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(回答先: 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第3章 引きずりこまれた日中戦争 投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 8 月 11 日 17:38:59)
「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm
第4章 スノー〜反日連共のデマゴーグ
昭和の日本は、共産主義に同調する外国人ジャーナリストの活動によって、大きく進路を狂わされました。そうしたジャーナリストの一人が、エドガー・スノーです。スノーは、偽書『田中上奏文』を世界に伝え、「南京事件」を捏造・誇張して報道し、米国の世論を対日戦争へと誘導しました。(1)(2)
◆「『虐殺論争』に終止符を打つ、衝撃の発見!」
田中上奏文をはじめ、南京事件、東京裁判、中国共産党とそのシンパの動向などについての研究が進んでします。なかでも鈴木明氏の『新・南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社)は、重要な発見に満ちたものです。
本書の帯には、「『虐殺論争』に終止符を打つ、衝撃の発見!」とあり、鈴木氏の言葉として、次のような言葉が掲げられています。
「…僕が今回書いたことは、戦後半世紀以上を通して、世界中の誰もが書かなかったことであり、気づかなかったことでもあり、『南京大虐殺』の、本当の意味での核心にふれたものであるという点だけは、強い自信を持っている…」と。
鈴木氏は巻頭に、「日本、中国、アメリカという、東アジアだけではなく、21世紀の世界に最も大きな影響を与えるかもしれない重要な三つの国で、いまでも喉元に突き刺さったままでいるような大きな歴史的課題が、まだ未解決のままである。いわゆる南京大虐殺論争である。この不可解な事件の鍵を握っていた人物は一体誰なのか」と書いています。その人物こそ、エドガー・スノーです。
鈴木氏は本書の「最も大きなテーマ」は、次のようなことだと書いています。「僕がここで、『田中奏折』、つまり『田中上奏文』のことにここまでこだわるのは、実はエドガー・スノーがこの『田中上奏文』の実在を信じ、それが日本軍閥のバイブルである、ということを知ったことと、戦後の『東京裁判』、それに付随して一挙に全世界に知られるようになった『南京大虐殺』事件を結ぶ最も重要なキーワードは、この田中上奏文・田中奏折』であると、信じているからである。そのプロセスを追っていくことがこの本の最も大きなテーマなのだ」と。
鈴木氏の追求の過程は、ノンフィクションの迫力に満ちています。以下、私の特に関心をもったことをまとめながら、若干の考察を加えてみます。
◆烈女・宋慶齢との出会い
アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーは、昭和6年(1931)の冬に、中国・上海で、宋慶齢と知り合います。鈴木氏は、次のように書きます。「後にスノーは、『もしあのとき宋慶齢に会わなかったら、私の人生は変わっていたかも知れない』と書いているが、これを『世界情勢が変わっていたかも知れない』と書いても、決して過言ではなかったであろう」と。
宋慶齢は、近代シナを代表する大富豪・宋家の次女です。彼女は、シナ革命の父・孫文の夫人兼秘書となり、国民党左派の指導者として共産党と反日で共闘し、革命後は中華人民共和国の国家副主席にまでなりました。
ロシア革命後、孫文はソ連と接近しました。大正12年(1923)には、ソ連から孫文のもとに、レーニンの愛弟子・ボロディンが、国民党顧問として送り込まれました。宋慶齢はボロディンと親密となり、国民党で誰よりもよく、共産主義を理解しました。
