http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/388.html
Tweet |
言葉が作る概念の覆い隠し
http://okaiken.blog.ocn.ne.jp/060607/2014/08/post_74d2.html
2014/08/03 そりゃおかしいゼ
イスラエルの空爆や圧倒的な戦力で、パレスチナの人たちを殺傷する行為は決して許すことができない。このユダヤ人の蛮行を支援するか容認するためのこととして、イスラム原理主義ハマスと必ず、”原理主義”を冠している。
日本のマスコミ報道の特徴であるが、ハマスは原理主義でイスラエルは、”シオニズム原理主義者”と表現することはない。統率されている実態を見ると、イスラエル側の方が原理主義者に近い。それに比べて、金もなく組織として動くには、いささか問題があるハマスと呼ばれる抵抗者は、反イスラエルと呼ぶ方が相応しい。
彼らを、テロリストと呼び、原理主義者と冠することで、乱暴狼藉を働く集団の印象を与え、イスラエルの1400人を超える殺人行為が緩和される。
このような言い回しによる実態隠しは、安倍政権がお得意とするところである。
典型的なのが、武器輸出三原則の撤廃である。「防衛装備品の海外転出」と言い換えたのである。防衛装備品と呼ぶことになった武器、はまるで利益を生じないかの呼び方、”転出”で輸出のお仕事がいっぱいできるようになった。
兵器を持たず行使しない平和国家を標榜してきた日本の、大きな転換である。
集団的自衛権の容認もそうである。世界はこの100年間、あらゆる戦闘行為を、他国からの自衛と呼んできた。例外が見当たらない。自衛の理由がなければ、偽造するのである。
自衛の実態は戦争理由でしかない。戦闘相手国も同じである。平たく言えば、「あいつが悪い」論である。協調や話し合いなどとは無縁の、力の論理である。
これだけ毎日に様に報道されるようになって、集団的自衛権とい言葉に違和感が薄れてきている。単独にこの言葉を見て理解するには時間がかかる。特に集団的の意味も内容も定かではない。
そのために安倍政権は頻繁に、「抑止力」言う言葉を使うのである。まるで雨が降った時にさす傘のような概念を持つ言葉である。
抑止力の実態は、仮想敵国を上回る戦力を持つことになる。仮想敵国も、抑止力を高めなければならないから、軍事拡大になるだけである。
集団的自衛権という言葉の実態は、日本の軍事化である。集団的自衛権の容認の実態は、解釈を変えるということではなく、憲法を政府が無視するということである。
平たく言えば、国の最高権力機関が、法治国家の最高規範を侵すというのである。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK169掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。