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「A BRIEF HISTORY OF CORPORATE WHINING(歴代アメリカ企業いちゃもんまとめ)」
http://www.asyura2.com/16/hasan113/msg/178.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 9 月 12 日 22:12:16: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

「A BRIEF HISTORY OF CORPORATE WHINING(歴代アメリカ企業いちゃもんまとめ)」
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/584574f01af1a8318675f8116abc6d93
2016年09月12日 のんきに介護



古川@furukawa1917 さんのツイート〔23:10 - 2016年9月11日


元画像


〔1842年〕
マサチューセッツ州最高裁判所が、労働者が平和裡に組合活動を行うことは違法ではないとの判決を出した。この判決は広く受け入れられ、その後長年にわたり、組合は、違法行為となる共同謀議に対する告発を恐れる必要がなかった。組合は、その活動を賃金闘争のみにとどめず、1日10時間労働の推進や児童就労への反対運動にまで広げていった。これらの運動に対し、一部の州議会では、好意的な反応が見られた。

☆ 典拠:サイト「米国プロファイル」のの記事「アメリカ合衆国のポートレート − 第5章「アメリカの産業」」⇒「労働組合」*https://americancenterjapan.com/aboutusa/profile/1936/

〔1887年〕
ペンシルベニア州シャモキンでは、7月25日に1,000人の男性、少年、多くは炭坑坑夫がレディング鉄道操車場に行進し、いわゆる1877年のシャモキン暴動と呼ばれた。町当局が緊急公共事業で日給1ドルしか払わないと宣言したときに、彼らが操車場を襲った。炭坑を所有する市長は自警団を組織し、14人の市民が撃たれて、うち2人が死亡した。
…1877年の鉄道大ストライキの後、…ストライキの数は増えた。1880年代には1万回近いストライキがあり、1886年には70万人の労働者がストライキに参加した。

☆ 典拠:ウィキペディア「1877年の鉄道大ストライキ」⇒「ストライキ」「その後の労使関係に与えた影響」✳https://ja.wikipedia.org/wiki/1877%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E5%A4%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AD


〔1912年〕
パンと薔薇のストライキ、1912年
工場での労働条件は危険なものであり、1860年にはペンバートン工場が崩壊して、労働者145人が死んだ[9]。19世紀の半ばから終盤にかけて、移民がアメリカ合衆国に溢れ、ローレンスの住民はヨーロッパのほとんどあらゆる国からの熟練、非熟練労働者でいっぱいになった。…
移民集団は通常、高い賃金を得るために結束した別の集団を信用していなかった。警官と州兵が女性と子供の集団を襲ったとき、大衆が抗議して工場所有者が降参するよう強いた。ストライキ参加者は自分達ばかりでなくニューイングランド中数千の労働者のために賃金増額を獲得した。

☆ 典拠:ウィキペディア「ローレンス (マサチューセッツ州)」✳https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%84%E5%B7%9E)

〔1915年〕
19世紀末からの、イタリア人、ギリシャ人、 ユダヤ人、ポーランド人、ボヘミア出身者の増加が、 20世紀初期のアメリカ主義運動(theAmericanization Movement)の誕生、クークラックスクーラン(Ku Klux Klan)の1915年の再編成、移民制限のための 1921年と1924年の移民法(theImmigrationAct)の制 定に帰結した22)。また、移民の大量流入に不満を抱 く人々は、土着組織のアメリカ党(theAmericanParty) 等を通して、帰化手続きの長期化や、外国生まれの 人々の政治的権利の制限を訴えた。

☆ 典拠:堅田義明 著「アメリカにおける民族及び人種認識の特質とその変化」62ページ *http://ci.nii.ac.jp/els/110001038116.pdf?id=ART0001203240&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1473681442&cp=

当時のアメ リカでは移民問題が、少なくとも一般大衆次元では、 労働問題の文脈で把握されていたことである。経営 者は雇用労働者の現行賃金カットに加えて、それに 応じない既存労働者の解雇を目的として、更なる低 賃金労働者として、海外からの新たな移民、とりわ け、アングロサクソンのプロテスタントとは異質の、 カトリックやユダヤ教徒達の移民労働者を雇用した のである。これに対し、現行賃金レベル維持の目的 と同時に、自らの職場死守のためにも、既存の労働 者達は、反移民的スタンスを採択するようになった。

☆ 典拠:上掲文献64ページ 

〔1924年〕
1924年に連邦議会は、子ども労働法に権限を与えるために、憲法の修正案を通過させるように動いた。この動きは阻止され、法案は結局成立しなかった。アメリカ全土で子どもの労働がなくなったのは、大恐慌になってからである。大恐慌では、大人たちは、子どもと同じ賃金で働くような仕事を求めるほど、他に良い仕事が無かったのである。

☆ 典拠:ウィキペディア「子どもの権利運動」⇒「歴史」✳https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9%E9%81%8B%E5%8B%95


〔1938年〕
労働時間制度. 根拠法:: 公正労働基準法(1938年制定).

☆ 典拠:基礎情報:アメリカ(2013年)
4. 賃金・労働時間・解雇法制⇒4-4.*http://www.jil.go.jp/foreign/basic_information/usa/2013/usa-4.html


〔1964年〕
1964年公民権法の第7編(いわゆるタイトル・セブン)が最も包括的な差別禁止立法であり、人種、皮膚の色、性、宗教、出身国に基づく雇用差別を禁止している。

☆ 典拠:基礎情報:アメリカ(2000年)
7. 労働法制⇒7-1. *http://www.jil.go.jp/foreign/basic_information/usa/2000/usa-7.html

〔1970年〕
今から30年以上も前の1970年、労働安全衛生法は、事業者や労働者たちを支援し、米国の職場で発生する傷害や疾病、死亡者数を削減するべく、労働安全衛生庁を設置しました。以来、職場での死亡者数は62パーセント、労働災害・疾病の発生率も40パーセント減少しました。一方、米国の雇用は二倍に増え、いまや1億1,500万人近くの労働者が700万ヶ所の事業所で働いています。

☆ 典拠: 国際安全衛生センター「OSHAのすべて」✳https://www.jniosh.go.jp/icpro/jicosh-old/japanese/country/usa/ministry/all-about-osha/allaboutosha-index.html


〔Now〕


…省略…



 

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