翌年、孫文が死去すると、宋慶齢のソ連への思いはさらに強くなり、昭和2年(1927)4月に、モスクワに行きました。その後、彼女は、昭和6年8月までの約4年間を、ソ連で過ごしました。
鈴木氏によると、ソ連滞在中、宋慶齢は、「中国における民主・自由の実現のために、国民党に対する敵意を燃やしつづけ、『日本帝国主義』を憎悪しつづけ」ました。そして、帰国後は、蒋介石や日本と戦う決意をします。そして彼女は、中国共産党指導部と通じ、国民党内で反日・連共路線を推進しました。
20歳代だった若きスノーは、こうした宋慶齢と出会い、大きな影響を受けました。宋慶齢は、幼少から英語教育を受け、米国に留学もしており、英語に堪能でした。スノーは、宋慶齢から中国や、孫文や、中ソ関係などについて、多くの話を聞きます。
鈴木氏は書きます。その結果として「スノーはここで、宋慶齢を苦しめ、中国人民に被害を与えているのは、まぎれもなく、隣国の日本である、と確信するようになった。これはもう『信念』などという言葉を超えて、『信仰』という概念に近いものであった」と。「この二人は、日本のことを全く知ろうともしなかったし、日本の中にある恥部だけを強調することに熱中していた、という点でも共通している」と、鈴木氏は見ています。
昭和11年(1936)5月、スノーは、宋慶齢に、「共産地区に行き、毛沢東に会いたい」と言いました。当時、国共合作を進めようとしていた中国共産党指導部は宋慶齢に対し、アメリカ人の新聞記者を求めていたのです。中共と通じ合っていた宋慶齢は、スノーを、中国ソビエト地区にある延安へ行かせることにしました。
この時、もう一人の候補がいました。それは、やはり彼女と長くつきあっていたアグネス・スメドレーでした。スメドレーもまた日本の進路に重要な影響を与えた人物であり、別の項目に書くことにします。(3)
宋慶齢は、中国共産党への理解も少なく、党員との交わりもなく、色のついていないスノーの方を敢えて指名しました。彼がアメリカ人であり、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』など、アメリカの広い読者層に読まれる背景を持っていたことも理由でした。この宋慶齢の選択は、親中反日の国際工作に、またとない効果を生み出すことになりました。
◆米国民を親中に変えた『中国の赤い星』
スノーは、宋慶齢の力添えによって、中国共産党指導部のいる延安に取材に行きます。そこで、スノーは世界ではじめて、毛沢東らの中共指導者にインタビューをしました。その体験取材をもとに書いたのが、有名な『中国の赤い星』です。これは、米英で大ヒットとなりました。昭和12年(1937)に、この本が出版されると、アメリカのマスコミは口をそろえて称賛しました。そして、「アカ嫌い」のアメリカ人を、中国寄りに変えてしまったのです。
読者は、スノーを通じて、中国の共産主義者たちは、ロシアの革命家たちと違って、「血に飢えた権力主義者」ではないと理解しました。スノーの描く毛沢東は、日本帝国主義は「中国の敵であるだけではなく、太平洋に利害を持つ国、つまりアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソビエトの敵でもある」と言い、「日本の脅威を恐れている国」を「友邦と考え、その協力を望んでいる」と語ります。そして、読者には、毛沢東は、蒋介石らの敵に対しても協力を呼びかける、穏健な「やせたリンカーン」として映ったのでした。
スノーは、共産主義者ではなく、ソ連や米国共産党とは距離があったと見られています。この点は、共産主義との関係が濃いスメドレーと違います。鈴木氏は『中国の赤い星』は、「非共産主義者が描いた共産主義世界の物語であればこそ、これほど多くの共感の賞賛をあびた」と書いています。
