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(回答先: 食い違う証言 「コリジョンコース現象」起きた可能性も(衝突被害漁船にも公平な捜査?) 投稿者 戦争とはこういう物 日時 2014 年 1 月 21 日 20:55:22)
日中起きた事件とは言え、直接目撃できた人間は限られている。その中で、被害漁船で生き残った客の証言は貴重だ。ビールを飲んでいたから、などと無視されぬように注視せねばならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(引用ここから)
●「もうだめだと思った」 救助の伏田則人さん
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140120/hrs14012022010002-n1.htm
海中でしがみついていたクーラーボックスを手に事故を振り返る伏田則人さん=広島市中区(松前陽子撮影)[写真略]
2014.1.20 20:50 (1/3ページ)
海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突し、2人が死亡した海難事故で、釣り船に乗っていた伏田則人さん(67)=広島市中区=に事故時の状況を聞いた。伏田さんは亡くなった2人の釣り仲間の死を悼み、「海上に投げ出されたときはもうだめだと思った」と生々しく証言した。
◇
あの日はよう晴れとった。前日、船長の高森昶さん(67)=同、死亡=から「明日釣りに行かないか」と誘われ、甲島へメバルやタイ、ハゲを釣りに行くことになっていた。
15日午前7時10分ごろ、「ボートパーク広島」を出て、仕掛けや竿など釣りの話をしていた。高森さんが操縦し、残りの3人が操縦席の前に座っとった。1番前に(死亡した)大竹宏治さん(66)=同、その後ろに寺岡章二さん(67)=同、寺岡さんの左隣にわしの順番だった。
出港して10分くらいしてから、絵の島辺りでおおすみが左に見え、とびうおは絵の島の右側を通行した。両船の間は当初1キロくらい開いていたと思う。わしらは、よくこの海域を通るから、自衛艦が通るのもよく知っとって「ああおるなぁ」と思っとった。
絵の島を過ぎても左におおすみ、右にとびうおの状況で、両船の間は500メートルは開いていたと思う。
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それから、おおすみが遅いから、とびうおはおおすみの前を横切って追い越し、左に出た。間は100メートルは離れていたと思う。それ以降はおおすみを見ていない。ぶつかるとは100%予想していなかった。
ところが、突然、1回ボーッと汽笛が鳴って、スーッと何かが当たってこすれる感じがしたかと思ったら、船がコトンとひっくり返った。
それで、4人全員が進行方向の左側に投げ出された。わしは腰にかけていたクーラーボックスにすぐつかまった。クーラーボックスには缶ビールが入っていたが、それでも浮いた。船に乗る前、わしは1本飲んでから乗船したが、他の3人は飲んでいなかった。
わしは履いていた靴下が浮くようになっていたので、足下から浮き、ラッコのような格好で10分くらい浮いていたと感じた。クーラーボックスは潮の流れなんかで、クルクル回転する。回転しながら、寺岡さんが船をつかんでいる姿やおおすみ、阿多田島の左端が見えたが、他の2人はもう視界になかった。
クルクル回って「死ぬかもしれん」と思ったが、その後、近くで工事をしていた民間の船の赤い旗が見え、その乗組員が手を引っ張ってくれた。助けてくれた2人には何とお礼を言っていいことか。命の恩人だ。
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救助されてから、おおすみの船内で風呂に入り、食事をさせてもらった。その夜、自宅に帰ろうとしたが、自宅前の報道陣の数にびっくりして、その夜はホテルに泊まった。
深夜、テレビのニュースで2人が亡くなったというのが流れて、本当に残念でならなかった。高森さんには月に1回、あの船に乗せてもらって一緒に釣りに行ってかわいがってもらっていたから。去年も別の友人を含め、今回の4人と忘年会をしたばかりだった。
高森さんも亡くなって、おおすみととびうおのどちらがぶつかったかは分からんが、助けてくれた2人やおおすみ、海上保安庁の人には「迷惑をかけてすみません」と言いたい。
(聞き手 松前陽子)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(引用ここまで)
- 海自艦衝突:事故直前おおすみ短い汽笛5回…警告の意味(食い違いはなぜか?) 戦争とはこういう物 2014/1/21 21:43:02
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