01. 2014年8月23日 00:44:32
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生活保護のよくある誤解に答えてみましたみわよしこ | フリーランス・ライター 2014年8月22日 18時15分 今朝、Facebookで下記のメッセージを頂戴しました。 メッセージの主は、1950年生まれの男性。中堅の大学を卒業したあと、製造業で働いておられた様子です。 生活保護を語るのは難しいですね、正直、一生懸命働いて得られる収入が、生活保護費より安いことがより深刻な問題ではないかと思います。 母子家庭などで働かず、医療費ゼロ、学費ゼロ、これ以上何が必要なのでしょうか? きれいな洋服がほしいのでしょうか?自家用車がほしいのでしょうか? 東京23区に住まなければならない必要性は何でしょうか? 生活保護を受け取らず、より厳しい生活を送っておられる方のほうが多いのではないでしょうか? 健康で文化的な生活は、ある程度の努力があって初めて得られるものではないでしょうか? 自己紹介もなく、最初のひとことが「……ですね」という口調であることに、げんなりしました。 お答えする義務はないと思いますが、あまりにも典型的な「よくある誤解」なので、質問に答え、かつ誤解や知識不足に関する対策を考えることにします。 生活保護のよくある誤解に答える 一生懸命働いて得られる収入が、生活保護費より安い 確かに、一部の地域では 最低賃金<生活保護基準 となっているので、「働いたら損」と言えなくもありません。 しかし最低賃金は、生活保護基準を参照して定められています。 (地域別最低賃金の原則) 第9条 賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障するため、地域別最低賃金(一定の地域ごとの最低賃金をいう。以下同じ。)は、あまねく全国各地域について決定されなければならない。 《全改》平19法129 2 地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない。 《全改》平19法129 3 前項の労働者の生計費を考慮するに当たつては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。 出典:最低賃金法 つまり「最低賃金は生活保護基準を下回ってはいけない」ということです。 違反したからといって各自治体が政府に是正を強制されるというわけではなく、ただ再審査を求められるのみですが、原則はそうなっています。 (地域別最低賃金の決定) 第10条 厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、一定の地域ごとに、中央最低賃金審議会又は地方最低賃金審議会(以下「最低賃金審議会」という。)の調査審議を求め、その意見を聴いて、地域別最低賃金の決定をしなければならない。 《全改》平19法129 2 厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、前項の規定による最低賃金審議会の意見の提出があつた場合において、その意見により難いと認めるときは、理由を付して、最低賃金審議会に再審議を求めなければならない。 出典:最低賃金法 だから、最低賃金が生活保護基準を下回っている場合には、問題として報道されるのです。 また、生活保護基準が下がれば最低賃金も下がります。 現在、厚労省は数多くの理由のもと、最低賃金を減額することを可能にしています。すると「懸命に働いているのに生活保護以下」という方がますます増えるわけです。当然、 「その怨念が生活保護利用者に向けられれば、効率的に生活保護基準を下げられるし……」 というような目論見のもとに行われていることなんでしょうね、わかります(皮肉)。 母子家庭などで働かず、医療費ゼロ、学費ゼロ、これ以上何が必要なのでしょうか? 「母子家庭など」の「など」の意味するところが良くわかりません。 ここでは「母子世帯の母親が生活保護に甘えて働かない」という俗説が事実かどうか検証します。 まず、生活保護利用者の中で、母子世帯は多くありません。社会保障統計年報にある最新データは2011年で、その年に母子世帯は 113,323 世帯、生活保護世帯全体の 7.6 % でした。元データを見たい方は、こちらの資料3をご覧ください。 2011年、厚労省は「全国母子世帯等調査」を行い、結果を公表しています。これを見ると、ひとり親世帯の経済状況が全体的に劣悪であることが分かります。 また2009年、厚労省は「生活保護母子世帯調査等の暫定集計結果−一般母子世帯及び被保護母子世帯の生活実態について−」を公表しています。 