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爆破事件が起こったインドネシアには米国による破壊活動の歴史があり、声明を出したISは米国産
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201601150000/
2016.01.15 21:19:56 櫻井ジャーナル
1月14日、インドネシアの首都ジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があり、攻撃グループの5名を含む7名が死亡したという。IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)が攻撃を認めているようだ。
このISは傭兵の集まりで、多くの戦闘員はワッハーブ派/サラフ主義者、つまりサウジアラビア王室の強い影響下にある人びと。少し前のデータだが、シリアで戦っている傭兵の41%はサウジアラビア人、19%がリビア人、シリア人は8%にすぎない。そのほかチェチェンなどからも参加、インドネシアからは最近数年間で約700名がシリアへ渡り、ISなどの戦闘集団へ参加していると言われている。
インドネシアではこの手の爆破事件がしばしば引き起こされてきたが、その背景を知るには1965年までさかのぼる必要があるだろう。この年の9月30日に小規模な若手将校グループが6名の将軍を殺害してジャカルタの主要箇所を占拠、その反乱をスハルト将軍を中心とする部隊が制圧、コミュニストと見なされた人びとが虐殺されていく。犠牲になった人数は30万から100万人と推計されている。
1945年にインドネシアが独立を宣言して以来、大統領を務めていたのはスカルノ。この事件当時も大統領はスカルノだったが、アメリカの支配層には敵視されていた。スカルノのほか、インドのネルー、ユーゴスラビアのチトー、エジプトのナセルらの提唱で1961年にユーゴスラビアのベオグラードで「非同盟諸国首脳会議」が開かれ、植民地主義の清算と冷戦への不関与を打ち出したことが大きい。
その当時、アメリカではウォール街の勢力がフランクリン・ルーズベルト時代の植民地に反対する政策を転換させつつあったが、新たな障害としてジョン・F・ケネディ大統領が登場していた。ケネディは植民地主義に反対、巨大企業の活動を制限し、ソ連との平和共存への道を歩もうとしていた。ケネディ大統領は非同盟主義に近い立場だったと言える。
必然的にケネディ大統領や非同盟諸国はアメリカなど西側の巨大資本と対立することになった。本ブログでは何度も紹介しているように、当時、アメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃の準備を進めている。それほど彼らはソ連を憎悪していた。
ケネディ大統領の反対もあってソ連に対する先制核攻撃は実行できなかったが、1963年11月22日にそのケネディ大統領が暗殺される。そして1965年9月30日の事件だ。その後、コミュニストと見なされた30万とも100万人とも言われる人が殺されたわけだが、この事実だけでもコミュニストがクーデターを計画していなかったことを示している。「9月30日事件」は「クーデター未遂」でなく、アメリカの巨大資本やその手先が実行した「クーデター」だったと見るべきだろう。
インドネシアを独立させようとしていたスカルノは1955年の総選挙と57年の地方選挙で勝利、その際にコミュニストも勢力を伸ばした。この選挙ではアメリカがスカルノを中傷するプロパガンダを展開したが無駄で、そしてスカルノ政権は外国資産の国有化を始める。
プロパガンダが機能しなかったため、アメリカ支配層はCIAを使って暴力的に体制を転覆させようとする。1957年から沖縄、フィリピン、台湾、シンガポールなどで戦闘員を訓練、兵站基地も設置した。そして1958年、スカルノが日本を訪問しているときにインドネシアで最初の蜂起が決行される。反乱グループの中心は旧貴族階級と地主で、スマトラ島を拠点としていたインドネシア軍の将校が参加していた。この蜂起は失敗、そして非同盟諸国会議につながる。
それに対し、アメリカ支配層は自分たちの手先を育成していく。例えば、フォード財団は貴族階級出身のインドネシア人をアメリカの大学に留学させて訓練、育成された「近代的エリート」は、後に「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれているようになる。1965年9月30日以降、こうしたグループが反対勢力の殺戮でも中心的な役割を演じるが、その際、イスラム教徒もアメリカ支配層の側についている。インドネシアには、イタリアのグラディオのように、アメリカ支配層が破壊活動のネットワークを張り巡らせている。
クーデターの2年後、息子を連れてインドネシアへ渡ったアメリカ人女性がいた。学生時代に結婚したインドネシア人男性は1966年に帰国、スハルト派について活動したと言われている。その男性と再婚した女性は大学を卒業してから太平洋を渡ったわけである。女性はインドネシアでUSAIDやフォード財団の仕事をする。
本ブログでは何度も書いているように、USAIDはCIAと緊密な関係にある。その女性の名前はアン・ダンハム。オバマ大統領の実母だ。インドネシア人男性は養父ということになる。
こうして築いた支配システムをアメリカの支配層が放棄するとは思えない。今でも生きているだろう。しかも、今回の爆破事件で声明を出したISはアメリカ支配層と深く結びついている。ISはアル・カイダ系武装集団から派生、アル・カイダはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルを意味している。
http://www.theguardian.com/uk/2005/jul/08/july7.development
CIAはソ連軍と戦わせるために戦闘員を育成した。この工作を考えたのはズビグネフ・ブレジンスキー。1979年7月にジミー・カーター大統領はアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認している。当時、ブレジンスキーは大統領補佐官という肩書きだったが、立場はブレジンスキーが上。デイビッド・ロックフェラーとブレジンスキーがカーターに目をつけ、大統領にしたのだ。ブレジンスキーの指示でカーター大統領は動いていた。
この武装勢力に参加していた戦闘員の大半はワッハーブ派/サラフ主義者。軍事訓練と武器/兵器の供給はアメリカが担当、資金を提供していたのはサウジアラビア。イスラエルやパキスタンも協力していた。この構図の一部は「イラン・コントラ事件」という形で1980年代に発覚している。
東南アジアでの破壊活動に中国政府は強く警戒しているだろうが、それだけでなく新疆ウイグル自治区の問題もある。トルコの情報機関MITの手引きで、新疆ウイグル自治区からカンボジアやインドネシアを経由してシリアへ入っているとも言われ、中国の国内で戦闘を始めようと目論んでいる可能性は高い。その黒幕はアメリカの好戦派だ。中国での工作はCIA東京支局から指示が出ていると見られている。
アメリカ好戦派の思惑通り、シリアでバシャール・アル・アサド体制が倒れてワッハーブ派が支配するようになれば、中東/北アフリカの広い地域がリビアのようになり、戦闘員は出身国へ戻り、戦乱は世界へ拡がる。ロシア軍が乗り出した最大の理由はそこにある。ロシア軍の攻撃に耐えられず、逃げ出す場合とは脅威の次元が違う。
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