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「捨てられる銀行/生き残る銀行」その差は何か? 金融庁の鉄槌でついに淘汰が始まった 金融マン、経営者必読!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48746
2016年05月27日(金) 橋本卓典 経済の死角 現代ビジネス
■森金融庁の改革とは何か
金融庁は森信親長官が昨年7月に就任して以降、地方銀行が地方創生への貢献を通じて、自らも持続可能なビジネスモデルを打ち立てるべきだとする方針を掲げ、地域金融行政の大改革に乗り出している。
その狙いは、メディアで取り沙汰される「地銀大再編へ金融庁が圧力」というものとは、どうもかけ離れているようだ。一体、何が起きているのか。
森金融庁が実施する主な地域金融の施策は以下の通りだ。
・地銀ではなく、中小企業に銀行取引の実態をヒアリング
・貸出金金利を収益分析して、どういう地銀が利ざやを確保できているかを調査
・経費率や自己資本比率ではなく、地方創生の貢献度合いを示すベンチマーク策定
・長期返済猶予の地銀への取引実態調査
・サービサー(債権回収会社)に債権が売却された企業への銀行取引調査
これらの調査に共通するのは、「多くの銀行は企業の事業を見ていない。担保や保証を見ている。多くの銀行は顧客の顔を見ていない。営業ノルマと自分を評価する上司の顔を見ている」という金融庁の痛烈な問題意識だ。
■なぜ顧客を見ないのか
なぜ顧客を見ないのか。銀行が顧客だけではなく、不動産担保や保証だけをみてきたこと、金融庁がそれを許してきたことには理由がある。
それは2000年初頭から吹き荒れた不良債権処理問題に他ならない。
確かに不良債権処理を優先せざるを得ない時期もあった。これによって銀行の健全性は回復した。しかし、何より恐ろしいのは人間の「惰性」だ。不良債権処理が一段落し、状況が明らかに変わり、人口減少を考えなくてはならない時代になっても「顧客をみない銀行経営」が見直されず、延々と続いてきたのだ。
結果、どうなったか。特に中小、零細企業の経営課題は放置され、生産性は向上せず、廃業は高止まりし、アベノミクスによる景気回復の足取りは地方において鈍くなっている。
地銀が、財務情報だけでなく地元の顧客の事業を理解し、課題解決までやりきる責任を果たせなくなっているため、いくら銀行から国債を買い取って資金を供給しようとも日銀の金融政策はどうにも効果を発揮しにくい状況となっている。銀行が顧客と語る言葉を失っているからだ。
銀行が顧客を見なくなった要因として忘れてはならないのが、信用保証協会による信用保証付き融資企業だ。企業が返済困難になった場合、保証協会が返済を肩代わり(代位弁済)する仕組みを良いことに、銀行がこぞって自行融資(プロパー融資)よりも保証付き融資を優先してきた。
万一の際は、保証協会による代位弁済があるので、企業の経営改善を支援すること自体が、銀行ではコストとみなされるようになり、「見て見ぬふり」、「放置」が蔓延してきた。考えるのをやめたのだ。
そもそも保証を付けるために持ち込まれる企業は、いずれも信用力が低いはずだ。であれば、経営不振に陥るリスクが高くなるのが当然だ。
にもかかわらず、多くの銀行は事業支援、事業再生から逃れ、最終的な負担は国民の税金につけ回すことができる信用保証制度を悪用してきた。未だに信用保証付き融資のノルマや表彰制度が地銀にあるとは信じ難い事実だ。
これらはすべて「銀行は貸すところ。貸し渋りを起こしてはならない」という政治家、メディア、霞が関の偏った認識に起因している。
このために「貸し渋りさえ起こさなければ、担保・保証をとって無視していても良い」、「顧客の事業支援、事業再生などにはかかわらなくて良い」という自己都合の解釈を銀行に許してしまった。
こうした事態を強く懸念しているのが森信親長官だ。不良債権処理官庁と揶揄されてきた金融庁は、その象徴でもあった銀行に対する資産査定を止め、体制や指針の整備ばかりを求めている金融検査マニュアルに基づく検査を凍結した。
