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アラブの春5周年(上)強権の崩壊は大卒失業者の反乱で始まった〜強権支配で民衆を黙らせることで国が安定する時代が終わった…
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/583.html
投稿者 仁王像 日時 2016 年 2 月 15 日 21:40:25: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

アラブの春5周年(上)強権の崩壊は大卒失業者の反乱で始まった〜強権支配で民衆を黙らせることで国が安定する時代が終わった…/川上泰徳
2016年02月15日(月)
http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/02/post-9_2.php (から抜粋)

民主化への期待から混乱へ
「アラブの春」から5年が経過した。2011年2月11日はエジプトでムバラク大統領の辞任が発表された日であり、1月25日にデモが始まって18日目だった。当時、私は毎日のように広場に通って取材をしていた。…あれから5年たって、中東はとどまることを知らない混乱の中にある。エジプトでもムバラク辞任の後、軍政の下で議会選挙と大統領選挙が実施され、いったんは民政に移行したが、軍のクーデターによって民選大統領は排除された。その後に行われた出直し大統領選挙は、クーデターを指揮した元国防相のシーシ氏が97%を得票する無風選挙となり、さらに昨秋に実施された議会選挙の投票率は28%と低く、議会は翼賛体制となった。若者たちのデモも禁止された。あの若者はいま、何を思うだろう。

「アラブの春」で独裁体制が崩壊したのは、エジプトの他にチュニジア、リビア、イエメンだが、民主化が残っているのは、昨年のノーベル平和賞を受賞したチュニジアだけだ。そのチュニジアでさえ、昨年、外国人観光客を狙った2つの大規模テロがあり、政治の危うさが浮き彫りになった。リビアは選挙で議会が生まれたが、政治が分裂し、内戦を戦った反政府勢力から生まれた民兵の抗争もからみ、国の分裂へと進んでいる。

 最も悲惨な状況に陥っているのは内戦化したシリアで、5年で死者25万人以上、難民は420万人以上という第2次世界大戦後、最悪の事態となっている。さらに、イラクとシリアにまたがる過激派組織「イスラム国(IS)」の出現によって国際的な脅威となっている。

長期の強権体制の矛盾が噴き出す
 チュニジア、エジプトでの平和的デモによって長年続いた強権体制が倒れたことから、「アラブの春」は中東民主化の始まりとして世界の注目を集めたが、いま完全に暗転してしまった。中東の混乱は強権体制が倒れたために起こったと考え、「アラブの春」を否定的に捉える意見が出るのは止むを得ない反応ではある。しかし、私が長年、ニュースの現場から中東を見てきた経験から思うのは、強権支配で民衆を黙らせることで国が安定する時代が終わったという理解を持たなければ、新たな安定を構築することもできないということである。

「アラブの春」の後、中東で半世紀以上続いた独裁体制や強権体制のひずみや矛盾が噴き出した。現在の中東の混乱は、強権支配でたまった膿が一気に出てきた結果であって、「アラブの春」はそのきっかけをつくったにすぎないと私は考えている。さらに現在、中東を覆っている恐怖政治やテロや民兵の暗躍など「アラブの春」の後の混乱も、長期強権体制の暴力性が表面化したものである。中東の安定化の鍵は、社会に回った強権体制の毒を中東の人々がいかにして克服するかであり、国際社会がそのために手助けすることである。


20代の若い社会と深刻な失業問題
「アラブの春」が起こった要因の中で、最も重要なのは若年人口の増加である。2011年のエジプトの人口中央値は24歳だった。人口の半分が24歳以下ということである。中東・北アフリカ地域の人口中央値は22歳である。世界ではサハラ砂漠以南の地域に次いで若い地域である。若年人口が多いということは、豊かな労働力があるというメリットにもなるが、アラブ世界では15歳から24歳までの若年層の失業率は23%と世界の平均よりも10ポイントほど高く、若者の失業が問題化していた。最初に若者たちのデモが起こったチュニジアの若者の失業率は42%だった。

 さらにアラブ世界で特徴的なのは、大卒など高等教育を受けた若者の失業率が軒並み50%を超えていることだ。背景にはアラブ世界での大学の一般化がある。例えば、エジプトのカイロ大学は25万人の学生を抱えるマンモス大学だ。70年代、80年代に大学が急激に一般化し、学生数が増えて、雇用で吸収しきれなくなった。
「アラブの春」は若者の反乱であったが、デモを主導したのは大学生だった。就職し、住宅を取得して、結婚するという人生の一大事を前にする大学生が、失業という最も厳しい試練にさらされていたことになる。

かつて日本も通った道
 ムバラクの辞任を求めて連日タハリール広場に集まっていた若者たちのかなりの割合が、大学生だった。学生たちはツイッターやフェイスブックが使える携帯電話を持ち、あちらこちらで携帯電話のカメラで、写真や動画を発信し、まさに「若者たちの解放区」が生まれていた。
 アラブ世界は父親や祖父の権威や発言権が圧倒的に強い伝統社会である。若者は「シャバーブ」と呼ばれるが、20代、30代だけでなく、40代、50代になってもそう呼ばれ、家族でも社会でも年長者が決定権を持っている。

