25. 2014年10月21日 15:55:05
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どうでもいい投稿もあるにしても重要な文章もあるので 保存のために載せる。 昭和天皇こそが正真正銘の売国奴 1投稿者:777 投稿日:2007年07月16日(月) 00時01分01秒 http://www.amezor.to/shiso/070716000101.html
1945年、第二次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来る。
今後の日本をどうするか、米軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとの交渉を担当したのが、当時の大蔵省事務次官池田勇人(後に首相)の部下、渡辺武であった。 渡辺の自伝である「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」(東洋経済新報社)によると、渡辺と米軍の最初の「大きな交渉テーマ」は、米国の銀行ディロン・リードに 対する日本と天皇一族の借金返済問題であった。 明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「代理人」である事を良く示している。 しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に 戦争資金を貸し付けていた。 2投稿者:777 投稿日:2007年07月16日(月) 00時01分23秒 ディロンの親会社が、現在のブッシュ大統領一族の経営する軍事産業専門投資会社カーライルであり、そのブッシュの経営するハリマン銀行の取締役ロバート・ ラヴェットが、戦争省次官として自分の経営する兵器会社から米軍に武器を納入していた。米軍の兵器と日本軍の兵器購入資金は、同一のハリマン=カーライル=ディロンから出ていた。 日本軍と米軍が「殺し合えば殺し合う程」この銀行が儲かる「仕組み」になっていた。この銀行の私的利益のために日本と米国の軍人は「殺し合い」をした。 この金儲けシステムの米国側にドレーパーがおり、日本側に天皇が居た。 ドレーパーの銀行ディロンは、戦争で莫大な利益を得た。 天皇も日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積した。天皇が戦争責任を問われなかったのは当然である。 日本人と米国人に「殺し合い」を行わせ金儲けする、ディロン=ハリマン銀行の日本支店長が天皇であった。最初から天皇は「日本と日本人の命」を「敵国に売り渡して」いた。 なお天皇は、スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、「敵国の戦争指揮官」ドレーパーに勲一等瑞宝章を与え表彰している。 http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/517.html 3投稿者:777 投稿日:2007年07月16日(月) 00時44分38秒 大本営は兵隊をわざと死なせるような作戦をやった まともな戦争ではなかった――ほとんどが餓死か病死だった 武器も食糧も持たせず死ぬとわかった輸送船に乗せて送り出した 敗戦したとたんに、天皇も財界も官僚、政治家も平和主義者のような顔をした そして日本はアメリカの属国になった あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。
日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。 だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。精神主義とかいっているが、その気じゃないのだ。マッカーサーが日本に上陸するのが8月15日から2週間後の30日だ。司令官がすぐ乗り込めるのだ。 4投稿者:777 投稿日:2007年07月16日(月) 00時48分56秒
丸ごと米単独占領 支配階級・日本を米国に売る 占領軍には1発も銃弾は飛ばなかった。 あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。 マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。 ドイツの場合は行政機構は壊滅しており、官僚機構も軍隊も解体したが、日本は軍隊は解散させるが、官僚機構はすべてそのまま残した。日本は空襲でも官庁がやられていない。国会議事堂はそのままきれいに残った。大蔵省や日銀も戦前からの建物がそのままだ。 ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。それが単独占領を保障したわけだ。みなアメリカに協力して民族的な利益を売り飛ばしていった。 アメリカは日本占領に50万人の兵力を用意していた。しかし20万人でよいといって削った経緯がある。戦前の体制がそっくりアメリカの配下になったからできたことだ。いかに日本の支配階級が売国的かがわかる。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm 5投稿者:777 投稿日:2007年07月16日(月) 00時57分06秒 アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。 だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。 国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ! それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。
米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。 6投稿者:777 投稿日:2007年07月16日(月) 00時58分57秒 アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」 日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。 三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm 7投稿者:バカオット 投稿日:2007年07月16日(月) 20時31分34秒 777よ!無謀な投稿は…辞めたほうがいいぜ。このスレに協力するヤツは…ここにはいないよ。 8投稿者:天皇はアメリカとグルだった 投稿日:2007年07月16日(月) 22時49分07秒 日本の軍事力が壊滅状態に追いこまれ、敗戦がすでに決定的であったときに、米軍が機雷による海上封鎖で日本全土を飢餓状態に追いこむ必要がなぜあったのか。 なぜ米軍は軍事施設や軍需工場は温存して、一般市民を焼き殺す作戦を計画的に強行したのか。 こうした疑問は、戦地に兵隊として動員され生死の境をくぐって帰還した体験者のいまわしい記憶とも響きあい、「あの戦争はいったいなんだったのか」の問題意識をともなって論議が発展している 攻撃の対象は日本の一般民であって、軍部ではなかった 制海権、制空権を確保したアメリカは潜水艦による日本の輸送船をことごとく撃沈する方針をとると同時に、マリアナ基地からB29による日本本土への空襲を開始。45年3月10日の東京大空襲を皮切りに、大阪、名古屋などの大都市から全土の中小都市あわせて94都市の家屋・家財を焼き払い、広島・長崎への原爆投下を頂点に70万人を殺傷した。さらに、機雷1万1000個を日本の主要湾岸に投下し、内航・外航の大小の船舶をことごとく撃沈、日本国民を徹底的に飢餓状態に追いこむ作戦を強行するにいたった。 アメリカの攻撃の対象は、「戦争の勝敗を決めるのは軍人ではなく、国民全体が“この戦争は負けだ”と思わないかぎり戦いは終わらない」という米軍将校の訓辞に見るように、すでに日本の軍部ではなく、無辜(こ)の非戦斗の人民大衆であった。人民を抑えつけなければ占領支配ができないという意味であった。 9投稿者:天皇はアメリカとグルだった 投稿日:2007年07月16日(月) 22時51分39秒 昭和天皇にとっては「国体護持」だけが狙いで,アメリカが原爆を投下してくれた事にも感謝していた 天皇制政府は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。 この時期、日本から和平打診の情報がアメリカの新聞で報道され、沖縄戦のさなかの5月には降服の打診がおこなわれたが、アメリカ政府が公式に拒否した事実も明らかにされている。 当時、アメリカにとっては、なによりも戦後のソ連の影響力を排除し、日本を単独占領支配すること、そのために日本の人民の反米的要素、革命的な気力を喪失させることが最大の眼目となっていた。45年2月のヤルタ会談で、ドイツ敗北後の3カ月後にソ連が参戦することが約束されたことは、アメリカ支配層がそれまでに計画的に日本を制圧することを至上命令とした。そのために、原爆の開発と日本への投下計画「マンハッタン計画」をおしすすめ、広島・長崎への投下を強行したのである。 10投稿者:天皇はアメリカとグルだった 投稿日:2007年07月16日(月) 22時52分47秒 昭和天皇は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。 アメリカはその理由として、「日本の軍国的国家主義の根絶」と「自由主義傾向の奨励」をあげ、これに反対するものは、反動的であるかのように宣伝。なによりもまず、原爆の被害にかんする資料を、医学資料から日本人が撮影した記録映画、写真にいたるまでことごとく没収して持ち去り、それにかんする報道をいっさい禁止し、天皇制軍国主義を上回る検閲をおこなった。 プレスコードの「禁止項目」には、「占領軍・占領政策・アメリカ批判」「占領軍将兵と日本人女性との親密な関係描写」「左翼宣伝」などとともに、「飢餓の誇張」などがあり、高度の機密兵器である機雷投下についてふれることは御法度とされた。 これには新聞・雑誌・刊行物、放送、演劇脚本・映画・紙芝居・幻灯など、言論・文化のあらゆるものが対象とされ、一般市民の手紙・葉書などの郵便物、電報・電話の傍受にいたるまで徹底したものであった。しかも、「民主主義」のたてまえから「検閲が知られるようなことが絶対にないように、それを暗示することもふくめて、残してはならない」ことまで指示。違反したものには、沖縄送りなどのきびしい刑罰を設定していたことも、明らかとなっている。 日本の商業マスコミ、「共産党」中央指導部、社会民主主義の政治勢力はおしなべて、こうした占領政策を賛美し、人民が戦争体験の真実を語ることを抑圧する支配構造が形成されてきた。この構図は今日まで生きて作用してきたといえる。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/okasinasennsoudaltuta.htm 11投稿者:すべてがアメリカの陰謀だった 投稿日:2007年07月16日(月) 22時55分21秒 対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。 あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。 アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。 あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。 12投稿者:すべてがアメリカの陰謀だった 投稿日:2007年07月16日(月) 22時56分37秒 マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。 「戦後の方が食糧がなかった」というのが実態だが、占領軍が食糧を持ち去ってないような状況にして、「食糧援助」と称して恩義を売る。飢餓作戦をやっていた。 占領期の検閲問題なども暴露されていない。きれいにマインドコントロールされるようになっている。マッカーサーは45(昭和20)年9月15日、「プレスコード」(新聞紙法)を発したが、アメリカ占領軍の「検閲」の名による言論統制を四五年秋から非公然に開始した。検閲要員は1万人近くいた。その対象は、新聞・雑誌、放送・演劇脚本・映画、紙芝居・幻灯などのすべてにわたり、国民の手紙や葉書などの郵便物、電話の盗聴までやっていた。 そういうことについても、一切知らせてはならないと、徹底した検閲をやった。日本のメディアは、自分らで自主検閲するようにするし、朝日新聞なんかは自主検閲要領というのをプレスコードの線に沿ってつくっていた。それはいまでも続いているしもっとひどくなっている。一方で、GHQは新聞やラジオなどを直接にも利用して、宣伝していった。第2次大戦についてのアメリカ軍を美化する心理作戦でも、商業新聞に直接GHQが原稿を書いていたり、NHKの「真相はこうだ」という特集などもそうだ。 13投稿者:すべてがアメリカの陰謀だった 投稿日:2007年07月16日(月) 22時57分02秒 米軍について悪くいうことを徹底して封じた。だから原爆の実態や空襲実態についても徹底し隠した。沖縄戦なども典型的で、日本軍がみんな殺したようなイメージをつくり出す。マニラとか長沙などへのアメリカ軍の爆撃もみんな隠蔽していた。安岡の戦争体験者が長沙へのアメリカの空襲を近年朝日新聞に投稿したら、ボツにされたといっていた。 戦後のアメリカの検閲のやり方を見ても、報道内容をチェックするばかりではなく、郵便物や電話まで開封、盗聴する。しかも検閲してないような格好をしてやる。戦前の検閲は、伏せ字で検閲したことが分かる形だったが、アメリカの方はまだ陰険だ。内容は、原爆を公表してはならない、戦争の悲惨さを公表してはならない、反米的なものは許さないというものだった http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm 14投稿者:すべてがアメリカの陰謀だった 投稿日:2007年07月16日(月) 22時58分52秒 戦後、日本が占領下におかれていた1952年まで、米占領軍は占領政策を批判するメディアを容赦なく弾圧した。かつて私が勤めたことのある日本評論社は、同社発行の月刊総合誌『日本評論』が米占領軍批判論文を掲載したことで発禁処分になり、倒産に追い込まれた。 このことが日本のジャーナリズムを萎縮させた。日本のすべてのメディアがアメリカ批判を控えるようになった。このときのトラウマは、占領が終わったあともずっとつづいた。日本のジャーナリズムにおいてアメリカ批判は最大のタブーとなったのである。 日本にはCIAの情報網が網の目のように組織されて、日本の政治家や要人をすべて監視している。中曽根総理や小泉総理のようにアメリカのポチならスキャンダルは押さえ込まれて長期政権が出来るが、アメリカの言う事を聞かない総理は朝日新聞などにスキャンダルがリークされて短命政権になる。 http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/06-08/060825morita.htm 15投稿者:すべてがアメリカの陰謀だった 投稿日:2007年07月16日(月) 23時00分47秒 『日本の支配層は、負けると思いながら日米戦争に突き進んだ』
『大本営は兵隊をわざと死なせるような作戦をやった』 「これまで、真珠湾攻撃を仕かけたのは日本と思っていた。でも、アメリカは日本が攻撃するのを知っていて全部仕組んでいた」 「天皇がわざと兵隊を多く死なせる作戦をしていた」 戦後の日本はアメリカを「解放軍」と美化するとともに、1部のA級戦犯だけを処罰し、あとの責任は「1億総懺悔」といって国民全体に押し付け、戦争をおこした財閥、政治家、官僚、マスコミ指導者などはアメリカによって守られた。兵隊経験者を「加害者」といって排除することは、第2次大戦の真実にベールを掛け、ふたたび日本を戦争にたたきこむアメリカの利害から出発していた。