『中国の赤い星』の出版は、ちょうど南京攻防戦の前、日本がアメリカの砲艦を誤爆した「ペネー号事件」が起こって、アメリカ人の中国への関心と同情が高まっていた時期でした。このタイミングが、本書の効果をより大きなものとしました。アメリカの世論は、圧倒的に親中反日となってしまいました。日本にとっては、不幸な誤爆が、さらに大きな禍を生んでしまったのです。
◆『アジアの戦争』が田中上奏文を広宣
スノーは昭和16年(1941)、日米開戦の年の春に、『アジアの戦争』をアメリカで刊行しました。そして本書は、実に強烈な反日宣伝効果をもたらしました。
本の扉、つまり表紙には、次の言葉が掲載されています。
「20世紀の中ごろ、日本はアジアの平原でヨーロッパと出会い、世界の覇権をもぎとるであろう(大隈伯爵、1915年)」と。
大隈とは、宰相・大隈重信です。また、第1篇第1章の最初の一行には、次の言葉が書かれています。
「世界を征服するには、まず中国を征服しなければならぬ(田中手記)」と。
「田中手記」とは、『田中上奏文』のことです。今日、ソ連による偽造という可能性が高いと見られている、かの謀略文書です。
田中上奏文が初めて世界に登場したのは、昭和4年(1929)、シナで、漢文版としてでしたが、スノーは早くからこの文書に言及しています。 昭和6年ごろから書いた『極東戦線』の中で、スノーは、田中上奏文の主旨を次のように書いています。
「日本の繁栄のためには、まず資源豊富な満州を手に入れなければならず、また将来中国を初めとするアジア諸国を征服するためには、過去に日露戦争でロシアと戦ったように、まずアメリカをつぶさなければならない」と。
スノーは、昭和16年に刊行した『アジアの戦争』において、この疑惑の文書を全世界に知らしめました。しかもスノーは、ここで一つの犯罪的な誇張を行っています。鈴木氏によると、前著『極東戦線』では、田中上奏文を「田中メモランダム」と呼んでいました。メモランダムは「個人的なメモ」を意味する言葉です。しかし新著『アジアの戦争』では、「田中メモリアル」という全く意味の違う言葉を使っています。メモリアルは、鈴木氏によると「ある歴史的な価値を持つ」ものにしか使わない言葉です。私は、スノーは、明確な目的意思をもって、この言葉を選び、親中反日の国際宣伝工作を行ったのだと思います。
また、ここでも反日・連共の烈女・宋慶齢が、スノーに重大な影響を与えたと考えられます。鈴木氏によると、宋慶齢は、昭和12年10月、日中の上海戦の中で、英語によるラジオ放送を行いました。この放送において、「宋慶齢は、『日本軍閥が行っている侵略行動は、日本軍閥が、そのバイブルともいうべき<田中奏折>(=上奏文のこと)に従って行動している、ということを示すだけで、それ以上、どのような説明をする必要があるでしょうか』と言ったのである。『田中奏折』という四つの漢字は、『それ以上何の説明もする必要はない』と断言できるほど、強いインパクトで外国人に訴える力がある、と宋慶齢は信じていたのである」と、鈴木氏は書いています。
私は、スノー自身は中国語・漢文はほとんどわからないでしょうから、そもそもスノーが田中上奏文の存在を知り、それに注目したのは、宋慶齢によるだろうと考えます。スノーは、田中上奏文に対する彼女の激しい反発を聞かされ、大いに共鳴したのだろうと思います。
鈴木氏は、「スノーがこの『田中上奏文』の実在を信じ、それが日本軍閥のバイブルである、ということを知ったこと」を重視しています。そして、「戦後の『東京裁判』、それに付随して一挙に全世界に知られるようになった『南京大虐殺』事件を結ぶ最も重要なキーワードは、この田中上奏文・田中奏折である」と、見ています。
ここで、田中上奏文について、私の認識を再整理しておくとーー田中上奏文は、おそらくソ連GPUによって偽造され、コミンテルンを通じて漢文版が中国で出版された。そして宋慶齢によってスノーが大いに注目するところとなり、「アジアの戦争』で全世界に報道された。アメリカ共産党による英語版の頒布が、相乗効果を上げた。そして、後に述べるように、この偽造文書が、東京裁判における日本断罪のシナリオのもととされた。スターリンの謀略は、こうしたルートでも貫徹していたのかも知れない。