銀行が企業の事業内容や将来性を深く理解する事業性評価や顧客に密着して営業する「リレーションシップ・バンキング(リレバン)」を通じた取引で、顧客企業の活性化に取り組むよう求め、超低金利下でも耐えられる付加価値を持つビジネスモデルを確立するよう金融庁は検査監督行政を変えた。
金融庁は「顧客を見ない銀行」に明日がないことをようやく気付いたのだ。
■顧客を見ている銀行はあるのか
顧客を見ている銀行はあるのか。
その代表格が、金融庁も注目する北國銀行だ。2015年4月に営業ノルマを捨て、顧客のためにどう行動したかをプロセス評価する仕組みに移行した。
簡単な話ではない。経営、営業体制、評価制度、人材育成などのすべてを顧客本位のあり方に組み替え、このマイナス金利下でも利ざやを稼ぎ出すという驚異的な地域金融を実践している。これは、どういうことなのだろうか。
政治家の多くも誤解しているところだが、顧客満足という視点に立てば、必ずしも「貸してくれる銀行」がありがたいわけではない。
汎用設備の導入を考える顧客がリースを希望する場合もあるだろう。しかし、営業担当者が貸出ノルマを背負わされているならば、高い利ざやが得られるはずのリースよりも利ざやの低い融資による設備投資の方に誘導しようとするのではないか。
つまり、顧客には何の関係もない営業ノルマが顧客のニーズに応えようとする営業を歪ませるだけではなく、結果的に銀行自らの収益性も悪化させてしまうのだ。
北國銀行は、適正な金利を得る代わりに、債権の回収や売却ではなく、創業から事業承継、事業再生まで(ゆりかごから墓場まで)を支援する専門部隊を育成し、関与し続けていくメインバンク戦略を展開している。
慈善事業ではない。クレジットカード事業やクラウド会計サービスで顧客の負担、経費の軽減に取り組むだけでなく、商流を把握し、地方銀行の多くが取引相手とすらみていない小規模・零細事業者とも信頼関係のある取引をしていく金融サービスを構築しようとしている。
顧客本位のサービスを追求するには、スリムで強じんな経営体質が求められる。店舗の見直しだけではない。営業を含む業務全般の効率化、戦略的な調達手法(strategic sourcing)、システム戦略など経費の管理も徹底していく経営だ。
地銀再編などで戦国時代のように単純に規模や領土拡大ばかりを目指す地銀に、スピード感を持ってこの革新ができるだろうか。
千葉銀行と武蔵野銀行は、恐らくこうした状況を考え、敢えて資本統合という道を選ばずに提携を選んだ。
ビジネスモデルを一致させないまま、将来何があっても「離婚」できない資本統合を選ぶのは、逆にリスクと見ているのだ。主導権争いなどの弊害・副作用が統合効果を上回ることは想像に難くない。
■捨てられない銀行
今の銀行は10年後もあるのか。
我々がスマートフォンを持ち始めたのはつい10年ほど前あたりからだろうか。情報収集、消費行動、コミュニケーションまで生活そのものが一変し、家庭も電車内も街の風景も変わった。都会であれ、地方であれ同様の現象だ。
Amazonなどネット通販の台頭で、かつては飛ぶ鳥落とす勢いだった大手家電も苦境に立たされている。
人工知能(AI)やフィンテックという我々の想像を超える技術革新がグローバルで加速していく将来、「人間でなければ困る銀行」と「AIでも構わない銀行」にあっという間に選別される可能性は十分にあると思っている。
では、「人間の銀行」「人間でなければいけない銀行」とはどのような存在なのか。恐らく北国銀行などの地域金融機関は、こうした価値観や問題意識をベースに仮説を立て、徹底的に議論を交わして、経営戦略を打ち出しているはずだ。
日銀のマイナス金利政策で銀行の収益環境が悪化したのは事実だ。しかし、これまでの株高・不良債権の減少で銀行業界がどれだけの恩恵を被ってきたのか。顧客のために身を削れる部分は多いにあるはずだ。
「困っている」と連呼する銀行と「ライバルを突き放すチャンス」と腕まくりする銀行がいる。
そうした意味においては、マイナス金利のために「捨てられる銀行」と「選ばれる銀行」に分けられる審判の日は、相当早まるのかもしれない。
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