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『住友銀行秘史』は、出世とは、組織とはなにかを学ぶ絶好の教科書だ 「会社のために」が会社を滅ぼす
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50192
2016.11.15 週刊現代 :現代ビジネス
銀行員のみならず、他業界のビジネスマンからも「組織を学ぶ絶好の教科書」と評判の『住友銀行秘史』。会社とは、出世とは、働くとは何かを考えさせられる、12万部越えの話題の書の「読み方」を、佐高信氏と山崎元氏が語り尽くした。
■「行儀の悪い」銀行だった
山崎 『住友銀行秘史』を読んで思ったのは、あのとても強く見えていた住銀も、内部ではまったく違った風景が広がっていたんだなということです。金融マンとしてはやはり、住友銀行はほかの都銀とは違う特別な銀行だったと思うんです。
佐高 といいますと。
山崎 私は若い頃に三菱商事の財務部にいて、ほとんどの銀行と付き合いがあったのですが、みんなが「住友銀行だけは特別だ」ということをそれぞれ違うエピソードで語るわけです。たとえばある人が、「取引先が倒産したときに住銀のバンカーはいち早く現場に行って、担保を先に押さえて行きやがった」と言えば、別の人は「銀行協会の中で検討事項があるときに、住銀だけが談合破り的なことをしてきた」と言う。
当時、どうも住友銀行は「暴れん坊」だとの意識が各行にあり、住銀もそう言われることを良しとしている行風がありました。
佐高 そうですね。もっと言えば、住友銀行は当時の住友グループの中でも異端の存在でした。
もともと住友グループの源流は金属鉱山会社にあり、「浮利を追わず」というのが伝統なんです。だから、グループトップたちは表向きは言わないけれど、実際に会って話を聞くと、「住銀はちょっとねぇ、行儀が悪いよね」と本音を漏らすんです。
山崎 私もそれは「実体験」しました。私は三菱商事を退職した後、いくつか転職をして住友信託銀行に勤めました。ちょうど金融再編があった年でしたが、当時の住友信託行内は、自分たちの業績が悪くなれば住友銀行に吸収されてしまうという強烈な危機感に満ちていたんです。
そして、住銀のような暴れん坊に吸収されたらどんな目に遭うかわからないので、住友信託の行員は何としてでも頑張って業績を上げようとした。笑い話のようですが、同じ住友グループ内でも住銀は恐怖の対象だったわけです。
佐高 住銀のえげつなさは「逃げの住銀」と言われていて、取引先の経営状況が悪くなると、人情のかけらもなく貸金をひきあげて真っ先に逃げるというのが定説でした。ちょうどイトマン事件の前後の頃、三菱銀行のトップが、「三菱の銀行マンはフロックコートを着て、立ち小便するようなマネはするな」と言ったそうなんですが、これも暗に住銀を指していた。
山崎 行風の違いの言われ方としては、「夜の10時の大阪で、住銀はまだ残業、三和は新地で飲んで、大和は家に帰っている」というのもありました。三和にも算盤を持った小悪党のような人が少なからずいましたが、闇の勢力と直接付き合うような迫力はなかった。それが、住銀だと必要があれば暴力団とも対峙する。良くも悪くも一歩踏み出していましたよね。
佐高 逆に言えば、その闇の部分を請け負うことでみずからの存在価値を高めようとする行員も出てくるわけです。たとえば住銀からイトマンに移った河村良彦社長などは、「伊藤寿永光とやりあうのは自分の専売特許だ」と考えていた。それが河村社長の存在証明であり、住銀会長だった磯田一郎から認められている部分だから、絶対にほかの行員たちに渡せない。
■権力の源泉は人事
山崎 はい。銀行というのはある種の宗教団体のようでもあり、軍隊のようでもあります。住友銀行であればまず住銀行員ということにアイデンティティと誇りを持ち、さらにその中で自分がどういう立場にあるかが彼らにとってなにより価値を持つ。当時の住銀の場合は特に、実力会長である磯田さんが人事権を握っているので、彼にいかに認めてもらうかが行員たちのすべての行動指針になってしまう。
