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自己破産寸前の人を救った何気ない一言 チャンスは向こうからやってくる 「仕事が苦しいのは、自分が無能だから」と思うな
http://www.asyura2.com/16/hasan110/msg/807.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 7 月 15 日 01:45:31: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

自己破産寸前の人を救った何気ない一言
第65回 気の持ち方でがらりと変わる周囲の風景
2016.7.15(金) 藤田 耕司
A statue of Winston Churchill is silhouetted by Big Ben and the Houses of Parliament in central London on June 24, 2016. (c)AFP/Niklas HALLE'N
「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけよ」

これは画家、ゴッホの言葉である。

人はとかく美しい景色を探そうとする。見つけたその景色をしばらく堪能すると、また新たに美しい景色を探そうとする。

美しいと思えない景色は見ようとしない。ましてや美しいと思えない景色の中に美しいものを見つけようとはしない。

ただ、経営コンサルタントとして様々な人の悩みの相談に応じる中で、人は美しいと思えない景色の中に美しいものを見つけることができた時、悩みに立ち向かうための活力を得ると感じている。

自己破産直前で見えた景色

ある経営者の方からこんな話を聞いた。

ビジネスが熾烈な価格競争に巻き込まれ、商品の値段は毎年下がる一方で、従業員に対しては年功序列的に昇進と昇給を行わなければならない。その結果、年々利益は減り、黒字から赤字へ転落。

ビジネスをすればするほど資産は減り、自分の財産を持ち出して何とか経営を維持することに。銀行からの借入も借りられるところまで借りた。それ以上の借入はどこの銀行に行っても断られた。

いつか来ると分かっていた限界が間近に迫った時、自己破産を考える。

夜も眠れず、精神的にも破綻寸前の状況に陥る。この苦しみから解放されたい、どうにかこの状況から脱却したい。そんな一心で始めたのが、日記だった。

ぎりぎりの精神状態で過ごす1日の中に、嬉しかったこと、楽しかったこと、幸せを感じたことを見つけ、日記に書くようにした。

初めはつらい日々の中にそういったことを見つけることができず、筆が進まなかった。しかし、日記に書かなければいけないので、何とか見つけようと意識するようになった。

そして、1日の終わりに日記をつける。毎日毎日欠かすことなく日記をつけ続けた。

すると、1日の生活の中に「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と感じられることを見つけることができるようになってきた。ほんの些細なことである。

その些細なことの中に、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」が隠れていたことに気づいた。そして、日記の筆が進むようになった。

会社の経営が改善したわけではなく、借金に追われ、苦しい状況は変わらない。しかし、世界の見え方が変わってきた。

ただただつらいと思っていた毎日が、少しずつ変化していった。いつか経営を軌道に乗せて、借金も全部返すことを目標に、日々、活き活きと過ごせるようになった。

人間の脳は脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)という部位で視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚からインプットされる五感情報の取捨選択を行っている。

五感情報を取捨選択している脳

人間は五感を通じて絶えず情報をインプットしているが、その情報のすべてを同じレベルで同時に認識し続けると情報がオーバーフローしてしまう。

そのため、脳幹網様体賦活系で重要な情報と重要ではない情報との選別が行われる。重要だと判断された情報は意識に残るが、重要ではないと判断された情報は五感で感じたとしてもスルーされ、意識に残ることはない。

どのような情報を重要だと判断するかは、与えられた問いに大きく影響を受ける。例えば、腕時計を買おうと考えている時、他の人がつけている腕時計や時計の広告が目につくようになる。

携帯電話を買い替えようとしている時は携帯電話のCMが目に留まりやすくなったり、他の人の携帯電話が目につくようになったりするようになる。こういった経験はおありではないだろうか。

「どのような腕時計を買えばいいのか?」「どのような携帯電話を買えばいいのか?」という問いを与えられた脳は、その答となる情報を優先的に意識に上げようとする。

それまでは五感で認識していても意識に上がって来なかった情報でも、与えられた問いの答になると判断されれば意識に上がるようになる。そのため、人はどのような問いを持つかによって、世界の感じ方が変わる。