 このような伝統的な社会構造にあって、自由もなく、就職も困難となれば、携帯やインターネットという革命的な情報ツールを手にした若者たちが社会に不満を持つのは、自然なことにも思える。「若者の反乱」といえば、私は1968年5月に大学制度の改革を求めるパリ大学の学生のデモから警官隊との衝突など混乱が広がった5月革命を思い浮かべる。日本もちょうど学園紛争、大学紛争が広がった時期だ。60年代後半の日本の年齢中央値は27歳から28歳だった。「アラブの春」の社会状況は、かつて日本が通った道でもある。

「アラブの春」についても、さらにその後の中東の混乱を見る場合も、若者人口の増加によって、アラブ世界が「若者の反乱」の時代を迎えているという認識が必要だろう。私は「イスラム国」もまた若者たちの反乱の続きだと考えている。若者問題への対応を抜きにして、混乱の収拾はありえないと考えている。

 

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コメント
 
1. 2016年2月16日 01:00:20 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[271]
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芸術文化
エジプト革命から5年、混迷度増すアラブ世界公開中『禁じられた歌声』『独裁者と小さな孫』が見せるカオスと矛盾
2016.2.16(火) 竹野 敏貴

エジプトの首都カイロ近郊ギザで、爆弾が爆発した現場に立つ人々(2016年1月21日撮影)〔AFPBB News〕
 エジプトで30年近く続いたムバラク政権が崩壊して5年の歳月が過ぎた。
 2010年末、チュニジアで細々と日々の糧を得ていた若者が警官から受けた理不尽な扱いに抗議し焼身自殺したことに端を発し、中東に民主化運動の嵐が吹き荒れた「アラブの春」。
 2011年1月13日、ベン・アリー大統領は国外へ逃亡、4半世紀近い長期政権が思いのほかあっさり崩壊すると、飛び火したエジプトでも、2月13日、ムバラク政権が倒れた。
 8月には、欧米の軍事介入もあり、40年以上に渡り実権を握り続けてきたカダフィ大佐までも失脚、北アフリカ3国から独裁者が消えた。
 変化の波は、サハラ砂漠を越え、非アラブ世界、マリ共和国にも及んだ。しかし、それは、民主化の波ではなかった。
武装組織の非道と人間味
 カダフィ政権崩壊後、国家として体をなさなくなったリビアから流出した武器とともにやってきた武装組織に、2012年、世界遺産都市トンブクトゥなどが占拠されたのである。
 昨年末劇場公開となった『禁じられた歌声』(2014)は、かつて金や塩、奴隷など、キャラバン交易で栄えた「黄金の都」トンブクトゥを舞台に、イスラム過激派が支配し、音楽やスポーツまでも禁じられ、日常生活から自由が失われていく様を映し出す。
 同時に、武装組織の側の人間的な部分も描き出し、人間というものの矛盾が示される。フランスの映画賞セザール賞で7部門を制したこの作品、モーリタニアに生まれ、マリで育ち、ソ連に学び、フランスで活動してきた、多様な文化に触れてきたアブデラマン・シサコ監督ならではの視点が新鮮である。
 そして、2002年初め、日本で公開された『カンダハール』(2001)を思い起こさせる。イランの人気監督モフセン・マフマルバフが描くタリバン政権下のアフガニスタンの描写に、9・11同時多発テロが起きても、イスラム世界について極めて知識が乏しい日本で、多くの人が衝撃を受けたのである。
 2005年、検閲の圧力に抗議、イランを離れ、以後、ロンドンやパリを拠点に活動しているマフマルバフは、昨年12月公開となったその最新作『独裁者と小さな孫』(2014)では、独裁者の側を描いている。
 クーデターで失脚、旅芸人を装い、幼い孫と逃避行を続ける元独裁者が目にするのは、自らの弾圧の結果である貧困。そして、暴徒化する民衆、兵士たち。
 「アラブの春」のさなか、何度も脚本が書きかえられたというその作品は、暴力による変革がさらなる暴力を生み出す様を映し出し、負の連鎖をいかに断ち切るか、問いかける。
 独裁者も人間、その逃亡生活は哀れである。マフマルバフは、過去に様々な国で起きたことを反映させたというが、主人公は、カダフィのようでもあり、サダム・フセインのようにも見える。
 『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』(2012)の主人公も、カダフィを思わせる北アフリカ架空の産油国ワディヤの独裁者。そして、冗談そのものにサシャ・バロン・コーエン演じるそのアラジーン将軍にも、様々な独裁者の姿が重なる。
米国が独裁国家だったら・・・
 核兵器開発疑惑から空爆の通告まで受け、国連での演説のため、アラジーンはニューヨークにやって来る。しかし、拉致され、国連では瓜二つの影武者が「ワディヤは民主主義国家となる」と宣言、5日後、新憲法調印を行うことになってしまう。
 それは、新体制として、石油メジャーに利権を与え、ボロ儲けをたくらむ側近の陰謀。しかし、逆襲に転じたアラジーンが影武者と再び入れ替わり・・・という下品で馬鹿らしいギャグ満載のコメディだ。
