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「初乗り400円」タクシー値下げの本当の狙いを知っていますか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49189
2016年07月19日(火) 加谷珪一 現代ビジネス
■数少ない値下げ
東京のタクシー料金引き下げがほぼ確実となった。現在、東京23区と一部の地域で「2キロ730円」だった初乗り料金を「1キロ強で400円台」に改定するというもので、値下げが実施されるのは、戦後、現在のタクシー業界が成立して以降、初めてとなる。
値上げされるものが多い中、我々にとっては数少ない値下げだけに、実にありがたい話だが、ことはそれほど単純でなさそうなのだ。
今回の値下げの理由について、一般的には国際的に比較して高いといわれる初乗り料金を引き下げることで、需要を喚起するというのが目的と言われている。だが、狙いはそこだけではない。
今回の値下げを主導した日本交通は、シェアリング・エコノミーと自動運転技術の発達で、近い将来、タクシーが無人化・無料化することを見据えている、と筆者は推測している。料金引き下げは、こうした時代にタクシーが生き残るための布石でもある。
しかも、破壊的テクノロジーを積極的に取り込みつつ、タクシー業界の既得権益も維持するという、二兎を追う狙いがある。こうした同社の戦略は吉と出るのか。今回は、このことを考えてみたいと思う。
■ちょい乗りは嬉しいのだけれど
ことの起こりは、国土交通省が7月5日、東京地域において初乗り運賃の値下げを申請したタクシー会社が265社(全体の84.3%)に達した発表したことにはじまる。
よく知られているように、タクシー運賃は規制の対象となっている。国土交通省が運賃の上限と下限を設定しているが、事業者から運賃変更の申請があり、その地域の総車両数の7割を超える事業者から同様の申請があった場合には運賃変更の手続きが行われる。
今回、8割以上の事業者が値下げを申請しているので、同省は変更手続きを実施。年内には新しい運賃が認可される見通しとなっている。
今回の値下げでは、東京23区と一部の地域で「2キロ730円」だった初乗り料金を「1キロ強で400円台」に改定する。一定以上の距離を乗った場合にはあまり変わらないが、短距離の料金が大幅に安くなるため、いわゆる「ちょい乗り」の需要を喚起できる可能性がある。
高額のタクシー・チケットはすでに多くの企業で認められなくなっていることに加え、労働者の実質賃金は5年連続のマイナスとなっており、個人の懐は寂しい。短距離を安く乗るという新しい需要を掘り起こさない限り、タクシー業界が売上げを維持することは難しくなっている。東京の場合には、外国人観光客の増加で短距離移動需要が拡大しているという追い風もあるだろう。
ここまで業界の足並みが揃ったのは、東京という特殊事情に加え、タクシー最大手の日本交通が積極的に値下げの環境作りを進めたことが大きく影響している。
■業界初の値下げが進んだ理由
2014年時点における東京のタクシー、ハイヤーの台数は3万907台となっており、ピークだった2008年の3万7671台と比較すると18%も減少している。一方、全国のタクシー・ハイヤーの台数は24万853台で、まだ12%しか減っていない。
タクシーについては2002年には規制緩和が行われ、新規参入や増車が原則として自由になった。しかし安易な増車は安全性を損なうとの見解が根強くあり、2014年1月には「改正タクシー事業適正化・活性化特別措置法」が施行された。
改正法では、特定地域において約3年間の新規参入や増車を禁止できるようになっている。過当競争となっている地域では減車に向けた議論が進んでいる最中であった。
東京は過当競争に該当する地域にはなっておらず、自由競争の結果、すでにかなりの減車が進んでいる。供給が少なくなったことで、実車率や運送収入も底を打った状態にあり、値下げを受け入れる余地が出来ていた。
また今回の値下げには、タクシー最大手であり、業界に先がけて配車アプリを普及させるなど、積極的な経営を行ってきた日本交通が音頭を取った。業界最大手が動いたことで、他社も追随しやすかったものと考えられる。
では日本交通は、なぜ値下げに対してこれほどまでに積極的なのだろうか。この事情を理解するためには、日本交通が持つ二つの側面に着目する必要がある。ひとつは新しいテクノロジーを積極的に導入する先進企業としての側面。もうひとつはタクシーという既得権益を守ろうとする旧態依然とした側面である。
■エリートの苦渋の決断
日本交通は、約4000台のタクシーと約1200台のハイヤー(業務提携含む)を擁する業界最大手である。現会長の川鍋一朗氏は、創業3代目であり、コンサルティング会社マッキンゼー出身のエリートとして知られる。日本交通に入社後、バブル時代に積み上がった1900億円の負債整理にメドを付け、2005年に社長に就任した(川鍋氏は華麗な経歴から「タクシー王子」などと呼ばれている)。