先の経営者は、日記をつけることにより、「1日の生活の中に嬉しい、楽しい、幸せと感じられることはないのか?」という問いを持つようになった。

その結果、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と感じられることがあれば、優先的に意識に上がってくるようになり、ただ、つらいと感じていた生活の中に「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と感じられることを見出せるようになった。

美しいと思えなかった景色の中にあっても、問いの持ち方を変えることで、その景色の中に美しいものを見つけることができるようになる。

美しいと思えない景色の中に美しいものを見つける力。これは人間的な強さを語るうえでは、欠かせない力ではないかと思う。

エステ店長を救った一言

あるエステ店の店長の女性からこんな話を聞いた。

エステ業界は昔に比べるとずいぶん厳しくなってきた。いくつものエステ関連の企業が消えていき、今残っている企業も決して楽な経営ではない。経済的に余裕がある人でなければ、エステに行くことはできない。

生活をするうえで必ず必要となる、そういったものではない。そのため、お金の使い道としての優先順位は低くなる。

近年、ある理由による顧客の減少が目立つようになってきた。それは親の介護費用の負担が大きくなってきたため、エステに通う経済的余裕がなくなったということ。

これにはこの店長も引き止める言葉がないという。

店長としての売上のノルマがある。そのノルマは年々達成が難しくなり、本店からの指摘は厳しく、精神的なストレスは大きくなる一方。少子高齢化の影響がこのような形でのしかかってくるとは・・・。

なかなか未来に希望が見出せない。そういったつらい日々の中で、またあるお客さんから介護費用の負担が大きくなったからエステを継続できないと言われた。

長年通っていただいた自分よりもずいぶん年上のお客様。個人的にもすごく仲良くなった人。売上が減ることよりも、この人に会えなくなるという寂しさの方が何倍も大きかった。

本当にショックだった。でも、そのお客様はこう言ってくれた。

「エステを受けることはできないけど、近所まで来たらあなたに会いに来るわ」

この一言が嬉しかった。

営業時間中に売上にならないお客様と話すことは、店舗の経営を考えるうえではよくないことかもしれない。でも、こういう人と人との繋がりが精神的な拠りどころとなり、つらい状況でも何とかやっていけると感じた。

それが彼女にとっての大きな発見だった。

「人と人との繋がりを感じるためには、どのような接客をすればよいのか?」

その問いを持つようになってから、彼女は仕事と割り切ってお客様と関わるのではなく、人と人との繋がりが持てるような接客をすることで、精神的な拠りどころを見出すことができるようになってきた。

美しさを見つけ出す力

先ほどのお客様、実際に近くまで来た時に店に立ち寄ってくれた。その時の数分の雑談がとても大切な時間に感じる。

この先、店舗の運営はより厳しくなるかもしれない。でも、その状況をただつらいと感じるだけでは、精神的にもたなくなる。

売り上げのノルマが達成できないというつらい現実の中にあっても、今は精神的な拠りどころとなる人と人との繋がりが感じられるようになってきたので何とか頑張れる。

彼女もまた美しいとは思えない景色の中に美しいものを見つける力を身につけたのかもしれない。

手に入れたい状況を手に入れる力。この力が大切であることは誰もが知っている。一方で、その力と同じくらい大切なのが、苦しい状況の中でも美しいものを見つける力ではないかと思う。

「美しい景色はどこにあるのか?」という問いから、「現状の景色の中に美しいものはないのか?」という問いへ。

脳はどのような問いを持つかによって、世界の感じ方を大きく変化させる。

「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけよ」

ゴッホのこの言葉は世界の捉え方について大きな気づきを与えてくれる。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47359


 

チャンスは向こうからやってくる

めげない日本人商社マン、インド70歳起業記

望んだわけではないのに、ホテル経営者に
2016年7月15日(金)
中島 敬二
(前回から読む)

 この連載では、40年にわたってインドビジネスにかかわり現在はインドに在住してビジネスを続けている元商社マンである、私、中島敬二のインド体験の一端を紹介しています。

 前回は、開業した日本食レストランで、酒を提供する許可を得るまでの混乱や困惑をご紹介しました。今回はさらに、望んだわけでもないのに、ホテルまで経営することになってしまったいきさつについてお話しします。