これによれば、生活保護を利用している母子家庭の母親のうち40%は就労しています。 就労していない母親の70%は病気、あるいは身体の不調を抱えています。 健康でなおかつ就労していない母親にも、さまざまな事情があります。「24時間介護を必要とする家族を抱えており、外出もままならない」など。 「生活保護に甘えて働かない母子世帯の母親」は、実在はするのでしょう。ただ、 生活保護を利用している母子世帯は約 11 万世帯 → 母親が約 11 万人 生活保護を利用している母子世帯の母親のうち就労していない母親は 60 % → 11 万人 × 0.6 =6.6 万人 そのうち身体状況に問題のない 30 % → 6.6 万人 × 0.3 = 約 2.0 万人 と考えていくと、そもそも対象となりうる母親が「生活保護利用者総数の約1%」というマイノリティだということが分かります。 「健康で働けるはずなのに生活保護を利用して働かずにいる母親」 である可能性もある約 2.0 万人から、さらに介護等の事情により働くことができない母親たちを除外していくと、その 「健康で働けるはずなのに生活保護でいい思いをしやがって!」 に該当する可能性のある母親たちは、「極めて少数」ということになるでしょう。 ライターとして2011年から生活保護利用者の取材を続けてきている私ですが、「ただの怠け」「本人に大きな問題があって」「たぶん不正受給」というタイプの生活保護利用者を見つけるのは容易ではありません。人数比で1%前後といったところです。出会えたからといって、仕事になるかどうかも微妙です。そういう方々のことを大問題として報道するメディアは他にたくさんあるわけですし、仕事の内容としては事件報道になります。ただでさえ肉体的に不利な条件を抱えている私は、「そういう不利な勝負で自分を潰すようなことはしたくない」と考えます。 生活保護に対するネガティブイメージを煽る場面では、そういう方々のことこそ積極的に報道されるわけですけれども、私は「意味のあること」とは思っていません。極端な少数の事例を問題にしても、全体像や本質は決して見えてきません。 きれいな洋服がほしいのでしょうか?(後記) 生活保護を利用している女性たちの服装を、実際にご覧になったことはありますか? 状態のよい中古を入手し、せめて不潔感を与えないように洗濯して着ていらっしゃることが多いです。そして、それが彼女たちの精一杯です。 「見た目」をその程度にかまうことで精一杯、下着まではお金が回らないという話もよく聞きます。 衣服は、社会生活に参加できるラインの「見た目」を維持するのが精一杯、外から見えないところにはお金を使えないということです。 清潔で、ゴワゴワになっていたり穴があいていたりしない下着をいつも身につけていられる程度にも、現在は達していません。 自家用車がほしいのでしょうか?(後記) 自動車がないと生活できない地域に住んでいたり、障害のために自動車を必要とする事例は多数あります。 大都市圏ではむしろ、自動車は持っていたら邪魔な場面もありますが。 生活保護利用者は交通不便で生活コストの安い地域に住むことを求められ(次項参照)、その上、自動車の保有が認められないことによって病院や文化資本へのアクセスまで不可能にされなくてはならないというのであれば、困窮が新たな差別を産むことになります。それでよいのでしょうか? それも、日本が差別的な国として国際社会から疑問視されている昨今のご時世に? なぜ、生活保護利用者が、東京23区のような生活コストの高い地域に住まなければならないのでしょうか? 「住まなくてはならない」とは、私は書いたり言ったりしていません。そこに居住したければ居住すればいいし、別の地域に居住したければそうすればいい。それだけです。 居住地を選択する自由は、誰にもあります。実際に生活コストの高い地域に住むことが可能かどうかは、家賃相場などに依存しますけれども。もし日本の住宅政策がもっと充実したものでありつづけてきたならば、「住みたければ東京23区にでも山手線の内側にでも住める」という状況となっていたはずです。生活保護利用者に恨みつらみを向けるのは筋違いです。 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 出典:日本国憲法第22条 - Wikipedia 「生活保護のくせに東京23区だと!?」と怒りを覚えるのなら、生活コストの高い地域に住んでいる生活保護利用者に対して「公共の福祉に反する行為を行い、自分の権利を侵害した」として訴訟でも起こしてはどうでしょうか? もし勝訴すれば、司法のお墨付きのもとに堂々と、「生活保護なんだから、●●地域に住むな、××地域に住め」と言えることになります。 