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福島第一原発事故の会見をする東京電力の勝俣恒久会長(中央)。左は藤本孝副社長兼電力流通本部長、右は武藤栄副社長兼原子力・立地本部長。清水正孝社長は出席していない(肩書は2011年3月30日撮影当時のもの) (c)朝日新聞社
東電元幹部を強制起訴! 東電はなぜ2度も不起訴になったのか?〈dot.〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160310-00000002-sasahi-soci
dot. 3月10日(木)7時10分配信
福島第一原発の事故をめぐり、東京電力の勝俣恒久元会長ら元幹部3人が、業務上過失致死傷の罪で東京地検に強制起訴された。新書『福島原発、裁かれないでいいのか』を出版し、今も各地で講演活動をつづけている元京都地検検事正の古川元晴氏に、今回の強制起訴について聞いた。(聞き手/朝日新聞出版 書籍編集部 部長代理・斎藤順一)
――強制起訴決定をお知りになって、どのように思われましたか?
福島原発の事故は防ぐことができました。国会の事故調査委員会でも、「人災であることは明らかである」と断定しています。この事故の影響で、10万人を超える人々が、自分が住んでいた家に戻ることができません。水素爆発を起こした原発は今でも放射能を放出し、毎日何万トンもの汚染水が発生しています。事故は収束していません。それなのに、具体的な原因究明もせずに、無罪で終わらせていいわけがありません。
――しかし東京地検は、これまでに二度も、「東京電力は今回の事故を具体的に危険が予測できなかった」として不起訴処分にしてきましたね。
まったく、おかしな話です。原発のように、いったん事故が起きると取り返しがつかない重大な被害が発生する恐れがある業務には、万が一にもそのような事故を起こさないよう、できる限りの最善の措置を講じるという、高度の注意義務が課されていることは社会の常識で、最高裁も認めているところです。そして、東京電力は最大15.7メートルの津波が来るという具体的な予測を手にしていました。また、それは科学的な根拠があるものでした。
――しかし残念ながら、その「15.7メートル」という予測は採用されませんでした。
東京電力は、そのような大きな津波は過去に来たことがないから確実な予測ではないとして「想定外」とし、社団法人土木学会が発表した5.7メートルという数字の方を採用したのです。そして今もなお、あの津波は「想定外」だったと主張しています。
――それだけでなく、「万が一」に備えるという姿勢がまったくなかったと思えるのですが。
東京電力は非常用のディーゼル発電機や配電盤などを地下に設置していたのに、何の津波対策もとらなかったため、水没して使えなくなってしまいました。また、こうした非常事態を想定した訓練を怠っていたことも明らかになっています。
「想定外」という言葉には2つの意味があります。ひとつは、本当に予測できなかった場合。もうひとつは、予測できたけれど意識的に外してしまった場合です。しかし原発事故のように、一度起きてしまえば、子や孫だけでなく、その次の世代までが放射能汚染に苦しめられてしまう危険について、予測できていながら意識的に外してしまう場合の「想定外」が、言い訳として通用するはずがないことは明らかです。
――では、これまでに日本で起きた事故は、どのように裁かれてきたのでしょうか。まずは、具体的に危険が予測できなかったとして裁かれなかった事故にはどういうものがあるのでしょうか。
2005年に起きたJR西日本の福知山線脱線事故は、106名が死亡、493名が負傷しました。この事故で責任者は裁かれていません。鉄道会社の責任者は、現場のカーブでの脱線事故は過去に例がなく、運転士の暴走によって起こされたものであり、その危険性を具体的に予測できなかったと主張、全員に無罪判決が出ています(一部上告中)。
しかし、現場は半径305メートルの急カーブでその手前までの最高制限速度は時速120キロでした。そして、この事故が起きる前に、JR函館線で貨物列車が、時速118キロで半径300メートルのカーブに進入して脱線転覆するという、かなり類似した事故が発生しており、JR西日本もこのことは知っていました。したがって、過去に例がなかったわけではないのです。また、ATSという自動列車停止装置も設置する計画は始まっていましたが、個別に危険なカーブを把握して設置する方式はとられていませんでした。
――そもそも鉄道事業者は、乗客の安全を保障するという立場にあることから、万が一にもこのような事故を起こさないようにするという高度の注意義務が課されているはずです。