 そして、「独裁者の何が悪い?米国が独裁国家だったら、1%で富を独占できる。税金カットし、金持ちはよりリッチに、ギャンブルで負けても救われる。電話の盗聴も捕虜の虐待もできる。特定の人種だけ刑務所にいれてもいい」などと、独裁と民主主義への皮肉に満ちた演説で締めくくられる。
 独裁者と瓜二つ、演説、と来れば、思い出すのは、チャップリンの『独裁者』(1940)。ユダヤ人を迫害する独裁者と意図せず入れ替わってしまったユダヤ人理髪師が、ラスト、人間愛を訴え行う演説は、75年の時を経ても全く色あせない。
 これぞ名画たるゆえん、そして、人類が全く進歩しないからでもある。チャップリンが、自分とほんの数日しか生年月日が違わないヒトラーを思い切り皮肉ったこの作品は、1938年、準備を始め、39年9月、第2次世界大戦開戦の頃、製作開始となった事実を知れば、敬服するしかない。
 同じ1938年、フランスでは、ジャン・ルノワール監督が、『ラ・マルセイエーズ』で、自由を、フランス革命の精神を、高らかに謳い上げている。マルセイユ義勇軍が、のちに国歌となる「ラ・マルセイエーズ」が歌われるなかパリ入城、テュイルリー宮殿で戦い、王政が終る物語である。
 そのフランス革命とて、紆余曲折の道をたどったことは、「ラ・マルセイエーズ」の逸話も登場する『ナポレオン』(1927)が示している。
 このナポレオンの前半生を綴るアベル・ガンス監督の歴史的大作には、ロベスピエールが恐怖政治を行い、ダントンをギロチン送りにし、テルミドールのクーデターで自身も裁かれる姿がある。
 そして、王党派の蜂起を鎮め頭角を現すナポレオンの様が描かれるのだが、その英雄ナポレオンとて、のちに軍事独裁に転じ、民主化にはさらなる年月を要するのだ。
 そんな激しくぶれる歴史は、「アラブの春」後のエジプトと重なるところも少なくない。民主選挙によるムルシ政権が誕生しても、イスラム色が強く、国民は不満。
「離されてもまた会えるさ」
 軍が「事実上のクーデター」を起こし、軍トップ、シーシ国防相が大統領になる、という、目まぐるしい展開に、「自由はどこに?」と失望している者も少なくないだろう。そんな人々には『ラ・マルセイエーズ』のラスト、主人公の言葉がしばしの慰めになるだろうか。
 「かつて自由とは身分違いの女性に恋するようなものだった。だけど今や自分たちの努力で恋人が腕の中にいる。まだ妻じゃないが。完全にモノにするには苦労もあるだろう。でも知り合えたのだから、離されてもまた会えるさ」
 世界には依然強権国家が数多く存在する。革命であれ、クーデターであれ、内戦であれ、空爆であれ、政変や戦闘が起きれば、「異邦人」の多くは、国外へと去る。
 『クーデター』(2015)は、グローバル企業社員として水事業「支援」のため東南アジア某国へと家族を連れ赴任した米国ビジネスマンの物語。
 転職したばかりで、言葉も分からず、国情も知らずにやって来た。ところがクーデターが発生。暴力渦巻くなか、外国人はターゲットとなり、武装集団から狙われることになる。頼みの綱、米国大使館もすでに武装集団の手にあり、船で隣国ベトナムへと逃げ出すことにするが・・・。
 いまどき、そんな無責任な大企業はないかもしれない。そこまで準備を怠るビジネスマンもいないだろう。しかし、そんな旅行者なら、いくらでもいる。そんな者なら、有事には、逃げるだけ。逃げ先があるから、そこに行きさえすれば安心である。
 その一方で、この映画の設定なら発生しているであろう大量の難民の受け入れ先はどこにあるのだろうか。それが、いま、世界を悩ます現実の大問題。
 しかし、すでに限界が見え始め、ドイツで犯罪を犯した外国人を強制送還しやすくする法改正が進められるなど、欧州諸国で難民への姿勢は厳しくなっている。
 主人公の逃亡を助ける謎の英国人は語る。「こんなことになったのも、我々の責任だ。我々大国の、欧米企業のさ。俺のような男が優しい顔してやって来て、インフラ整備など融資を申し出る。だけど、それはとても払えない額。そして、結局、乗っ取るのさ」と。
 そんな男を演じるのが、ジェームズ・ボンド役者ピアース・ブロスナンであるのが配役の妙。
 弱者を軽視し続ける限り、不満は社会に鬱積し、やがて爆発する。我々は、意識せずとも、世界と何らかのつながりをもっている。今や無関係な地域は極めて稀なグローバリゼーションの時代。イスラム国(IS)による国際テロがその事実を端的に表している。
トンブクトゥは砂に覆われている
 革命は一朝一夕には達成できない、やがて訪れる明るい未来のため、と語るのは簡単である。しかし、嵐の中の人々とて、人生は一度きり。
 未来も大切だが、いま苦しむ人々を無視していいことにはならない。そんな時、チャップリンの『独裁者』の演説が心に染みる。
 人類はお互い助け合うべきである。ユダヤ人も黒人も白人も。考えすぎて、鈍感になっている。機械より人間らしさ(ヒューマニティ)が必要だ。賢いことより、優しさと思いやりが大切なのだ。それがなければ、暴力だけが残ってしまう。心には人間愛(love of humanity)が宿っている。憎しみ合うのは愛のない者だけだ・・・。
(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)
(1142)禁じられた歌声
(1143)カンダハール
(1144)独裁者と小さな孫