◆「南京大虐殺」を誇張・捏造
鈴木氏は、スノーの『アジアの戦争』(昭和16年春刊行)こそ、「南京大虐殺」を全世界に悪宣伝した本だったことを明らかにしました。
私の理解では、スノーが、昭和12年12月の南京事件を、田中上奏文に書かれた世界制覇計画の一環としてとらえていたことが、重要です。そして、彼は、反日・連共の推進のために、南京事件を敢えて「大虐殺」事件として誇張・捏造したのだろうと思います。これはジャーナリストのモラルを超えた、デマゴーグ(悪質な宣伝・扇動をする者)の仕業です。
『アジアの戦争』での、南京事件に関するスノーの記述は、大意、次のようになります。これは鈴木氏の訳をまとめたものです。
「南京虐殺の血なまぐさい物語は、今ではかなり世間に聞こえている。南京国際救済委員会の人たちが私に示した資料から、私が見積もった結果によれば、日本は南京だけで少なくとも4万2千人を虐殺した。しかもこの大部分は婦人、子供だったのである」
スノーはまた、「いやしくも女である限り、10歳から70歳までの者は、すべて強姦された」とも書いています。
ここで、スノーがこのように書くまでの経過を記します。昭和12年12月の日本軍の南京攻略について、最初に大規模な虐殺があった報道したのは、英国『ノースチャイナ・デイリーニュース』でした。その数は1万人でした。この数字を4万人にまで拡大したのが、南京大学教授で宣教師でもあるM・S・ベイツ教授でした。ベイツは「非武装の4万人近い人間が殺された。そのうち約3割は非戦闘員だった」と主張しました。ベイツの主張は、昭和13年7月に刊行された『戦争とは何か』という本に掲載されます。この本の編集を行ったのは、英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員H・ティンパーリでした。ティンパーリは、中国国民党宣伝部に雇われたエージェントであったことが、立命館大学の北村稔教授によって明らかにされています。国民党国際宣伝部は、宣伝目的のために、ティンパーリに『戦争とは何か』の執筆を依頼したのでした。(4)
そのうえ、4万人虐殺説を唱えたベイツ自身も、国民党中央情報部顧問でした。南京事件は、中国国民党による反日工作のために作り上げられたのです。
ところがその後、中華民国の公式記録は、どれもベイツの「4万人虐殺説」を削除し、公式に再三、その説を否認していました。亜細亜大学の東中野修道教授は、ティンパーリが報じた死者約4万人という数字が、その後数年間、現地の刊行物の再録記事のなかからことごとく削除されていたことを明らかにしています。(5)
この否認されていた「虐殺説」を改めて持ち出した者がいます。その人物こそ、エドガー・スノーだったのです。
スノーは、日本軍は「少なくとも4万2千人を殺害した。その大部分は女子供だった」と書きました。ベイツの説では、約4万人のうち1万2千人ほどが市民だったのに、スノーは、4万2千人の大部分は女子供だったと、改ざんを加えたわけです。数字と割合を変え、しかも犠牲者は、単に市民ではなく、女子供、と言い換えたわけです。また、「10歳から70歳まで、すべて強姦」などと書くのは、ほとんど事実を確かめられるわけもない、無責任な表現です。
しかし、『アジアの戦争』における南京事件の表現は、インパクトが強く、アメリカを中心に、親中反日の国際世論をつくるうえで、絶大な効果を生んでいきます。これに便乗して、一気に桁を上げて「20万人虐殺」としたのが、アグネス・スメドレーです。(『シナの歌ごえ』昭和18年刊)
スメドレーは、スノー以上に、中国共産党に深く関わり、ソ連共産党の影の濃い人物です。ここから、東京裁判の20数万、30万という数字のうそまでは、もう一声です。彼女については、別項目に譲ることにして、話を続けます。(6)
◆米国民を対日戦争に扇動