「アメリカはイラクでも同じことを繰り返し、その野蛮さは動物以下じゃないか。戦後社会は、アメリカのうたう民主主義に巧妙に騙されてきた。 原爆や空襲でこれだけひどい目にあわされたのに、いつのまにか親兄弟を殺したマッカーサーを尊敬し、チョコレートや脱脂粉乳などの家畜の餌を与えられたことを感謝するようにされた。 アメリカは中国やロシアを狙うために日本を占領したし、“終戦を早めるため原爆を投下した”などごまかしだ。政治家がやらないのなら日本中から声を上げていかないといけない」 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/gunnkou%20kuresidesyougekitekinahannkyou%20kyuugunnzinnyaizokunotuyoikyoukan.htm 16投稿者:アメリカが日本を植民地にしたかった理由 投稿日:2007年07月16日(月) 23時03分11秒 アメリカはアジア支配の為には日本を植民地にするのが必要条件だと判断して,アホ日本人を挑発して自分から真珠湾攻撃をさせる様に仕組んだ. 天皇も最初からグルだった. 戦後日本を補給基地にして世界中で戦争を繰り返して世界制覇を果たした. さすがアングロサクソンは悪賢い: アメリカが日本を失えば地球半分の兵站基地を失う事になる。 米軍の戦力評価を厳密にしようと思えば、目に見える兵力だげでなく、ロジスティックス、つまり補給・兵鈷といった面をきちんと押える必要があります。その部分から眺めると、在日米軍基地は地球の半分で戦う米軍兵力のすべてを支えてきたことが明らかになるのです。これは巨大な戦力根拠地です。 いま、無人の無線中継所まで含めた在日米軍基地は全国に百五カ所あり、三百二十四平方キロの用地を使っています。日本では、米軍基地というとすぐに沖縄を思い浮かべますが、実は本土のほうに重要な機能が集中しているのです。 「西太平洋のすべての米軍部隊は、日本に基地を置く広範な補給ネットワークによって支援されている」、「日本に置かれた弾薬の貯蔵施設は、西太平洋における陸上弾薬庫の貯蔵能力の五〇パーセソト以上にあたり、石油の貯蔵能力のほうは、ハワイから西に置かれた燃料の八○バーセントにものぽっている」 17投稿者:アメリカが日本を植民地にしたかった理由 投稿日:2007年07月16日(月) 23時03分58秒 "ハワイから西〃という表現は、西経百六十度線から西、イソド洋を通り越したアフリカ最南端の喜望峰までを意味し、第七艦隊の作戦範囲と一致しているわげですが、なんと地球の半分に相当する広大なエリアです。 燃料と弾薬について具体的なデータを米軍側に求めたところ、日本に置かれているのも大部分は海軍の燃料で、長崎県佐世保の五百三十万バーレル、神奈川県鶴見の五百七十万バーレル、青森県八戸の七万バーレルと、合計千百七万バーレルにものぽっています。 米軍自身、それをして"ベンタゴン最大のオイルターミナル〃と表現しているわげですが、日本にはアメリカ本土にもないほどの巨大な軍事用ガソリンスタンドが置かれていたのです。なにしろ、佐世保だげでぺンタゴン第三位と記されているのです。 このアメリカ海軍の燃料、それではどれぐらいの能力があるかというと、米ソに次いで世界で三番目に石油エネルギーをガブ飲みしている日本を、まるまる三日まかなえるわげです。三日などと言うと大したことないように思えますが、主要戦闘艦艇七十隻七十万トンで編成する世界で最大最強の第七艦隊を実に十回も満タソにでき、それによって六ヵ月間も作戦行動させられるのです。 空軍はといえば、これがすごい。沖縄の嘉手納弾薬庫を管理している第四〇〇弾薬整備中隊の説明資料に、「わが中隊は米軍最大の弾薬部隊」とあり、米軍最大の弾薬庫はアメリカ本土でもヨーロッパのNAT0の正面でもなく、沖縄の嘉手納だと考えてよいのです。 このように燃料と弾薬だけをみても、地球の半分で行動する米軍は日本に支えられてきた、ということは間違いありません。これは、世界一の傍受用アソテナである三沢基地の象のオリなど、情報の収集・解析機能を加えると、いっそう際立ってきます。アメリカの海外軍事拠点として、日本は質量ともナンバー・ワンといえるほどの重要性を秘めているのです。 18投稿者:アメリカが日本を植民地にしたかった理由 投稿日:2007年07月16日(月) 23時04分32秒 ◆日米安保条約破棄を恐れるアメリカ アメリカはすでに、日本が安保条約の破棄を通告してきた場合、どう対処するかを具体的に検討しています。しかし、基本的には安保条約を維持するのがアメリカにとってベストの選択ですから、安保解消の動きが日本側に生まれないうちに封じ込めてしまおうと考えているようです。 アメリカの戦略的動向を分析していくと、一九八○年代に入ってからは対日戦略を最も重視し始めていることがわかります。たとえぱ、日本語を喋れて、日本人の思考方法を理解できる人材の確保、つまり日本の情報を的確に把握できるアメリカ人をもっと増やさなけれぱいげない、という姿勢が露骨に表われています。 どういうことかと言うと、アメリカは第二次世界大戦において陸軍語学学校を作り、ラィシャワー博士などが教官を務める中で対日戦にも効果を上げたわげですが、それと似たパターンが出てきているということです。八四年夏、CIAは日系人の上級アナリストを公募したのですが、それまでは真剣に日本のことを研究する必要がなかったので、ランクの高いアナリストに日本を対象とした人材は少なかったのです。アメリカがこんな研究を始めたのは、日本が日米安保条約を破棄することを警戒し、両国がコリジョン(衝突)・コースというワースト・シナリオをたどらないよう、真剣に取り組み始めたからです。 19投稿者:アメリカが日本を植民地にしたかった理由 投稿日:2007年07月16日(月) 23時05分00秒 アメリカ海空軍は世界に軍事基地を展開させていますが、その中でも日本にある米軍基地はハワイからケープタウンまでの世界の半分をカバーするだけの兵站基地となっているのだ。つまり日本の軍事基地が使えなくなるとインド洋から西太平洋はアメリカの勢力圏ではなくなってしまう。 イラク戦争も日本の兵站基地が使えなければインド洋の制海権は無くなり、補給そのものも難しくなり、中東の石油はアメリカは手に入らなくなる。その空白をロシアや中国の潜水艦がインド洋や西太平洋をわがもの顔で航行するようになり、アメリカのタンカーや商船は脅威にさらされる。 日本以外にもアメリカの軍事基地はフィリピンにもグアムにもオーストラリアやシンガポールにもありますが、中継基地に過ぎず米軍の艦船や航空機などのメンテナンスが出来るような基地はアメリカ本土か日本にしかない。フィリピンやオーストラリアではそのようなインフラが無いのだ。 政治情勢で見ても日本がアメリカと手を切り、中国やロシアと手を組むようになった場合を考えればハワイは孤立して防衛ラインを本土の西海岸まで後退させなければならない。中国やロシアの潜水艦が大手を振って太平洋に出てくるからだ。つまりアメリカが日本を失えば世界の覇権を失う事を意味する。 20投稿者:アメリカが日本を植民地にしたかった理由 投稿日:2007年07月16日(月) 23時08分43秒 経済的に見てもアメリカのハイテク兵器は日本のハイテク部品や技術が不可欠だから、それが入らなくなると兵器すら作るのに不自由するようになる。経常赤字の穴埋めやドルの買い支えなども日本が一手に引き受けているから、ふらふらな状態のアメリカを支えているのは日本が何とか支えているからだ。 世界が60年以上も大きな戦争が起きなかったのは日本とアメリカが同盟していたからであり、日米同盟は中国やロシアやEUが把になってもかなわない強力なものであり、だからこそアメリカは超大国でいられたのだ。大英帝国が世界帝国から転げ落ちたのは日英同盟を解消したからであり、香港要塞とシンガポール要塞を日本軍に陥落されて大英帝国は没落した。 アメリカは日米安保の破棄を恐れている。だからこそCIAなどが日本の世論動向を注意深く見守っているのですが、日本の反米ナショナリズムの台頭を一番恐れている。だから左翼や中国や韓国を使って「歴史カード」でナショナリズムを押さえ込んできたのです http://asyura2.com/07/war92/msg/137.html ★太平洋戦争が終わってもアメリカには終戦はなかった――日本を基地に休まず中国、朝鮮、ベトナムへ そして世界を支配下に置いた 日本を植民地にしたからこそアメリカの世界制覇は可能になった. 悪の帝国アメリカ万歳!!! 21投稿者:今こそ合州国の正体直視を 投稿日:2007年07月16日(月) 23時10分05秒
本多勝一 この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。 国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。 あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。 ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。 朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。 22投稿者:今こそ合州国の正体直視を 投稿日:2007年07月16日(月) 23時11分08秒 合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。 これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。 これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。 http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451 23投稿者:バカオット 投稿日:2007年07月16日(月) 23時40分36秒 777よ!オマエには…まず、するべきことがあるだろ?アメリカは…真光教よりも下かぁ?今のオマエがやるべきことは…自分自身がよく知っているはずだ。 24投稿者:777 投稿日:2007年07月17日(火) 00時03分48秒 真光より これでも聞いてた方がずっといいよ: プロジェクトX 最終回 エンディング http://www.youtube.com/watch?v=sCh1yEeo1_M&mode=related&search= 25投稿者:バカオット 投稿日:2007年07月17日(火) 00時49分25秒 オマエも退屈な男だな。それじゃ、学歴重視の中で…生きてきたって言ってるもんじゃないかよ!変えれるものから…変えないと。 26投稿者:777 投稿日:2007年07月23日(月) 00時29分02秒 南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。 南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。 そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。 そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。 あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。 http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm 27投稿者:あ 投稿日:2007年07月23日(月) 01時46分38秒 あ 28投稿者:なぜ負けるとわかっていた戦争をやったのか 投稿日:2007年07月24日(火) 00時16分07秒 真珠湾攻撃をやるまえに海軍自身が「石油は2年しかもたない」といっていたが、天皇も軍部も最初から負けるとわかっていてアメリカとの戦争に突っ走った. 天皇が一番怖かったのは日本のなかでの革命だった。満州事変のまえの2・26事件にしても、日本は農村恐慌で農民一揆も2000件もあり、社会不安が起こる危険性が高かった. ソ連や中国に負けるわけにはいかなかった、どうしてもアメリカに負けなければならなかった そうした背景があって青年将校が事件を起こした。事件そのものは鎮圧したが、天皇や上のものは、共産革命が日本でも起こることを念頭においていただろうし、それをもっとも恐れただろう。 太平洋戦争でアメリカに負けたというが、そのまえに中国でさんざんにやられている。それが日本の敗戦を決定的にしたのだ。 日本軍は中国人や朝鮮人を「チャイナ」とか「ヨボ」とかいってべっ視しきっていた。創氏改名をさせ、名前も宗教も認めない、日本に労働力として強制連行したり、兵隊にとっていた。中国に負けて撤退となると、「勝った、勝った」という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、「中国からの全面撤退」は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/utunomiyamutuo.htm 29投稿者:なぜ負けるとわかっていた戦争をやったのか 投稿日:2007年07月24日(火) 00時20分50秒 負けると分かった戦争に突き進み、いくら負けてもやめることはせず、原爆投下になって無条件降伏をした。45年2月、吉田茂などが関わり近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは、米英は国体を守ってくれること、もっとも恐るべきことは敗戦にともなって起こる人民の革命だというものであった。 天皇とその側近がもっとも心配していたのは、国体が護持されるかどうか、自分たちの地位が守れるかどうかだけであった。だまされて死ににいかされた兵隊たちが返ってきたら、反乱を起こし、自分たちの支配の地位が剥奪されるという不安であった。 日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。 天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/beikoukanngagenbakutoukaseitoukawohatugen%20nihonsukuuzihibukaikouito.htm 30投稿者:なぜ負けるとわかっていた戦争をやったのか 投稿日:2007年07月24日(火) 00時33分46秒 1945年8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告に直面し、海軍大臣米内光政大将は、1945年8月12日、次のように語った。 「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢[国民の厭戦気分の蔓延と政府・軍首脳への反感]を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」(『海軍大将米内光政覚書』:ビックス『昭和天皇』講談社学術文庫 引用) 原爆投下が、昭和天皇の終戦の聖断をもたらしたのではない。敗北続きの軍、国難・生活難に陥れた日本の指導者たちへの国民の反感という世論が、共産主義革命・国体変革という未曾有卯の危機を予感させた。日本の指導者たちは、広島・長崎への原爆投下を、終戦(降伏)する口実としたが、核兵器の恐ろしさや戦後世界の核戦略は理解できなかった。 ソ連は、国体・天皇に敵対する共産主義者の集まりであり、ドイツを打倒した強大な軍事力が日本に向けば、日本は占領され,国体も変革されるであろう。このようなソ連による国体変革の脅威を目前にして、米国への降伏、国体護持を請うたのが、終戦の聖断である。 http://suyap.exblog.jp/5842042 31投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時51分55秒 第二次世界大戦が終結する数ヶ月前、フィリピンにおいて、山下奉文将軍はルソンの山々で遅延活動を闘っていた。一方、日本の皇室の皇子たちは未来にそなえて準備していた。彼らは略奪した金の延べ棒と、また別の盗んだ財宝を近くの洞穴やトンネルの中に隠すことに忙しかった。それらは後に発見される運命ではあったのだが。これらは数千年にわたり集積されたアジアの十二の国々の財産であった。日本陸軍に付属した専門家集団は組織的に、宝庫、銀行、工場、個人の家、質屋、画廊を空っぽにした。そして一般人からも奪った。一方、日本のトップの強盗たちはアジアの地下社会と暗黒経済から略奪した。この点では、日本はナチより遙かに徹底していた。それはあたかも、東南アジアを巨大な掃除機で吸い取っていったかのようだった。略奪品のほとんどは韓国を通る大陸経由で日本に届けられた。残りは海上輸送であったが、一九四三年初期に合衆国の潜水艦による海上封鎖が完全になってからは、海上輸送ができなくなった。そこで、財宝を隠すことが決定的に重要になった。財宝を隠すことができたら、日本が戦争で負けても、金融的には負けることにはならないのだ。この戦争がどのように解決されようとも、日本はフィリピンを維持することをずっと期待していた。皇子たちによって監督されて、百七十五の「皇室」の財宝を隠す地下室がこの島々の中に建設された。一九四五年六月初旬に、バンバングから二十マイル以内に合衆国の戦車隊が接近したとき、百七十五の地下室の主任技師たちが集められ、八番トンネルとして知られていた地下二百二十フィートの地下室で送別会が催された。 