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米政権で主導権を握るネオコンはシリアやイランの体制転覆を諦めず、ISの支援を続けて露国と対決
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201601220000/
2016.01.22 17:39:24 櫻井ジャーナル
今でもバラク・オバマ政権で主導権を握っているネオコン/シオニストは「イスラエル第一派」。イスラエルの好戦派と一心同体の関係にある。イスラエルでは1970年代から好戦派が主導権を握り、現在のベンヤミン・ネタニヤフ首相もそうした勢力。シリアやイランの体制転覆を公然と主張している。ネオコンも同じであり、シリアやイランを「ロシアに任せる」ということはない。
イラクに侵攻したトルコ軍はモスルの北に基地を建設しているが、アメリカ軍はシリア領内、トルコとの国境に近い場所に基地を建設、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)への支援の拠点にしている疑いが持たれ、約2000名の援軍もトルコから派遣されているとも伝えられている。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃するとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。1991年の時点で国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたので、その後、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンが増えたことになる。
しかし、アメリカ軍の中枢である統合参謀本部のには、こうした侵略計画に反対する参謀が少なくなかった。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルが2002年3月28日に書いたメモの中で、イギリスのトニー・ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わると書かれていることが明らかにされている。
この時点でブッシュ政権はイラクに対する先制攻撃をはじめるつもりだったようだが、実際にアメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃したのは1年後の2003年3月20日のこと。統合参謀本部の中に戦争を無謀だとする意見が少なくなかったためだという。
実際、イラク攻撃を批判する将軍は少なくない。例えば、2002年10月にラムズフェルド国防長官に抗議して統合参謀本部の作戦部長を辞任して06年4月にタイム誌で「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いたグレグ・ニューボルド中将をはじめ、議会で長官の戦略を批判したエリック・シンセキ陸軍参謀総長、さらにアンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将などだ。
こうした抵抗を封印するため、ブッシュ政権は軍隊の粛清を行い、幹部を好戦派に入れ替えた。信仰の基づく好戦派もいるようだが、多くは戦争ビジネスと関係を結んでいる人たちだと見られている。
しかし、それでも無謀な戦争に反対する軍人はいて、例えばDIA(国防情報局)の長官を務めたマイケル・フリン中将もISの勢力を拡大させた原因はアメリカ政府の決定にあると語り、オバマ政権の責任を明確にしている。フリン中将が長官だった2012年8月、DIAは反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成している。
2011年10月に統合参謀本部議長となったマーチン・デンプシーもISを危険視、ロシアやシリアとも手を組む姿勢を明確にしていたが、今年に入って状況が変化する。戦争に慎重なチャック・ヘーゲルが2月に退任、次の長官になったアシュトン・カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。デンプシーも9月に退任、後任に選ばれたジョセフ・ダンフォードはロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言している。つまり、オバマ政権も戦争に慎重な軍人を粛清、ロシアと戦争を始める姿勢を見せている。こうしたアメリカ側の動きに対するロシア側の解答がシリアにおける空爆の開始だ。
何度も書いているように、ネオコンがアメリカで表舞台に登場してくるのは1970年代のこと。そうした流れを作る上で重要な役割を果たしたのがベトナム戦争と第3次中東戦争だ。
1967年の春、イスラエルはゴラン高原のシリア領へトラクターを入れて土を掘り起こし始め、シリアは威嚇射撃する。次にイスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレート、銃撃戦に発展していった。
こうした状況の中、この年の5月15日にエジプトは緊急事態を宣言、2個師団をシナイ半島へ入れてイスラエルとの国境沿いで防衛態勢をとらせるのだが、その5日後にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道が流れ、エジプトはアカバ湾の封鎖を宣言した。
イスラエルはこの封鎖を「イスラエルに対する侵略行為」と主張するが、親イスラエル派で有名なリンドン・ジョンソン大統領もイスラエルに対し、戦争を自重するように求めている。
そこでイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問した。帰国後、同長官はジョンソン大統領が開戦を承諾、イスラエルの撤兵を求めることもないと説明している。そして6月5日にイスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発、イスラエルが圧勝する。アメリカは6月8日に情報収集戦リバティをイスラエルの沖に派遣するが、そのリバティをイスラエルは攻撃してアメリカ兵34名を殺し、172名を負傷させた。アメリカの艦船だと知っての攻撃だったが、アメリカ政府は誤爆だとするイスラエルの弁明を受け入れ、電子情報機関NSAはこの時の交信を記録した大量のテープを破棄したという。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)
アメリカには宗教国家としての側面があり、自国軍を「神軍」だと信じる人が少なくないようだ。そうしたカルト的な考え方をする人はアメリカ軍がベトナム戦争で苦しむ状況を受け入れられず、不満を募らせていく。そこで注目されたのが第3次中東戦争だ。
この戦争で圧勝したイスラエルに「神の軍隊」を見たアメリカのカルト(キリスト教原理主義者)はシオニストに接近する。そうした中、デタントへ舵を切ったリチャード・ニクソン大統領はウォーターゲート事件で失脚、替わって登場したのは副大統領だったジェラルド・フォードだった。
この政権ではデタント派が粛清されるのだが、その粛清で中心的な役割を果たしたとされているのが大統領首席補佐官だったラムズフェルドや大統領副補佐官だったリチャード・チェイニー。当時、軍備管理軍縮局にいたウォルフォウィッツも粛清で重要な役割を果たしたという。
ラムズフェルドはジェームズ・シュレシンジャーに替わって国防長官に納まる。彼はアンドリュー・マーシャルONA室長やフリッツ・クレーマーの意見に従って動いていたとされている(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” HarperCollins, 2009)のだが、クレーマーは内政より外交を優先、外交の本質は政治的な強さと軍事力であり、外交政策で最も重要なことは超大国のパワー・バランスだと考えて経済面は軽視していた。そして現在、アメリカは経済面から崩壊しつつある。
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