鈴木氏によると、昭和16年にスノーは『アジアの戦争』を刊行したころ、「日本が中国に対して行っている侵略行為の最終目標は、東アジアに新しい秩序を創ることにある。日本は中国に存在している一切の資本保有者を排除するのが目的である。つまり、最初の相手は中国だが、やがてその目標は必ずアメリカにも及ぶ」と、繰り返しアメリカ国民に訴えました。
そして、ナチス・ドイツの動向と、日本軍国主義は同じように危険である、と訴えたのです。そして、アメリカ人に対して、アジア問題において「中立、不干渉」はあり得ないことを説いて回りました。
鈴木氏は書いています。「『アジアの戦争』は…頭の先から爪先に至るまで、ひたすらに『軍国主義日本』を憎悪し、ただ憎悪するだけではなく、アメリカ政府がその『中立政策』を捨て、世界平和の敵・日本に対して、武力介入を余儀なくさせることを目的とした『政治的』な著作だった…ここで使われた形容詞、エピソード、結論などは、常識をこえた激しいものであり、特に日本に対しては、『日本という国を、この世から抹殺する』という目的がはっきりしている…アメリカ人が『アジアの戦争』を読めば、アメリカはすぐにでも日本に宣戦布告をし、中国を救わなければならないという気持ちにさせられる。その意味では『アジアの戦争』は、完璧といってもいい、見事な内容になっていた」と。
私は、『アジアの戦争』は反日プロパガンダ、対日戦争の扇動文書と見てよいと思います。ルーズベルトの周辺にはソ連のスパイがいました。その書が出された昭和16年には、スパイたちが暗躍していたのです。真珠湾攻撃より以前の対日先制攻撃計画を推進したカリーや、ソ連の指令を受けてハル・ノートを起草したホワイトらがそれです。彼らは大統領に対して対日戦争工作を行っていました。(7)
スノーの著書は、スターリンがアメリカを対日戦争に引き込み、日米を戦わせようとした謀略と、基本的な方向において一致しています。それが単にスノー個人の考えなのか、それとも彼に巧みに働きかける宋慶齢や、あるいはその背後にいる共産勢力の意思を反映したものなのか、今後の研究が期待されます。
◆ルーズベルトと個人的に面談
スノーについて重要なことは、スノーはルーズベルト大統領と会見し、彼の対中・対日政策にまで影響を及ぼしたほどの権威あるジャーナリストだったことです。
昭和12年に『中国の赤い星』が出版されると、大統領の情報秘書官ハロルド・イキスが徹夜でこの本を読み通し、早速ルーズベルトにその内容を報告したという話は、有名です。
そのことがもとで、日米戦争がはじまったすぐ後に、ルーズベルトは多くのアメリカ人ジャーナリストの中で、特にスノー個人を大統領執務室に招きました。スノーの言葉を借りれば、「私が大統領を取材するのではなく、大統領のほうが、私を取材した」のでした。
鈴木氏によると、ルーズベルトは「全面的にスノーに賛成の意向を表明」し、スノーはルーズベルトへの「個人的情報提供者の一人」となったということです。
興味深いことに、第2次大戦中、スノーは昭和17年(1942)10月から2度にわたって、延べ3年近くをモスクワで送っています。そして書いた本は、鈴木氏によると、「本音よりも美化されたソ連に関する本」でした。
スノーは、昭和19年5月に、ソ連から一度アメリカに帰ったときにも、ルーズベルトに会っています。そして、昭和20年2月、ルーズベルトはヤルタ会談から帰ったすぐあと、スノーを招いて、長い時間語り合いました。これが三度目で最後の会談となりました。
一体彼らは、何を語り合ったのでしょう。著書には書かれないこともあったでしょう。素人の気楽な推測を述べますと、スノーは、戦時中、ルーズベルトから依頼を受けて、米ソ関係にかかわる行動をした可能性があると思います。また、同時に中ソ間のパイプとなっていた可能性もあると思います。
ひとつの仮説を挙げるならば、スノーを中心として、
スターリン⇔毛沢東⇔宋慶齢⇔スノー⇔ルーズベルト⇔ソ連スパイ⇔スターリン
という円環があったのかも知れません。
◆日本における『わが闘争』!?