32投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時52分51秒 そこには、壁という壁に金塊が山と積まれていた。夜が更けると、彼らはしこたま酒を飲んで、愛国歌を歌い、万歳(「長生き」)を何度も何度も大声で叫んだ。真夜中に、山下将軍と皇子たちはその地下室を抜け出た。そして、地上への連絡トンネルをダイナマイトで爆破した。技師たちは墓に入れられた。彼らは生き埋めにされたのだ。儀式的な自殺ができなかった者たちは、黄金に囲まれて徐々に窒息していっただろう。そして、その地下室群は秘密にされるだろう。数日後、皇子たちは潜水艦で日本へ逃げ帰った。そして三ヶ月後、山下将軍はアメリカ軍に包囲された。 半世紀の間、このぞっとする生き埋めの物語は知られることがなかった。隠された財宝は山下の黄金伝説として無視された。しかし、墓に入れられたのを見た一人の目撃者が、八番トンネルにわたしたちを連れて行き、個人的な話をしてくれた。戦時中、ベン・ヴァルモレスは特別な日本の皇子付きの若いフィリピン人の従者であった。この皇子はフィリピンにおけるすべての皇室の財宝を隠す場所の建設と、目録作りと、封印を担当していた。高等教育を受け、時として感傷的だったからか、この皇子は最後の場面で、ベンの命を惜しみ、ダイナマイトが爆発する直前に、ベンを八番トンネルから出した。私たちがインタビューしたとき、ベンは七十歳代半ばで健康がすぐれなかったが、一九四三年から一九四五年にかけて彼が見たことと、皇子の仲間たちの中で経験したことを何ヶ月かにわたって、私たちに話してくれた。ベンは遂に、わたしたちに彼がその皇子と関係した他の皇子たちを確認することができる決定的な手がかりを与えてくれた。 日本のアジアからの略奪は、天皇裕仁の魅力的で教養のある弟、秩父宮によって監督されていた。彼の組織は天皇のある歌に因んで「黄金の百合」(ゴールデン・リリー)と暗号で呼ばれた。より下位の皇子たちは占領地域を横切る「黄金の百合」の各地の支部の長であった。日本からの情報によって、現在の時点で、ベンの戦時中の主人は竹田宮恒徳(つねよし)皇子であったことが確認された。 33投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時53分31秒 竹田宮恒徳は天皇裕仁の従兄弟で、明治天皇の孫であった。これを確証するために、一九八八年にわたしたちは一九三〇年代に撮られた多くの皇子たちの不明瞭な写真を用いて、ベンに「ブラインド・テスト」を行った。この写真は英国図書館東洋コレクションから得た軍服を着た皇子たちの写真だった。彼らは真珠湾の前夜に写っているように見えた。わたしたちは各々の写真に書かれた名前を除き、普通の兵隊と一緒に混ぜたのだが、ベンは即座に武田宮、裕仁の兄弟である秩父宮と三笠宮、そして年長の皇子朝香宮を間違いなく確認した。ちなみに、朝香宮は南京虐殺事件の時の日本軍の司令官だった。ベンは、彼らが目録を作り財宝の場所を封鎖する間、この皇子たちと一緒にいて、食事やお茶や煙草の世話をしたと話してくれた。ベン・ヴァルモレスは田舎の米を作る農民で、フィリピンから一度も出たことがなく、小学校以上は行ったことがない。それ故、彼が即座に皇子たちを確認したことは説得力がある。わたしたちが用意した武田宮の写真を見たとき、ベンは凍り付いた。それから、日本の民謡「さくら さくら」を低い声で口ずさみ始めた。この歌は武田宮が一人で歌っていたと、ベンは言った。 武田宮の身元の発見によって、わたしたちはより大きなパズルから、見失っていた一つの小片を得ることができた。わたしたちが日本の皇室の伝記「The Yamato Dynasty 大和朝廷」を書いていた一九四五年十月に、アメリカの諜報部員がフィリピンに日本の財宝が埋まった地下室の場所を知り、極秘に数十億ドルの価値がある黄金、プラチナ、文化的な美術品、紛失した宝石等を発見したということを知らされた。この情報がもし本当なら、合衆国政府が半世紀もの間隠してきた途轍もない国家機密の存在を暴露することになる。その掛かり合いが非常に深刻なので、わたしたちは別に調査する価値があると決定した。ここに、わたしたちが調べたことがいくつかある。 34投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時54分18秒 一九四五年九月二日、日本が降伏したという公文書を受け取った後に、山下将軍と部下はキアンガン・ポケットの山の要塞から現れて、A・S・ 'ジャック'・ケンワーシー憲兵少佐指揮下の合衆国陸軍将校の部隊に投降した。彼らはマニラ郊外ニュー・ビルバッドの監獄に連行された。(山下がマニラ市を攻撃しないようにと命令した後に)岩淵完二将軍の部下の水兵や海軍兵らが起こしたマニラ市でのぞっとする残虐行為のために、山下将軍は戦犯の容疑がかけられていた。彼の取り調べでは、戦時中の略奪品についてはまったく言及がなかった。しかし、隠された計画があったのだ。弁護士に知られることなしに、山下将軍を肉体的に拷問することは不可能なので、代わりに彼らは山下の部下を拷問した。山下の運転手小島カシイ少佐が特に目をつけられた。山下が満州から一九四四年十月にフィリピンの防御のためにフィリピンに着いてから、小島は山下を何処にでも運転して連れて行った。小島の拷問を担当したのはセルビノ・ガルシア・ディアズ・サンタ・ロウマーナーという名のフィリピン人のアメリカ諜報局将校だった。彼はいくつもの名前と身分を持っており、彼の友達は「サンティ」と呼んでいた。サンティは小島少佐に山下を車で連れて行った場所を明かすことを要求した。そこに、金塊と他の財宝が隠されていたのだ。 サンティを監督していたのは、調査して判明したのだが、エドワード・G・ランスデイル大尉だった。彼は後に、アメリカの最も有名な冷戦の戦士の一人になった男だ。一九四五年九月、ランスデイルは三十七歳だった。それまでは、彼はサンフランシスコに居て、戦争中はOSSのために宣伝文を書いていた、取るに足らない宣伝専門の諜報員だった。 35投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時55分00秒 一九四五年九月、トルーマン大統領がOSSを閉鎖する命令をだした時に、ランスデイルの人生に大きなチャンスがやってきた。アメリカの諜報員と自分の個人的なネットワークを維持するために、OSS長官ウィリアム・ドノヴァン将軍は自分の部下の諜報員を他の政府部門と軍事部門の部署に異動させた。ランスデイル大尉はフィリピンの合衆国陸軍G-2に配置転換された五十五人の職員の一人だった。フィリピンで、ランスデイル大尉はサンティが山下長官の運転手を拷問していることを聞きつけ、オブザーバー兼実行者として加わった。 十月の始め、小島小佐は白状し、ランスデイルとサンティをマニラ北部の山々にある一ダース以上の「黄金の百合」の財宝の場所へと連れて行った。そのうちの二つは簡単に開いた。 中にあったものは、みんなを驚ろかせた。 サンティと配下の者たちが他の地下室を開く準備をしている間に、ランスデイル大尉はマッカーサー長官に概要を説明するために、東京へ飛んだ。それから、トルーマン大統領に概要を説明するために、ワシントンへ飛んだ。内閣で協議した後、トルーマンは発掘を続けること、しかしこれを国家機密にすることを決定した。 財宝――金、プラチナ、失われたたくさんの宝石――は共産主義と闘うために、世界的に秘密の政治的な活動資金を創り出すために、ヨーロッパで発見された枢軸国の略奪品と結合された。この「黒い黄金」はトルーマン政府が秘密の作戦のために使うことができる、全く無制限で証明書が不必要な資金の運用を可能にした。「黒い黄金」はまた、同盟国の基金を補強するために、政治指導者たちの賄賂にするために、そして外国の選挙を操作するために、ワシントンによって使われる諜報員の基地を提供した。一九四〇年代後半、この計画は全く正当だと見られていた。というのは、ソ連が世界中で積極的に共産主義者と共産主義運動を援助していたし、資本主義世界の生存を危機的状況に追い込んでいたからだ。 36投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時56分24秒 それはトルーマンだけの決定ではなかった。戦時略奪品をグローバルな政治活動の資金にするという考えは、ヘンリー・L・スチムソン陸軍長官とともに、ルーズベルト政府の間で実際に始まっていた。戦時中、スチムソンは枢軸国の略奪品について、またそれを平和になった時にどう扱うべきかについて、綿密に検討する専門委員会を主催していた。戦争の流れが枢軸国に不利に変わってからは、財宝が取り戻されるのは時間の問題だった。この戦争の賞品のほとんどは、ナチスによって占領された国と市民の犠牲者から略奪された黄金の形になっていた。元の所有者の痕跡を消滅させるために、ナチスは黄金を溶解し、ライヒスバンクの鈎十字と黒鷲の刻印を押したインゴットとして再鋳造した。黄金の痕跡を辿ることが困難なのは、また別の理由があった。元の所有者の多くが死亡していたことと、戦前の政府が存在していなかったからだ。東ヨーロッパはソ連の支配に陥っていた。それで、略奪された黄金を元の持ち主に返却することは、問題外であった。 この問題に関するスチムソンの特別な助手は、彼の副官であるジョン・J・マッコイと、ロバート・ロベットと、コンサルタントのロバート・B・アンダーソンだった。三人とも公共事業と銀行業に精通した賢い男たちだった。マッコイは後に世界銀行の頭取に、ロベットは国防長官に、アンダーソンは財務長官になった。彼らが出した結論は非公式に「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれるものを設立することだった。戦後の世界経済の計画のためにニューハンプシャーのブレトン・ウッズに四十四カ国が会した一九四四年六月に、この考えは極秘にアメリカの同盟国と最初に議論された。(これはマニラのCIAの職員で前CIA副局長レイ・クライン――彼は一九四五年のサンティの発見を知っていた――を含む多くの高いレベルの情報源から得た資料によって確認できた。クラインは一九九〇年代、つい最近まで、シティ・バンクの金庫室の中にある日本が戦争で得た黄金を制御する仕事に関与していた)。 37投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時57分23秒 トルーマン大統領と、マッコイとロベットとスチムソンを含むワシントンの高官に概要を説明した後に、ランスデイル大尉はロバート・B・アンダーソンを連れて、一九四五年十一月に東京に戻った。それから、マッカーサー将軍はアンダーソンとランスデイルを伴って、マニラへ極秘に飛んだ。マニラで、彼らはサンティが既に開けていた地下室へ出かけた。その地下室で、アンダーソンとマッカーサーは「二メートルの高さにびっしりと積み上げられた金塊の山」のところへぶらぶらと降りていった、とわたしたちは告げられた。彼らが見たものから、アジア中から数十億ドルもの財宝をある期間で日本が略奪したことは明らかであった。アンダーソンとマッカーサーが見たものは、単に日本に「届けられなかった」黄金だった。戦争で破産するどころか、日本は非常に富んだ国になっていたのだった。 レイ・クラインと別の者たちによると、一九四五年から一九四七年の間に、サンティとランスデイルによって発見された金塊は、極秘に船で四十二カ国、百七十六の銀行に移された。秘密にすることがきわめて重要であった。もし、巨大な量の盗まれた金が発見されたことが知られたら、数千人の人々がそれは詐欺で手に入れたものだと、権利を主張するだろう。そして、政府は所有権の問題を解決するために動きが取れなくなるだろう。トルーマン大統領はまた、もし大量の黒い黄金がまさに存在していることが公に知られることになると、一オンス三十五ドルの固定された金の値段が崩壊するだろうと警告されていた。そうなれば、多くの国は自国通貨を米ドルにリンクさせているので、そしてドルは金にリンクしているので、世界中の通貨価値が急落して、経済恐慌の原因となるだろう、と。 38投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時58分06秒 この議論は「ブラック・イーグル戦略」から利益を得ようとする立場に立つ者たちによって大きく誇張されたが、誰もどんな合意が得られるかを明確にすることはできなかっただろう。もし、その黄金が秘密にされたら、金価格は一オンス三十五ドルに固定できるだろうし、ドルの強さを維持できて、金にリンクした通貨は安定するだろう。一方、連合国の主要銀行を支持しながら、連合国を強化しながら、黒い黄金は予備資産として使えるだろう。いわば安全装置として、これらの銀行に置かれた金塊は注意深く制御された。その黄金の使用には厳密な制限がつけられた(使途指定と呼ばれる手順)。これによって、ワシントンは時として、政府や中央銀行や主要銀行に圧力をかけることができた。簡潔に言えば、国と指導者が協同し、冷戦の中で合衆国と連合を維持している限り、眠っている金塊から派生する政治的な汚い基金として得意客のために使用することが可能だった、ということだ。 記録文書によると、一九四五年と一九四七年の間に、莫大な金とプラチナが「ユニオン・バンク・スイス」と別のスイスの銀行を含む世界の巨大銀行に預けられたことが示されている。そして、それが「ブラック・イーグル・トラスト」の主要な貯蔵所となった。スイスが戦争中、中立国であったこと、またスイスの銀行が略奪されたり、破壊されたり、破産したりしないので、スイスの銀行が中枢の役割を演じた。主要なスイスの銀行の役員によってサインされた書類は、この資産を基礎にして裏書きされた非常に巨額な借款が戦争から復興するためにもがいている英国政府、エジプト政府、中国国民党政権、その他の国々になされたことを示していた。 39投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時58分42秒 長い期間、これらの事態を悪化させた元凶は、国家機密という口実がそれを悪用する環境を創り出したことである。国家機密を防御することは、政府の官僚と、彼らが属している部署の者たちを防御することである。後半の章で、この地下資金が巨大な賄賂として表面化したこと、イタリアやギリシャや日本やその他の国で、選挙を金で買うことに使われたという多数の記録された例を提示する。有益な信託が世界中の影響力のある人物のために設立された。黄金の持参人の証明書が契約締結の誘因として与えられた。賢者たちの手の中にあれば、可能性は無限であった。 数十年間、世界の巨大銀行の幾つかは金庫室の中にある黒い黄金を弄ぶことに耽溺するようになった。今や、彼らは黄金を維持するために必要なことなら、どんなことでもするだろう。これは、スイス銀行でホロコーストの被害者の黄金で起こったように、そのためなら証明書を持っている者、あるいは相続人からだまし取ることさえするということを意味する。 振り返ってみると、「黄金の百合」の財宝がある地下室を発見することと、「ブラック・イーグル・トラスト」の設立は、愛国的な理由と高貴な根拠のためになされるとしたら、容易なことだった。冷戦の間、国家機密にされることによって、仲間の報告を見ることが不可能だったので、多額の地下資金として諜報活動に使用することは、それほど容易なことではなかった。それを使うことによって利益を得る者たちを除外したら、いったい誰が秘密の資金を監督できるだろうか。 また別の悪用がなされた。この財宝を隠匿するために、また一九四〇年代後半のアジアに押し寄せた共産主義の潮に対抗するために、ワシントンは多くの大きな外交的な嘘をついた。特に、日本について嘘をついた。日本が黄金のほとんどを盗んでいたのに。 40投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 10時59分20秒 日本を支配しているエリートは、共産主義の脅威を警告している伝統的にガチガチの保守主義者である。アメリカは日本がアジアの反共産主義の砦になることを望んでいた。そこで、東京の隠された富のことは決して知られてはならなかった。東京の最も熱烈な反共産主義者はたまたまだろうが、戦犯として起訴されていた。そこで、アメリカは民主主義への改革と新しい憲法を導入する一方で、日本をまったく非民主的な男たちの支配に後退させ、巨額な黒い資金を注入することで、彼らを権力者の地位に保った。 一九四五年のことの始めから、ワシントンは日本は何も盗んでいないし、不景気になり戦争が終わったときに破産したと主張していた。ここに、多くの大きな歪曲がある。そして、それが怖ろしい秘密となった。 「黄金の百合」で集積され、ワシントンによって取り戻された財宝は秘密にされねばならなかったので、日本とアメリカの市民は完全に欺かれたことになる。一九五一年の日本との平和条約の締結はこれらの歪曲によって歪められた。