日本食レストランに続いて、経営を担うことになったマネサールのホテル
ホテルオーナーからの依頼

 レストランの経営を始めたのに続き、私は2015年には同じマネサールでホテルの経営者となりました。108室のホテルです。自ら望んで経営を始めたわけではありません。なぜ私がホテルを経営することになったのかをまず説明しましょう。

 私が経営するマネサールの日本食レストランと同じ敷地内にはホテルが建てられていて、もうすぐ開業するのだろうかと思っていました。ところが、このホテルのオーナーが、私に「あなたに経営してほしい」と依頼してきたのです。

 私はホテル経営にはまったく関心がありませんでしたし、工場地帯のマネサールでホテルを経営したとしてもお客は少なく、採算が合わないと思ったので即座にお断りしました。しかし、インド人は簡単には諦めません。いろいろ条件を変えて頼み込んでくるのです。それでも私は断りました。

 しかし最初の依頼から1年半ほども経ったある日、ホテルのオーナーから、「中島さん。あなたを待っている間に4社から経営をしたいと要請がありましたが、中島さんとの約束があるのですべてお断りしました」と言うのです。私は「あなたと約束などしていない」と言おうと思ったのですが、彼の話を聞いているうちに、その気になっている自分に気づきました。

義を見てせざるは勇なきなり

 彼の期待に感激したのが第一の理由ですが、マネサールの環境が少しずつ変わってきたことも感じており、そのことも影響しました。1年半前はまったくなかったオフィス・ビルが建ち始めました。日本人も数は少ないですがマネサールに住み始めました。さらに現在デリー空港からグルガオンを経由してマネサールに到着するには1時間半かかりますが、2016年には新たな高速道路が開通し、空港からマネサールまでの移動時間がわずか25分になるとの情報を得ていました。だから、ひょっとしたら経営は成り立つかもしれない、という思いが出てきたのです。

 そこで私は彼に言いました。「今でもホテル経営は難しいと思っているし、このホテル経営を採算ベースに乗せることにまったく自信もありません。でも私は日本男子です。日本には『義を見てせざるは勇なきなり』という中国から来た言葉があります。これだけあなたから惚れられ、信頼され、そして1年半もお待ちになられたあなたに『ノー』とは言えなくなりました。本当に自信がありませんが、やってみましょう」と答えました。その時のホッとしたオーナーの顔を忘れません。

ホテルを経営するカラン君との出逢い

 実は、私がその気になったのはもう1つ理由がありました。グルガオンで3つのホテルを経営しているカラン君(K君)との出逢いです。彼は、私が社外取締役をしている会社の会長の甥で、40歳前。本職はパイロットなのですが、彼の父親からの資金援助で副業(いやパイロットが副業と言うべきでしょうか)として奥さん名義でホテルを実質的に経営しているのです。彼の協力を得ることができれば、ホテルを経営できるのではないかと考えたのです。

 「私と一緒にホテル経営をやってみませんか?」とK君に打診しました。K君は即座に言いました。「中島さん。あなたは私の師です。私はあなたについていきます。やりましょう、やりましょう」と。かくしてK君と50%ずつの株式を持つ合弁会社を設立しました。

一流ホテル出身のプロを迎える

 ですが、ホテルを開業した後、厳しい現実をたちまち知りました。ある程度の設備は備えられていますが、充分ではなかったのです。私が想定した以上の投資をしなければなりませんでした。例えば、プールはありますが、浄水装置を改修する必要がありました。ベッドはありますが、ベッドカバーや枕など室内の備品も買わなければなりません。

 日本人向けホテルを志向しているので、NHKの番組が見られるテレビや、日本の新聞や雑誌も用意しなければなりません。室内のシャワーをバスタブに変えることも必要でしょう。カラオケルームは4部屋ありますが、カラオケ設備を購入しなければ。ホテル内にはレストランがありますが、改築しなくてはいけないし、コックも雇わなければなりません。近い将来には、ホテル内に日本式銭湯やジムも作らなければなりません。

 最初は最小限の資金投入で始めて、得られる収入を元手に設備を充実させようと思っていました。しかし、お客様にご満足いただけないホテルを作ったら、近くにホテルが2つあるので、悪い評判が立ってお客様が来なくなります。ホテル経営をすると決めた以上は恥ずかしくないホテルにしたいと思っていました。