さて、スノーの『アジアの戦争』は、東京裁判においても、重大な役割を果たしていたと見られます。鈴木氏は次のように書いています。「僕は東京で行われたこの軍事裁判は、スノーの1冊の本『アジアの戦争』の存在なくしては、あのような形で進行しなかったと確信している」と。これも氏による重大な発見です。
以下、鈴木氏の記述をまとめてみますとーーアメリカの首席検事キーナンが、東京裁判の冒頭陳述を作るに当たって、何を参考にしたのか、具体的な資料は残っていません。しかし、当時アメリカ人が日本を理解するに当たって、アメリカ国内にそれほど多くの参考書があったわけではありません。
スノーの著作は、その数少ないものの一部でした。しかも、そこには田中上奏文が引用されており、満州事変から真珠湾までが系統的に描かれていたのです。こうした本は、当時のアメリカでは、スノーの著作しかなかったのです。
鈴木氏は書きます。昭和20年、東京裁判の「日本にやってきたアメリカ検事団が、このとき既に進行していたドイツのニュルンベルグ裁判を参考にして日本という国が、『計画的且つ組織的』に『世界征服』という野望を持って『共同謀議』し、その結果が『真珠湾攻撃』に結びついた、というシナリオを描こうと思っていたことは、当然である」と。
ニュルンベルグ裁判では、ナチス・ドイツは、ヒトラーの著作『わが闘争』をバイブルとして「計画的且つ組織的」なヨーロッパへの侵攻、さらに千年も滅びることのない「第3帝国」の完成を夢見て、白人至上主義、民族の優位性、ユダヤ人の撲滅、民族浄化政策を「計画的且つ組織的」に行ったと見なされました。
『わが闘争』は、1925年に書かれており、1935年のベルサイユ条約破棄、1938年のオーストリア併合、さらにチェコスロバキアを保護領にし、1939年にはポーランドを手に入れるなど、ナチスの行動を、『わが闘争』をもとに裁くことは、筋が通っていました。しかし、アメリカ検事団は、日本の中には「わが闘争』のような、適当な本を探し出すことができませんでした。
鈴木氏によると、「この中で信頼できる1冊の本が『日米戦争』の数ヶ月前に発行された、エドガー・スノーの『アジアの戦争』である。このときスノーは既に『日米戦争』を予言(注:昭和16年の年内に、と)し、事態はまさに、その通りになったのである。その内容は、文字通り日本の『軍国主義政策』の根幹を描いたものであり、文章も内容も、簡潔で要を得ていた」というわけでした。
◆日本断罪のシナリオを提供
鈴木氏によると、「スノーはアメリカ人にとって、神格化された地位にあったルーズベルトと三回も個人的な会談の時間を持った知識人であり、充分に信頼されている人物であった」のです。
それゆえ、スノーの著作は、米国人には信憑性が高く、東京裁判における日本断罪のシナリオの原本とまでされたようです。
キーナン首席検事の冒頭陳述を鈴木氏は、次のようにまとめています。
「日本の目的は世界征服であった。そのために、日本は侵略のための殺人教育を続けてきた。それは組織的、且つ計画的な共同謀議によって行われた。そして、そのターニングポイントとなった年月は、1927〜28年であった」と。
この筋書きは、スノーが構成した論理そのものです。「1927〜28年」とは、田中上奏文を暗示する年代です。私見を述べますと、キーナンは偽書の疑いのある田中上奏文の名前はあげずに、この文書をスノー、そして宋慶齢が広く宣伝したように理解し、日本の罪状をつくりだすタネ本としたのでしょう。
鈴木氏によると、スノーの『アジアの戦争』は、初めの部分は、日本では長年、「殺人教育」が行われ、その最初の成果が「南京虐殺事件」であるという構成になっています。これと同様に、東京裁判の検事側は、まず「日本の軍事教育」を最初に出しました。そして、「南京事件」は「日本人の度肝を抜く事件」として、裁判初期の段階で、とりあげられたのです。