それで、(日本の会社のために奴隷労働を強いられた)数千人の戦争捕虜と市民はその苦難に対してまったく賠償を受けなかった。日本が戦時賠償を逃れるために、ジョン・フォスター・ダレスはこの条約の用語をうまく秘密にするために、三人の日本人と私的に会った。三人の内の一人は宮沢喜一だった。宮沢は後に日本の首相になったし、何度も財務省の大臣になった男である。 平和条約の第十四条によると、「日本はこの戦争中に、日本に起因する連合国軍への損害と苦難に対して賠償金を支払うべきであると認められる。しかしながら、日本の資産は現在十分でないこともまた認められる」。 41投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時00分15秒 日本は破産しているという主張を補強するために、第十四条は次のように述べる。「連合国軍は、日本によるすべて行動に起因したことに関して、連合国軍とその国民のすべての賠償要求を放棄する」。(強調は著者)。この条約に調印することによって、連合国は日本の略奪品がウサギの穴に落ちて消滅したこと、更にすべての日本軍による犠牲者は運が悪かったということで、意見が一致したということだ。 この条約に賛成した返礼として、連合国の疲弊した中央銀行を強化するために、ワシントンはサンタ・ロウマーナーによって取り戻された黒い黄金を船便で秘密に送った、ということをわたしたちは証明する。 「ブラック・イーグル・トラスト」とそれが生んだ政治活動資金は、本に書かれて暴露されることなく維持されたので、これらの汚い資金のあるものは悪い奴らの手に落ちた。そこで、彼らはその資金を今日まで維持している。そして、それは以前より大きくなっている。ワシントンと東京の信頼できる筋からの情報によると、一九六〇年に副大統領ニクソンはアメリカ大統領選挙の時に、ニクソンの選挙資金としてキックバックするという約束の見返りとして、これらの資金の内で最大の資金、M資金を日本の自民党指導者たちに与えた、という。しかし、M資金はその当時で三百五十億ドル、今の価値で五千億ドル以上と言われるが、自民党のキングメーカーによってそれ以来ずっと支配されてきた。彼らは選挙を金で買うために、日本の一党独裁体制を維持するために、いかなる意味ある改革も阻止するために、その資金を使ってきた。別の資金による同じような悪用は世界中で見られる。 秘密は力である。力は堕落する。秘密の力は秘密に堕落する。 42投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時01分12秒
日本に関する専門家チャルマーズ・ジョンソンはこれをうまく表現している。「冷戦は終わった。合衆国が信じてきたどんなことでも、冷戦を起訴するために必要だった。冷戦そのものは、もはや費用の点と意図しない結果について、無知を正当化することはできない。今日の論点は、日本が社会主義に変わるか、中道主義に変わるかではなく、なぜ長期間合衆国に依存してきた日本政府がこれほど堕落し、馬鹿げたものであり、弱いのかということである」。 どこから、このすべての財宝は来たのか? 今まで、アジアからの日本の略奪は、酔っ払った兵士による盗みと暴力による、散発的なバラバラな活動として無視されてきた。しかし、これは偽情報である。 戦争の拡大による略奪は何も新しくはない。一八六〇年、中国北部へ懲罰的な遠征をした英仏の軍隊が酔っぱらって暴れだし、北京郊外のすばらしい夏宮殿で略奪した。打ち壊し、破壊し、あるいは運べないものは焼き、一つの宮殿とあずまや以外のすべてが焼けて、やっと終わった。信じられないことだが、兵士たちが見つけた黄金は本物だったのだが、教育を受けていない彼らは、そのほとんどを捨ててしまうか、アルコールと交換した。(この連合軍の司令官はエルギン侯爵で、彼の父はアテネのパルテノン神殿からほとんどの彫刻を持ち出した)。一九〇〇年、西洋の軍隊が再び北京に入城した。今回はいわゆる義和団の公使館包囲を解くための入城だった。それから、紫禁城の内部で略奪しながら、打ち壊しながら、酔っ払って暴れ回った。 日本が一八九五年から一九四五年の間に行ったことは、質的に異なっていた。これは酔っぱらいの略奪や打ち壊しではなかった。日本人は真面目で、しらふで、計画的だった。彼らは普通の泥棒や歩兵たちには無視されるような、価値のある書籍や写本に特別に注意を向けていた。彼らはアジアの三合会や暴力団やギャングたちなどの暗黒世界から略奪することに、特に注目し専心していた。 43投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時02分09秒 日本は麻薬を持って中国へどっと押し寄せた。その麻薬をギャングたちに与え、交換に黄金を得た。麻薬は各々の隠された場所から財宝を吸い上げた。個人のレベルでは、拷問は巨頭、部族の長老、銀行家、企業家を含む金持ちの個人を襲うときには当たり前に使われた。 日本に持ち帰られた最も価値ある物品の中に、美術品と歴史的な遺物があった。今日まで、この世襲財産のごく一部しか盗まれた国や個人に返却されていないという記録がある。それが問題である。黄金でできた仏像を含む幾つかの主な美術品は、フィリピンの地下に隠されていたが、最近見つかった。しかし、ほとんどの芸術品と美術品は依然として、日本で個人的に隠匿されているか、東京で皇室の蒐集物となっている。なぜ、日本がこれを持っていることが許されているのか? 公的には、日本の戦時中のエリート(皇室、財閥、ヤクザ、「いい」官僚たち)は一握りの「悪い」熱狂的な軍人を生け贄にして、戦争を終えた。読者がお気づきのように、これは真実ではない。天皇裕仁を含む日本のエリートたちは、戦争が終わったときには、戦争が始まった時よりはるかに金持ちになっていた。ある者は終戦前後に、数十億ドルの資産をつくり出した。 日本はひどく痛めつけられ、戦争が終わったときには、かろうじてどうにか食っていける状態だったと、わたしたちは告げられる。事実は、驚くほど少ない工場と住宅しか破壊されておらず、それもひどい損傷を受けていなかった。そして、インフラストラクチャーの損害はわずかだった。広く世間に知られている損害のほとんどは、普通の日本人が住んでいた数百万軒の紙と木でできたマッチ箱のような家だった。彼らの苦悩は大君主たちの見解には加えられていなかった。 44投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時03分19秒 日本を共産主義に対する防波堤にしようという切迫した必要性に取り憑かれていたので、ワシントンは戦時の指導者たちと皇室のメンバーと金融のエリートたちが、十二のアジアの国々を破壊し、窮乏状態に陥れたことに関して、いかなる責任からも免責した。わずかに日本の戦争中のエリートたちがスケープゴートとして死刑に処せられた。幾人かは指導者たちの安らぎのために、責めを負って強制されたり、濡れ衣を着せられた。戦後の占領の終わりの頃には、すべての日本の戦犯は自由の身になった。その中には、一九三〇年代と一九四〇年代に東アジアを縦断して世界で最も大がかりな麻薬取引を指揮していたギャングたちと親分たちが含まれていた。ワシントンは、日本の政府が戦争を始めたその同じ男たちの手に戻ることを見ていた。これはベルリンでナチ党の者たちを元に復帰させることと同等のことであった。日本ではほとんど抵抗はなかった。というのは、すべての反対はアメリカのマッカーシーの赤狩りよりずっと厳しい魔女狩りのキャンペーンのために沈黙させられていたからだ。わたしたちが示すように、日本の極右の再誕生は戦争の略奪品によって資金調達されていたし、日本の財閥によって戦争の間アジアから搾り取られた利益とも協同していた。 合衆国の占領の始まりから、マッカーサー将軍、トルーマン大統領、ジョン・フォスター・ダレス、そして一握りの別の者たちは略奪品についてすべてを知っていたし、日本のエリートたちが途轍もない富を維持していることを知っていたことは、紛れもない事実である。マッカーサー司令部によって準備され、一九五〇年に発行された占領に関する公式報告の中に、はっと驚く告白がある。 45投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時04分04秒 「占領の劇的な仕事の一つは、黄金、銀、宝石、外国の切手、彫刻の原板、そして日本では通用しない通貨などの大量の宝物を集積し管理することを扱ったことである。この富の大部分は集積され、日本の役人によって合衆国軍の管理下に置かれたにもかかわらず、これらの財宝の申告されていない隠し場所が存在することが知られていた」。たとえば、マッカーサーの職員は東京湾に沈められた二十億ドル相当の金塊のことを知っていた。この金塊は後に回収された。 一九四六年に合衆国諜報部によって発見された別の大きな財宝は、暗黒世界の親分児玉誉士夫によって集められた百三十億ドルの戦時略奪品であった。児玉は帝国海軍の「本当の海軍大将」として、中国と東南アジアで「黄金の百合」作戦に従事していたのだが、アジアの暗黒世界とヤクザからの略奪を担当していた。戦後、巣鴨刑務所から出所するために、また戦犯として起訴されるのを免れるために、児玉はCIAに一億ドルを渡した。そして、これはM資金に加えられた。児玉はそれから、個人的に二つの政党を創立する資金を出した。その二つの政党は合併して、日本を支配する自由民主党となった。また、自由民主党は今日まで、ワシントンから強力に援助されている。 日本が戦争で略奪した黄金をサンティが極秘に取り戻したことに関する動かしがたい証拠は、アメリカで法的に正当な活動から得ることができる。サンティの遺言検認を申請すること、ニューヨーク、アルバニーで彼の納税記録の立証証明をとること、そして合衆国とスイスと香港その他に預金されていた彼の財産の法的な証拠を押さえるなどの簡単なことで、世界は「黄金の百合」に発した秘密の銀行の財産にあふれているという動かしがたい証拠が提供される。 46投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時10分09秒 この本で、注釈で、九百メガバイト以上の文書、写真、地図、別の画像を含む二つのCDの中で、わたしたちは巨大な量の戦争で奪われた黄金がシティ・バンク、チェース、香港上海銀行、「ユニオン・バンク・スイス」、その他の世界的な銀行の金庫の中に、今日も維持されているという確実な証拠を提供する。わたしたちは手紙の写真コピー、契約書、貨物運送状、州政府の納税記録、保険の担保、そして「ブラック・イーグル・トラスト」を運用したブローカーたちとのインタビューを提供する。 わたしたちは極秘の信託がマッカーサー将軍と彼の旧敵天皇裕仁によって協同して支持され、日本の三和銀行で設立された方法に関して証拠書類を提供する。この取引は裕仁の年号にちなんで昭和信託として知られているが、非常に大きかったので、一九八二年までに一年間にほぼ十億ドルの利子を払っていた。わたしたちはまた三つの昭和信託の一つを確認した。そして、わたしたちはどのようにしてマルコス大統領がこの取引を知ったか、そしてこれを使って日本政府にブラック・メールを送ったかを示す。 ホロコーストの犠牲者がスイスの銀行によって隠された資産を取り戻すために、フォルクスワーゲンのようなドイツの会社での奴隷労働の補償を勝ち取るために、そして家庭や職場から盗まれた美術品の所有権を取り戻すために、ほぼ六十年を要した。日本の占領五十周年を契機に、彼らの成功は、別の犠牲者たちが補償を求める根拠の確かな要求をすることを勇気づけた。これは前例のない犠牲者たちの共闘を導いた。 47投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時10分41秒 この最後の太平洋戦争の闘争は、カリフォルニア州の裁判所で行われていた。そこに、生き残った戦争捕虜、奴隷労働をさせられた人たち、慰安婦、そして市民の犠牲者が戦後非常に奇妙なことに否定された補償を勝ち取るために、数十億ドルの訴訟をおこした。一九九五年、太平洋戦争の七十万人の犠牲者が依然としてまったく補償されていないと見積もられていた。加齢と病気のために、その数は急速に減少した。彼らの背後には、活動家と法律事務所の途轍もない連合がある。英国は沈黙させるために、犠牲者に一時金を支払うことによって、法律的な発見のこの潮流を回避しようと試みた。 ワシントンはカリフォルニア州の訴訟を連邦裁判所に移すことによって、異なる対処をした。そこで、彼らは政治的な圧力と政府の使者の介入によって阻止された。国務省と司法省は一九五一年の平和条約第十四条を使って、戦争捕虜と犠牲者が三菱、三井、住友のような莫大な富を持っている日本の会社を訴えることを阻止した。二〇〇〇年六月の合衆国上院公聴会で、ユタ州選出のオーリン・ハッチは国務省と司法省の弁護士に対して、一九五一年の平和条約が犠牲者のすべての権利を放棄しているという彼らの主張の合法性に挑んだ。「あなた方は我々の連邦政府は『おまえなどくたばれ。バターンの死の行進、誤った扱い方をされた人たちへ、我々はすべてのあなた方の権利を進んで放棄しようとしているところです・・・』という意味のことを言っているのですよ。憲法上、わが政府が条約ではこうなっていると言うだけで、個々の市民の権利を取り上げることが果たしてできるのか・・・? 我々は日本政府に支払えと言っているのではない。我々はその行為をした企業に支払えと言っているのだ。これらの企業の幾つかは現在、数十億ドルの会社なのだ」。 http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html 48投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時11分44秒 1945年6月、アメリカ軍戦車が30キロ以内に近づく中、フィリピン占領日本軍の長である山下将軍は敗戦を知っていた。彼はルソン州で技術者達が建設した175の地下トンネルの一つの中で175人の日本人技術者の別れの宴を催した。真夜中、酒に浸り愛国歌を唱いながら、山下は(二人の親王とともに)こっそり抜けだし、トンネルの入り口でダイナマイトを爆破させた。地下70mに生き埋めにされた技術者には、日本軍がアジアで征服した領土から略奪されてずらりい並ぶ金の延べ棒という物言わぬ仲間があるだけだった。 何千人もの連合軍捕虜とアジア諸国からの民間人奴隷労働者も秘密の金庫建設を終えた後、地下洞窟、トンネル、坑道に生き埋めにされた。この秘密の隠し場所の秘密を知っていて、生き残ったのは、スターリングとペギー・シーグレーブ夫妻が本書Gold Warriors中で明らかにしたように、戦後に戦利品を回収するはずの日本人軍人トップと皇族のエリートだけだった。 秘密の金庫を守るべくとられた極めて残虐な対策にもかかわらず、アメリカの軍事諜報将校達はその存在をつきとめ、何十億ドルもの価値の金、プラチナ、宝石、伝統的財宝を隠された場所から取り出した。ナチによるヨーロッパから戦時略奪品とともに、日本の略奪品は、ナチによって盗まれた金塊に捺印されたナチのしるしにちなんで名付けられた秘密の「ブラック・イーグル・トラスト」へとアメリカによって注ぎ込まれた。 アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、盗まれた資産を42ヶ国の176の銀行口座に分散して、マネーロンダリングするため、高官による秘密政府チームを作った。責任者はアメリカ陸軍長官ヘンリー・スチムソンだった。 日本の軍国主義政権によるアジアの略奪は計画的で、おびただしいものだった。政府国庫、銀行、工場,家庭や画廊が容赦ない効率の奇襲にあったが、金の詰め物を取り出すため死体の歯までたたき壊すほど細心の注意が払われたのはその好例だ。 49投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時12分19秒 日本の暗黒街犯罪者の親玉である児玉誉志夫が大将に擬せられ、占領したアジアを略奪する無法者の責任者となった。(天皇の和歌の一つにちなんで)黄金の百合と呼ばれたこの作戦は、天皇の弟秩父宮を頂点に、日本金融業界トップの何人かによって運営された。 盗まれた富の多くは、一部は戦費をまかなうべく日本へと持ち去られたが、大半は日本のエリートの強欲に向けられるはずだった。アメリカ潜水艦が日本を封鎖すると略奪品の流れは止まり、それはフィリピンに積み上げられた。 アメリカによって発見されるや、アジアにおける反共の砦とすべく、戦後日本への資金援助へと注ぎ込まれた。黄金の百合略奪品は、アメリカ陸軍大佐が率いる児玉の犯罪者仲間からなる秘密暗殺団を支援する四谷資金に注がれたが、日本における資本主義再生の邪魔になる学生運動指導者、自由主義者、左翼、組合運動家、ジャーナリスト等が団の標的だった。 東京戦犯裁判の主席検事ジョセフ・キーナンにちなんで名付けられたキーナン資金も、黄金の百合資金を使って、証人達に賄賂で証言を偽らせ、天皇の評判や、右翼政治家や、児玉のような犯罪者の親玉連中を仕立て直し、親米派を激励し、戦後日本における保守派の政治影響力を固めようとしたのだ。 