「できるだけお金をかけないでやってほしい」

 そのためには必要な資金を投入し、かつホテル経営のプロを雇う必要があります。K君がインドの一流ホテルのタージ・マハールホテルで働いていた有能ホテルマンのラジャット氏を見つけてくれたので、彼を副社長として迎えました。またハイアットホテルに勤務していた経験豊富な男をフロント・マネジャーとして採用しました。この2人にホテル作りをお願いすることにして、私は彼らに言いました。

 「私はホテル経営の経験はなく、まったくの素人です。素人がプロに口を挟むべきではないと思っています。私のホテルのコンセプトは『より充実した設備、よりレベルの高いサービス体制、そしてビジネスホテルであるのでホテル代はより安く』です。このコンセプトをベースに、あなた方が理想と考えるホテルを築き上げてほしい。ただし、共同経営者であるKさんも私も個人出資者であり、投入資金には限度があります。できるだけお金をかけないでやってほしい」と。

人件費を計算するだけで恐ろしくなった……

 彼らはお客様がまだ数人の状態で、50人以上のスタッフを雇用しました。この人員は顧客満足のために絶対必要であると言いました。任せるといった以上何も言えません。私は彼らの話を聞きながら、頭の中で1人の給料をいくらとして、55人では給料の支払い総額がいくらになるかを計算したら、恐ろしくなりました。ですが「賽は投げられた」のです。もう後戻りは許されません。

 開業は2015年9月でしたが、私は大々的に宣伝をするのを禁じました。お金がかかるということもその理由ですが、ハードはお金をかければ整えられますが、ソフト作りはそう簡単にはいきません。このくらいのことはホテル経営の素人の私でもわかります。だからソフトが確立するまでは宣伝は控えるように指示したのです。同時に、最初の10日間は顧客をとらず(もっとも顧客はいませんでしたが…)、まずはホテル関係者に宿泊させ、問題点や改善すべき点をチェックしました。そして10月から実質的な営業を始めたのです。

最初の日は宿泊客が1人だけ、2日目は3人

 最初の日は宿泊客が1人だけ。2日目には3人のみ。しばらくしてようやく10 人程度に増えましたが、損益分岐点を突破するにはほど遠い状況です。インドでは給料は安いのですが、それでも人件費だけで毎月120万ルピー(240万円)かかるのです。電気代など50万ルピー以上のコストもかかります。収入の25%は賃料としてオーナーに支払わなくてはなりません。初月の10月は150万ルピー(300万円)の赤字で、K君と150万円ずつ負担しました。11月には1日15人程度のお客様にお泊りいただきましたが、営業コストが増加したので、大幅赤字となってしまいました。

 もっとも、赤字になることは想定していました。だからオーナーからは10年契約の申し出もありましたが、2016年3月までの仮契約にしました。インド人の友人からお金を工面することは可能でしたが、借金してまでも事業をしたくはありません。資金が枯渇したら、将来どんなに明るい見通しが立っても、見切り千両、すなわち過去の投資の損失は私の浅はかな行為として自分を笑って諦めて、きっぱり経営をやめようと決めていました。

日系大手企業の出張者を襲った事件

 幸い、お泊りいただいたお客様からは「素晴らしい設備で快適だ」との評価をいただき、今後とも利用したいと言っていただいています。少しずつではありますが知名度も上がりつつあります。厳しい競争状態に置かれていますが、最近の2つの出来事により、ホテル経営はうまくいくかもしれないという感触を得ることができました。

 1つ目の出来事は、ピンチでもありました。日系大手企業の出張者12人にお泊りいただいたのですが、2人が原因不明の発熱をされてしまったのです。出張者の皆様の不安感が高まり、この会社の判断で全員が近くのホテルに移ることを決定されました。

 病院と保健所の協力を得て私のホテルには問題がないことを立証できたものの、同社は再び私のホテルに戻るかどうかは出張者の自己判断に委ねるという方針を出されました。その会社の方々が移ったホテルは私が経営するホテルより設備が整っており、戻っていただけないかもしれないと懸念し、暗澹たる気持ちに陥ってしまいました。ところが何と全員にお戻りいただいたのです。その時、日本に出張中の私はこの報告を受けて神に感謝しました。

