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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「イザナミの末路と、記紀神話の発想力」に、ご興味をお持ちでしょうか。記紀神話は、本当に人間の発想力だけで書かれたものだろうかと、考え込んでしまいます。話が出来すぎているのです。
A 話が出来すぎている。
記紀神話では、イザナミがカグツチを生み、そのために命を失うことになりますが、「話が出来すぎている」、と疑ってしまいます。
つまり、普通であれば、『イザナミが、国を生んだ後に、鉱山の神を生み、粘土の神も生み、火の神も生みました。目出度し目出度し。はい、お仕舞い』で終わるべき話です。
それが普通の考え方ですし、普通の神話であれば、そういう構成を考えるはずです。
ところが、記紀神話は、イザナミを殺してしまいます。なぜなのか。なぜ、殺す必要が有るのか。
記紀神話を作った「万葉人」にそんな発想が出来たのだろうか。実に、違和感を覚えます。
B カグツチは、火の神ではない。
一般に、カグツチは、火の神だと解釈されていますが、違うと思います。
天の香久山と同義だと解釈しますと、土を爬き採る意味であり、「爬く土」、「掻く土」の意味だと思います。
あるいは、土の中に金属を含むと云うなら、「輝く土」でしょう。
あるいは、カグツチがハニヤマ姫を娶って、桑や蚕や五穀の神のワクムスヒを生んだと云うなら、「耕す土」、「攪拌する土」かも知れません。
いずれにしても、ダイレクトに「火の神」にはならないと思います。
C 文明が、イザナミを殺した。
イザナミは、火の神のカグツチを生むことを原因として、死に至りますが、イザナミは神様だから、火では死なないと思いますし、カグツチが燃えながら生まれてきたとは思えません。
ハリネズミの子供が、針を立てながら生まれてくる訳では有りませんし、鶏の卵が、硬い殻のままで母親の胎内で成長する訳でも有りません。
人間の文明が、自然の象徴であるイザナミを殺してしまった、という例え話だと思います。
D イザナミは、山の精霊としての神格を持つ。
イザナミは、自然の山の精霊としての神格を持っています。また、山の民や、蝦夷や熊襲などの守護神であるかも知れません。
(イザナミの「性質」は、他にも越系倭人、母性、対馬暖流、陰陽二元論の陰性、下降し物質化する流れなどが挙げられると思います。
つまり、イザナギを「陽・プラス」とし、イザナミを「陰・マイナス」として、万物が生成され、力が作用し、世界が成り立つものと思います)。
(余談ですが)、熊本県にイザナミを祭る熊野神社が非常に多いのですが、熊襲と何か関係が有るのでしょうか。
(熊本県には150社を超える熊野神社が在りますが、西日本で100社を超えるのは熊本県だけです。50社を超えるのは、京都、兵庫、高知、福岡、大分、鹿児島ですが、100社に満たないのです。熊本県だけが異常に多いのです)。
E 金属の鉱山開発が、イザナミと山の民を殺した。
縄文時代には金属器は基本的に無く、多くは土器や石器や木器に頼っていました。
ところが、青銅器や鉄器の発明によって、山を切り崩して金属を採掘し、その精錬のために自然林を切り倒して燃料にしました。
それによって、山の民の生活圏が侵食されて、山奥とか僻地に追いやられたと思います。
(もちろん、薪炭を作って、米との交換で共存した人々も有ったと思います。竹細工師・木地師・漆職人などの定職に就いた人々も有ったと思います)。
F 薪炭や植林事業が、イザナミと山の民を殺した。
昔の燃料は木材でした。人口が増えると、どんどんと山奥にまで木の伐採が進み、最後はハゲ山になってしまいました。
さらに、茅葺きの竪穴式住居から、一般的な家屋に変っていくにつれて、温帯照葉樹林の「いわゆる雑木」に代わって、杉や桧などの針葉樹が植林されるようになりました。
山の民は、クリ・シイの実・ドングリ・クルミなどを常食したらしいのですが、針葉樹が植林されると、木の実が手に入らなくなりました。
さらに、針葉樹林の中では雑草が生えず、草食動物が消え、昆虫・小鳥・捕食動物も消え、食物連鎖によって全ての動物が消えました。
G 奈良県の事例。
古代の奈良県には、山の民が多く住んでいましたが、「倭王権」の王都になって人口が増えると、家を建てるためや、燃料のために、周辺の山から木を切り倒したり、杉や桧などを植林して山を開発しました。
そして、欽明天皇の562年に、任那日本府が滅亡しましたが、(いつからかは分かりませんが)、いわゆる「弁辰の鉄」の輸入が途絶えたために、国産の鉄が開発されました。
このため、奈良県の鉄鉱山が急ピッチで開発され、「たたら製鉄」で鉄を生産し精錬するために、多くの薪や炭を必要としました。これらによっても、奈良県の自然林が破壊されました。
また、奈良県には、水銀、コバルト、アンチモン、銅、鉛、亜鉛、磁鉄鉱、砒素、マンガン、粘土鉱物などの鉱物資源が有りましたので、これらも開発されたと思います。
H 世界の古代都市は多くが、ハゲ山になった。
中東諸国はハゲ山が多いですが、古代には森林が茂っていました。巨大なレバノン杉で船を作った話も有ります。
サハラ砂漠も、古代には森林が茂っていたと云います。中国の「黄土高原」も古代には森林だったと云います。
日本では、戦前まで、日本中にハゲ山が有ったそうです。山に緑が戻ったのは、生活に薪炭を使わずに、石油や天然ガスに切り替わってからだと云います。
I (まとめると)、金属文明と人間生活が、イザナミと山の自然を殺した。
イザナミは、国を生み、神を生みましたが、最後には、カグツチに象徴される「火の文明」とか「金属の文明」を生むことによって、(自然の象徴であるところの)イザナミ自身も消え去ることになってしまいました。
言ってみれば、イザナミは「地球ガイア」であり、「母なる地球」でも有るわけですが、最後に、地球ガイアのイザナミを、人間の文明が殺すことになりました。
文明が発展すればするほど、地球ガイアを苦しめ、最後には、地球そのものを殺してしまう、という人類への警鐘にも思えます。
J 「最後にイザナミを殺す」という発想は、古代人の発想だろうか。
古代人が、木を切ることで「禿山」を作ることは理解しただろうし、金属を取り出すために、川の水を汚すことは理解したでしょう。
しかし、それが、どうして、自然の象徴たる「イザナミ(地球ガイア)を殺してしまう」という発想にまで、発展するものだろうか。
(私たち現代人でも、「地球ガイア説」とか、「自然循環サイクル説」とかを、故意に意識しなければ思い浮かばないような、難しい発想なのです)。
記紀神話を作った当時の古代人に、「最後にイザナミを殺してしまう」という発想力が有ったのだろうか。不思議です。
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