この資金はまた日本の化学生物兵器計画の証人達に偽証をさせるための賄賂に使われ、彼らが持っていた破壊的な知識を秘密にしておき、それをアメリカ軍に引き渡すようにさせた。黄金の百合プロジェクトの目撃者達そのものへの賄賂にも使われた。四谷資金にまつわるよくある死因として、賄賂に抵抗した人々の変死や不審な「幇助自殺」があった。 50投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時12分50秒 この二つの資金は最終的にM資金へと流れ込み、まずは控えめな20億ドルで始まったが、急速に拡大し、1950年までには日本の国民総生産のほぼ10%にまで至った。これから得られた利益で、日本の自衛隊と、日本の主導権を握る右派たる自由民主党形成を支援した。 M資金は、戦時の閣僚として奴隷労働の活用に積極的に関与し(また1930年代から副業として麻薬にも手を染めていた)それほど親米派でないライバルに対する自民党指導者としての岸信介を援護するために、全ての自民党派閥に対して大きな報酬を支払った。1957-1960の三年の首相在任期間に、自民党はCIAから毎年1000万ドル受け取っていたが、これは主としてM資金から引き出されていた。 CIAは、戦後の数十年間、未発見の黄金の百合略奪品狩りにも加わった。日本やアメリカからの財宝ハンターが蜜に群がる蜂、あるいはずっとまずいものにたかる蠅のように、生き埋めの現場や、財宝を載せた船が日本降伏のわずか数日前に急ぎ足で退散した海域に集まった。 ワシントンお気に入りの独裁者の一人、フィリピン大統領フェルディナンド・マルコスは1965以後、これに割り込み、CIAの飛行機、アメリカ空軍機、さらにアメリカ海軍の船を使って金塊を移動した。彼は「黒い資金」のための避難先オフショアであるCIAの銀行世界ネットワーク(例えば、オーストラリアのヌガン・ハンド銀行(Nugan-Hand Bank)では、理事会に退役アメリカ情報将校がずらり並んでいる)を利用した。 マルコス(そしてマルコス後時代のフィリピン大統領コリー・アキノ)もまた、CIA、ペンタゴンとつながって、ゴールド・ラッシュに加わったアメリカ軍需企業や民間諜報組織の助けを得ていた。泥棒連中のやり方のご多分に漏れず、略奪者と政治家によるジョイント・ベンチャーは、お互いに殺し合う裏切りや惨事にいたる仲違いで中断することが多かった。 51投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時13分20秒 アメリカ大統領ビル・クリントンも、山下の黄金を巡る前任者達の秘密主義を継続した。ワシントンが当惑するような事態になるのを避けるため、アジアにおける戦争にかかわる公開されたアメリカの文書記録から黄金の百合文書をCIAが取り除くことを彼は許可した。シグレーブ夫妻によれば、ジョージ・ブッシュ(息子)大統領政権になって二週間後に、アメリカ海軍の船二隻と海軍特殊部隊が、アメリカの金準備を補給すべく、さらなる黄金回収のためフィリピンに派遣されたという。 スイスの銀行は、旧日本政権(そしてナチ)によって盗まれた略奪品の主要な貯蔵所かつ、受益者の一部で有り続けている。彼らはスイスの戦時中立性を十分に活用したのである。 あるスイスの銀行は、1900億ドル以上(マイクロソフトのビル・ゲーツの純資産よりも多い)もの資金を秘密のアメリカ政府口座に保管していると、シーグレーブ夫妻は報告している。チェース・マンハッタン銀行、バンク・オブ・アメリカ、ウエルズ・ファーゴ銀行、そしてシティー・バンクといったアメリカの銀行も、黄金のパイにしっかりと指を突っ込んでいた。スイスの銀行が何十年もの間ホロコーストの犠牲者から奪われた金を保管し、莫大な利益をそれによって得ていることを拒否し続けたのと同様、アメリカの銀行も、返還要求の権利を持った人々の死を待ち望んで、山下の黄金については口をつぐみ続けた。 「黒い黄金」は全てのアメリカ大統領によって独立国家諸国の政治に干渉するためこっそり活用され、選挙を買収し、法律の網をくぐり抜け、マスコミを支配し、暗殺を遂行するため、要するにアメリカの意志を押しつけるために使われたと、シーグレーブ夫妻は書いている。イタリア、ギリシャそして日本で戦後の選挙を操作するために、南ベトナムで独裁者のゴ・ジン・ジェムを資金援助するために、冷戦時代に反共宣伝を推進するために、ワシントンの反共連合国の国庫を支援するために、CIAが使った。 52投稿者:天皇の秘密財産 投稿日:2007年10月06日(土) 11時13分56秒 黄金の百合という戦時略奪品発見と、ワシントンによるその政治的な利用は50年の間、国家機密だった。しかしながら、スターリングとペギー・シーグレーブ夫妻の徹底的な調査と、暴力団員、スパイ、私立探偵、金仲買人や冷酷な政治家たちという、目立つことが嫌いな連中の世界のきわどい物語によって、豊饒にして丹念に詳細をきわめた(また時として推測的な)強欲と、隠蔽工作と、秘密の政治的干渉の物語が生み出された。 反動的反共主義と戦時略奪品によって、ワシントンとかつてのナチ指導者やゲシュタポの拷問担当者は一つにまとまったが、これはまた、ワシントンと日本の戦犯・略奪者たちの間で機能した汚らわしい奇術の、政治的求愛行動のサインでもあった。 出典:Green Left Weekly, 2004年2月25日 Visit the Green Left Weekly home page. http://www.bowstring.net/shannon%20review.htm http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/575.html 53投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 22時51分44秒 1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。 『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。 1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。 同様のシステムが、岸信介の手とヤクザ組織の元で、満州を作り上げた。この属州によって日本は中国北部の商業港との海上交通をコントロールすることができた。傀儡政府は大陸浪人【原文では”tairiki ronin”となっているが明らかに音訳のミスと思われる:訳者】、役人たち、戦闘団の長、麻薬密売人たちの支配の下に置かれた。やる気満々のヤクザたちは略奪のための実質的な私兵組織を作り上げた。天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするために、緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。実際の名称をご存知の方はお教え願いたい。:訳者】の中国人の首領たちと手を組んだ。 54投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 22時53分24秒 いずれここから笹川良一(1)と児玉誉士夫(2)が、戦後に自由民主党の絶対権力を作る財源に供した莫大な財産をひねり出すことになる。効率の良い手段を使って犯罪を行うこれらの集団のトップには岸信介とその一党がおり、また東条英機(秘密警察の長であり将来の戦時政府の首相)、星野直樹(アヘン独占販売の長)、松岡洋介(満鉄の総裁)そして鮎川義介(日産の統括者)【本文では”Aikawa Gisuke”となっているが音訳のミスと思われる:訳者】なども加わり、天皇の承認の元で略奪作戦の計画を立てた。 彼らは満州重工業会社を創設したが、それは工業の発展を促し軍隊とヤクザが地元民から様々な手段(身代金の要求、ゆすり、銀行強盗など)でむしり取った戦利品を集約した。大日本帝国の皇族たちの指揮の下に行われたこれらの略奪が「黄金の百合作戦」である。 その侵略熱は西側指導者をいらつかせた。彼らは日本が彼らの植民地と利権に干渉してくるのを恐れた。1936年に朝鮮半島での完全な略奪の中で、日本の戦略は二つの選択肢の間でためらった。その一つは、ソビエト連邦との国境防衛地帯を作るために、あくまでも天然資源の豊かなシベリアの支配権を手に入れようとするものである。 この『反共』戦略は一部の西側の大国を満足させるというメリットを持っていただろう。この目的のために駐ロンドン大使である吉田は、クリヴェデン(Cliveden)グループの協力を得て、英国との同盟関係を固めようとした。米国では、ハーヴァード・フーヴァーやナチの飛行士チャールズ・リンドバーグ、マッカーサー将軍の取り巻きたちなどの大勢の超保守派が、この帝国の良き理解者であった。 裕仁の弟である秩父宮は1936年に可能性のある英国と日本の同盟を準備するためにロンドンへ向かった。反共戦線という見通しはひょっとすると英国外交を口説き落としたのかもしれない。しかしアジアでの日本の軍備拡張はヨーロッパの大国の植民地を脅かしていた。すぐに秩父宮はあらゆる交渉の手段を失った。 55投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 22時54分58秒 中国では軍隊が全面的に統制不能に陥っていた。1937年に大勢の役人たちが中国での盧溝橋事件で戦闘を起こした。この事件は非公式の天皇の援助を受けた日本軍によるこの国への侵略に直結したものであった。秩父宮はすでに無効となった日英の同盟の考えを断念し、アドルフ・ヒトラー総統(3)と会談するためにニュルンベルグへ向かった。 米国大統領フランクリン・D・ローズヴェルトが日本の侵略『熱』に終止符を打ちたいと願う宣言をする間、軍事侵攻は一人の皇族の命令による前例の無い虐殺を犯そうとしていた。実際に『穏健派』首相近衛文麿【原文ではel príncipe Konoeつまり近衛殿下となっており皇族であることを表現している:訳者】は朝香宮を南京での軍の司令官に据えた。【朝香宮は上海派遣軍司令官として南京に侵攻した。:訳者】 この最後の者【朝香宮を指す:訳者】はその軍をこの都市で捕虜を作らないようにさせた。数日の間に兵士たちはその命令を文字通り実行した。何万人もの中国人が、多くの西欧人の見ている前で非情な状況の中で殺害された。兵士たちは人間を銃剣の訓練のためにマネキン人形のように利用し、役人たちを首切りの実践のために使った。 婦人や少女たちは家族の目の前で集団暴行の犠牲者となった。その間に秩父宮と竹田宮は略奪の成果を帝国の手に渡らせる作業に没頭していた。専門家たちは銀行の書類の分析をし、一方で秘密警察は南京の金と富に関する情報を持っていると思われるあらゆる人間を拷問にかけた。(4) 軍が略奪の成果を不要に浪費しないことを確実にするために、裕仁は黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。(5) 56投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 22時56分35秒 1941年にフィリップ・ペタン内閣は日本がインドシナ半島北部を占領することを認めた。近衛文麿は『交渉による平和』を望んだが裕仁の説得に失敗し、辞意を表明した。宣戦布告の決意をし、天皇は東条将軍を首相に指名した。彼は満州で組織的な略奪を行った岸の一党【原文ではclanつまり悪党集団:訳者】の手下であった。 パールハーヴァーの『だまし討ち』(6)は、東南アジアにおける日本の好戦性を解き放つシグナルであった。日本はタイ、スマトラ、ビルマに侵攻し、グアムとホンコンをその手にした。さらにマッカーサー将軍をフィリピンの領地から追い出した。新たに付け加えられた領地は憲兵隊によって組織的に略奪された。秩父宮はシンガポールに黄金の百合の総合本部を置いた。専門家たちが目録をつくるためにそこにすべての分捕り品が集められた。 フィリピンでは欧米の銀行が黄金の百合のエキスパートたちの第一目標であったが、彼らはフィリピンの財宝を奪い取って、筆頭株主が裕仁その人である横浜正金銀行【原文は英語Yokohama Specie Bank:訳者】、台湾銀行、そして他の国有銀行の財産にしたのである。その黄金の一部は戦争の経費に充てられた。スイス、ポルトガル、アルゼンチン、そしてチリの銀行が洗浄に使われた。 憲兵隊と黄金の百合の実行者たちが奪った富はシンガポールの集中させられ、最終目的地である日本に輸送されるためにマニラに運ばれた。 [黄金の百合からブラックホールの資金へ] ミッドウエイの戦いの後、東南アジアにおける軍事的な力関係は米国に有利に傾いた。日本は海上輸送の支配権を失った。裕仁と帝国の第一人者たちは帝国の敗北を予想し始めた。 それ以来、公式には富士山麓で結核療養中であることになっていた秩父宮に率いられてきた黄金の百合作戦は、マニラで足止めを食らっている戦争の分捕り品を救うことに必死になった。秩父宮はまず病院船を使って金を輸送し、その後その金を日本の山地に作られた地下壕に溜め込んだ。 57投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 22時57分51秒 1943年には、米国が効果的な海上封鎖体制を確立したため、そのような方法は取れなくなった。財宝はマニラの波止場で山のようになりだした。秩父宮はそこで地下壕建設のための特殊な技師の集団を作り、分捕り品を地下に隠す作業を始めた。マニラではかつてスペインの町であったイントラムロスの地下が使用され、巨大な収容能力を持つ場所を提供できた。 品物を慎重に移送できる一つの通路が波止場とイントラムロスの間を直接に結びつけた。秩父宮は歴史的な場所や教会、大学など、爆撃がほとんど無いあらゆる場所をつなぐように選んでいった。 マニラの北で竹田宮が洞窟を使って地下壕の網の建設を監督した。専門家たちが恐ろしいほど効果的な大量のワナの兵器を仕掛けた。爆発物、毒ガスのカプセル、水や砂を使ったワナ。南京虐殺の実行者の息子であるもう一人の皇族の朝香宮孚彦【原文ではTakahitoとなっているが「たかひこ」の誤り:訳者】親王と、シンガポールのヒーローであり差し迫った米軍の攻撃に立ち向かうためにフィリピンに派遣された山下将軍が、この地下での作戦に加わった。技師たちと奴隷たちは組織的に生きながら地下に埋められた。 マッカーサーがフィリピンを再征服し始めたとき、皇族たちは急いで未だ地下に入れることができなかった財宝を隠そうとした。黄金を積んだ船が船員を乗せたまま沈没させられた。日本の敗戦はマニラ市民の虐殺と占領を終わらせたが、その後に皇族たちは潜水艦で逃亡した。 1945年から米国の諜報機関が黄金の百合の存在に気付いた。諜報員であるジョン・バリンジャー(John Ballinger)は、漁民に変装して黄金をいっぱいに入れた箱が病院船に積み込まれるのを観察することができた。マッカーサーは彼のライバルである山下を逮捕し、彼の腹心をこの日本の将軍のお抱え運転手である小島老人に対する尋問官とした。 58投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 22時58分52秒 そのセベリノ・ガルシア・サンタ・ロマナは山下の行動に関する膨大な情報を手に入れ、隠匿場所の正確な数をつきとめることができた。『サンティ』【サンタ・ロマナの別称と思われる:訳者】はこうして『山下の財宝』の守り手となった。彼は、OSSの元局員であり最近までウイロウビィ(Willoughby)将軍(8)の特務機関G−2と協力していた謎の男エドワード・ランドセイル(Edward Landsale)(7)が作戦の指揮をとるまでは、ずっとマッカーサーの命令の下にとどまった。 トルーマン大統領にこの件が任されて以来、掘り出された分捕り品はブラック・ホールと呼ばれる対共産主義の戦いの資金として使用されることになった。あるロウズベルトの顧問に認知されたこの計画は、ドイツ、イタリア、日本によって盗まれた黄金を親米政権の財源として使い、次に、『危険なアカ』の脅威にさらされる多くの『民主国家』の深奥でこの資金により選挙を操作することから成り立っていた。 ロバート・アンダーソンの助けを受けてあるスペシャリストが資金を洗浄した。サンティが探し出した黄金は42カ国の170の口座に納められた。CIAの銀行口座ネットは、東南アジアから盗まれた富を隠し、金の値段を米国の経済的利益にとって都合の良いあるレベルで維持することを可能にした。(9) 財産は日本に戻ってくる 米国当局によって押収された分捕り品は当初3つの異なった財源を潤した。四谷資金は、マッカーサーの秘密の右腕であるG-2の長官チャールズ・ウイロウビィの活動を支えた。彼はフランコ将軍とファシスト警察の手法の賛美者である。