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(回答先: 「武道的」ということ〜武道の目的は、端的に「生き延びる」こと/内田樹 投稿者 仁王像 日時 2018 年 3 月 13 日 20:00:44)
葉隠の三島由紀夫解釈は違うようです。
勝部真長「勝海舟」から
≪田横海島五百人の倫≫
・『葉隠』なども、佐賀鍋島という藩の内部での「なかまの掟」であって、「田横海島五百人の倫」※であることにかわりはない。武士道というものは、具体的には、そういう狭い仲間意識たることを免れないので、これを解放して、もっと広々とした、天下の公道にまで押し出し、普遍的で、理性に耐えうる道徳にまで格上げしなければならない、というのが、おそらく明治時代に武士道を採りあげて、これを国民道徳とか「日本人としての生きる道」とかに仕上げようとした人々の、主体的、実践的な関心事であったとおもわれる。
※)田横(漢の斉王田栄の弟)は、高帝が立つに及び、横はその徒五百余人と海島中にたてこもった。高帝の召しをうけて洛陽にゆくことになったが、その道中「われ仕うることを潔とせず」といって自殺してしまった。そこでその徒五百余人もまた跡を追うて自殺してしまった。
≪命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ人≫
・武士が命を捨ててかかったことは事実だった。ただ武士は名を惜しみ、領地を欲しがったことも事実である。武士が名を求め、領地を欲しがったという点では、武士の行為を「無我の実現」といいきるのは行き過ぎであろう。
・死に対する態度としてむずかしいのは、死を怖れもせず、死を急ぎもせず、責任を全うするまでは容易に死なないという責任倫理であるが、武士道は、とかく心情倫理に傾斜しやすく、田横海島五百人の倫となりやすいのである。
武士道はその発生のままではモラルとして極めて不完全であり、これを完全なものとするために、鉄舟でも新渡戸稲造でも、形式的、外面的な尊厳の倫理を内面化して、内面的尊厳の倫理にまで深めようとしたとみることができる。
・鉄舟が仏教を媒介にして到達した無我の実現としての武士道の理解と、西郷南州が到達した敬天愛人の境地とは、相互に通うものがあったのではなかろうか。それは、武士道の形式的な外面的な尊厳を超克した内面的な尊厳の倫理という点で一致していたのではないかと思われる。
(関連)
・「葉隠」に思う。死ぬことを禁じられた武士の生きる道。
https://note.mu/wildriverpeace/n/nda217aea8c53
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