http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/312.html
Tweet |
・
★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「大歳の一族の転落の旅路」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、奈良には、大国主の一族が入植を始める前に、「山辺の民」と融和して共存共栄を図っていた「大歳の一族」がいたのではないか、そして、大国主の一族に駆逐されて周辺に追いやられたのではないかと、想像しています。
A 大歳とは、何者か。
古代の奈良を舞台にした度重なる権力闘争の中で、大歳の一族の歴史は、踏みにじられ、消し去られ、忘れ去られたために、わずかな記録や伝承しか残されておらず、深くて正確な検証は非常に困難だと思われます。
大歳は、スサノオと神大市姫の子供とされていますが、記録が消されていますので、よく分かりません。
いつしか、毎年の正月に遣って来るメデタイ年神(としがみ)様に祭り上げられてしまいましたし、子供達までもが山の神様だとか、土地の神様だとか、屋敷の神様などに祭り上げられてしまい、大歳の一族の歴史は消し去られてしまいました。
B 神大市姫とは、何者か。
神大市姫は大山津見(大山の霊の意)の娘であり、スサノオと結婚して大歳やウカノミタマ(穀物の霊)などを生んだようです。
(ところで)、大山津見そのものは、(諸説ありますが)、古事記ではイザナギ・イザナミが国を生んだ後に大綿津見や大山津見を生んでいます。日本書紀では2神が共同で生んだり、カグツチを斬ったときにイザナギが単独で山祇神を生んだりして、諸説あります。
C 大山津見神と山祇神、大綿津見と少童命(ワタツミ)とか筒男(ツツノオ)の違いについて。
ここで、2神が生んだ大山津見と、イザナギが単独で生んだ山祇神は、同じだとの説がありますが、私は違うと思います。
つまり、2神が生んだ大山津見は、あくまでも自然としての山の神であり、イザナギが単独で生んだ大山祇神は人間活動をする「神人」だと思います。
たとえば、2神が生んだ大綿津見は純然たる自然な海の神ですが、イザナギが単独で生んだ少童命(ワタツミ)とか筒男(ツツノオ)は安曇氏の祖神になったり、塩土老翁(シオツチ・ノ・オジ)になったり、隼人族の祖神になったりしているようです。
(話を戻しますと)、大山津見神が純然たる山の自然神ですから、生まれた神大市姫も土地の精霊のような位置づけだと思います。
D スサノオと神大市姫の結婚の意義。
スサノオは、葦原の中つ国(つまり現界)の主役であり、子孫を繁栄させるためには、誰かと結婚しなければなりませんが、奈良方面で子孫を繁栄させるために選んだのが、大山津見神の娘の神大市姫と言うことになりそうです。
この頃の奈良方面には、先住民族であった蝦夷と呼ばれる山の民や倭人系の土着人が住んでおり、後に半島から渡来したスサノオの一族が入植して、互いに住み分けしながら、徐々に混血して、奈良方面に子孫を増やしていったものと思います。
E 大歳が奈良方面の主役になった。
スサノオと神大市姫の間に生まれたのが大歳になりますが、スサノオは半島からの渡来人だと思います(半島南岸東部の金海とか釜山方面が根拠地だったと思います)。
大歳は古代の「大和湖」の湖岸周辺を開墾して、稲作を主体にして繁栄し、山の民との住み分け・共存共栄を図ったものと思います。
F 大歳の一族が、農業の神・穀物の神・山の神と呼ばれた理由。
一つ目には、大歳の一族が「大和湖」周辺の湿地帯を開拓して農業を隆盛させたからであり、二つ目には、(山の民の酋長であったところの)母親の神大市姫(神大津霊姫・大いなる土の霊の姫)の一族との融和と共栄を図ったからだと思います。
G 蹴落とされた大歳の一族。
大歳の一族の繁栄の中で、スサノオの子供の大国主の一族が奈良を侵略しました。大歳と大国主は母親が違いますから他人と同じです。
しかも、大国主(アメノホヒ)は北九州で生まれ育ったと推理しますが、兄弟同士の権力闘争や半島情勢の緊迫化の中で生きてきた人間ですから、積極的・攻撃的だったと思います。
そして、アシスキタカヒコネや事代主などの子供を従えて、徹底的に大歳の一族を駆逐したと思います。
このため、大歳の一族は母親の神大市姫の一族である「山の民」を頼って、山間部や周辺部に落ち延びたものと思います。
H 加茂氏と賀茂氏がある理由。
加茂氏は古い氏族の大歳の一族であり、賀茂氏は新しい氏族の大国主の一族だと思います。
また、加茂・賀茂は、元々は地名であり、「カモ」の土地にいたから「加茂にいる氏族」という意味だと思います。
I 加茂の地名の語源。