第2の資金は、日本におけるニュルンベルグ裁判に匹敵する東京裁判の判事ジョセフ・ケーナンの名前が付けられたのだが、非常に明確な機能を持っていた。共産主義に対するマッカーサーの戦いの同盟者へと変身した帝国のメンバーを免責するために証人たちを買収することだった。 59投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 23時00分02秒 東京裁判は、スケープゴートを絞首刑に処することで終わった、全くのペテンである。南京の虐殺の首謀者である朝香宮は、松井将軍が加わってもいない犯罪のために絞首刑台に送られた一方で、起訴すらされなかったのだ。 マッカーサーの偉大なライバルである山下も、マニラ市民の虐殺の罪を問われて同様の運命をたどった。東条将軍は戦争の第一責任者の罪を負わされて天皇裕仁の代わりに責任を取らされた。最も戦略的な資金は、疑いも無くM資金である。それは日本で共産主義者や社会主義者が権力を握ることを妨げる戦いのために運用された。戦後、つかの間の社会主義政権は、M資金投下のおかげで米国好みの吉田茂によって、失墜させられたようである。この資金は敗戦日本の公式な歴史に出資するためにも利用された。 児玉誉士夫が「私は敗北した」という文章を出版したのはこれである。この本は、CIAを通してM資金をつぎ込まれたものであるが、笹川良一や岸信介などの将来の日本の大物、つまりマッカーサーによって称揚された国粋主義者たちを免責するのに役立った。 1951年に講和条約が締結された。その第14条で、日本はその犠牲者に対して補償するための必要な手段を整える必要のないことが規定された。ブラックホールへと転換された黄金の百合は秘密のままにしておかねばならなかった。 1952年以来、CIAと日本の特務機関に率いられた一つの組織がM資金を担当した。この資金は、満州での略奪の責任者であり東条の戦争内閣の閣僚であった岸信介の首相選出を許した。アイゼンハワー政府はこの極端な反共主義者である戦犯を好んだ。 M資金は、田中角栄、竹下登、中曽根康弘、宮沢喜一などの多くの首相に財源を提供した。田中は、ニクソンがM資金の引出権を彼に約束したのだが、これを選挙資金と汚い工作のために頻繁に運用した。 黄金の百合の一部は日本でこのように投資され、自由民主党の母胎から誰が将来の首相になるのかを決める者たちによって浪費させられた。 60投稿者:昭和天皇のアジア戦略 投稿日:2007年10月06日(土) 23時04分22秒 http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/768.html 昭和天皇の財産として戦後発表された分だけでも、莫大な額である。貧乏だった孝明天皇の子(?)の明治天皇が即位してから、三代、80年足らずでどのようにしてこれだけの財をなすことができたのか、ずっと疑問であった。その一つの解答がここにあるのかも知れない。 赤間剛の「昭和天皇の秘密」―地獄でさまよえ天皇裕仁―という本から引用する。 天皇家の財産が国民の前に明らかにされた時、その莫大さに国民は驚いていた。 土地 135万町歩余 3億6000万円余 木材 5億6000万石余 5億9000万円余 建物 15万坪 2億9000万円余 現金 2400万円余 有価証券 3億1000万円 合計 15億9000万円余 評価額は戦争直後の標準によったが、その後の評価では660億円以上とされている。昭和36年の物価は最初の評価の500倍以上にあたるから総計は8000億円以上に達すると思われる。現在の価格では数兆円を軽く超えるものと言えよう。最初の評価の基礎は、土地一反が26円余という当時でも時価の十分の一、木材は一石一円で百分の一という不当に安い評価である。この評価は政府や宮内省が行ってGHQや世界の注目をまぬがれようとした小細工である。 土地の135万町歩は日本の面積の3%以上に当たる。5億6000万石の木材は日本全林野の8%に当たる。有価証券では配当金だけで年800万円もあった。天皇家は日本最大の地主であった。日本最大の大ブルジョワであった。 西洋白人と同じように、植民地から搾取強奪することにより巨万の富を蓄えたのだろうか。また、あの戦争で死んだ日本人310万、アジアの人々2000万人に対して、昭和天皇は責任がないのだろうか。 http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/785.html 61投稿者:昭和天皇は守銭奴 投稿日:2007年10月07日(日) 00時37分57秒 天皇家は、戦前は十二大財閥を遥かにしのぐ金融を中心とする優良企業の株式を大量に保有しており、日銀の株式も47%を保有。さらに御用地と呼ばれる天皇家保有の山林面積は栃木、群馬二県の合計に匹敵し、農地は奈良県の全耕地面積相当分はあった。GHQは、こうした天皇家の資産を見て、その金銭欲の大きさに驚いたらしい。 また日本の敗戦が確定的となった昭和十九年一月の段階で、既に天皇家は木戸幸一に命じて資産の海外逃避を進めた形跡があり、横浜正金銀行を通じてスイスやラテンアメリカに相当額(当時の貨幣価値で41百万ポンドという説もある)が逃避されたようだ。 当時ナチスの潜水艦Uボートや日本の潜水艦で原爆の原料や設計図をドイツ・日本間で盛んに輸送を繰り返しており、これに載せれば、金塊の輸送など容易であったろう。 62投稿者:昭和天皇は守銭奴 投稿日:2007年10月07日(日) 00時38分41秒 ポール・マニングによれば、日露戦争で戦勝の味を占めた日本は、財閥も軍部も国を挙げて石油、鉄、アルミ、食料、艦船、航空機など大規模戦争が継続できる国家経済態勢の構築に邁進した。 また明治末期から急速に天皇の神格化と国家神道を進めていったが、これも大規模な戦争ができる態勢づくりの一貫。 先の大戦は、関東軍の暴走や東條英機の専横など、とかく軍部の独走が戦争の悲劇に国民を追い込んだが如く言われるが、真相はそうではなく、財閥も、政治家たちも大規模な世界侵略戦争ができる態勢を、何十年もかけて意図的に作り上げていったものであることがわかる。 昭和天皇は、たとえば大本営と出先の戦艦上の司令官間の無線のやりとりを傍受していたりして細かい戦況までよくご存じで、御前会議に臨んでいたらしい。マニングによれば、GHQはこのように実質的に天皇が戦争を細かく指揮していたのは知っており、天皇が戦争責任を結果的に問われなかったのは、GHQの政治的な思惑によるとしている。 昨今社会保険庁のでたらめな仕事ぶりなど日本の権威を意図的に失墜させようとする一連の動きがあるが、次の日本の戦争への巻き込まれ方では、アメリカの軍事指揮権のもとに日本を戦争させようとする大きなうねりがあるように感じる。 http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/0c76bda7ca107739e597c280d8e572a9 63投稿者:天皇が日中戦争を起こした目的 投稿日:2007年10月07日(日) 00時41分19秒 【満州帝国と阿片】日の丸はアヘンのトレードマーク 北朝鮮による覚せい剤密輸事件が新聞を賑わしているが、そんなの大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイもんだ。 以下、久保井規夫著『戦争と差別と日本民衆の歴史』(明石書店)より。 ケシ類未熟果実に傷をつけて滲出する乳液を乾燥乾固したものが阿片だ。阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。国家自体が関わって中国へ密輸したのが、オランダとイギリス、そして我が日本なのだ。 1840年、イギリスは、中国(清王朝)への阿片密輸を禁止された事に貿易の自由を妨害したなどと恥ずべき口実で阿片戦争を仕掛けた。中国は敗北し、イギリスの阿片の毒牙はますます中国民衆を蝕んでいった。中国の弱体をみて、欧米列強は不平等条約を強要し、清王朝は阿片亡国・植民地化の危機に陥ることとなる。 麻薬中毒の恐ろしさに、1912年にハーグ阿片条約、1925年国際連盟によるジュネーブ阿片条約が結ばれたが、欧米の帝国主義者たちは自国への阿片の弊害を防いでも、中国への阿片密輸は続け、それに日本も加わっていった。中国の阿片中毒者(隠者)は増加し、消費される阿片は900万貫(当時5億円)に上った。輸入額を減らそうと中国国内のケシ栽培を認めたが、かえって阿片中毒者を増やすこととなった。1912年、辛亥革命後の中華民国による阿片禁止も、軍閥との抗争や内乱で進まず、そこへ日本の侵略が始まってしまった。 64投稿者:天皇が日中戦争を起こした目的 投稿日:2007年10月07日(日) 00時41分53秒 日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。しかし、すぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。 やがて、中国侵略に伴い、中国の阿片問題に介入していくのである。日清戦争後に台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなった。 大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善するため、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組んだ。モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。 さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。自民湯なんぞ阿片の金で動いていた麻薬党なのである。 65投稿者:天皇が日中戦争を起こした目的 投稿日:2007年10月07日(日) 00時42分50秒 拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。 阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。英仏によって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。実に欧米に成り代わった日本は大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。 三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。 南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、さらに日中戦争へと突入する。日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。 これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されていた。 満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。 阿片王と呼ばれた二反長音蔵は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで。吉林・黒竜江省で50〜60万貫のケシ栽培を扱ったという。 内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。阿片・塩・鉱山物が政府の重要な財源となっていたのだ。 66投稿者:天皇が日中戦争を起こした目的 投稿日:2007年10月07日(日) 00時44分11秒 日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。 日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売したため、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。 さすがに、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。 『天津の日本人居留地は、今や世界のヘロイン製造、及び阿片喫煙の神経中枢として知られている。洋行あるいは外国商会名で経営される阿片あるいはヘロイン魔窟の数はまさしく千を超えている。 しかのみならず、白色麻薬を公然販売するホテル店舗、その他の建物が数百ある。……中国人・ロシア人及び外国人が汚れた板の上に横たわっており……魔窟の第1室には朝鮮人の女が。ヘロインと不純物とを混合する仕事に忙しい。……注射は汚い注射器で、時には自製の物でなされる。針は決して洗ったり、消毒したり、取り替えることはない。 梅毒が自由に針を介して一人の阿片常用者から他の者へ蔓延する。私は、胸一面が腐って壊疽のような肉塊をなしており、拳全部を差し込むことができるような穴が体にある阿片常用者を幾人も見たことがある。こんな腐敗しつつある辛うじて生命を保っている死体に、麻酔剤の注射器を次から次へと差し込むのである。(国際連盟阿片諮問委員会議事録よりエジプト代表ラッセル・パッシャの陳述)』 なんとも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。 シンゾーの祖父岸信介は1936年10月に満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)に就任。満州時代に関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。阿片による莫大な金が岸に動いたことは容易に想像できる。 http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/347.html 67投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 10時14分03秒 マスコミ報道等では、第二次世界大戦は日本の軍部が独走し、天皇は仕方なくそれに引きづられた・・という事になっている。そのため戦争中首相であった東条英機は戦争犯罪者として処刑され、天皇は「罪を問われなかった」という事に「なっている」。1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語。「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下に十分職務を果たした。」・・()内部、筆者の注。ここで天皇自身「が」主体となって戦争を行っている事、つまり軍部に引きづられて戦争が行われて... 天皇が命令し.作った731生物兵器部隊 第2次世界大戦中、コレラ、ペスト等の生物兵器を中国人に対し注射し、その死亡までを観察する残虐な人体実験を繰り返していた日本陸軍731部隊の隊長、石井四郎は1941年、天皇と会いその「功績」をほめる「お言葉を頂いた」と証言している。日本軍が生物兵器を開発し、残虐な人体実験を行っていた事は天皇の命令であり、天皇は「自分の命令を実行する石井を賞賛」していた。中国人に対する残虐な人体実験は天皇自身が行ったものである。
