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慶應義塾大学のOB会組織である「三田会」は日本の産業界にネットワークを張り巡らせているが、そこには明らかに功と罪がある
企業内OB会は品がない!慶應三田会に見る「学閥」の功罪
http://diamond.jp/articles/-/91863
2016年5月25日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員] ダイヤモンド・オンライン
■最強の学閥「三田会」
最新号の「週刊ダイヤモンド」の特集タイトルは、「慶應三田会 学閥の王者」である。慶應義塾大学のOB会組織である三田会が張り巡らすネットワークの実態と、その功罪について、60ページを超える、些かやり過ぎではないかとも思う大特集を展開している。
特集では、ネットワークの中で物件情報を回して多数の成約にも至るという不動産三田会のような業界単位の三田会、中には一社に1000人を超えるメンバーを擁して時には出世にも影響を与える各企業単位の三田会、それに、ニューヨーク三田会のように世界の各地で慶應義塾大学OBの駐在員などが連携を図る地域ごとの三田会など、三田会の驚くべき拡がりが詳述されている。
筆者は、過去に12回転職しており、勤務経験のある企業の中には、企業内に三田会が存在している会社もあったし、世界各地の三田会の話題などをフェイスブック等で目にすることもあるので、これまでも三田会の存在を意識はしていたが、ここまで広く強固な組織をなしていたとは知らなかった。
本稿では、学校単位の人的なネットワークとメンバー内部での便宜の図り合いを「学閥」と捉えて、学閥の功罪について考えてみたい。
あらかじめ結論を言うと、筆者は、組織外の学閥ネットワークにはポジティブな価値があり、これを構築・利用することは構わないと考えるが、申し訳ないが、三田会に限らず、企業内に作られた大学別のOB会は、「不公平」で「品がない」ので、自粛すべき存在だと考えている。
■大学の付加価値としてのOBネットワーク
近年、大学を選ぶ生徒の側では、大学OBのネットワークの価値を大いに意識しているようだ。「週刊ダイヤモンド」の特集でも触れられているように、近年、早稲田大学と慶應大学の両方に合格した生徒が、慶應大学を選択するケースが増えている(かつては、早稲田が多かった)。現役の大学生に話を聞いてみた感触でも、慶應側の人気が高い。
早慶逆転現象が起きた原因の一つには、早稲田大学の側が、AOや推薦による入学者、系列高校からの内部進学者を増やしすぎて学生の質にばらつきができ、企業側から見た人材のブランド価値を損なった敵失によるものではないかと思われる面もあるが、大学を選ぶ生徒や生徒の親が、慶應大学のネットワークが就職や就職以外の局面でもビジネスに有利であると意識するようになったことがあるように思う。
客観的に見て、三田会を含めた慶應出身者の人的ネットワークは、個々の卒業生にとっても、学校自身にとっても、慶應を選ぶ「価値」の一部をなしているように思える。
ところで、なぜ、慶應のOBネットワークが「最強」なのだろうか。詳しくは、「週刊ダイヤモンド」の特集を見て、読者に考えていただくとして、筆者は、次の点に思い至った。
まず、慶應大学には、元々ビジネス界に入る卒業生が多く、同時に卒業生の学力がまずまず優秀であって、出世している人が多いことのアドバンテージがあった。人数的に慶應大学よりも規模の大きな大学は他にもあるが、有力なポジションに就いているOBが多いか否かは、人的ネットワークの価値に直結する。
他方、一橋大学は、卒業生の学力において慶應大学と概ね同クラスと見ていいように思えるし、同大OBの組織である「如水会」を通じて卒業生同士の結びつきが強固であるようにも見受けられるが、学校の人数的規模が慶應よりも小さいので、OBネットワークの総合的影響力にあっては、慶應に一歩譲る印象を持つ(それにしても、特集記事に見る、三田会の組織のされ方と、運営方法は、何とも周到にできていて、素直に「凄い!」)。
慶應大学のOBネットワークは長年価値を蓄えてきたし、現在は、ネットワーク自身のメリットがその価値の向上に貢献する好循環に入っているように思われる。
他方、早稲田大学、あるいは東京大学をはじめとする有力国立大学は、「早稲田は一匹狼。そういう伝統はあっていい」(福田秋秀・早稲田大学校友会代表幹事)という言葉に象徴されるように、「群れる」ことをよしとしないビジネス的には余計な価値観を持っていたり、人的ネットワークを充実させることに衒いを持っていたりしたために、OBネットワークの充実に手抜かりがあった。これは、一朝一夕に追いつくことのできない「経営的な」差だ。
考えてみると、ビジネス界にあって、OBの結束が特に固い印象を受ける慶應大と一橋大は、共に実業を指向する傾向の強い学風だ。ビジネスにおける人的なネットワークの価値に対して、もともと意識的かつ前向きだったのだろう。
相対比較するなら、指向する先が官業であったり、自分の能力的な優越性の誇示であったりする東京大学およびその卒業生は、OBの人的ネットワークの価値を作り損ねて来たと言える。ビジネス的には、巨大な機会損失だった。何と頭の悪いことだろうか!
■社内の「学閥」はいかがなものか?
人は、自分と共通点を持つ他人に対して、共通点のない相手に対してよりも親近感を持つ動物だ。民族、国籍、出身地、宗教、趣味など、共通点の持ち方は様々だが、先に見たようにビジネス的な実利につながる人的なネットワークが成立し、有効に機能するためには、個々のメンバーのポジションと能力、さらに集団の人数的規模の程良さなど(霞ヶ関における東大のようにシェアが大きすぎると有利なネットワークとして機能しない)、複数の条件がある。
出身大学を起源とする「学閥」は、どの大学でも、どこででも、という訳ではないが、経済合理的な人的ネットワーク形成の一つになる場合があると考えられる。
ただし、企業内にも、三田会(慶應大)とか如水会(一橋大)といった、卒業学校単位の親睦会を作ってOB同士が卒業年次を超えて寄り集まるのは、いかがなものだろうか。
実は、筆者は、先日の日本金融学会のパネルディスカッションで、「慶應大学以外の私立大学を卒業してメガバンクに入っても、幸せになれるとは思えないので、他大学の学生にはメガバンクへの就職は勧めない」と思わず本音(失言であるが)を述べてしまったのだが、例えば、三菱東京UFJ銀行には、同行内に会員数1000人を数える三田会が存在し、例えば同行の執行役員51名中、慶應大学出身者が14名もいるという(早稲田出身者は1名)。
こうした結果は、たまたまであって、卒業大学は一切関係ない(「銀行」の場合、想像しにくいが)、ということなのかもしれないが、他大学の出身者は、自行内の慶應大学出身者が三田会等の会合で親しく集まり、世代を超えた情報交換などをしているらしい様子に対して、心穏やかでは居られないのではないだろうか。
例えば、地方の国立大学の成績優秀者などは、慶應大学の卒業生と比べても、十分に優秀だと思うが、東京本社の企業の多くにあって、彼らには三田会のような社内ネットワークはない。
三田会に限らず、企業内で学閥親睦会を立ち上げておられる方々は、例えば弱小勢力大学出身者の心情を慮って、社内での学閥活動を自粛するくらいのことを考えるのが、見識というものではないだろうか。もちろん、全社内における公平性と、会社としての結束を図るために、企業の経営者も、自社内における学閥活動の自粛を実現することが、適切な振る舞いではないだろうか。それは、例えば、その経営者自らが、三田会の評議委員であるとしても、そうすべきもののように思われる。
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