その通りです。ですから、トカゲの尻尾切りのように運転士ひとりに責任を負わせ、鉄道会社には問題がなかったという主張や判決に、一体どれだけの人が納得するでしょうか……。
――では、日本でも、過去に例がないために具体的かつ確実な危険予測できなくても裁かれた事件はあるでしょうか。
昭和30年に起きた、森永ドライミルク事件がそうです。これは赤ちゃんの粉ミルクに誤ってヒ素が混入したため、それを飲んだ赤ちゃんが100名以上亡くなり、1万人以上の中毒患者を出した痛ましい事件です。
この事件もいったんは第1審で、「過去に粗悪な類似品が混入された事実はなかった」ことから、具体的な危険は予測できなかったとして無罪になりました。しかし高裁判決で覆ります。その理由は、「食品添加物以外の使用目的で製造された工業用化合物を食品に添加する場合、良識ある社会人であれば、一抹の不安を感じるはずである、この不安感が危険の予見にほかならない」として第1審に差し戻し、最高裁もこの判断を支持します。
そして、差し戻し後の第1審は、食品製造業者には、「その食品がまったく無害で安全であることを消費者に保証」する立場にあるので、「万が一にも、有毒物が混入する可能性がないように注意する義務を負う」として有罪としました。たとえ過去に同様の事実がなかったとしても、それは言い訳にはならないとしたのです。わが国で司法が生きた格好の例と言えるでしょう。
―――裁判所は、単なる不安感や危惧感だけで「予見できた」と判断したわけではないのですね
そのとおりです。科学薬品については、商取引の平常のありさまとして、品質の保証されたものでない限り粗悪品混入の可能性がないとは言い切れないということ、そして、薬品販売業界、食品製造業者間においても粗悪品混入についての不安感、危惧感が存在していたということです。そこで、『良識のある通常人』を基準にすれば、その不安感や危惧感には回避措置を命ずるだけの合理性があると判断したということです。
――今回の強制起訴により、東京電力の元幹部3人は、業務上過失致死罪にあたるかどうかが問わるわけですが、そもそも「業務上過失致死罪」とはどのような罪でしょうか。
刑法211条は、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役もしくは禁錮または100万以下の罰金に処する」と定めています。しかしここで、みなさんにお伝えしたいことがあります。刑事責任を問うというのは、いたずらに処罰を求めればいいというものではありません。責任の所在を明確にして、何が正しく、何がまちがっていたかを明らかにすることが目的です。罪を犯した人を獄につなぐのは、あくまでも手段です。過失犯罪の根を断ち切り、後に起こり得る事故を防ぐために、それはなされるのです。
――古川さんは、ご著書『福島原発、裁かれないでいいのか』の中でも、「法育」「法を国民の手に」ということを仰っていますね。
わたしは東京大学法学部卒業後、検事になり、法務省刑事局総務課長、内閣法制局参事官、司法研修所上席教官、京都地検検事正などを歴任してきました。甲府地検時代にはオウム真理教の強制捜査にも携わりました。法は国民のためにあるものです。ですから、わたしは法律には「社会の血」が流れていないといけないと思っています。法律は厳格に解釈o運用されなければならない。人を処罰することを定める法は、特にそうでなければなりません。ときに冷徹、非情のそしりを受けますが、何人にも厳正、公正に適用される必要があります。しかし、その解釈が「一般の常識」に沿わないものである場合、法律は血の通わない、冷徹、非情だけのものに成り下がるのです。
福島原発事故が起こる以前から、住民によって民事上の原発運転差し止め請求などの訴訟が繰り返し起こされていましたが、裁判所は、ことごとく住民側を敗訴としてきました。国策であることを理由に原発の稼働を安全よりも優先させてよいとすることは、法理論としても認められません。憲法が国民に保障する基本的人権を侵すことになるからです。このたび、強制起訴となりましたが、わたしの古巣である検察には「被害者とともに泣く検察」という言葉をいま一度思い出してほしいのです。法秩序を維持し、社会の人々の安全を守ることは法治国家としては当たり前のことであり、これを使命とし、被害者の心情を深く理解すること。それを戒めたこの言葉を、今後も忘れないでいてほしいと思います。
――どうもありがとうございました。
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