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「沖縄 戦後76年 今なお直面する課題」(時論公論)/田中泰臣・nhk
2021年08月11日 (水)
田中 泰臣 解説委員
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/453095.html
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太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ激しい地上戦で、20万人以上が亡くなった沖縄戦から今年で76年。基地と遺骨の問題を取り上げ、沖縄が今も直面している課題について考えます。
《沖縄の基地負担その象徴は》
戦後も27年間にわたりアメリカの施政下にあった沖縄。そのため戦後、本土にあるアメリカ軍基地の整理・縮小が戦後進む一方で、その多くが維持され、それが今も過重な負担が解消されない1つの要因となっています。
その象徴とも言えるのが、市街地の中心部にある普天間基地です。25年前、日米両政府は返還に合意したものの、名護市辺野古への移設を進める政府と、阻止を目指す沖縄県との対立は長期化し、解決の糸口さえ見出せなくなっています。
《今度はサンゴで対立》
今、移設の問題で新たな対立点となっているのが、埋め立て予定海域のサンゴの移植をめぐるものです。防衛省は、移設を進めるためサンゴを移植したい、沖縄県はサンゴの保護のため移植は認められないという立場です。
それでも沖縄県は、この問題をめぐる裁判で敗訴が確定したことを受けて、先月28日、水温が高い時期は避けるなどの条件付きで移植を認めました。これを受けて、防衛省は翌日、移植作業を開始しますが、県は条件を守っていないとして中止を求めます。しかし防衛省は守っていると応じず、県はわずか2日で許可を撤回しました。その後も対抗策の応酬は続き、防衛省は先週、移植を再開しました。そこに「話し合い」や「妥協」というものは見えません。政府と沖縄県の対立は、7年前に移設反対を掲げた翁長氏が知事に就任して以降続いていて、時の経過とともに解決に向けた「対話」はなくなっていっているように見えます。海域で見つかった軟弱地盤の問題でも対立を深めていて、双方目指しているはずの普天間基地の返還は見通せない状況に陥っています。
《移設問題が遺骨問題に》
この移設問題をめぐり、沖縄県民が政府への不信感を募らせる問題も持ち上がっています。それは埋め立ての土砂に、沖縄戦最後の激戦地である、沖縄本島南部のものが使われる可能性が出てきたためです。遺骨収集を続けるボランティアが、遺骨が眠る地域の土砂を埋め立てに使うべきではないと訴え、3万人を超える署名が集まったほか、県議会や市町村議会では、遺骨を含む可能性のある土砂を使用しないよう求める意見書が相次いで可決されました。
《なぜ南部の土砂を》
ではなぜ、南部の土砂を使う可能性が出てきたのでしょうか。
辺野古沖で土砂の投入が始まったのは3年前。この土砂の調達先の候補について、防衛省は去年4月、沖縄県に今の計画を変更する申請をしました。左側は今のもの、右側が新しく提出されたものです。新しい計画では、九州も増えていますが、沖縄本島南部の糸満市などが新たに加わり県内が増えているのが分かります。これについて防衛省の担当者は、「最初に調達先の候補を調査した時から10年ほど経過したので、改めて調査を行ったまでで、実際にどこで調達するかは決まっていない」と話しています。ただ沖縄県議会では6年前、移設に反対する共産党や社民党などが、特定外来生物の侵入を防ぐためとして県外から土砂を持ち込むのを、県が規制できる条例を制定しました。防衛省は、「条例とは関係ない」としていますが、沖縄県内での調達の可能性を広げる狙いがあるのではという見方もあります。
《沖縄の人にとって本島南部は》
その南部にどのぐらいの遺骨が眠っているのでしょうか。