同社は2011年1月、スマートフォン向けタクシー配車アプリ「日本交通タクシー配車」の提供を開始し、12月にはマイクロソフトと共同で「全国タクシー配車」アプリをスタートしている。
配車アプリは、スマホの地図上で場所を指定すると、近くを走行中のタクシーを検索し、自動的に指定場所まで配車するというもの。事前に詳細な登録をせずに支払いは従来通りに行う方法と、あらかじめ利用者登録を行い、ネット決済を使って支払いまで済ませてしまう方法を選択できる。混雑時にはなかなか配車されないこともあるが、アプリの評判は総じて高く、ビジネスマンを中心に利用者が増えている。
川鍋氏は近い将来、自動運転の時代が到来し、タクシー業界は大きな変革を迫られるとみている。自動運転が普及すればドライバーは要らなくなるわけだが、話はそれだけではない。自動運転技術とIT(情報技術)は密接に結びついており、自動運転が普及することで、タクシーの付加価値のあり方そのものが変化する可能性があるのだ。
自動運転は、運転に関する技術だけで成立するわけではない。地図情報や乗車する人の行動履歴など、いわゆるビックデータとセットになってはじめて本領を発揮する。これらをうまく活用すれば、クルマの使い方が大きく変わり、場合によっては所有という概念すら消滅する可能性が出てくる。
通勤でクルマを使っている人を例にとって考えてみよう。通勤にクルマを使うといっても、早朝、郊外にある自宅から中心部に移動する人と、もう少し遅い時間帯に中心部内で移動する人、日中に郊外に移動する人など、自動車の利用形態は様々である。
これまで多くの人が、自分が乗りたいごくわずかな時間にクルマを占有したいとの理由から、高価なクルマをわざわざ所有していた(ほとんどの利用者は1日のうち1割も運転に費やしていないといわれている)。
しかし自動運転技術とITを駆使すれば状況は一変する。朝、郊外から中心部に1人を乗せ、その後、中心部内でもう1人を運び、自動的に駐車場を探して待機。その後、郊外に3人目を乗せて移動するといったことがたちどころに実現できてしまう。これまでまったく接点のなかった3人の行動が、ITを使って1台のクルマをシェアすることで最適化されることになる。
■「囲い込み」が狙い
これを応用し、数十人でクルマ1台をシェアするというビジネスが登場してきた場合、法的な問題はともかくとして、タクシーとの境界線は極めて曖昧になる。さらに創造力を膨らませればもっと興味深いビジネスモデルが成立する。それは無人・無料タクシーである。
スマホなどのデバイスを介して一定の個人情報を提供したり、動画広告の閲覧、アンケートの記入などを了承する代わりに、無料で自動運転のタクシーを利用する、というビジネスモデルが成立する可能性があるのだ。
ここまで来るとタクシーは輸送のビジネスではなく、グーグルなどネット企業がカバーするネット広告ビジネスという領域になる。グーグルが自動運転にこだわっているのもこうした理由からである。川鍋氏はこうした新しいビジネスモデルについて何度も公の場で言及している。近い将来、こうした新しいサービスが現実のものになることを前提に、戦略を組み立てているのは間違いない。
初乗り料金を400円に下げるのも、単に「ちょい乗り」需要を掘り起こすという単純なものではなく、これまであまりタクシーを利用してこなかった「潜在的ユーザー」にもその利便性を知ってもらうことで、いずれ訪れるタクシーを使った「データビジネス」をスタートさせた際の顧客を今から囲い込むという狙いもあるのだろう。
川鍋氏は、新しいテクノロジーを使ったスマートなサービスを矢継ぎ早に導入する一方、ウーバーなど、テクノロジーをベースにした外資系企業の進出を阻むロビー活動にも非常に熱心といわれる。
昨年8月、川鍋氏は代表権のある会長に退き、プロ経営者である知識賢治氏を社長に就任させた。44歳と若い川鍋氏が社長職を譲ったのは、ロビー活動に力を入れるためというのが業界のもっぱらの噂である。政治力を駆使して外資系参入のタイミングを遅らせ、時間稼ぎをしている間に、圧倒的なサービス水準を獲得しておき、次世代の競争を有利に進めようという腹づもりだ。
利用者としては多くのサービスが参入し、その中から最適なものを自由に選択できることが望ましいことだ。その点において同社は、既得権益を持った会社のように見える。ただ、最終的に利用者が求めるものは質の高いサービスであり、競争はそれを生み出すプロセスに過ぎない。同社の取組みがフェアなものとして評価されるかどうか、同社がこれから提供するサービスの中身をチェックする必要があるだろう。
【加谷珪一】(かや・けいいち)1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に「お金持ちはなぜ「教養」を必死に学ぶのか」(朝日新聞出版)、「お金持ちの教科書」(CCCメディアハウス)、「教養として身につけたい戦争と経済の本質」(総合法令出版)、「億万長者の情報整理術」(朝日新聞出版)などがある。
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