単月だが黒字を出すことに成功

 もう1つの出来事は、1月と2月に単月黒字を出したことです。これは一過性のことですが、ホテル経営で黒字を出すには最低1年かかると言われていたため、私は安堵し、連日頑張ってくれているホテルの従業員ひとりひとりの顔を脳裏に浮かべ、謝意を表しました。感謝の連続です。

筆者が日本に一時帰国時に登壇したセミナーの模様

 まだまだホテル経営は不安要素が残っているもの、こうした出来事もあって、ひょっとしたら成功できるかもしれないという気持ちが少しずつ湧いています。オーナーとの契約は延長することにしました。また、たとえ失敗したとしても、挑戦することによって、今まで知り得なかった貴重な体験を得ています。負けるものかという情熱も湧いてきています。青春を取り戻したという感覚です。共に苦労しながら、ホテル関係者との心のふれあいを味わっています。これらはお金では買えないもの。それで十分ではないかと思うことにしています。これは私独特の負け惜しみ発言でもあるのですが、そう思うことで私の気持ちは軽くなるのです。

ホテル経営の依頼が相次ぐ

 最後に、著書『インドビジネス40年戦記 13億人市場との付き合い方』の出版後の状況をお伝えしておきましょう。マネサールのホテルは、おかげさまで2016年1月以降、黒字経営が続いています。また、2016年6月1日から、さらにグルガオンにあるハビタレーホテル(97室)の経営を会長として委託されました。将来はこのホテルで日本食レストランを開業することも考えています。

 さらに加えて、ごく最近の話ですが、82室を持つあるホテルから再建の要請が舞い込みました。私は間もなく72歳となる老人であり、私の能力問題もあるので、本件は慎重に対応したいと思っています。

 ともかく、人の縁を大切にしながら、一生懸命に真面目にやれば、ビジネスチャンスは向こうからやってくると、しみじみ感じている今日この頃です。

(了)

より詳しい話はこちらでどうぞ
『インドビジネス40年戦記 13億人市場との付き合い方』

『インドビジネス40年戦記 13億人市場との付き合い方』
(中島敬二著、日経BP社、1600円+税)
 商社マンとして40年にわたってインドビジネスにかかわり、現在はインドに在住して現地で「師」と慕われる著者が、自らの実体験を振り返りながら、インドビジネスを成功に導く鉄則を解説する。
 私たち日本人には、インド人の思考パターンや行動パターンはなかなか理解しがたいところがある。道を尋ねると口から出まかせを言い、お金を貸すと返してくれないことも珍しくない。「考え方をころころ変える」「約束を守らない」「その場しのぎ主義」と見えることもよくある。
 一方、日本でインド人の優秀さが語られることも増えている。特にビジネスの世界においては、インド人の活躍が目立っていることはまぎれもない事実である。世界的な大企業のCEOに就任するインド人が増えていることは、その象徴であろう。
 私たち日本人は、インドの人々のことをあまりにも知らない。約束を守らないインド人と、世界企業のCEOになるインド人と、どちらが「本当のインド人」なのであろうか。


このコラムについて

めげない日本人商社マン、インド70歳起業記
 この連載では、40年にわたってインドビジネスにかかわり、現在はインドに在住してビジネスを続ける元商社マンの著書『インドビジネス40年戦記』の一部を要約して紹介します。同書は、朝日新聞の書評欄で「元商社マンが得た卓見」(ジャーナリストの勝見明氏)と称され、さらに毎日新聞の読書日記で「インドに限らず、海外で生きていく上では必須の精神構造であることは間違いがない」(千葉工業大惑星探査研究センター所長の松井孝典氏)と紹介されました。
 著者の中島敬二氏は、住友商事の社員として長年インドビジネスに関わり、定年後、知人に持ちかけられて現地で金型メーカーの経営に乗り出しました。その事業は軌道に乗らず、老後の資金をそっくり失ってしまいますが、それにもめげず、インドで日本食レストランやホテル、コンサルタント会社の経営を開始しました。妻、娘夫婦、孫2人という三世代同居の一家総出で奮闘中です。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/062800050/070800006


