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日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?」に対する疑問
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/765.html
投稿者 taked4700 日時 2017 年 3 月 25 日 15:19:36: 9XFNe/BiX575U dGFrZWQ0NzAw
 

昨年2016年春に投稿禁止になり、今回改めて復帰を管理人様へお願いしてカルト板のみに1か月間だけ投稿をして、その後、自由に投稿してよいという条件つきの復帰をしています。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/478.html#c16

を参照してください。

この間、つまり、昨年2月以降熊本地震があり、鳥取県中部地震も発生しました。また、昨年7月から8月は関東地方での地震数減少があり、その後、房総半島南東沖の三重会合点でM6地震が発生し、この3月の前半に同じく関東地方の地震減少が発生しています。

この記事から、昨年熊本地震以降に自分が書いた記事の投稿をさせて頂こうと思います。

かなり緊急性のある内容であるはずです。ぜひ、お読みください。先の見通しを考える際に役立つはずです。


次の記事は、日本地震学会のメーリングリストへSat, 29 Oct 2016に投稿をさせて頂いた記事です。日本地震学会のメーリングリストへはどなたでも参加できます。費用も掛からず、フリーメイルではない、プロバイダーのメールアドレスを持っていることが条件です。

記事タイトルの[nfml:7699] はメーリングリストの名前「ないふる」から取られた識別コードであるようです。数値は一連番号です。

結論として、貞観地震869年当時と同じく、日本全国で、それも陸域でかなり大きな地震が数十年頻発する時代に今の日本は入りつつあるということです。そして、そういったことに対して、明らかにおかしな論理で、9世紀は人為的な影響で地震の記録数が増えただけだと述べているのが「日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?」という論文なのです。

******************

[nfml:7699] 「日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?」に対する疑問

Subject: [nfml:7699] 「日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?」に対する疑問

From: "TAKEDA NOBUHIRO"
Date: Sat, 29 Oct 2016 01:59:40 +0900
Thread-index: AdIxPKvLjfMRX4tUSIesPAzCXyBMug==

「日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?」( 
http://www.hayakawayukio.jp/paper/9thcentury/index.html )に対する疑問

 早川由紀夫氏による「日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろう
か?」について、もともとの論文を自分は見ていません。上のページの右上に「歴史
地震研究会1999年9月24日(伊賀上野)で発表」との記述があり、リンク( 
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/musha/rekishiZ16.html )が
張られていますが、リンク先には既に文書がありません。そのため、早川由紀夫氏の
サイトで公開されている記事( 
http://www.hayakawayukio.jp/paper/9thcentury/index.html )に対して、疑問を
述べさせていただきます。

実際の主張はネット公開されているものとは違うと言うことがあるかも知れません。
その場合は、ぜひ、そう教えて頂きたいと思います。

最初に、そもそも、早川氏は結論として「9世紀の地震集中は,六国史編集による人
為効果である可能性がつよい」と、「可能性」を指摘されているだけです。しかし、
例えばウィキペディアの「地震の年表(日本)」( 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_
(%E6%97%A5%E6%9C%AC) )には、

>地震年表では、前後の時代と比較し9世紀に地震が増加している。これは、実際に
地震が多く発生したのではなく、中央集権体制が整い為政者側が積極的に情報を収集
した為と考えられている[31][32]。

と記載があり、[31][32]には、

>[31] 日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?
>[32] [日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?]歴史地震・第15
号(1999)

と記されていて、[31]には 
http://www.hayakawayukio.jp/paper/9thcentury/index.html へのリンクが張られ
ています。これが問題であると思います。早川氏は「可能性」を述べているだけであ
り、9世紀地震集中は人為的なものであると断定されているわけではありません。明
らかに、早川氏の論文が世論の誤誘導に使われていると思います。

 以上のことを前提に、9世紀地震集中は人為的なものであるという主張のどこに疑
問があるかを述べさせていただきます。

 基本的に、地震と噴火を比較された結果、噴火に見合う地震がないという論理であ
ると思います。特に、

>9世紀の7噴火のうち5噴火が富士山を含む伊豆弧の噴火である.伊豆弧の噴火を除
外すると,9世紀集中は完全に消滅する.9世紀のピークは,伊豆弧における噴火連続
発生がつくっていたのである.一方,9世紀の被害地震15回のうち,伊豆は1回(841
年),関東は2回(818年と878年)だけである.東海はない.9世紀の地震の震央は,
全国に散らばっている.伊豆弧の活発化が9世紀の地震数を増加させているわけでは
ない.9世紀の地震集中は,どうやら六国史編集による人為効果でみえているみかけ
現象である可能性がつよい.