県は、まだ沖縄で2800人あまりの遺骨が見つかっていないとしています。このうち南部にどのぐらい眠っているのかは分かりませんが、糸満市では、一昨年度、県内で最も多い37人の遺骨が収集されています。
沖縄戦でアメリカ軍が本島中部の西海岸に上陸したのは1945年の4月1日。アメリカ軍は、日本軍が地下に司令部を置いていた首里を目指して南下。激しい攻撃を受けて5月末、首里は陥落し日本軍は南部に撤退します。本島最南端の糸満には日本兵や逃げてきた住民が集中し、6月、アメリカ軍の激しい攻撃にさらされました。最後の激戦地です。その糸満市摩文仁に平和祈念公園がつくられ、毎年、追悼式が行われているのです。沖縄本島南部がいかに沖縄県民にとって忘れえない場所となっていて、多くの遺骨が眠っている可能性があることが分かると思います。政府が、県民の懸念を踏まえてどう判断するか注目したいと思います。
《身元特定の難しさ》
その戦没者の遺骨をめぐっては、身元の特定にあたり、沖縄特有の難しい課題があり、また時間との戦いにもなっています。
厚生労働省は、国内外の戦地で収集された遺骨をもとに、20年近く前から遺族から申請を受けてDNA鑑定を行い身元の特定に取り組んでいます。ただ、これまで沖縄で特定できたのはわずか6人です。終戦直後、シベリアなどに抑留された旧ソビエト地域が1200人近くなのと比べるといかに少ないかが分かります。その要因について鑑定にあたっている専門家は、沖縄など高温多湿の所で収集された遺骨は他の地域に比べDNAが劣化していて、十分な遺伝子情報を得ることができないケースが多いと言います。また厚生労働省は、沖縄では、遺骨の収集が早くから進み、すでに焼骨され鑑定できないものが多いとしています。そして鑑定できるとしても、沖縄では、かつて自然洞窟を墓として利用する風習があったため、鑑定の前に戦没者の遺骨かどうかを確認する年代の測定も行っていて、ほかの地域より時間がかかるとしています。
《時間との戦い》
沖縄で6人目となる身元の特定につながったケースを紹介します。遺骨を収集したのは、毎年、沖縄で活動をしている青森県の浜田哲二さんのボランティアグループです。おととし、交流があった日本軍の部隊長だった男性の証言などをもとに、糸満市の壕で、大腿骨に砲弾の破片が突き刺さっている遺骨を見つけました。浜田さんらは、部隊の記録などをもとに所属兵士の遺族を捜しては訪ね、DNA鑑定の申請をするよう働きかけ、北海道や長野県などに住む8組の遺族が申請をしました。そのうちの1人が提供した検体と一致したのです。遺骨は、北海道出身の元日本兵、金岩外吉さん。沖縄戦当時21歳でした。
遺骨は今年4月、北海道の遺族のもとに返還されました。浜田さんによると、DNAが一致したのは、90歳を超える金岩さんの妹でした。検体を提供する遺族の血縁関係が遠くなればなるほど判定は難しくなると言います。まさに時間との戦いと言えます。
《呼びかけは届いているか》
鑑定を行うには、遺族が申請をしなければなりませんが、その呼びかけが届いていないという指摘もあります。
浜田さんによると今回申請をした8組の遺族のほとんどは、厚生労働省の取り組みを知らなかったと言います。厚生労働省は、新聞広告や遺族の団体を通じて申請を呼びかけていますが、遺族の高齢化とともに、呼びかけは、届きにくくなっていると見られます。政府には、一刻も早く身元の特定ができるよう、広報のあり方、そして体制を強化していくことが求められると思います。
(おわりに)
遺骨の問題を見ても、沖縄戦の戦没者には本土の兵士も数多くいて、決してこれが沖縄だけの問題ではないことが分かります。また日本が置かれている今の厳しい安全保障環境の中で、沖縄が過重な基地負担を背負っていることを考えても、決してそれは政府と沖縄県だけの問題ではないと思います。
沖縄が本土に復帰してから来年で50年となります。それでも今なお直面している重い課題があることを、私たちは日本全体の問題としてとらえ、しっかりと考えていく必要があるのではないでしょうか。
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