佐高 山崎さんのおっしゃる通りで、彼らは住銀につかえていたわけじゃなくて、磯田につかえていたようなものです。当時の副頭取だった西貞三郎氏にしても同じで、河村社長と似たような「汚れ役」を引き受けることでみずからの存在証明をしていた。
磯田に対して「ほかのやつらの言うことは間違っているから聞くな」と必死になったのも、自分のバンカーとしての生き残りをかけていたからでしょう。結果として、そうした情報が磯田を惑わせ、間違った方向へと突き進ませるのが皮肉なわけですが。
山崎 正直、自分としてはあまりそこで働きたくないなと思いますね……。
まず入行した時点で何年入行、何大学卒という識別番号が付き一生ついて回る。さらに、人事異動や昇進などで最初から最後まで序列が付き、行員たちが互いにそれを意識し合う。そうして、いま自分はどういうポジションにあるかということばかりを意識して働く。人事というものがあまりに重すぎて、情けないほどに人事にだけ合理的なサラリーマン人生を強いられる。
佐高 そういう意味では興味深いエピソードがあって、ラストバンカーと呼ばれた西川善文さんの1年後輩、'62年入行に島村大心という人がいたんです。彼は住銀内の出世コースに乗ったエリートで取締役にも就くのですが、イトマン事件の決着がついた'91年に突然退職すると、高野山に入って、出家してしまう。
山崎 世を棄てちゃうんですか?
佐高 そう、東大法学部を出て、取締役法人本部長まで到達したような人が急に世を棄てちゃう。
山崎 とてもいい出世コースなのに。
佐高 それが高野山に入って、便所掃除までやらされるわけですよ。その時、私は島村さんに話を聞く機会があったのですが、「出世欲にはきりがない」「社長になったらそれで満足かと言えば、そうではなくて、次に実力会長になろうとする。長くその椅子に座り、次に財界の役職を狙う」と言っていました。財界の役職を狙うのは、勲章が欲しいからですよね。
この時の島村さんと西川さんが対照的だったので、私は二人を比較した記事を書いたのですが。やはり島村さんはイトマン事件のトップや役員の生々しい姿を見て、心底この銀行が嫌になったんだと思います。
■「派閥抗争」は根が深い
山崎 結局、会社そのものが人事を握った人のものになってしまい、その人が居座り続けている限り、誰も身動きがとれない構造になるのが日本の会社ですよね。それが長引くと腐敗をしていく。最近では東芝などが好例です。みんなその構造に気付いているけれど、誰もおかしいとは言えない。磯田さんのような実力会長であればなおさら、というわけです。
佐高 私は当時の磯田にインタビューしているのですが、それはすごい権勢でしたよ。『住友銀行秘史』の中にも出てきますが、私がインタビューしている最中、磯田は住銀の先輩で住友不動産にいた安藤太郎のことを「安藤君、安藤君」と言うんです。
さらに、第二代住友総理事で住友精神の礎を築いた伊庭貞剛が「事業の進歩発達に最も害をするものは青年の過失ではなく、老人の跋扈である」と言っているという話を振ると、磯田は「伊庭精神はもう通用しませんよ」と不機嫌そうに言い切るわけです。聞いている私からすれば、そこまで言うかね、と。
山崎 ある種の慢心が磯田さんにあったのでしょうね。確か当時、「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれていたので、舞い上がっていたところもあったでしょう。
佐高 私はこの磯田へのインタビューをもとに、『磯田一郎と安藤太郎』という題名で、二人とも「老害だ」と批判する記事を書いたんです。そのあとで驚いたのは、安藤が私に「佐高君、僕は君が好きなんだ」と言ってきたことなんです。「あの記事は良かった」と。「しかし、私は安藤さんも批判したんですよ」と言ったけれど、「それはいいんだ」と言ってね。安藤は自分が批判されたことより、磯田が批判されたことがなにより嬉しかったんです。
山崎 なるほど。私は『住友銀行秘史』を読んでいて、磯田さんというのは非常に「家庭的」な人だという印象を受けたんです。
佐高 それはどういう意味で?
