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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「蝦夷と天香香背男」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、日本の倭人はイザナギとイザナミが作った事になっているのですが、実際には、それ以外にも倭人が居るようです。
A アメノカカセオ(天香香背男)は、蝦夷(エミシ)だった。
(ア) 日本書記の神代の下の第九段の一書には、
『・・・一書曰、天~、遣經津主~・武甕槌~、使平定葦原中國。時二~曰「天有惡~、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此~、然後下撥葦原中國。」是時、齋主~、號齋之大人、此~今在于東國檝取之地也。・・・』と有ります。
(コミック風に)翻訳しますと、
『ある書に云わく、天つ神が、フツヌシとタケ・ミカヅチの二柱の神を派遣して、葦原の中つ国を平定させようとした。この時に、この二柱の神が、『天の高天原に、悪い神がいる。名をアマツ・ミカホシ、またの名をアマノ・カカセオとも云う。先ずは、この神をボコボコにしてから、その後に降臨して、葦原の中つ国をゲットしよう』。
この時の、祝いの大人(ウシ)とも号する「斎い(祝い)主の神」は、今の東国の千葉県の香取神宮に居ます(經津主の~のことだ)。』
、に翻訳できそうです。
つまり、天津甕星(天香香背男)は、正当な理由も無く、ボコボコにされてしまったことが分かります。
(古代には、今のような民主主義とか、人権とか、正義などと云うものは有りません。『欲しいものは手に入れる。嫌いな者は排除する』という論理しか有りませんでした)。
(イ) 天津甕星をボコボコにした經津主と武甕槌が、利根川の河口に、鎮座している。
この利根川の流域が、蝦夷の領地と大和王権との国境線になりそうです。
(注) 古代の利根川は、上流には鬼怒川しか流れていませんでした。群馬県から流れる今の利根川は、昔は江戸湾に流れており、徳川家康が関東に入府してから、川の瀬換えを行って、今の利根川に付け替えたと云われています。
(ウ) 日高見の国は、蝦夷の国だった。
日高見の国については、
『秀真伝(ほつまつたえ)』には「日高見の国」が登場しており、(諸説ありますが)仙台地方だろうと推測されます。
『大祓詞』では『・・大倭日高見之国を安国と定めまつりて・・・』とあります。
『日本書紀』では、『景行天皇廿七年・・・武内宿禰自東國還之奏言 東夷之中 有日高見國 其國人 男女並椎結文身 ・・・』と記されています。
この記述は、蝦夷のことであり、『東の夷の中に、日高見の國が有る』、と書いて有ります。また、蝦夷はイレズミをしていたようです。
『常陸国風土記』では、「信太郡の条」に、『此地本日高見国云々』、と有ります。常陸国信太郡は現在の茨城県の霞ヶ浦に隣接する地域と云われています。
以上の書証から、「日高見の国」の範囲は、利根川の北岸から仙台地方にまで広がる広大な地域と推定されます。
これらの広大な地域は、古代には「化外の地(けがいのち)」と呼ばれたそうです。
★ 古代においては、戦争で負けたり、皇位争奪戦で負けたりして、「負け組」になって追い払われた部族は、「山窩(サンカ)」や、「傀儡(くぐつ)」になったり、「化外の地」に落ち延びたそうです。
(史上有名な物部さんも、蘇我さんに負けた後は、一部が逃げているようです。また、この時、蘇我馬子の夫人になった物部守屋の妹の太媛(フトヒメ)が、物部守屋の領地や奴婢の何割かを相続しているそうです)。
B なぜ、經津主と武甕槌が、利根川の河口に鎮座するのか。
この2神は、元々は軍人さんです。
記紀神話の中で、イザナミを死に追いやったカグツチを、イザナギが切ったときに、剣から流れた血が、經津主と武甕槌のルーツになっています。
剣や弓は、軍人のシンボルですから、軍人さんに間違いないと思います。
国境を警備するのは軍人の責務ですから、鎮守府将軍として、利根川の河口に鎮座したと解釈できそうです。
C イザナギとイザナミの2神が生んだ神以外の神が登場する、疑問について。
たとえば、少彦名(スクナヒコナ)は、日本書記では高皇産霊尊が生んだことになっており、古事記では母神の神産巣日の子供になっています。(実に、いー加減です)。
あるいは、イザナギとイザナミの2神が、初めての子作りに失敗したときには、天上に戻って、子作りの仕方のアドバイスを受けています。
また、菊理媛も出自が不明ですし、思兼神は高皇産霊尊の息子になっていますから、イザナギ・イザナミとは出自が異なります。
私たちは、一般的に、日本の神々は、イザナギとイザナミの2神が作ったものと解釈していますが、実際には複雑だと思います。
そしてまた、高天原も「アマテラス・カラー」の一色ではなく、元々は雑多なカラーが有ったものと思います。
D 「明けの明星」や「宵の明星」は、ウザイからボコボコにする、という論理。
天津甕星(アマツ・ミカホシ)とは、「明けの明星」や「宵の明星」と云われています。金星のことです。
夕方に月が昇って、『さー、これから輝くぞ』という時に、「宵の明星」が月の周りをチョロチョロして、ウザイです。
朝方に太陽が昇って、『今日も一日、頑張るぞ』という時に、「明けの明星」がチョロチョロして、ウザイです。
月や太陽から見ると、(月夜見やアマテラスから見ると)、実に、ウットウシイ、ウザイ存在が「明星」ということになります。だから、ボコボコにしてしまおう、という論理だと思います。
E 米の生産と、奥州の価値。
米の生産高で見ますと、平安初期に、陸奥の国で26万石弱、出羽の国で13万石余、合計で39万石弱となり、全国の416万石余の9,4パーセントを占めています。
これに、利根川以北の常陸の国と下野の国を足しますと、74万石弱になり、全国の17,8パーセントを占めます。
また、江戸末期では、陸奥の国で293万石余、出羽の国で151万石弱、合計で444万石程度で、全国の3185万石の13,9パーセントを占めています。
これに、利根川以北の常陸の国と下野の国を足しますと、613万石弱になり、全国の19,2パーセントを占めることになります。
このように、日本人の食料増産政策の点から見ても、奥州を、(米を生産せずに何の貢献もしなかった)蝦夷から、(米を生産したかった)日本政府(朝廷)が奪い取った背景が、推測されます。
★ どう思われますか。
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