郡司陽子「証言 731石井部隊」徳間書店 http://alternativereport1.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%93V%8Dc 68投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 10時20分22秒 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。 英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。 マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。 日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。 しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。 貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。 69投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 10時21分23秒 天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。 天皇一族の財産はこうして作られた。 参考:山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」上下 新日本出版社 http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html 70投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 10時29分58秒 「第二次世界大戦に日本が参戦する事に昭和天皇は反対であったが、軍部と東条英樹首相の暴走と強硬さに押し切られ、嫌々ながら天皇は戦争に関与した」という、デマ宣伝がマスコミによって流されている。 「天皇を何とかして戦争責任から逃がそう」という宣伝である。 1995年3月19日付、毎日新聞は、1944年7月20日付の天皇から、東条英樹宛ての勅語を掲載している。 「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下、十分に職務を果たした。」 天皇はこの公式の勅語で、第二次世界大戦への日本の参加は、「天皇が」決断し行った=朕の戦争である、と断言している。 そして東条英樹以下、軍部は「天皇の指導に従っていた」と明言している。 天皇が戦争に反対の「平和主義者」などと言うのは、全くのデマ宣伝である事を、天皇自身がここで明言している。 山田朗は著書「昭和天皇の軍事思想と戦略」校倉書房刊・・で、膨大な資料と証言を積み重ねながら、政治と軍事の最高指導者として、また、最も正確な情報を収集し得る立場にいた者として、天皇に戦争を起こした責任がある、と結論付けている。この膨大な資料と証言に反論し得る研究は、まだ出ていない。 戦争中、侍従次長として天皇の側近中の側近であった木戸幸一は、著書「側近日記」東京大学出版会・・で、真珠湾攻撃の成功直後、戦争の開始を、「天皇が喜び、飛び上がって、小踊りする」様子を描いている。 戦争の開始を、「喜び、飛び上がって、小踊りする」天皇が、どうして「戦争に反対する平和主義者で、軍部と東条英樹の強硬姿勢に引きずられた」事になるのか? こうしたデマ宣伝の背後には、再び「天皇を中心に日本を、力づくで統一」しようと言う、日本政府の意図が透けて見えている。 昭和天皇こそ、戦争を起こした責任者、戦争犯罪人として死刑に処されるべき犯罪者である。 http://alternativereport1.seesaa.net/article/49608166.html 71投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 11時00分20秒 特攻作戦の人間学:戦艦大和の場合 1945年4月6日,第二艦隊司令長官・伊藤整一中将座乗の巨大戦艦「大和」は,9隻の艦艇をしたがえて徳山沖を出航,沖縄本島西部海域をめざす征途についた。連合艦隊の生き残りをあつめた最後の艦隊出撃である。作戦計画では航空機による護衛は皆無。燃料は全艦片道分しか搭載せず,生還を期さない海上特攻であった。 作戦構想の内容とは,はじめ敵迎撃機の攻撃を吸収する海上の“囮”となって特攻機の突撃を助け,次に敵上陸地点へ殴り込んで徹底的な艦砲射撃を加え,最後に銃をとって陸上戦をたたかう,というものであった。しかしこんな計画が実行できるはずはない。実際,南西海域の制空権と制海権はすでにアメリカ側に握られている。その海域を,わずか10隻の残存艦隊が航空機による護衛もなく進攻すればどうなるかは問うまでもない。出撃命令の下命以前から,伊藤・第二艦隊司令長官は断固反対との意見具申をおこなった。 72投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 11時01分23秒 伊藤中将の頑強な反対を異例の事態と認めた中央は,説得のための特使として,連合艦隊参謀長・草鹿龍之介中将を派遣, “説得”は成功した。しかしそれは,「一億総特攻の模範となるよう,立派に死んでもらいたい」という言葉によってであった。 本作戦発動の一週間前,及川軍令部総長が沖縄方面の戦況ついて,「航空機による特攻攻撃を激しくやります」と天皇に報告した。 すると天皇から重ねて,「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」と“御下問”があった。 及川総長はこれを「水上部隊は何をしているのか」という叱正の言葉と解した。 及川総長から連絡を受けた豊田連合艦隊司令長官は,さっそく「畏レ多キオ言葉ヲ拝シ恐懼二堪エズ」にはじまる緊急電を発し,あくまで作戦の完遂を期すべし,と呼びかけた。 「海上部隊はあるか?」という疑問の言葉は「あるなら使ってはどうか」という〈間接的・暗示的命令〉として解されうる。「海上部隊はないのか?」という否定疑問文では,こうした〈間接的・暗示的命令〉性がいっそう強まるだけではなく,「あるのになぜ使わないのか!」という“叱正”のニュアンスまでが加わってくる。 73投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 11時01分43秒 こうして及川総長と海軍首脳部は「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか?」という“御下問”を深読みし,そこにまず「あるなら使ってはどうか?」という〈間接的・暗示的な命令〉を発見する。連日出動してゆく特攻機群にくらべて,空しく係留・温存されている海上部隊は顔向けができない。天皇に対しても,特攻機に対しても〈面子まるつぶれ〉ではないか。〈間接的・暗示的な命令〉は「あるのになぜ使わないのか!」という“叱正”と解され,“恐懼”の感情を誘発し,海上部隊活用への「焦り」を生む。 海軍上層部の空気は変化し,ついには〈海上特攻艦隊〉という構想へ到達したと推定されるのだ。それだけではない。天皇の発言を契機として生じた海軍上層部の空気のこうした変化こそが,草鹿特使の“説得”の真の内容であったと推定することによって,伊藤中将の態度急変の謎も初めて解けるのだ。 こうして,戦艦大和がひきいる10隻の特攻艦隊は,死の南西海域へ向って出撃して行った。 http://www.okayama-u.ac.jp/user/hasep/yh-seminar/2002/Fukushima_20425.html 74投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 11時18分12秒 特攻第一号神風隊の関大尉の別れの杯、 特攻隊員に対する昭和天皇の「よくやった」というお言葉 を隊員に紹介する隊長、「見事に死んでもらいたい」と訓示する上官、そして 昭和天皇は大元帥であったことを再確認する馬に騎乗し閲兵する姿 http://anarchist.seesaa.net/article/49087839.html 最初の特攻であった、海軍神風特別攻撃隊の隊長である関大尉。戦後出版されてきた、捏造戦記では、特攻を命ぜられて、すぐに「ぜひ、私にやらせてください」と答えたなどと都合よく書かれていたが、実際は違った。「一晩、考えさせてください」と言ったのが真実。今も昔も変わらない。上司からの命令は絶対であった。雪印や三菱のような不祥事が続く悪しき温床は、昔から続いている。 艦爆乗りで腕に自信があった彼としては、戦闘機(零戦)に乗ること自体が納得いかず、特攻は新婚の兵士に命ぜられることはないと聞いていたので、がっかりしたというのが本音であった。 実際、彼は同盟通信特派員につぎのように語っている。 「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、最愛のKA(妻)のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。」 まったくもって無念であったろう。彼は、戦死するが、みごと軍神となった。残された貧しい母は軍神の母となって、絶望的な戦局の中、国民を欺くプロパガンダに利用された。敗戦となると、あれほど近所から尊敬された『軍神の母』は、周りから罵声を浴びせられ、ひどい仕打ちを受けたそうだ。 http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/880.html 75投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 11時20分20秒 東京大空襲 大元帥閣下は眠られておられた 1945年3月11日「東京大空襲」のあの日、日本の大元帥もお休みになられていた…… 10万人もの都民が米軍(中国でもソ連でもない)によって焼き殺されたあの晩。なぜか、空襲警報は、その日に限って「空爆開始後」に出された。 すでに被害が甚大となった午前0時15分にやっと警報が発令されたのだ。昭和20年3月10日の東部軍司令部で何が起きていたのか? 米国戦略爆撃調査団が戦後おこなった調査によれば、東京の消火体制は、第1弾投下後30分を経ずして壊滅していた……。さらに空襲は、その後も続き、最後のB29が立ち去ったのは、その1時間後の2時32分であった。 そのうち情報板の赤い豆ランプは、あちこちで点滅をしだし、次第に状況判断が不可能になりだした。私は参謀に「空襲警報を発令すべきだ」と進言したが、参謀は空襲警報を発令しなかった。参謀としては、状況がはっきりしないうちに、しかも深夜に空襲警報を発令すれば、天皇陛下は地下の防空壕に非難しなければならなくなるし、社会の機能はその間に麻痺することになるだろうとの、配慮があったのだと思う。 そのうち敵機が下町に焼夷弾を投下したとの情報が入ってきた。この時、始めて空襲警報が発令された。3月10日の空襲警報が、空襲が始まってから発令されたのはこのような経緯があったからである。 76投稿者:戦争を主導した昭和天皇 投稿日:2007年10月07日(日) 11時21分23秒 当時、東部軍司令部所属、陸軍中尉藤井恒男さんの証言だ。(78年3月9日放送「NHK特集 東京大空襲」より) 「屋上から肉眼監視が刻々と状況を伝えてきますけど、とにかく、火の海であると。それで、僕は上へ上がってみました。そしたら、それはとてつもない火でしたね。すぐ下へ降りてきて、一戸という参謀に参謀、屋上からいちどご覧になってください≠サうしたら参謀もそうか、藤井、そんなに酷いか≠ニ、それで屋上に上がって、燃え盛る火の海を見て戻ってくると、一戸参謀は、机の上に両手で頭を抱えてうつ伏して涙を流しておられましたね。そりゃ想像はつきます、現場に行かなくても。どういう惨状があそこで起きているかということを」 天皇が休まれておられるのを起こすのはできなかった……。そして、臣民に「空襲警報」は発令されず、被害は甚大となった。
東京大空襲から、1週間たった3月18日、昭和天皇は、小豆色のベンツで極秘に戦災地を巡幸した。 「大正12年の関東大震災の後にも、馬で市内をまわったが、こんどのほうがはるかに無残だ。(略)侍従長、これで東京も焦土になったね」と藤田侍従長に昭和天皇は話したという。 http://anarchist.seesaa.net/article/35751184.html 77投稿者:天皇の原爆しょうがない発言 投稿日:2007年10月07日(日) 11時22分51秒 昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていたのだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。 この会見の場で、 「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」 と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。これは動画で観られるとおりである。 この動画を観て、「なんだ、昭和天皇はこの程度だったのか」とガッカリした覚えがある。いわゆる「現代史家」が神格化している昭和天皇は偶像であると私自身が気が付いてしまったのだ。 鬼塚氏は、昭和天皇と同じカテゴリに、いわゆる「吉田反戦グループ」(ヨハンセン・グループ)や海軍大臣の米内光政を入れて、宮中グループとヨハンセン・グループとして理解する。 米内は、原爆投下を「天佑」だとはっきり述べている。「しょうがない」という思いは、昭和天皇が1975年に発する前に、そして、思想的に複雑骨折を経ている戦後の久間大臣が誤解される形で、宮中グループとは別の意味で「しょうがない」と発言したよりも遙か前、戦争終結直前に米内によって表明されていた。 米内と昭和天皇は、保守派の文春文化人にとってヒーローである。陸軍はたたくが、海軍は批判しないというプレスコードが未だに残っている。 78投稿者:天皇の原爆しょうがない発言 投稿日:2007年10月07日(日) 11時23分30秒 このグループが、皇室の財産保全のために、日本赤十字や、スイス銀行を使った資金の移し替えを行っている傍ら、終戦工作に乗り出していた、と鬼塚氏は指摘する。 これを裏付ける、ポール・マニングという作家の記述や、共同通信が二〇〇一年と二〇〇二年八月一三日が載せた記事もある。だからあながち否定できない。 さらに、このヨハンセンはグルーやスティムソン陸軍長官から、何らかの形で広島に原爆を投下するという情報を察知していたとするのだ。この根拠として、広島には陸軍の元帥・畑俊六がおり、畑元帥は原爆投下時に「松本俊一(外務次官)父君の別荘」にいて、司令部には出勤していなかったために、難を逃れた不自然さを挙げている。 鬼塚氏の主張を私なりに咀嚼すると、広島に原爆を落としたのは、抗戦派の陸軍の第二総軍を壊滅状態に置くという狙いがあったという。また、同じく第一総軍は、本部を東京に持ち、この指揮官の中に第一二方面軍の田中静壱大将がいる。鬼塚氏は、田中大将の45年8月24日の「自決」の時刻が、「森大尉が斬られた同じ時刻」である「午後11時すぎ」という、蓮沼侍従武官長の死の直前の回想記を根拠に、半藤本が書く「森大尉殺害」の時刻は実際よりも2時間も遅れていた、つまり半藤は嘘をついていると書いたのである。 共同通信の報じた、皇室の隠し財産の記事、これは重要であるから、「佐賀新聞」のデータベースを使って調べて保存しておかなくては為らない。 結局、鬼塚氏もまた、中央銀行ネットワークであるBIS(国際決済銀行)に行き着いた。このBISは、戦時中も敵味方となく資金決済をしていた。だからこそ、アメリカのロックフェラー・スタンダードやロスチャイルドのシェルが、パナマ船籍という抜け道を使って、日本やナチスドイツに石油を輸出し続けた、という話になる。あるいは、赤十字の船という抜け道をつかったらしい。 http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html 79投稿者:天皇は東京大空襲の成果を称え勲章をやった 投稿日:2007年10月13日(土) 09時06分02秒 東京大空襲 昭和20年3月10日 史上最大の虐殺 米軍は次のような計画をたて無差別虐殺を実行したのです。 @ ドイツの空爆で実績を上げたカーチス・ルメイ少将を東京空襲の責任者に任命。 A 日本の家屋が木と紙でできていることに注目して、日本本土空襲専用の焼夷弾を開発。 B テキサスの砂漠に日本の家屋を建ててその焼夷弾の効果を 確認。 C 江戸時代の大火が春先の強風が吹く時期に集中しているというデータに基づき大空襲決行日を陸軍記念日の3月10日にした。 D 最初に空爆目標地の外周隅田川や荒川の堤防沿いに焼夷弾を落として炎の壁を作り人々の退路を絶つ E そして300機以上のB29で地上を嘗め尽くすように焼夷弾を落とす。(1平方メートルあたり3発、総重量2000トン) F 焼夷弾の命中精度を上げるため低空飛行を行う(暗闇の攻撃だったため、まさかB29が低空飛行で来るとは気付かず日 本軍の高射砲はB29のはるか上で炸裂したのでした) 犠牲者 縁者が引き取った遺体 約20,000人 無縁仏・行方不明者 約88,000人 http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html 80投稿者:天皇は東京大空襲の成果を称え勲章をやった 投稿日:2007年10月13日(土) 09時11分47秒 昭和天皇も東京大空襲を成功させる為に可能な限りの尽力をしていた: 1945年3月11日「東京大空襲」のあの日、日本の大元帥もお休みになられていた…… 10万人もの都民が米軍(中国でもソ連でもない)によって焼き殺されたあの晩。なぜか、空襲警報は、その日に限って「空爆開始後」に出された。 すでに被害が甚大となった午前0時15分にやっと警報が発令されたのだ。昭和20年3月10日の東部軍司令部で何が起きていたのか? 米国戦略爆撃調査団が戦後おこなった調査によれば、東京の消火体制は、第1弾投下後30分を経ずして壊滅していた……。さらに空襲は、その後も続き、最後のB29が立ち去ったのは、その1時間後の2時32分であった。 そのうち情報板の赤い豆ランプは、あちこちで点滅をしだし、次第に状況判断が不可能になりだした。私は参謀に「空襲警報を発令すべきだ」と進言したが、参謀は空襲警報を発令しなかった。 