加茂の地名の語源には、鴨がいたからの説、神野・萱野・蒲野などの縮まった説、あるいは清浄な川が流れ集まった地域のことや、「川盛り」が縮まった説で川の間の盛り上がった土地などの多数が考えられますが、よく分かりません。
京都市のカモの場合には、賀茂川と高野川が合流して鴨川になりますが、その合流した間の盛り上がった部分にカモの神社がありますから「川盛り」が「カモ」に縮まったのかも知れませんし、鞍馬や貴船の神霊の宿った清浄な川を指しているのかも知れませんが、分かりません。
J スサノオが、大国主に奈良を襲わせた理由は、日本建国の必要性によるもの。
★ スサノオは別としても、大国主の活躍は、(北九州にあった)邪馬台国の卑弥呼より後だと思います。卑弥呼の養女のトヨが266年(の説)に晋に朝貢したり、卑弥呼が250年ごろに存在した歴史的事実は消すことが出来ません。
また、大国主(アメノホヒ)が宗像三女神を娶り北九州を支配したことも通説ですから、時系列的に、大国主は邪馬台国の後でなければ整合性が付きません。
また、邪馬台国は、半島から北九州までの制海権を掌握していましたから、これを突破して、スサノオの子供たちが日本を往来することは不可能であり、半島から直接に出雲を往復するなどは机上の空論に過ぎないと思います。(対馬海流により、来ても帰れず、一方通行に終わります)。
この点からも、大国主の活躍は邪馬台国の卑弥呼より後だと思います。
まあ、もっとも、博多湾から西側が邪馬台国の卑弥呼の領地であり、宗像や遠賀川方面にアマテラスやアメノホヒがいたという可能性は否定できませんが、記紀神話の立場で言うと『なんかなあ』という感じがします。
(話を戻しますが)、スサノオは、大和民族(血統的には、正当な漢民族であり、周王朝と同族の「姫」姓を名乗る呉王の後裔であり、霊的には天御中主神や国常立神の直系の子孫)の防衛と繁栄を図るために、大国主に日本の統一を行わせたものと思います。
それは、朝鮮半島情勢が安定した「三韓」の時代から、中国が「五胡十六国」の時代に入ったために、満州方面の北方民族が動揺し、連鎖反応で扶余族が滅亡し、高句麗が強大化して南下して三韓を襲って任那を襲い、さらに北九州が襲われると日本が滅亡する危険性があったからだと思います。
スサノオ自身は半島南岸東部の伽耶(たぶん金官伽耶で後の任那)にいたと思いますが、自分の後継者として、(賢くて積極的で武力に優れた)大国主(アメノホヒ)に日本の統一を任せたものと思います。
もちろん、歴史上、奈良の王朝と九州の王朝と2つの王朝が同時並列的に有ったかも知れませんが、最終的には奈良に、あるいは京都に一本化されました。これは軍事的視点とか国土経営上の視点で見ると当然のことだと思います。
(これらは、机上の歴史書だけを見ていたら理解できないかも知れませんが、全ては神の計画通りに、(多少の脱線が有ったとしても、大局的には計画の範囲内に軌道修正させられていますが)、日本という国が形成されて行っていると思います)。
K スサノオとアマテラスの関係。
スサノオとアマテラスは、記紀神話では、イザナギが単独で生んだ説と、イザナギ・イザナミの2神の共同で生んだ説がありますが、よく分かりません。
民族学的には、スサノオもアマテラスも、共に周王朝と同族の「姫」姓を名乗る呉王の後裔であり同族だと思いますが、アマテラスのほうは呉の滅亡後には馬韓に逃れて本家があった「韓人」の系統の「呉系倭人」だと思いますが、分かりません。
スサノオのほうは呉の滅亡後には半島の北方や東方に逃れて扶余族とか濊族(ワイゾク)と呼ばれた「いわゆる騎馬民族」の系統ではないかと想像しますが、定かではありません。
(注) 上記の「呉王の後裔」については、魏略には、邪馬台国の卑弥呼は『太伯の後』なので呉系倭人の説があり、また別に、『昔、夏后少康の子』とも書かれるので「越系倭人」かも知れません。
また、三国志では、邪馬台国の卑弥呼は『自ら大夫と称す』、『夏后少康の子』と有るので「越系倭人」の説になります。
また、平安時代の日本書記の講書に『この国が姫氏国と呼ばれるのはなぜか』の問いに『周呉の王姓は姫で、日本は姫氏の国と中国は認識している』の記録が有るらしいので、これによれば、日本人は呉王の後裔になりそうです(真偽不明、要確認)。
どちらにしても、呉越の子孫ではないかと、想像します。
★ どう思われますか。
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ62掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ62掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。