山崎 「家」を守るという思考の強い人だと思ったんです。たとえば磯田さんは「親分=磯田さんに命を捧げます」という誠意を見せる河村さんや西さんを出世させて、徹底的にかわいがっていました。
また、イトマンが闇の勢力に付け込まれる原因になったのは磯田さんの娘の問題が絡みますが、ここでも「家族」というか「ファミリー」というか、自分の身内に特別な意識がある人だという印象を受けるんです。
佐高 逆に言えば、「家」に入らない人は徹底的に遠ざける。
山崎 そうです。身内が大事な人は、身内とそうでない人をものすごく区別するので、磯田派とそうでない人、つまり派閥が色濃くなっていったのだと思います。磯田さんはバンカーとして功績があった人ですが、派閥争いという体質を住銀に持ち込んだ人でもある。いったんそれが銀行の体質として根を張ってしまうと、磯田さんの意思を超えてその悪習自体が育っていってしまう。
佐高 その権力が人を不遜にするし、権力を持っている人の周囲が人を傲慢にさせる。しかし、一度その権力に陰りが見えれば、一気に人が去っていくのもまた現実なわけです。『住友銀行秘史』の中でも、磯田退陣が近いとわかってくるや、側近たちは即座に向く方向を変えていたでしょう。
私がいまも強く印象に残っているのは、あのワンマンで知られた三越の岡田茂社長です。
■「会社のため」が一番危ない
山崎 クーデターで解任されるとき、「なぜだ」と漏らした岡田さんですか。
佐高 はい。彼が解任されてからしばらくして、あるセミナーの講演で講師が岡田と私の二人ということがあったんです。
山崎 それは面白いですね。
佐高 岡田は解任されたとはいえ当時まだホットな存在でしたが、控え室も私と一緒だったんです。彼は全盛期のときに記者が取材に来ると机に脚をあげて、「おう、今日は何の用だ」と言ったという有名な話がありました。しかし、その時の彼は控え室に一人で来ると、まだ若造の私に腰を低くして、「岡田でございます」と深々とお辞儀をしたんです。これがあの岡田かと、腰を抜かしました。
つまり、磯田も含めて日本のワンマンは張り子の虎なんです。周囲がさっと身を引けば、かわいそうなくらいにただの老人でしかない。
山崎 私はこないだ『住友銀行秘史』著者の國重惇史さんとお会いしたのですが、「本にも書いたけれど、すまじきものは宮仕えだね」と言っていました。確かにこの本には、そんな「すまじきもの」の具体例が凝縮されて詰まっている。
佐高 住銀役員たちはあれだけ保身と出世のために動き回りながら、結局、頭取に選ばれるのは下馬評になかった森川敏雄氏だったわけですからね。
山崎 ええ。森川さんはブラックなところにいなかったし、勢力争いの中にいなかった。だから、バブル期に国際部門に外れていた人がトップになる人事は住銀に限らず、当時はよく起こりました。人事なんて所詮はそんなものなんです。
佐高 本の中には國重さんが、「早めにとった夏休み」というくだりが出てきますよね。当時は土日も休まないモーレツサラリーマンばかりの時代だったから、休みを取るのを憚る人も多かったが、國重さんはそんな「社畜精神」とは一線を画していた。そういう人だからこそ、内部告発という勇気ある行動に踏み切れたのだと感じましたね。
山崎 「会社のため」というのは一見正しいようですが、実はこの標語のもとでは悪いこともできてしまうわけです。「会社のため」に経理を誤魔化す、とか。だからそこからいかに脱却して、社会のため、世の中のためと考えられるかどうかがいかに大事なのかということをこの本は教えてくれます。これからのビジネスマンは会社ではなくて、職業にプライドを持て、と。そういう風にこの本を読んでくれるといいなと思いました。
佐高 それが一番苦手なのが銀行マンなんですがね。
山崎 はい。だから私はおカネの運用が専門ですが、とにかく退職金が出たら銀行でだけは運用するなと言っていますよ。
さたか・まこと/'45年生まれ。評論家・東北公益文科大学客員教授。著書に『新装版 逆命利君』(講談社文庫)『原発文化人50人斬り』(毎日新聞社)『自民党と創価学会』(集英社新書)など
やまざき・はじめ/'58年生まれ。経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員。住友信託銀行などを経て現職。著書に『信じていいのか銀行員 マネー運用本当の常識』(講談社現代新書)など
「週刊現代」2016年11月19日号より
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