(1145)ディクテーター
(1146)(チャップリンの)独裁者
(1147)ラ・マルセイエーズ

(1148)ナポレオン
(1149)クーデター

禁じられた歌声
1142.禁じられた歌声 Timbuktu 2014年フランス・モーリタニア映画
(監督)アブデラマン・シサコ
(出演)イブラヒム・アメド・アカ・ピノ、トゥルゥ・キキ
 トンブクトゥ近く。父キダン、母サティマ、牛飼いのイサンと平和に暮らす少女トヤ。
 しかし、街にやって来たイスラム過激派により、シャリアに基づく支配が始まり、音楽、たばこ、サッカーまでもが禁止されてしまう。
 ある日、可愛がっていた一頭の牛が漁師の網に迷い込み、怒った漁師が殺してしまう。抗議にやって来たキダン。しかし、もみ合ううち銃が暴発、逮捕され・・・。
 2015年セザール賞最優秀作品、監督、脚本、音響、撮影、編集、音楽賞受賞作。アカデミー外国語映画賞候補ともなった。
カンダハール
1143.カンダハール 2001年イラン・フランス映画
(監督)モフセン・マフマルバフ
(出演)ニルファー・パズィラ、ハッサン・タンタイ
 カナダ在住のアフガン人女性ナファスは、絶望の淵にある妹から「20世紀最後の皆既日食の日、自殺する」という手紙を受け取り、アフガン南部カンダハールへと向かっている。しかし、女性問題を扱うジャーナリストの彼女には、なかなかビザが下りない。
 3日後に日食を控え、帰国するアフガン難民、神学校を放校された少年、かつてソ連と戦うためやって来たニセ医者の米国黒人などの助けを借り、カンダハールに向かうが・・・。
 9・11同時多発テロ前に製作された作品だが、広く公開されたのはその後。日本でも2002年初め公開となり、タリバン政権下のアフガニスタンの厳しい現実の描写に、大反響があった作品である。
独裁者と小さな孫
1144.独裁者と小さな孫 2014年ジョージア・フランス・英国・ドイツ映画
(監督)モフセン・マフマルバフ
(出演)ミシャ・ゴミアシュウィリ、ダチ・オルウェラシュウィリ
 街の明かりをすべて消すよう電話で命令する大統領。街は暗闇となる。一緒にいる幼い孫は面白がり、同じことをする。
 クーデターが起きた。幼なじみやおもちゃと別れたくない孫は大統領と残った。
 街では民衆が暴徒化、兵士たちも反旗を翻している。
 懸賞金をかけられ、旅芸人を装い逃げる2人。そこで見る光景は、自らが行った弾圧の結果・・・。
 『キャベ』(1996)『キシュ島の物語』(1999)『カンダハール』(2001)などのモフセン・マフマルバフ監督が描く失脚した独裁者の逃亡劇とその末路。「アラブの春」のさなか、何度も脚本は書き換えられたという。
ディクテーター
1145.ディクテーター 身元不明でニューヨーク The dictator 2012年米国映画
(監督)ラリー・チャールズ
(出演)サシャ・バロン・コーエン、ベン・キングズレー、アンナ・ファリス
 北アフリカの産油国ワディヤ。アラジーン将軍は、気に入らないことがあるとすぐ粛清してしまうような独裁者。
 核兵器開発が進められるなか、国連の査察団を拒否してきたが、空爆の通告まで受けてしまう。国連での演説を行うため、ニューヨークにやって来たアラジーン。
 ところが、拉致されてしまい、逃げ出しはしたものの、トレードマークの髭を切られ、アラジーンであることを信じてもらえない。
 一方、国連には影武者が出席、ワディヤは民主主義国家になることを宣言、5日後、新憲法調印式が行われることになり・・・。
 『アリG』(2002)『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(2006)『ブルーノ』(2009)などで知られるサシャ・バロン・コーエンの下品でシニカルなギャグ満載のコメディ。独裁者ばかりか、「自由な民主主義の国」米国の差別、格差なども皮肉っている。
独裁者
1146.(チャップリンの)独裁者 The great dictator 1940年米国映画
