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[地球回覧]日系米国人の苦難に光
強制収容の歴史教訓に
米西部ワイオミング州。日本人旅行者にも人気が高いイエローストン国立公園から東へ約100キロの場所に、窓が割れ、外壁がはがれ落ちた1群の廃虚がある。「ハートマウンテン転住センター」。第2次世界大戦中に1万人以上の日系米国人が送り込まれた強制収容所の跡地だ。
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12月上旬、現地を訪ねると、かつて500棟近いバラックが立ち並んでいた平原には雪が舞っていた。近くにそびえるハートマウンテン(標高2476メートル)から吹き下ろす風が冷たく肌を突き刺す。
72年前、行き先も告げられずに列車に乗せられ、3日以上かけて連れてこられた日系人の多くは温暖なカリフォルニア州の住民だった。「持てるだけ」しか携行を許されなかった手荷物の中に、氷点下20度まで下がる冬の寒さをしのぐコートはなかった。
「安全保障の脅威になる」という口実のもと、太平洋沿岸部からハートマウンテンを含む全米11カ所の強制収容所に連行された日系人は12万人あまり。大半は米国で生まれ、市民権を持ちながらも、戦争によって「敵」と色分けされた二世たちだった。
「何人も正当な法の手続きによらないで、生命、自由または財産を奪われることはない」。跡地に11年にオープンした資料館の入り口には、合衆国憲法修正5条が大きく刻まれている。88年8月、レーガン大統領は日系人強制収容の過ちを認め、米政府として初めて公式に謝罪。生存者に補償するとともに、強制収容の歴史を学校で教えるための基金も設立した。
だが、現実には強制収容の歴史を知る米国人は「驚くほど少ない」と、資料館を運営するハートマウンテン・ワイオミング財団のシャーリー・ヒグチ理事長は嘆く。多くの学校は米国史の暗部にあえて触れず、ヒグチ氏の両親を含む収容者自身も、つらい過去を封印し、多くを語ってこなかったためだという。
01年9月11日の米同時テロでは、国際テロ組織アルカイダに対する憎悪が米国内のイスラム系住民に向けられ、最近もミズーリ州で丸腰の黒人青年が白人警官に射殺された。人種間の不信に根ざした悲劇は後を絶たない。
そんな中、「日系人」というだけで住み慣れた土地を追われ、自由を奪われた強制収容の歴史に光を当て、そこから学ぼうという草の根の取り組みが広がっている。
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11月22日、カリフォルニア州サンノゼ市で、ドキュメンタリー映画「ハートマウンテンの遺産」の上映会が開かれた。「テレビ界のアカデミー賞」と呼ばれる米エミー賞を今年受賞した同作品は、収容者とその親族の証言などを基に、収容所での生活や終戦後に待ち受けていた人種差別の実態を記録。厳しい環境の中でも尊厳を失わず、ひた向きに生きた人々の様子を鮮やかに描写している。
「人種に基づいて人を判断し、差別するのは正しいことだという考え方は今も根強い。残念だが、それがこの国の現実だ」。プロデューサーの一人で、自らも日系人のデイビッド・オノ氏はいう。「だからこそ、この史実をもっと広めなければならない」
戦後70年の節目となる来年2月19日には、首都ワシントンで上映会を開く。2月19日は日系人強制収容への道を開いた大統領令に、ルーズベルト大統領が署名した日でもある。「米国人はもちろん、日本の人々にも強制収容の歴史を知ってほしい。日本にとっても縁のない話ではないのだから」。ヒグチ氏の言葉が、ドスンと腹に響いた。
(シリコンバレー=小川義也)
[日経新聞12月21日朝刊P.13]
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