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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「日本書記の一書と、おふでさきは、どこからパクったのか」に、ご興味をお持ちでしょうか。日本書記には「一書」が余りにも多すぎて、解釈に支障をきたしてしまうのです。実に、ウンザリさせられます。
A 古事記は、「一書」が無くて、スッキリしている。
大海人天皇が作った、大宮人や後宮女官を読者とする「古事記」は、一つのストーリー性にあふれ、乙女チックであり、恋愛・悲恋物語としては、素晴らしい「後宮文学」だと思います。
古事記の「序文」には、大海人天皇が稗田阿礼に教え込んで、誦み習わせたと有りますが、稗田阿礼の記憶力には感心します。
それよりもなお、古代の神話を一本化して、まとめ上げた大海人天皇の頭脳と統率力は、感嘆に値します。素晴らしいの一語です。
B 日本書記は、「一書」を、何とか出来なかったのだろうか。
スッキリした古事記に比べると、日本書記は「一書」が多すぎます。
巻頭にある「神代七代」では、「一書」が9個くらい有りますし、イザナギとイザナミの国生みや神生みでは、「一書」が10個以上も有ります。
アマテラスやスサノオの出自についても、諾冉二尊の両者で生んだ説と、イザナギが単独で生んだ説が有ります。
そのほかの段落でも、「一書」のオンパレードに成っており、訳が分かりません。
日本書記の編集責任者の舎人親王は、720年から735年まで、国政トップの太政大臣にあった人物ですから、もう少し絞り込めなかったものでしょうか。
(大海人天皇なんか、古事記を作るに当たっては、『私が、「カラスは白い」と言えば、カラスは白いんだ』、と強引に一本化して物語を作り上げています)。
C 神話は、一本が分かれたものではなく、初めから複数あった。
舎人親王が中心になって、720年に、日本国の官製歴史書(日本書記)を作るに際しては、中国の歴史書を参考にし、各豪族の保有する「帝紀」や「本辞」などを参考にし、713年の「風土記」も参考にしているはずです。
ですから、「日本書記の製作委員会」は、何回も何回も協議をし、検討をし、摺り合わせをしているはずです。
にもかかわらず、神話を一本化できなかった。それは、なぜか。
考えられる要因としては、神話が、根源の一本から分枝して豪族に伝承されたものではなく、初めから別々の伝承が豪族に有ったと考えるべきではないか、と思います。
D 複数の神話が伝承されている。
記紀神話以外にも、「中臣の大祓」、「出雲の神賀詞」、「先代旧事本紀」、「ホツマツタエ」、「カタカムナ」、「竹内文書」など、数多くの文献が残されていますが、これらの内容は記紀神話とは異なっています。
『そんなものは偽書だ、パクリだ、ニセモノの駄作だ』、と言ってしまえば、それまでですが。
E 「おふでさき」やチャネリングは、どこからパクったのかという疑問。
オカルトの世界で有名な「おふでさき」が有ります。あるいは「チャネリング」が有ります。
実に不思議です。言っている本人は、トランス状態にあって、何を言っているのか、本人は分かっていないのです。
(研究者が、行為者の学歴や知識・能力を調査しても、本人が知らない高度なことを言っているとか、知らない文字を書いているなど、有り得ない事が起きています)。
結局、何かは分からないが、「何かとコンタクトを取っていることに、間違いはない」、という結論になります。
F すると、古代豪族の伝承は、どうなるのか。
仮に、古代豪族が、独自にチャネリングを行って、神の託宣を受けたとしたら、どうなるか。
崇神天皇や神功皇后の事例のように、神が憑依したり、夢占いで、何かのメッセージを行ったが、それが記紀神話と異なるときは、どのように扱えばよいのか。
G 結局、日本書記は、一本化を諦めた。
舎人親王らの日本書記の製作委員会は、伝承される神話の出自が豪族ごとに異なり、真偽も不明であり、一本化できないことを悟って諦めた。
そして、仮の本文記事を記載して、出自の異なる伝承を、「一書」として併記したのではないかと、想像します。
そうしますと、何が本当で、何が虚偽か分かりませんし、本文ではなく一書のほうが本当だったということも、有るかも知れません。
H 日本人は、神が地上に降臨したという、世界観。
「天孫降臨」はニニギだけではなく、多くの神々の意識が地上に降りて、「ミコト・命」となって、人間活動をしていると云うのが、日本神道の考え方ではないかと思います。
(つまり、私も、貴方も、肉体としては人間だけれど、意識・精神は、地上に降りた「神」そのものだという考え方だと思います)。
そして、天界についても、アマテラスが住まう高天原も有れば、「神代七代」の住まう天界も有るでしょうし、それ以外の天界も有るのではないかと、想像します。
さらに、多数ある天界は、集合と離散を繰り返して、絶えず変化しており、それらが地上に反映されるとするならば、神話を一本化するのは無理があるのかも知れません。
★ どう思われますか。
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