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移転先となる豊洲新市場(写真は建設中のもの)
豊洲移転後は「人情が薄くなる」!? 江戸前文化の存亡にかかわる築地移転問題
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160910-00108424-hbolz-soci
HARBOR BUSINESS Online 9月10日(土)9時10分配信
◆鯛を「て」と書く。江戸弁がいまだ息づく世界
前回に引き続き、仲買人の目を通じて築地移転問題を追っていきたい。
築地の歴史は、徳川が江戸に移ってきたときに漁師を呼び寄せ、その漁師が佃島に住み着いたことからはじまる。当時、佃島では白魚が取れ、幕府に献上した残りが余ってしまう。そこで残りを売りさばきたいという要望が幕府に認められ、日本橋で魚を売りだした。小さな魚売りが市場へと発展し、やがて築地市場へと発展するのだが、今でも築地市場の仲卸商店に「佃」の文字が多いのはその名残である。築地で魚の取扱高が一番高かったのは、はやりバブル時代。一店舗の仲卸店でたった1時間の間に1000万円を売り上げた日もあったそうだ。
「帳場の伝票をふと見たら『て』ってどの伝票にも書いてある。まだ若かったから知らなくて帳場の子に聞いたら、鯛のことだって笑われてね。鯛は画数が多くて面倒だし、職人が『てえ』って江戸弁で鯛を注文するからね。そのまま『て』って書いてたんだね。バブルの頃はとにかく零コンマ何秒の世界だったからね。一秒が命取りになる。それくらい忙しかったし儲かったね」(仲買人の松崎徹氏)
やはり築地は江戸っ子のお膝元。江戸弁とは切り離せない世界である。
◆時代に合わせて仲買人の仕事も変化する
ひとくちに仲買人といっても、ピンからキリまでだが、一人前の仲買人になるにはどれくらいの期間が必要なのだろう。
「一人前の仲買人になるのは最低でも10年。俺だって30年でも半人前だよ(笑)。まずは客と顔を合わすこと。お客さんが同じ魚を欲しがっても、その人によって意味合いが違ったりする。そのお客さんの好みに合わせたものを常に用意できることが一人前の条件だね」
松崎さんは河岸歴30年を越えても、仲買人の仕事は飽きる暇がないと言う。なぜなら常に日々新しい情報を取り入れなければいけないからだ。
「昔は『明日は明日の風が吹く』ってその日のことしか考えてなかったけど、今は先の見通しを建てなきゃ仲買人としてやっていけない。明日、明後日、一週間後って先を読む。そこらへんは長年の積み重ねだね。シケが来るって、わかってるときには予め必要な魚を手配する。そのために天気図を読んだり、世界中のニュースも気にしなきゃいけない。シケのときは、漁師のほうもそのへんは心得ているやつがいて、シケが来る前に今日採れた分を半分残しておく強者もいる。シケのときのほうがかえって高く売れたりするからね。そういうやつに頼むんだよ(笑)。とにかく天災であってもお客さんに迷惑かけたらいけない。何年か前、海外で火山の爆発があった。『そんなの関係ねぇ』と思ったら、火山灰で飛行機が飛ばなくてクリスマス用のサーモンが届かなかったこともある。いろんなことを予測して事前に魚を確保するのも仲買人として大事な仕事」
昔は、腕力と勢いがあれば河岸ではやっていけるといわれた築地だが、昨今では仕入先とのコミュニケーションやマルチな世界情報が必要な時代に変化しつつあるようだ。
◆切っても切れない仲買人と飲食店の関係
では、魚を受け取っている飲食店と仲卸の関係はどんなものなのだろうか。実際にお客さんでもある飲食店にお話を伺うことにした。築地で味に定評がある人気寿司店・築地寿司清本店では、仲卸の濱長から鯛や青物や貝類、穴子など約20種類を毎日仕入れている。
「うちは朝早くから開いているので、うちの寿司を食べてネタの味を確かめてから市場に買いに行く親方衆(他の寿司屋の店主)もいるほどです。うちの寿司が仲卸さんの顔になにもなるので何よりも強い責任がありますね」(築地寿司清の店主)
わざわざ朝から来て味を確かめる親方衆は職人の中でも仲買人にとって特別な客。こだわりが強いが、そういったこだわりが店の味の看板になる。寿司清では江戸前ならではネタが人気だそうだ。
「マグロは仕入れさえすれば、マグロの味がする。だけど卸してもらっている魚は仕入れによって全く変わる。うちの店は、穴子や光り物目当てで来るお客さんも多くいらっしゃる。お好みで握るときに『マグロはいらないから、光り物と貝だけにしてくれ』って人も多くいる。だから良い魚が手に入らないときは品書きに出さない日もありますよ」
店主はそういって新鮮な赤貝をポンと叩く。切れ目を入れて最後に手のひらでポンと叩いてやることでネタが締まる。手を入れてこそ、ネタの味が充分に生きる。
「よく見る人気寿司店のネタは確かに大きくて新鮮ですが、いわゆるうちの出しているような手のかかった江戸前寿司と違うもの。修行した職人が、一から丁寧に手をかけてこそ、この味が出ます」
江戸前寿司とは広義では「東京湾の内湾で取れた魚を使った寿司」のことだが、狭義では「江戸や明治からの職人の技法を中心とした寿司」を指す。その意味ではまさに築地は江戸前寿司の本家本元。味を支える仲買人の腕の見せどころだ。よく一般に言われる“目利き”と呼ばれるものは築地にはない。それは仲買人にとって単に「良い魚を選ぶ」というのは当たり前の条件だからだ。
◆移転後は“仲間買い”ができなくなる?
