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イスラエルでは首相の側近や国防相もシリアやイランの現政権よりアル・カイダやISを選ぶと明言
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201601210000/
2016.01.21 23:29:19 櫻井ジャーナル
イスラエルのモシェ・ヤーロン国防相は1月19日、INSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議で、イランとISIS(IS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)ならば、ISISを私は選ぶと発言したという。
これまでも、シリアやイランの現体制を倒すためならアル・カイダ系武装集団やISと手を組むという意思をイスラエル政府は隠していない。例えば、2013年9月には駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近だ。
口先だけでなく、イスラエルは実際にアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを支援してきた。例えば、2015年1月18日には、ISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊をイスラエル軍は攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺している。シリアへの空爆をイスラエルは何度も実行している。
イラクの北部を支配しているクルド系の武装集団をイスラエルが支援してきたことは知られているが、そのイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐が2015年10月、ISと行動を共にしていたところを拘束されている。また、シリアでは、反政府軍の幹部と会っていたイスラエルの准将が殺されたという。負傷した反シリア政府軍/ISの兵士をイスラエルは救出、病院へ運んだうえで治療しているとも伝えられている。
アメリカ/NATOがアル・カイダ系武装集団LIFGを利用していることはリビアを侵略してムアンマル・アル・カダフィ体制を破壊した際、明確になった。2011年10月に体制が倒された直後には反カダフィ勢力の拠点だったベンガジの裁判所にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。その直後に戦闘員と武器/兵器はトルコ経由でシリアへ移動、シリアでの戦闘が激しくなる。
アメリカ政府は反シリア政府軍の支援を正当化する口実として「穏健派」なるタグを利用していたが、どのようなタグを付けようと侵略に変わりはない。しかも、その「穏健派」は事実上、存在しないことをアメリカ軍の情報機関DIAが報告している。
2012年8月にDIAが作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると報告した。アル・ヌスラはAQIの別名だという。この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン陸軍中将はAQI/アル・ヌスラやISの勢力拡大をアメリカ政府の決定が原因だと語っている。
ムスリム同胞団はワッハーブ派の強い影響を受け、アル・カイダ系武装集団の主な戦闘員はワッハーブ派。つまり、シリアで体制転覆を目指して侵略した戦闘員の多くはサウジアラビアの国教であるワッハーブ派の信徒たち。こうした戦闘集団の新しいタグがISだ。
アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの同盟関係は1970年代の終盤、アフガニスタンでの秘密工作から続いているのだが、この三国同盟は遅くとも2007年にはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したようだ。2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートがそうした事実を明らかにしている。
イスラエル第一のネオコン/シオニストで中心的な役割を果たしてきたポール・ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年、イラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたという。これは1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークの話だ。この年の1月にアメリカ軍はイラクを攻撃したのだが、その際にジョージ・H・W・ブッシュ(父親)大統領はサダム・フセイン体制を倒さないまま停戦、それに怒ったウォルフォウィッツの発言だった。
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