居住の自由もさることながら、「生きるために東京23区内に住まざるを得ない」というケースもあります。具体的には難病患者や障害者の一部です。 医療の都合・福祉の都合により、居住して生存することの可能な自治体が制約されているので、「やむを得ず」ということです。 難病だと「この病名だと、東京23区内のA区、B区、C区または東京都下のD市でないと生きていけない」に近いことが結構あります。 国の制度として、全国一律に医療・福祉の最低線が確保されていればともかく、今、日本でそれを追求することは現実的に無理になりつつあります。 これからも、生きるために東京に住む、それも生活コストの安くない地域に住むという選択を強いられる人たちは、増えこそしても減りはしないでしょう。 生活コストの高い地域に住んでいる生活保護利用者には、たいていの場合「そこに居住することが必要だから居住している」という事情があります。 「長年、この地域で、地域社会の中で生活してきたから」という高齢者に対しても同様です。ただでさえ困窮している人・孤立しやすい人に対して、「慣れ親しんだ地域から引き離してさらに不利な状況に追いやる」という非人間的な扱いを行うことは、どのような屁理屈によって正当化できるでしょうか? でも世の中には、生活保護を受け取らず、より厳しい生活を送っておられる方も多いですが? 生活保護を利用できる状態なのに利用していない方々は、「漏給」という状態にいるわけです。 漏給状態にある方々の人数は、生活保護を利用している方々(2014年現在、約 220 万人)の2倍とも5倍とも言われています。 そのような方々のために、生活保護という公的扶助制度があります。 存在を知らせ、申請しやすく利用しやすくすることが公共の責務です。2013年5月、国連からも日本に勧告がされています(参考:「国連勧告に逆行する日本の生活保護と「マイナンバー」の可能性」(イケダハヤトさん))。 健康で文化的な生活は、ある程度の努力があって初めて得られるものではないでしょうか? その「ある程度の努力」は生存、それも社会的生存を前提として成立します。 生存権が保障されていなければ、勤労の権利を行使することができません。 勤労の権利を行使することができなければ、勤労の義務を果たすこともできません。もちろん、納税の義務も果たせません。 憲法第25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」とは、社会に参入するための必要最小限の何かでもあります。だから公的扶助によって、それ以下の生活をなくす必要があるのです。また、「ただ生きているだけ」以上の何かである必要もあるのです。 知識不足は勉強で解消します 知識不足に基づく誤解は、若干の勉強で解消します。 生活保護世帯の就労率は世の中で思われているほど低くないことを含めて、拙著「生活保護リアル」の第一章では、よくある誤解の多くについて解説しています。新本を買っていただけたら大変嬉しいですけど、図書館ででもお目通しいただければ幸いです。 「文字ばかりの本は、ちょっと」という方は、さいきまこさんのコミック作品「陽のあたる家」をどうぞ。真面目に働く夫妻と子どもたちの、慎ましくも幸せな家庭の幸せが、どんなに簡単に壊れるものなのか。それは自己努力・自己責任で何とかできるものなのか。生活保護を利用して生活するということが、どういうことなのか。「読ませる」ストーリー展開とともに、よく理解できる作品です。 本質は知識不足なのか? 知識不足が解消されたとすれば、生活保護制度や生活保護利用者が憎しみや嫌悪や偏見をぶつけられることはなくなるのでしょうか? 私は「そんなに楽観できない」と思っています。根底には、人間の「できれば差別したい」という感情があるのではないかと。 向上心や競争といった、人間やその社会を良くしていくモチベーションともなることがらは、容易に差別に結びつきます。 この度し難さとどう付き合っていくかが、本質の一つだろうと思うのです。 みわよしこ フリーランス・ライター 1963年福岡市生まれ。大学院修士課程修了後、企業内研究者を経て、2000年よりフリーランスに。当初は科学・技術を中心に活動。2005年に運動障害が発生したことから、社会保障に関心を向けはじめた(2007年に障害者手帳取得)。著書は書籍「生活保護リアル」(日本評論社、2013年)など。2014年4月より立命館大学先端総合学術研究科一貫制博士課程に編入し、生活保護制度の研究を行う。なお現在も、仕事の40%程度は科学・技術関連。
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