(監督・脚本・出演)チャールズ・チャップリン
(出演)ポーレット・ゴダード、ジャック・オーキー
 第1次世界大戦。架空の国トメリアの兵士である主人公は、負傷した士官シュルツを助け、飛行機に乗ったものの墜落。記憶を失い、入院した。
 長い時が過ぎ、トメリアは独裁者ヒンケルが支配、ユダヤ人を迫害する世となっていた。
 病院を抜け出した主人公は、仕事場の理髪店に戻った。しかし、世情を知らない主人公は、突撃隊が窓にペンキで「ユダヤ人」と書いたことに抗議、もみ合いとなり、処刑されそうになるが、通りかかったシュルツに助けられた。突撃隊長になっていたのである。
 ヒンケルはオスタリッチ侵攻を企て、ユダヤ人資本家からカネを借りようと、迫害を緩めた。しかし、出資は不調に終わり、再び迫害を強める命令に異を唱えたシュルツは収容所送りとなった。
 収容所を逃げ出したシュルツは、ユダヤ人街に逃げ込み、ヒンケル体制転覆を計画。しかし、主人公ともども収容所行きとなってしまう。
 軍服を着て逃げ出す2人。しかし、主人公はヒンケルそっくりで・・・。
 チャップリン初の完全トーキー。三国同盟を結んでいた日本では、1960年になってようやく公開された。
ラ・マルセイエーズ
1147.ラ・マルセイエーズ La Marseillaise 1938年フランス映画
(監督)ジャン・ルノワール
(出演)リーズ・ドラマール、ピエール・ルノワール、ルイ・ジューヴェ
(音楽)ジョゼフ・コスマ
 1789年.ルイ16世に「革命」が起きたことが告げられる。あわてた素振りは見られない。
 1792年.マルセイユで500人の義勇兵を募り、パリを経由して北部の国境地帯に向かうことになり、議論が繰り広げられている。義勇兵はパリで「革命の敵」を一掃してから、プロシアと戦うことになった。
 「ラ・マルセイエーズ」の歌に包まれパリに入る義勇兵たち。テュイルリー宮殿での戦いが始まった・・・。
 『どん底』(1936)『ゲームの規則』(1939)などの名匠ジャン・ルノワールが民衆と王室両サイドから描くフランス革命。日本での劇場初公開は1994年。
ナポレオン
1148.ナポレオン Napoleon 1927年フランス映画
(監督・出演)アベル・ガンス
(出演)アルベール・デュードネ、ジナ・マネス
 フランス映画サイレント期の巨匠アベル・ガンス監督による『戦争と平和』(1919)『鉄路の白薔薇』(1923)などと並ぶ映画史上の名作。
 「トリプル・エクラン」と呼ばれる3台の映写機を使った大画面で描くナポレオンの前半生とフランス革命の物語である。様々なバージョンが存在、日本でも、1982年、フランシス・フォード・コッポラ版が公開されている。
クーデター
1149.クーデター No Escape 2015年米国映画
(監督)ジョン・エリック・ドゥードル
(出演)オーウェン・ウィルソン、ピアース・ブロスナン
 東南アジア某国。水事業「支援」を決め、米国企業カーディフ社重役と祝杯を上げる首相。しかし、直後、武装集団に殺害されてしまう。
 17時間前。家族とともに米国からの便に乗っている主人公ジャック。カーディフ社による水道支援業務で赴任するのだ。
 空港には、来ているはずの迎えはなく、機中、知り合いとなった英国人ハモンドにホテルまで送ってもらった。外国人が利用するそのホテルで、テレビも映らぬ状況に、感情を爆発させる妻。
 翌朝、ジャックは散歩がてら新聞を買いに街に出た。しかし、デモ隊と警官隊が衝突、暴動へと発展する場に遭遇。ようやくホテルに戻ったものの、そこにも暴徒はやって来た。反政府勢力が外国人もターゲットとしているのである。
 家族を守り、国外へと逃れるための戦いが始まった・・・。
 言葉も分からぬ異国に赴任したばかりの米国人ビジネスマン一家をめぐるサスペンス・アクション劇。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46055