南京事件について、『アジアの戦争』がどのように誇張・捏造したかは、既に述べた通りです。スノー=キーナンの筋書きの中で、「南京大虐殺」という稀代の大嘘は、実に効果的に日本の断罪に用いられたわけです。
◆思い入れによる悪宣伝
東京裁判が終了した約1年後、昭和24年(1949)に、スノーが支援し続けた中国共産党は、「中華人民共和国」の成立を宣言しました。スノーはこの国に、限りない期待と希望をもっていました。そして、昭和35年(1960)に初めて、共産中国を訪れました。
2年前から推進されていた毛沢東の「大躍進」政策は、当時、中国の農工業を混乱させ、大量の餓死と破壊をもたらしていました。しかし、スノーは、現実を見ることなく、人民公社を肯定し、粛清のうわさを否定し、毛沢東の個人崇拝をも肯定しました。
昭和45年(1970)8月、スノーは戦後3回目の中国行きを行いました。全中国は、41年(1966)からの文化大革命の嵐におおわれ、国中が揺れ動いていました。毛沢東らは、最高の礼を以って、スノー夫妻を迎えました。そして建国21周年記念日に当たる10月1日、天安門前に作られた舞台の上で、スノー夫妻は、舞台の中心に、毛沢東と共に並び立ちました。
百万人にのぼる若者たちは、口々に「毛沢東主席万歳!」を叫び、赤いネッカチーフを風になびかせながら行進します。スノーは毛沢東と共に、熱狂的な紅衛兵たちに応えました。
毛沢東とスノーが天安門前で紅衛兵に手を振る写真は、11月19日、毛沢東の77歳の誕生日の人民日報に、大きく掲載されました。その写真説明には「中国に友好的なアメリカ人」と書かれていました。
こうしてスノーは、毛沢東の個人崇拝と強権政治に荷担し、文化大革命という権力闘争を美化することにも貢献したわけです。
今日、私たちは、中国の「大躍進」から「文化大革命」にいたる20年間とは、毛沢東の失政・暴虐による、混乱と破壊の時代に過ぎなかったことを知っています。
毛沢東は、スノーが描いた「やせたリンカーン」ではなく、「言葉巧みなスターリン」だったのです。
スノーの共産主義に対する思い入れが、全く誤ったものだったことは、明らかです。しかし、こうした根本的な誤りを犯していた人物が、戦前、わが国を、世界に向けて悪宣伝していたのです。
◆超克のための新発見
スノーの悪宣伝は、清算された過去の逸話ではありません。冒頭に、鈴木明氏の言葉を引きました。「日本、中国、アメリカという、東アジアだけではなく、21世紀の世界に最も大きな影響を与えるかもしれない重要な三つの国で、いまでも喉元に突き刺さったままでいるような大きな歴史的課題が、まだ未解決のままである。いわゆる南京大虐殺論争である」と。この南京事件の虚構の鍵を握っていたのは、スノーでした。
南京事件だけではありません。現在も我が国の教育や歴史認識を支配している東京裁判史観もまた、少なからず、反日・連共のデマゴーグ、エドガー・スノーが生み出したものでした。
今日、南京での「大虐殺」という冤罪を晴らし、東京裁判とそれに基く戦後日本の歪みを克服するために、反日的な国際宣伝工作の実態を明らかにしていく必要があると思います。(ページの頭へ)
註
(1)『田中上奏文』については、第1章をお読み下さい。
(2)南京事件については、以下の拙稿をお読み下さい。
「南京『大』虐殺はあり得ない」
(3)スメドレーについては、第5章をお読み下さい。
(4)北村稔著『「南京事件」の探求』文春新書
(5)東中野修道著『『南京虐殺』の徹底検証』展転社
(6)(3)と同じ。
(7)カリーとホワイトについては、第10章をお読み下さい。
※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼
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