と言う文章から、「9世紀の7噴火のうち5噴火」を構成する「富士山を含む伊豆弧の
噴火」に見合う噴火として、「伊豆は1回(841年),関東は2回(818年と878年)だ
け」であり、「9世紀の地震の震央は,全国に散らばっている.伊豆弧の活発化が9世
紀の地震数を増加させているわけではない」ので、「9世紀の地震集中は,どうやら
六国史編集による人為効果」という論理構成がされていることが分かります。

ここで、地震と噴火を比較する共通の尺度は何かという問題が発生します。「伊豆弧
の活発化が9世紀の地震数を増加させているわけではない」から、「噴火数が増加す
れば、同じ地域での地震数が増加する」という仮定があると判断できます。この仮定
が地震と噴火を比較するための共通の尺度として使われています。いわば、地域別頻
度と言うべきものでしょう。

共通の尺度さえあれば、どんなものであっても比較はできます。卵と雲であっても、
例えば、その色を尺度とすれば、比較はできます。ある卵の白さとある雲の白さを比
べて、どちらがより白いかと言うことは可能でしょう。

重さはどうでしょうか。卵は、普通、簡単に重さが測れますから、重さを知ることが
できます。しかし、雲は、その重さを直接測ることができませんし、一定の体積を採
取してその重さを測ることが出来ても、ある一つの雲全体の体積を測ることはとても
難しいでしょう。そもそも、どこに雲の輪郭があるのかを決めることが困難であるは
ずです。つまり、卵と雲では、重さと言う共通の尺度は使えないのです。

地震と噴火の関係から、「9世紀の地震集中は,六国史編集による人為効果である」
と言うためには、共通の尺度があるだけでは足りません。相関関係が無ければいけな
いからです。一方がある方向に変化すれば、他方も一定の方向に変化するという関係
です。例えば、卵が白くなると雲も白くなるとか、または、白い卵がたくさん採卵出
来たから白い雲がたくさんできるということはありません。卵と雲との間には、少な
くとも色と言う尺度については相関関係はありません。

では、「9世紀の地震集中は,六国史編集による人為効果である」に関して、どんな
共通尺度があり、どんな相関関係があるのでしょうか。

地域別頻度が共通尺度です。しかし、頻度を尺度として使うには、ある問題がありま
す。何を持って一回と数えるかです。

噴火については、

>過去1000年間の噴火事例は,噴火規模4.5もしくは5.0以上の噴火はもれなく収集さ
れているが,規模4.0以上の噴火は約半分しかまだ収集されていない

とか、

>噴火規模5.0以上に注目してみよう.17世紀以降の増加傾向はとくに認められな
い.9世紀集中も認められない(注1).噴火規模4.5以上に注目すると,9世紀集中は
みられないが,17世紀以降の増加傾向がややみられるようになる.噴火規模4.0以上
に注目すると,9世紀集中も17世紀以降の増加傾向も顕著にあらわれる.

とあり、規模について考慮が払われていることが分かります。

しかし、地震については規模のことが触れられていません。「地震の年表(日本)」
から9世紀の地震について、年と名称(地域)、規模だけを抜き出すと次のようにな
ります。

818年 弘仁地震 - M 7.9。
827年京都 - M 6.5?7。
830年出羽 - M 7?7.5。
841年前半 伊豆地震 - M 7。
850年出羽国地震 - M 7。
863年越中・越後地震 -記録は疑わしいとする見解もある。
867年陸奥国大地震
868年播磨国地震- M 7台
869年貞観地震 - M 8.3?8.6(Mw >8.7)。
878年相模・武蔵地震 - M 7.4。
880年出雲 - M 7。
887年京都 - M 6.5。
    信濃北部地震 存在しない地震であるとの見方が強い。
    仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8?8.5。

京都の地震は二つともM 6.5との記載があり、他の地震と比べて規模が小さかったこ
とが分かります。このことから、規模が小さくとも都で起これば記録されることが分
かります。もう一つ、規模で分かることは、9世紀にはM8以上の地震が二回発生し
ていることです。M6規模に比べてM8規模はほぼ1000倍の大きさであるとされるの
ですから、地震について、その規模に考慮を払う必要があります。その理由は、まっ
ず第一に、大きな地震であればそれだけ損害が大きくなり、記録として残りやすいの
は明らかであるからです。第二に、大きな地震は誘発地震を伴い、M8規模が起これ
ば、その震源域の周囲でM7規模の地震が10倍程度の頻度で発生するからです。

つまり、早川氏の議論は、噴火については規模に考慮を払い、地震については規模を
無視しているのです。この点で、比較が非対称になっています。

次に、

>9世紀の7噴火のうち5噴火が富士山を含む伊豆弧の噴火である.

としていますが、この7噴火には、規模が4.0から4.4までのものが4個含まれているこ
とが、http://www.hayakawayukio.jp/paper/9thcentury/eruption.html の先頭にあ
る図から分かります。この図の9世紀のところには、青:2、赤:1、白:4と言う
内訳が表現されていて、合計数が7であり、注として、青が5.0から5.7、赤が4.5か
ら4.9、白が4.0から4.4とあるからです。更に、このページのより下にある地域別の
図でも、9世紀のところには、青:2、赤:5と言う区分けで、合計数は7です。

ところが、

>過去1000年間の噴火事例は,噴火規模4.5もしくは5.0以上の噴火はもれなく収集さ
れているが,規模4.0以上の噴火は約半分しかまだ収集されていないことがこの図か
らわかる.