実は似ていた「生物の進化」と「文化の進化」
HONZ特選本『文化進化論 ダーウィン進化論は文化を説明できるか』
2016.2.16(火) HONZ
本当に読むに値する「おすすめ本」を紹介する書評サイト「HONZ」から選りすぐりの記事をお届けします。
米国オハイオ州にある中期ウッドランド期ホープウェル文化の大遺跡のひとつ、マウンドシティ遺跡(資料写真、出所:Wikipedia)
(文:村上 浩)
文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか
作者:アレックス・メスーディ 翻訳:野中 香方子
出版社:エヌティティ出版
発売日:2016-02-08
 ダーウィン進化論は、信じられないほど少ない仮定で、驚くほど多くのことを説明してしまう。なにしろ、100万種以上といわれるほど多様で、かつその1つ1つが複雑な機能を備えている生命が、どのように実現されているかを誰もが理解できるように示してみせたのだから、驚異という他ない。
 またダーウィン進化論は、DNAがどのように遺伝情報を継承しているかというミクロな視点から、種が集団としてどのように発展するかというマクロな世界までを考えるための共通土台を提供することで、あらゆるレベルでの生物への理解を深めるために欠かせない存在となっている。
 それでは、進化の果てに生み出されたヒトが作り出す文化について、我々はどれほど理解しているだろう。
 文化がどのように生まれ、伝達され、発展もしくは衰退するのか、そしてその過程に何らかの法則性があるのか、共通の理解は得られていない。
本コラムはHONZの提供記事です
 さらに、文化を解き明かそうとする様々なレベルの社会科学的試み、ヒトの脳内での情報処理過程を明らかにしようとする脳神経科学から、集団生活を送る人々の振る舞いを探求する民俗学、より大きな視点から経時的変遷を記述しようとする歴史学まで、をまとめあげる枠組みも持ち合わせていない。
 文化理解において、わたしたちはまだダーウィン以前の段階にいるのだろうか。
ダーウィン進化論のレンズで文化をのぞきみると
 本書『文化進化論 ダーウィン進化論は文化を説明できるか』(エヌティティ出版)は、生物と同様に多様で複雑な文化をダーウィン進化論の枠組みで説明し、社会科学統合の足がかりにしようという挑戦的な一冊である。
 文化進化と生物進化が類似しているという主張は、ダーウィンが進化論を発表した直後から行われていたが、より具体的な科学の成果が21世紀に入ってから急速に増えているという。
 ダーウィン進化論のレンズで文化をのぞきみれば、文字による歴史を残していない狩猟採集民がどのような情報伝達経路で矢尻のデザインを洗練させていったか、婚資制度(結婚を望む男性が、相手の女性に金品や財産を送る)と持参制度(花嫁の家族が新婚夫婦に金品や財産を贈る)がどのように変遷するか、文化の変化が加速するのはどのようなときかまでもが定量的に検証可能となるのだ。
 2011年に出版された『Cultural Evolution』の翻訳である本書には、原著者による日本語版序文と竹澤正哲・北海道大学大学院文学研究科准教授による解説が付されている。この解説では、一歩引いた視点からの文化進化論の学術的位置づけ、原著出版以降の最新研究成果、本書以外の文化進化論のあり方などが簡潔にまとめられており、本文にとりかかる前に一読しておくと本書の内容がより深くできるはずだ。訳文も読みやすく、原著よりもお得な一冊といえるだろう。
3つの基本要素「変異、生存競争、継承」
 本書における文化は、「模倣、教育、言語といった社会的な伝達機構を介して他者から習得する情報」として定義される。ここでポイントとなるのは、行動は文化から区別され、情報も“社会的な伝達機構を介した”ものに限定されていることだ。
 例えば、飲酒習慣の違いを考えるとその区分の重要性が理解できる。宗教による飲酒に対する忌避は文化的なものと考えられるが、個人的経験や嗜好からお酒を飲まないことや、体質的にアルコールを受け付けないことは文化とは関係がない。つまり、行動の違いの全てが文化によるものではなく、個人的学習による情報や遺伝情報は文化的情報とは区別されるべきだということである。
 文化進化と生物進化はどの程度似ており、同じ手法で説明ができるだろうか。ダーウィン進化論の基本的な考え方では、生物の変化は変異、生存競争、継承という3つの基本要素から説明できる。著者は、言語の多様性や土器文様の変遷などを例に取りながら、文化の変化がこれら3つの要件を満たしていることを示していく。さらに、この3要素以外にも文化には適応・不適応や収斂という生物との類似性が証拠として提出されていく。
 もちろん、本書の目的は知的パズルのように文化と進化の類似性をこれでもかと挙げていくことではない。著者の目的は、あくまでも進化論の枠組みを活用することで、文化進化を理解することである。
文化の進化でも起きていた「遺伝的浮動」
 自然選択が働かず、無作為なプロセスから小さな集団で進化的変化が生じる「遺伝的浮動」という生物進化の概念も、文化を読み解く有用な鍵となる。
 考古学者フレイザー・ニーマンは、考古学者が対象とする物(例えば陶器の模様)は浮動の影響を受けるはずだと考えた。ニーマンがそう考えたのは、模様のような人工物は機能的役割がないので自然選択が働かず、先史時代の集団サイズが小さくサンプリング誤差の影響を受けやすいためである。
 変化を支えるプロセスにおいて浮動が唯一の存在となるときには、遺伝的バリエーションは徐々に減少し、浮動は集団が小さいほど速く進むことなどが知られている。そのため、人工物の変化に浮動が働いていると考えると、以下のような予測をすることが可能となる。集団の有効個体が多いほど文化のバリエーションは豊かになる、集団間の伝達が多くなれば集団内の多様性は増し集団間の多様性は低くなる、集団間の伝達が減れば集団内は均質に向かい集団間は多様性が増す。つまり、集団内多様性と集団間多様性は反比例の関係にあるという予測ができるのである。
 ニーマンは、ウッドランド期(紀元前200年〜西暦800頃)の陶器装飾の実データを用いてこの予測の検証を行った。果たして、遺跡内の多様性と遺跡間の多様性には反比例の関係が確認された。
 さらに、ウッドランド期の中でも前期、後期で集団間多様性が高く、中期では低くなることが分かった。この結果は、前期・後期では集団間の交流が少なく、中期には盛んであったことを示唆している。
 この集団間交流の増減は、考古学者が従来前提としていた「時代とともに集団交流が増していくウッドランド」という仮定が誤りであったことを突きつけている。ダーウィン進化論に基づいた文化進化の考え方は、このように文化の新たな姿を定量的に示す力を秘めているのだ。
挑戦は始まったばかり
 ここで紹介したエピソード以外にも、言語がヒトの認知能力に適合した構造に進化していく可能性を示した実験(これはチョムスキーの「言語習得の生得仮説」を否定する材料となるかもしれない)や、狩猟採集社会から脱工業社会へ変化していくに従って情報が縦の伝達(生物学上の親からの伝達)から横の伝達(同世代の他人からの伝達)へ移行していくことなど、読み飛ばせないエピソードが山盛りだ。
 ただし、著者も最後に「今後取り組むべき課題は非常に多い」というように、定量的に系統立てて文化をダーウィン進化論の切り口で読み解く挑戦は始まったばかりであり、本書の内容も今後大幅にアップデートされていくだろう。
 それでも、本書が文化とは何か、情報はどのように伝達されていくかを考える新しい視点を与えてくれることは間違いない。