 


「仕事が苦しいのは、自分が無能だから」と思うな

「一に健康、二に仕事」 from 日経Gooday

東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授に聞く「ストレスの正体」【1】
2016年7月15日(金)
森脇早絵=フリーライター
 働く男性が心の病に苦しむケースが増えているようだ。
 「男がなぜ苦しいのかって、それはひとえに、目に見えない暴力を受け続けているから。そこから逃げられないのは、こんなこともできない自分が悪いんだという『罪悪感』があるからです」。“女性装の大学教授”として知られる東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授は、男性の心の苦しみについてこう語る。
 「東大教授」「経済学者」という超エリートでありながら、自由に自分を表現する安冨氏だが、氏自身も、かつては男性特有の息苦しさを感じ続けていた。なぜ、現代の男性は生き辛さを感じ、苦しんでしまうのか。その根本的な原因を伺った。

息苦しさ、生き辛さの正体は「目に見えない暴力」と「罪悪感」

躁うつ病を含む気分障害の患者数の男女比は、女性のほうが1.7倍ほど多い(「厚生労働省 患者調査2014」より)のですが、自殺死亡率では男性が女性の約2倍(警察庁「自殺の概要」より)と圧倒的に上回っています。男性たちが生き辛さ、息苦しさを感じる原因は何でしょうか?


“女性装の大学教授”として知られる東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授
 人はどんな時に息苦しさを感じるかというと、目に見えない抑圧や暴力を受けている時です。

 今、日本のサラリーマンにどのようなことが起きているかというと、例えばこんなことです。給料はちゃんと支払われているものの、意味のない仕事をやらされている。無意味な仕事を断りたいけど、そんなことは不可能だと思っている。転職の自由はあるはずなのに、会社を辞められない。目標を達成しても、一時的にはほっとするけれど、喜びを感じられない。むしろ、「次も失敗するわけにはいかない」という焦燥感の方が強くなってしまう…。

 こんなふうに、見えない何かに取り囲まれている感じなんですよね。むしろ、それらを守ることに必死になっている。これは、社会からのモラル・ハラスメントともいえます。見えない精神的暴力を受けているのと同じ。

 これはね、目に見える暴力よりも苦しいんです。目に見える暴力ならば、そこから逃げ出すとか、戦うとか、あるいは諦めて死んでしまうとか、何らかの結末がありますよね。

 でも、目に見えない暴力に取り囲まれていると、苦しみが終わらないんです。暴力や抑圧を受けていることを自覚できないので、そこから逃げ出すこともしないし、戦うこともしないし、死ぬこともない。

 だから、原因の分からない息苦しさ、生きづらさを感じてしまうんです。

 その根幹にあるものは、「罪悪感」。みんな、「こんなこともできない自分が悪いんだ」と思ってしまうんですね。

 よくサラリーマンたちの話を聞くと「私は恵まれている」「人よりはまだマシだ」「仕事なんてそんなもんだ」という言葉が出てくるんですけど、これこそが苦悩の本質。自発的にそう思っているから、どんなに息苦しく感じても、飲み込んでしまうんです。

みんな幼少期から「罪悪感を発生させる教育」を受けてきた

この息苦しい現状を打破するためには、どうすればいいのでしょうか?

 まずは、苦しいという事実を認識すること。でも、すごく難しいと思う。なぜって、それは、子どもの時からそういう教育を受けているからです。

 例えばね、両親の姿です。父親がぶつぶつ文句を言いながら会社に行って働いて、母親は主婦をやっている。そして「勉強して、いい学校に入って、いい会社に入って出世しろ」と子どもにプレッシャーをかける。そういう両親のもとで育ったら、「家とはこういうもんだ。これが正しい生き方なんだ」と思い込みますよね。

 学校教育もそうです。学校に行くと、40人くらいの子どもがかき集められて、一つの部屋に閉じ込められて、じっと座らされるわけですよ。そこで意味の分からない勉強をさせられる。

