられます。しかし、普通に文章になっていることに驚かされます。また何より、賢人降臨を読むと、いかにも福沢諭吉や新渡戸稲造が言いそうなことを語っているのです。賢人降臨は、各章のタイトルになっていること、例えば「若者とは」「学問とは」「世界とは」といった事象を、零に問いとして与え、その結果が文章になって出てくる……という形でつくられています。
すなわち、福沢諭吉や新渡戸稲造を学んだAIが、彼らの発想を基に文章をつくっていると言えます。極端なようですが、零は福沢諭吉や新渡戸稲造が書いた文章から彼らの発想法を学び、彼らに代わって問いに答えることができる存在になったのです。
■AIからの文章作成は「論文」が効果的
クエリーアイの水野社長は「やってみたら、一発であの文章が出てきた。その驚きをみなさんと共有したくて『賢人降臨』を作った」と話します。
クエリーアイはもともと、スマートフォン用アプリの販売統計を分析する会社でした。スマホアプリに関する広告の効果を測定し、どうすれば効率的に運用できるかを分析するために使っていたのが「ニューラルネットワーク」というAIの技術です。水野さんは30年前、学生時代にニューラルネットワークを専門として学んでいました。その技術を新しいビジネスに応用したのです。現在は、過去のアプリ売り上げランキングとツイッターの書き込み情報から、「1時間後のアプリの売り上げ」を誤差7%の範囲で予測できるようになっています。
同社が次のビジネスとして狙うのが、AIによる「文章作成」。ネット上には、他で書かれたニュースを使い、文章を書き換えて紹介する「バイラルサイト」「まとめサイト」があります。こうしたウェブサイトでは多数の記事が必要なのですが、問題はコストです。創作性の低いまとめ記事をつくっても、その書き手に高い報酬を支払うことはできません。ですから、AIを使って文章を量産することができれば、こうしたサイトの運営コストをさらに下げ、利益率を高くすることができます。
その研究段階として、死後50年が経過して著作権がなくなり、無償で利用が可能になった福沢諭吉・新渡戸稲造の文章を使ってテストしてみた……。これが今回の試みでした。2016年8月初めのことです。「ある程度予想はしていたが、いきなりここまできちんとした文章が出てくるとは思わなかった」と水野さんは言います。
専門用語を使っていえば、水野さんが用いたのは、ニューラルネットワークの中でも「リカレント・ニューラルネットワーク(RNN)」と呼ばれる手法です。自らが構築したRNNを使ったAIに、著作権フリーの電子図書館「青空文庫」で公開されている福沢諭吉の文章、「学問のすゝめ」などを読み込ませて学習させたわけです。
学習させる対象として「学問のすゝめ」などを使ったことには、主に二つの理由があります。
まず、AIが扱うには、論文や…
http://www.asahi.com/articles/ASJC846X8JC8UEHF008.html
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