分子からみた生物進化 DNAが明かす生物の歴史 (ブルーバックス)
作者:宮田 隆
出版社:講談社
発売日:2014-01-21

 木村資生による分子進化の中立説をしっかりと説明してくれる。数式もガンガン登場するが、じっくりしっかりと本文を追っていけば、面白くて途中でやめられなくなるはず。

知のトップランナー149人の美しいセオリー
作者:リチャード・ドーキンス 翻訳:長谷川 眞理子
出版社:青土社
発売日:2014-11-21

「あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明は何ですか?」という質問に世界中の知のトップランナー149人が回答していく。最も多かった解答はやはりダーウィンの進化論であるが、その他にも多くの美しいセオリーがたくさん登場する。レビューはこちら。

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養
作者:エリン・メイヤー 翻訳:樋口武志
出版社:英治出版
発売日:2015-08-22

 グローバル化が進む現代において、ビジネスの場面で異文化の壁を感じる人も多いはずだ。この本は、様々ん文化のバックグランドを持つ人々がどのように考え、感じるかをまとめ、異文化への対処法をも教えてくれる。佐藤瑛人のレビューはこちら。

好奇心の赴くままに ドーキンス自伝I: 私が科学者になるまで
作者:リチャード ドーキンス 翻訳:垂水 雄二
出版社:早川書房
発売日:2014-05-23
 ミームの概念を提唱し、『利己的な遺伝子』で世界中を熱狂させたドーキンスの自伝。邦題の通り、好奇心のママ自分の道を突き進むドーキンスの人生に触れるだけでも、元気が出てくる。出口会長のレビューはこちら。

村上 浩
1982年広島県府中市生まれ。京都大学大学院工学研究科を修了後、大手印刷会社、コンサルティングファームを経て、現在は外資系素材メーカーに勤務。学生時代から科学読み物には目がないが、HONZ参加以来読書ジャンルは際限なく拡大中。米国HONZ、もしくはシアトルHONZの設立が今後の目標。
◎こちらもおススメ!
・『その<脳科学>にご用心 脳画像で心はわかるのか』
・祝!ノーベル医学生理学賞『大村智 - 2億人を病魔から守った化学者』
・『銀行王 安田善次郎』 国家予算レベルで稼いだ男
・『裁判百年史ものがたり』 日本をつくった12の事件
・『ツイッター創業物語』 世界をつないだツイッターは、創業者たちの友情を引き裂いた
◎本稿は、“読みたい本が、きっと見つかる!”書評サイト「HONZ」の提供記事です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46067 


2. 2016年2月17日 01:49:00 : nLrZHLpfq6 : OFKwzGrOiYI[5]
CIAが糸を引いていたことをみんなわかってるよ。
こんなお花畑な分析を誰が信じるものかWWWW。

3. 2016年2月18日 01:01:02 : G9pRncd5P6 : kNLawzAmjgA[364]
そういえば、あの当時からこんな意見もあった。

報道写真家から(2) 「民主化」される中東のゆくえ 1 2011年02月25日
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/b56982c49f5b0a0601b6125ee62ebef0

(一部転載)

できすぎた展開

 今回の出来事の発端は、チュニジアでの一人の若者(Mohammed Bouazizi)の焼身自殺だとされている。しかし、抗議の焼身自殺がこれまでイスラム社会でなかったわけではない。それが今回だけ、大統領を逃走させるほどの暴動に発展したというのは少し不自然ではないだろうか。そんな先例はどこの社会でも聞いたことがない。

 メディアも、たった一人の焼身自殺によって、大規模な暴動が発生し、大統領を逃走させ、それが他国にまで波及したということを信じているとは思えない。そんな話は荒唐無稽というしかない。しかし、そういうことになっているので、メディアはそのように報道しなければならない。メディアは、不自然さが露にならないよう工夫しながら報道している。メディアの腕の見せ所であり、メディアとはそのためにこそ存在する、操作のプロフェッショナルなのだ。作為のある出来事もメディアの手にかかれば、違和感のないごく自然な出来事という印象を与える。

 メディアはこう解説する。イスラム教では自殺を禁じている。また、体は来世のために必要なので火葬を行なってはならないとされている。このようなイスラム世界で、自らの体を焼いて死ぬというのは、極めて異例な行為だ。厳格な戒律を、いわば二重に破ってまで自らの体に火を放ち、政府に抗議した青年の激しい思いに、イスラムの人々は強い衝撃を受け、事態を重く受け止め、そして、腐敗した独裁政府への抗議に立ち上がったのだ、と。まるで、風が吹けば桶屋が儲かる式の説明だ。結局これは何も説明していない。