 学校教育というのは、教わることの意味が分からないように構成されているんです。例えば、理科の教科書を開くと、最初にニュートン力学があって、次に気体・液体・固体の話があって、次に気象の話が出てきたりする。あれは物理学から見れば、滅茶苦茶な構成なんです。それぞれ前提条件が全然違うから、全く別世界の話。それを一緒くたにされたら、誰だって理解できるはずがないんです。

 でも、子どもたちは1つのセクションを2週間程度で学習しなくちゃいけない。理解できないものを、理解できないまま、「こういうものなんだ」と思い込まされる。これが蓄積されていくと、「理解できない私が悪い」という罪悪感が育ってしまうんです。

 もちろん、中には習ったことをちゃんと答えられる子もいる。でもね、それは、分からないまま答えているんです。分からなくても、無理矢理飲み込んで答える。それができればテストでいい点が取れるから、そういう子は「優等生」と言われます。

 でも、「理解できない」と言えば、「ダメな奴」と言われる。こういう環境に子どもを閉じ込めて、10数年間も勉強させることを、日本社会では「教育」と呼んでいるんです。

 このプロセスを経ると、次の三つの能力が身につきます。「難しそうな話が分からなければ、それは自分が馬鹿だからだ、と思う能力」と、「訳が分からないけれども、答えてみせる能力」、そして「大人しくじっと座り続ける能力」です。

 だから、みんな理不尽なルールだって受け入れてしまう。学校には、「ピンク色の靴下はダメ」「茶髪はダメ」とかいう意味の分からないルールがあるけど、「なぜダメなの?」と聞けば、先生は「そういう決まりだから」と答える。

 しかも学校って、外界の事情は一切関係なく、物事が展開していく場所なんです。両親が働いているのに、体操服を毎日洗えと強制される。明日までに雑巾3枚縫ってこいと言われる。福島の原発事故が起きた時だって、東京にも死の灰が降ったというのに、子どもたちは普通に学校に行きました。でも、もし休めば、先生だけじゃなくて、他の子たちからも非難されてしまう。

 そういう内的な論理だけで成り立つ「異常な空間」の中で、子どもたちは長い間過ごすわけです。すると、外の条件は一切考えず、内部のルールだけに従うことが身に付いていくんです。

 これで、みんな会社に入る準備が完了します。自発的に隷従するようになりますし、それを他人にも強制する「監視役」としても機能するようになるわけです。

そうなると、自分が本当は何をしたいのか、本当はどう感じているのかということが、分からなくなってしまいますね。

 そうです。それが分からなくなるように、社会全体ができているんです。「自分には意味が分からなくても、ルールだから従う」と言えば、「大人になった」と言われる。「私はそんなこと、おかしいと思う」と言えば、「大人になれよ」と説教を食らうわけです。

日本社会では、「立場」は尊重され、「人間」は尊重されない

社会人生活の中で息苦しさを感じ続け、40〜50代になって限界が来てしまい、うつ病になったり、会社に行く気がなくなったりする人がたくさんいます。

 そういう人たちは、正常だと思います。会社の中で息苦しくなって、死にそうになっているというのは、正常だということです。

 逆に、息苦しくもなくて、平気にガンガン仕事をしている人の方が、完全におかしいのです。でも、社会構造は、そういう完全におかしい人間が「正常」に見えるようにできている。

苦しいということは、心のサインが出てきてくれたというわけですね。


「日本社会に特有の『立場主義』が、私たちをがんじがらめにしているのです」
 そうです。苦しさというのはサインです。自分の内面から出る、「お前の世界は狂っている」という気づきのサイン。

 しかし、自分の苦しさを受け止めることは、非常に難しい。そもそもなぜ苦しいのかというと、先ほどもお話ししたように「罪悪感」によるものです。

 罪悪感は、社会のシステムの根幹部分です。例えば、立場上、やらないといけない役があるとします。役を果たせば、立場が守られる。役を果たせなければ、立場がなくなる。これを私は「立場主義」と呼んでいます。

 日本の民主主義とは、「個人の平等」ではなくて、「立場の平等」なんです。つまり、いかなる「立場」も等しく尊重されないといけないけど、「人間」は尊重しなくていいというわけです。だから、日本人は立場を失うと、尊重されなくなります。立場を失えば、何をされても文句は言えないという状態になる。それが恐ろしくて、みんな立場を守り抜こうとするんです。