と記されているのです。この記述からは、規模4.0から4.4の噴火については、その数
はより多くなる可能性があることが分かります。つまり、9世紀の噴火集中自体がか
なり根拠がないのです。このことは、9世紀に噴火集中がなかったという意味ではな
く、9世紀に比べての10世紀とか11世紀の噴火減少が事実ではなく、まだ把握されて
居ない可能性があるという意味です。ともかく、9世紀の噴火について、規模4.0から
4.4の噴火が7個中4個も含まれていることは、噴火の数の評価についても正確性を欠
いていると言えると思います。

以上、共通の尺度という観点について、上のような問題があることが分かります。

次に、相関関係について述べます。早川論文には、相関関係を明示的に述べた部分が
ありません。

>9世紀の7噴火のうち5噴火が富士山を含む伊豆弧の噴火である.伊豆弧の噴火を除
外すると,9世紀集中は完全に消滅する.9世紀のピークは,伊豆弧における噴火連続
発生がつくっていたのである.一方,9世紀の被害地震15回のうち,伊豆は1回(841
年),関東は2回(818年と878年)だけである.東海はない.9世紀の地震の震央は,
全国に散らばっている.伊豆弧の活発化が9世紀の地震数を増加させているわけでは
ない.9世紀の地震集中は,どうやら六国史編集による人為効果でみえているみかけ
現象である可能性がつよい.

とか、「まとめ」として

>17世紀以降の地震と噴火の増加は,人為効果によるみかけ現象である.
>9世紀の噴火集中は,人為効果による側面もあるかもしれないが,その時代の伊豆
弧が活発化した事実を確実に反映している.
>9世紀の地震集中は,六国史編集による人為効果である可能性がつよい.

と書かれているだけです。

つまり、一般的な常識として、「ある地域で噴火があれば、それに見合う数の地震が
同じ地域である」という相関関係を仮定しているのです。

しかし、仮にこういった相関関係があったとすると、早川論文には、却って矛盾が発
生します。

1.中央集権体制が整って、記録が集まりやすかった9世紀に、伊豆弧で5噴火が
あったのであれば、なぜ、それに対応する関東から伊豆の地震が3回だけなのか。つ
まり、噴火記録が確実性のあるものであり、地震数の把握が不確実であるという前提
から導かれるのは、関東から伊豆の地震数が3回よりも多くなるはずだという結論で
はないか。

2.「9世紀の地震の震央は,全国に散らばっている.」ことが事実であるとする
と、その全国に散らばった地震震央の近くにある火山で噴火活動が観察されていない
といけません。しかし、噴火について、「9世紀のピークは,伊豆弧における噴火連
続発生がつくっていた」とされていて、全国的な噴火活動の増加は無かったとされて
いるように思えます。

3.噴火にしても、地震にしても、大規模なものは記録に残りやすいわけです。少な
くとも、記録に残っているものであれば、実際にそれがあったとすることになると思
います。そこで、噴火規模別の100年ごとの噴火数のグラフを見てみます。する
と、9,10,11世紀はその前後の世紀、つまり、7,8世紀や1
2から16世紀と比較して噴火規模4.5以上の噴火が少なくとも2倍以上発生していた
ことが分かります。このことから、少なくとも9世紀から11世紀に地震活動が活発化
した可能性を言うこと事が出来るはずです。

上の3点の内、特に3.が重要です。相関関係について、噴火規模を考慮して推理す
ると、却って9世紀の地震集中が想定出来てしまうのです。

よって、相関関係についても疑問点があることが分かります。

以上、9世紀の地震集中が人為的なものであるという説についての反論を述べさせて
いただきました。

なお、三陸沖で大津波があったことは1986年には指摘されていたようです。例えば、
「埋もれた警告1 箕浦幸治教授」( 
http://tsujiandon41.blog.fc2.com/blog-entry-80.html )に、次のような記述が
あります。

(*以下引用開始:)
1986年、西暦869年に襲来した貞観津波の砂層を初めて発見したのは箕浦教授
である。
それは箕浦教授の画期的な調査手法によってもたらされた。
箕浦教授の研究歴
1983年:日本海中部地震;マグニチュード7.7、地震による死者4人
      日本海中部地震津波;高さ最大14.9m、 秋田中心に死者100人
 
このとき海が白く濁ったことから、湖には過去の津波の痕跡があるのではないか。
十三湖周辺でボーリング調査を行い湖底堆積物を調べたところ、海底の成分を含む砂
の層が見つかる。
(*以上引用終わり)

また、「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」という本が1995年に出
版されています。この本には、宮城県議会へ警告の陳情を行ったことが書かれていま
す。

早川論文は1999年ですから、東北地方太平洋沖地震の発生前です。2011年のM9地震
発生が、早川論文による世論の誤誘導につながったのではないでしょうか。

2016年10月29日 武田信弘
 

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