 青年の焼身自殺、暴動、そして大統領の逃走、この三つの出来事の空隙を、それらしい積み木細工で埋め、スムースな流れを作っただけだ。

 しかし、メディアの手にかかると、単なる積み木細工にも臨場感と信憑性が添加される。もともと世界中の人びとは、心の中にこうしたファンタジーを受け入れる体勢が準備されている。一人の若者の絶望的な憤死が、人びとの心を動かし、ついには独裁者を打倒したのだ、という展開は、世界中の誰もが好む黄金のスーパー・ファンタジーなのだ。

 今回の事態が偶発的な出来事だと考えるには無理がありすぎる。報道を順番に並べてみると、いかにも自然な流れのように見える。しかし、あまりにも自然すぎる。役者がきちんと配置され、展開にまったく無駄がない。無駄がなさすぎる。

 チュニジアのベンアリ大統領はBouaziziの死亡後、たった10日後に国を逃亡した。エジプトのムバラク大統領はもう少しがんばって、暴動発生から18日後に辞任した。あまりにも展開がスムースかつコンパクトにまとまりすぎている。彼らは、23年、あるいは30年も独裁体制を維持してきたのだ。それがたった10日や18日で、ほとんど抵抗らしい抵抗もせず自ら退いたのだ。暴動以外の要素がなければ、こんなすばやい決断はできない。

フェイスブック、ツイッターは隠れ蓑

 この出来事の重要な配役に、フェイスブックやツイッターがある。これらが本当に何らかの役割を果たしたと証明するものは何も提示されていない。メディアがそう主張しているだけだ。もちろん、何らかの痕跡はいたるところにあるだろう。しかし、それらが実際に効果を発揮したという証明にはならない。フェイスブックやツイッターが歴史を変えた、とメディアが盛んに喧伝すれば、人びとは簡単に信じてしまう。こうしたツールには、もともとそうした幻想を抱かせるものがある。これも人びとが受け入れやすいファンタジーの一つだ。

 ブログが世界中で流行したとき、ブログが世界を変えると盛んに吹聴された。ブログが既存メディアの脅威になるとか、あるいは駆逐するという論評さえたくさんあった。しかし、いま、そんな与太話を信じる者はいない。ブログやフェイスブック、ツイッターなどが登場すると、決まって過剰な評価がなされる。しかし、実際は、ささやかな意見表明や友人間の交流、ビジネスの販促やクレーム処理に一定の効果があるという程度のツールにすぎない。

 今回の中東「民主化」運動の原動力となったのがフェイスブックやツイッターだとしたら、こうしたツールの先進的利用国で何も起こらないのはいったいなぜだ。チュニジアやエジプトが欧米よりもSNSの活用先進国だとは思えない。そもそもこうした国では、一家に一台パソコンがあるわけではない。たいていの人はネットカフェまで出かけなければならない。家庭のパソコンなら一日に何十回でもネットにアクセスできるが、ネットカフェに一日何十回も通う者などいない。

 ただ、途上国でも携帯電話の普及率は高い。しかし、ネット接続できる機種の普及率となるとあやしい。貧困層が購入する主要機種はノキア製のNokia1100だ。これは途上国を中心に2億5000万台も使用されている驚異のベストセラー機で、携帯電話のAK-47と評されたりしている。安くて丈夫で長持ち。この機種の機能はいたってシンプルで、通話とテキスト送信のみだ。いったいどれだけの人が携帯電話でフェイスブックやツイッターにアクセスしたのか、大いに疑問だ。

 メディアは、長期独裁政権を短期間で崩壊させるほどの群集を、瞬く間に結集させた手柄を、フェイスブックやツイッターに担わせようとしているだけなのだ。それは、群集が結集した本当の要因を覆い隠したいからだ。

 先例に学ぶならば、大規模な動員を短期間で可能にするのは軍隊だけだ。エジプト軍の総兵力は45万だ。蜂起の最中、エジプト軍は群集に発砲していない。軍が群集に味方したように見えるが、軍が群集を動員したのなら発砲するわけがない。軍隊が群集を守っているように見せれば、誰もが安心して群集に参加する。軍は最初の数万人程度を自前で動員すれば、あとは群集がさらなる群集を呼ぶ。もし、軍が群集を集めたとなれば、それはただのクーデターということになる。それでは世界は納得しない。大群衆を動員した主体を隠すために持ち出されたのが、フェイスブックやツイッターだ。

 政府に抗議する人びとはフェイスブックやツイッターを存分に活用し、広範に街頭参加を呼びかけ、多くの人びとがその声に呼応し、瞬く間に抗議の輪が広がった、という筋立てはとても分かりやすく、受け入れやすい。そして、軍部は民衆の運動を静かに見守り続けた、という設定にすれば、クーデターと違って、どこからも文句のでない美しいファンタジーが完成する。

(以下略)



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