 その役を果たすエネルギー源が、「罪悪感」です。多くの人は、「私がやらないといけない役が目の前にある。それを放置することはできない」と考えるでしょう。なぜならば、役を放置すると、強烈な罪悪感が湧くからです。

 ちなみに、立場主義は日本特有のシステムですけど、世界各国それぞれに、形の違う「罪悪感発生システム」があるんです。

 中国ならばメンツ主義。彼らは、立場が失われても罪悪感を覚えませんが、友だちや親を助けないと罪悪感を抱きます。だから、立場上やらなきゃいけない仕事が目の前にあっても、「友だちとの約束があるから」と言って平気で放置する。逆に、友だちの約束をむげに断ることは、罪悪感が湧いてしまうからできません。

 ほかの国では、契約社会だったり、幸福で前向きなふり社会だったりします。どこの社会でも、何らかの「罪悪感発生システム」がある。残念ながら、これは人類社会の基本なんですよね。

まずは、苦しさを受け止めることが第一歩

日本では、教育によって「罪悪感発生プログラム」が埋め込まれ、人は罪悪感を抱きながら、立場を守り続けるということですね。苦しくても、そこから抜け出すのは非常に難しそうですが、どうすれば抜け出せるのでしょうか?

 簡単なことじゃないですね。まずは「苦しい」と感じることが第一歩です。苦しくて我慢できないということは、もう結末が近づいているということです。

 結末とは、例えば、怒ったり、反抗したり、やる気がなくなったり、病気になったり、徐々に体が衰えていったり、死んでしまったりすること。そのどれかの結末が近づいているんです。

 苦しさを感じて抜け出したいと思えば、束縛から逃れようとしたり、もがくことが必要になります。つまり、「苦しくて辛いのは、自分が悪い」という思い込みから抜け出そうとすることです。

 もちろん、こうなってしまった自分も悪いでしょう。でも、自分だけが悪いのではなくて、ほかにも悪いものがいっぱいあるんだと考え始めるんです。それは何だろう、何だろう、と考えて、自分自身の中にある「罪悪感発生プログラム」と向き合い始める。ここが、息苦しさから抜ける第一歩ですね。

(写真:小野さやか、ヘアメイク:藤岡ちせ)

本コラムの関連記事はこちらからお読み下さい。

「会社にいると息苦しい」と感じたら有給休暇を取りなさい!

仕事や家庭のストレスの根源にある「罪悪感」を癒すためにやれること

「苦しいときほど〇〇」 スポーツ心理学者が明かすプレッシャーに強い人の共通点
安冨 歩(やすとみあゆみ)さん
東京大学東洋文化研究所 教授
安冨 歩(やすとみあゆみ)さん 1963年大阪府生まれ。1986年3月、京都大学経済学部卒業後、住友銀行勤務。1991年京都大学大学院経済学研究科修士課程修了後、京都大学人文科学研究所助手。96〜97年、英ロンドン大学LSE(London School of Economics and Political Science)の滞在研究員。1997年、「『満洲国』の金融」で同大学院にて博士を取得、第40回日経・経済図書文化賞受賞。同年名古屋大学情報文化学部助教授、2000年東京大学大学院総合文化研究科助教授、2003年同大学院情報学環助教授を経て、2007年東京大学東洋文化研究所准教授、2009年より同教授。主な著書に「原発危機と『東大話法』」「生きるための経済学」「ドラッカーと論語」「生きる技法」「ありのままの私」「マイケル・ジャクソンの思想」など多数。
この記事は日経Gooday 2016年6月3日に掲載されたものであり、内容は掲載時点の情報です。

このコラムについて

「一に健康、二に仕事」 from 日経Gooday
健康・医療の総合サイト「日経Gooday」が、メタボ解消・ダイエット・アンチエイジング・快眠・不調改善に役立つ最新情報やセルフケア実践術を、厳選してお届けします。ビジネスパーソンは「体が資本」。お酒と健康の意外な関係、カラダの謎に関するトリビアなど、思わず人にも話したくなるウンチクもお届けします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/skillup/15/111700008/071400084  

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