最盛期は1300軒以上の仲卸業者がいたが、今では574軒に登録業者数は減っている。実際には築地の売り場の面積は減っておらず、仲卸業者の中型化、大型化が進んでいるだけだという文脈で語られる。しかし大型化して店が減ってしまうと築地の魅力が薄れると、別の築地関係者は言う。
「築地の強みは、画一的な店ばかりでないところが魅力。数ある仲卸の中から、自分に合った店選びができる素養が築地にはある。たくさんあるからこそ各々の店に特徴がある。小さくてアナログであっても個性が強い。そういった店の集まりだからこそ世界一の売上を叩き出す市場になった」
国内では魚の消費は伸び悩んでおり、市場経由の流通が今では50%を下回る。半分以上がスーパー等の販売業者の直接取引、産直等の市場外流通になっている。では築地が豊洲に移転したらどうなるのか。売上の動向がきになるのはもちろんだが、別の市場関係者は中の視点からこうも言う。
「築地では伝統的に同業者なら、仲間と呼びます。隣の店で手が足りない時は、買っといてと助け合う『仲間買い』が慣習になっています。どんな相手でも仲間だったら手を貸すのが当たり前。『仲間買い』には手数料は取らないのでお互い儲けも少なくなるが、そんな細かいことを言い出す人はここにはいません。けれど移転費用は自費なので各店の負担は大きいですし、豊洲に行って整備された中ではお隣さん同士のいわゆる“人情”は薄くなるでしょう」
江戸時代から引き継いだ“人情”がここには残っている。それも後わずかかもしれない。
◆「豊洲で魚は買わない」と言う職人も
気になるのは「目と鼻の先」にあった江戸前文化を継承する店の存在だ。豊洲に行っても関係は変わらないが、気軽に寄るのは難しくなる。魚を朝食べて試した後、市場で買ってくれる親方衆も減るだろう。新鮮な魚と職人の技があいまった江戸前寿司など、築地の場内と場外とで培われた食文化はどうなるのか。
「見せにくる人が少ないから魚を知らない若い職人も多い。春子(かすご)っていう鯛の子供があってね。頭から尻尾まで片身でちょうど寿司一貫になる大きさで。仲買人の俺が言うのもなんだけど、めちゃくちゃうまい。まず小さな身を鱗引きして、三枚におろして中骨を骨抜きで一本一本抜く。それで塩で軽くしめて、さらにそのあとに酢で軽くしめる。手のかかる魚が本当はうまい。握りで十個でも二十個でも何個でも食べれちゃう。いくらうまくても移転するとますます職人と顔を合わせにくくなるから、うまい魚を見せる機会もなくなるしね」と松崎さん。
江戸前寿司の存亡とでも呼ぶべきか。豊洲に移転しても豊洲で魚は買わないと言う職人もいる。すでに移転準備のため閉店した仲買人も多くいる。これまで築地以上の移転問題が、「日本の食文化の存亡」という視点からは語られないのが、不思議でならない。
<取材・文/樫原叔子 写真/again>
ハーバー・ビジネス・オンライン
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