天皇が休まれておられるのを起こすのはできなかった……。そして、臣民に「空襲警報」は発令されず、被害は甚大となった。 http://anarchist.seesaa.net/article/35751184.html 81投稿者:天皇は東京大空襲の成果を称え勲章をやった 投稿日:2007年10月13日(土) 09時13分01秒 カーチス・ルメイ将軍が、戦略爆撃という軍事思想を作った人物で、自ら、対ドイツ爆撃(ドレスデン爆撃その他)や、日本各都市の大空襲の戦略を組んで、実行した人だ。敵国を、民間人(非戦闘員)もろもとも焼き殺して火の海にして、焼け野が原にした。 このルメイの焦土化作戦は、東京大空襲をはじめ大成功をおさめた。日本側は都市の軍需工場、民間住宅問わず、全てまとめて徹底的に焼き払われ壊滅的な打撃を受ける。焦土化作戦は東京・大阪等の大都市を焼き払った後は、地方の中小都市までが対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」と渾名された。 カーチス・E・ルメイ将軍は、グアム島在米爆撃隊司令として、広島・長崎に投下された原子爆弾にも深く係っていた。 広島、長崎の原爆投下もルメイ戦略である. それに対して天皇は、「勲一等旭日章受勲」で報いた. 参議院議員で元航空幕僚長の源田実(ミッドウェイでアメリカを勝たせる為の戦略を立て,日本海軍を崩壊させるのに大きな貢献をしたそうだ)もルメイの東京大空襲の成功を高く評価し,勲章授与に尽力した. 82投稿者:太平洋戦争の目的 投稿日:2007年10月13日(土) 09時15分21秒 米国=ハワイの商業航路は、それを開拓した「黒船ペリー」の「権益」を、そのままこのディロン社のペリーが引き継いでいる。そしてそれが、そのまま米国海軍の米国本土とハワイを結ぶ軍事航路として、ペリー=ディロン社の軍艦兵器・備品販売=消費に「貢献」している。つまり、ハワイを米国が植民地支配し、その支配継続のためには莫大な米国海軍の装備が必要であり、ハワイ・ルートを開拓したペリー一族のディロンが、その海軍の軍艦、兵器、備品を販売し、利益を上げているという構造になっている。 注2・・第二次世界大戦中、日本の広島、長崎に原爆を投下するための核兵器開発計画=マンハッタン計画の中核を担当したのが、このディロン社である。 軍人、政治家には、核兵器開発の技術的ノウハウは「全く」無く、ウラン、プルトニウムの入手ルート開拓、鉱山開発のノウハウも全く「無い」。軍人、政治家が核兵器開発計画を立てても、それを実際に実行に移すのは、ウラン、プルトニウム抽出のプラント(設備)のノウハウを持つ軍事産業ディロンである。 マンハッタン計画において、ディロンの社員として現場で核兵器開発を指揮したのがデイヴィッド・カーママンである。カーママンは、広島、長崎に投下する核兵器製造の専門家であると同時に、ニューヨークでディロン社の兵器を販売する商社カーママン&ウィットキンを経営していた。 83投稿者:太平洋戦争の目的 投稿日:2007年10月13日(土) 09時17分24秒 カーママン社は、カーママンと昭和天皇ヒロヒトが共同で設立した兵器商社である。 天皇はこの商社を通じ、日本軍の使用する兵器を敵国・米国から密輸し、その販売利益を「天皇個人の財産」として、スイス銀行の口座に密かに蓄財し続けていた。 天皇はディロン社の日本代理人であり、第二次世界大戦の武器密売で利益を蓄積した武器密売人であった。 天皇と同じ会社ディロンで「働く」カーママン。商社カーママン社を天皇と共同経営する「天皇の同僚」カーママンが、広島、長崎へ投下された原爆の製造担当者であった。 http://alternativereport1.seesaa.net/article/59498275.html 84投稿者:太平洋戦争の目的 投稿日:2007年10月13日(土) 09時20分10秒 米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「代理人」である事を良く示している。 しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に戦争資金を貸し付けていた。 日本軍と米軍が「殺し合えば殺し合う程」この銀行が儲かる「仕組み」になっていた。この銀行の私的利益のために日本と米国の軍人は「殺し合い」をした。 この金儲けシステムの米国側にドレーパーがおり、日本側に天皇が居た。 ドレーパーの銀行ディロンは、戦争で莫大な利益を得た。 天皇も日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積した。天皇が戦争責任を問われなかったのは当然である。 日本人と米国人に「殺し合い」を行わせ金儲けする、ディロン=ハリマン銀行の日本支店長が天皇であった。最初から天皇は「日本と日本人の命」を「敵国に売り渡して」いた。 なお天皇は、スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、「敵国の戦争指揮官」ドレーパーに勲一等瑞宝章を与え表彰している。 http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/517.html 85投稿者:太平洋戦争の目的 投稿日:2007年10月13日(土) 09時27分19秒 第二次世界大戦後、米国ロックフェラーの原油を日本に運搬するタンカー企業は、日本の水産会社の漁船部隊を再編成して創立された。 第二次世界大戦中、米国と戦争する日本海軍の軍艦部品は、敵国アメリカのロックフェラー財団から密輸されていた。ロックフェラーは米軍へも兵器を納入し、日本と米国はロックフェラーの兵器販売促進のために戦争を行っていた。 ロックフェラーと共に、日本海軍の軍艦部品密輸商社を経営していたのが昭和天皇ヒロヒトである。ヒロヒトの部下として、兵器密輸の実働部隊を担ったのが三菱財閥、日本水産=ニッスイ、天皇の右腕で皇室出身の外交官・白州次郎であった。密輸船は日本水産のものであった。 戦後、白州次郎は天皇の命令を受け日本水産の社長に就任、兵器密輸仲間の三菱財閥から出資を受け、日本全国の暴力団、総会屋を結集し、ロックフェラーの原油輸入・販売業=業転を創立する。ロックフェラーのタンカーの操縦は、天皇=白州の日本水産が担当する事になった。 業転が魚の先物取引という奇妙な金融商品を持つ理由は、原油輸入と日本の水産業との一体化という歴史から来ている。 こうして日本全国の暴力団、総会屋を結集し、闇資金市場を創立し、そのボスに君臨したのが昭和天皇であり、業転は戦争中の兵器密輸企業=死の商人の戦後版であった。 http://alternativereport1.seesaa.net/article/54015609.html 86投稿者:太平洋戦争の目的 投稿日:2007年10月16日(火) 22時31分39秒 日本の昭和天皇ヒロヒトは、敵国であった米国の兵器を日本に輸入し日本軍部に売り付け、その利益を私的に「着服」し、スイス銀行に隠し蓄財していた。そのスイス銀行の口座はヒトラーと天皇ヒロヒトの「共同名義」の口座であった。 ヒトラーと昭和天皇ヒロヒトは、戦争を起こし兵器を密売し、共に「私腹を太らせていた」。 ディロン社の代理人として、米国製兵器の密売を行っていたのが昭和天皇ヒロヒトである。ドイツにおけるヒトラー、日本における昭和天皇ヒロヒトの役割は同一であり、従って兵器密売のスイス銀行の「決済口座」がヒトラーと昭和天皇ヒロヒトの「共同名義」になっていた。 第二次世界大戦末期、ヒトラーは自分の資産と部下を続々とアルゼンチンに逃し始める。天皇ヒロヒトも戦争末期、長年の武器密売の利益を金塊の形で、アルゼンチンの銀行に大量に密かに輸送し隠し預け始める。 戦争末期、中国に残された日本人の多くは、日本に帰る船が無く中国、朝鮮で殺害され、女性は強姦され殺害され続けていた。天皇はその日本人を全員「見殺し」にし、船舶を「独占」し、武器密売の利益を金塊の形でアルゼンチンへ大量輸送し続けた。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 87投稿者:昭和天皇ヒロヒトは武器密輸商人 投稿日:2007年12月16日(日) 21時38分27秒 武器販売促進のため第二次世界大戦を起こした武器密輸商人=天皇 天皇は、第世界大戦二次中、日本軍が使用する武器、燃料を、敵国の米国から密輸し、物資の欠乏する日本軍に高額で「売り付け」、利益をスイス銀行に隠し、蓄積していた。スイス銀行には、明治時代以降、天皇一族が日本人女性を誘拐し、売春婦として海外に「売却」した50万人の女性の「売却代金」も蓄積されている。 「天皇は、米国の軍事産業と一体化」し、日本と米国の間に戦争を起こし、米国軍事産業は米国政府に武器を売り、武器密輸商人=天皇は日本政府に武器を売り付け利益を上げ、日本人を戦争で大量虐殺した。天皇一族こそ、日本人大量虐殺の犯人であり、最も悪質な売国奴であり、戦争犯罪人である。天皇一族こそ、日本民族の敵である。 1945年8月、天皇は、スイス赤十字社に1000万スイス・フラン=現在の時価で約33億円を手数料として支払い、数兆円の天皇一族の隠し資金を、赤十字社名義に「書き換える」要請を行った。これは、天皇一族が人身売春、武器密輸で蓄積した貯金を米軍に没収される事を恐れ、赤十字社名義に書き換え、不正な資産「隠し」を行うためであった。要請は、紆余曲折の末、受理された。 戦争で日本国民全体が1日3度の食事さえ不可能になり、広島、長崎に原爆が落とされ、その治療のために少しでも資金が必要な1945年8月に、数兆円もの資金を天皇はスイス銀行に持ち、預金の名義書き換えのため「だけ」に、33億円もの「手数料」を支払い、自分の財産隠しを行っていた。日本人が多数餓死している最中に、である。 88投稿者:昭和天皇ヒロヒトは武器密輸商人 投稿日:2007年12月16日(日) 21時39分02秒 その預金の名義書き換えは受理され、戦後60年、利息が利息を生み、巨大化し、現在も、不正に蓄積され続けている。武器密売と、天皇一族に誘拐された日本人女性の人身売買の「利益」である。これは、戦争で天皇一族に殺害された、膨大な数の日本人の「命そのもの」である。 天皇が、この不正蓄財を隠すために、赤十字社と必死で交渉しているアサマシイ姿は、天皇のアサマシイ要請の扱いに困惑した戦勝国・英国の外務省と赤十字社との間で交わされた、正式な外交文書としてロンドンの公文書館で、誰でも閲覧する事が出来る(ファイルNO. FO369 / 3969 及び FO369 / 3970)。 この天皇(一族)が2007年、米国ロックフェラーと会談し、日本を支配しないで欲しいと日本人のために要請した等という、フォーブス元アジア支局長の主張がデマ宣伝の情報操作である事は、こうした点に明確に現れている。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 89投稿者:truth 投稿日:2007年12月17日(月) 03時21分54秒 ↑ この人。 長文お疲れさまなんだけどさぁ(笑) みんなにマインドコントロールかけてんべ(^〜^) 世界を自分たちのシナリオ通りに思うままに操ってのはー。 頭は世界金融王のロスチャイルド。 そして、秘密結社イルミナティー、フリーメーソン、イギリス王家、バチカン、ロックフェラー、チェイニー、ブッシュらじゃんか〜。 お疲れちゃん(笑) 90投稿者:鎌田健 投稿日:2007年12月17日(月) 06時31分38秒 矢印逆だべ てか.長文は3行が限界ト みんなも読むな どうせダラダラしたカキコだろうし\ http://01.look2.jp/kamaken/ 91投稿者:広島・長崎への原爆投下の犯人 投稿日:2007年12月30日(日) 11時38分46秒
第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。 天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。 戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。 これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 92投稿者:天皇の原爆しょうがない発言 投稿日:2007年12月30日(日) 11時41分39秒 昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていたのだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。 この会見の場で、 「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」 と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。これは動画で観られるとおりである。 http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html 93投稿者:侍従長の回想 投稿日:2008年01月03日(木) 02時03分27秒 ・軍人は殺され、国民は爆撃死しているとき、天皇とその一族や侍従たちは、巨大な金庫室の中で生き延びるべく闘っていた。何に対してか。アメリカに日本を売りつけ、日本の軍人や国民を戦争好みの人種に仕上げるためにだ。その手先たちが、平成の世になっても、天皇賛美の歌をうたい続けている。P317 ・藤田尚徳の『侍従長の回想』の中から一文を引用する。 「やがて夜は白々と明けて8月15日。…陛下は声を落として申された。 『藤田、いったい、あの者たちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持ちが、どうして、あの者たちには、分からないのであろうか』 暗然とした表情で、つぶやかれた」 天皇が藤田尚徳に語ったあの日こそは「日本のいちばん醜い日」であった。あのときの言葉こそは、「日本のいちばん醜い言葉」であった。P354 ・歴史家松重楊江が著者に語った説。 「明治維新で職を失った旗本たちの娘の中から、美女を選び城内に入れて「千代田遊郭」なるものを伊藤博文らがつくりました。そこは、天皇や重臣たちの遊び場でした。 ・『国際金融同盟』の中の一文は、「戦争とはなにか」を如実に示している。戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけでなく、巨大はマネー・ゲームでもある。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。 94投稿者:侍従長の回想 投稿日:2008年01月03日(木) 02時04分33秒 ・ロスチャイルド財閥を中心とする国際金融同盟は、原子力に注目し、これに莫大な資金を投資し、ウラン鉱の買収を大戦中に始めていた。原爆の実験はそのために是非とも必要だった。日本がその標的にされた。スティムソン陸軍長官が(このことを)6月8日直前に天皇宛の文書でヨハンセン・グループのルートで送ったとみられる。P511 ・あれだけの大惨事を見て、米内海軍大臣は“天佑”だと叫んだのである。天皇も「終戦の詔書」の中で一回触れたが、それからは一言も非難の声をあげなかった。その時だけが例外ではない。P521 ・日本にとって、天皇にとって都合のよいことが原爆投下によってもたらされた。天皇はこの直後に、アメリカから“天皇制護持”の約束を与えられていることだ。そして、御前会議を開き、ポッダム宣言受諾を決定する。間違いなく、原爆投下と交換条件である。アメリカは、アメリカ国内よりも日本での非難を恐れていたと思う。…国際金融同盟の連中は、「さすが、スティムソン、よくやってくれた!」と快哉をあげたことであろう。「これで日本は、永遠に俺たちの奴隷の国になったぞ」と。P522 ・天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。ではどうして8月6日なのか。それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理をつけられる見通しがたったからである。 この広島の原爆で、第二総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。8月6日8時ごろに、多数の第二総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。この日、間違いなく、第二総軍の全員は、8時ごろに集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第二総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。 ひとり、畑元帥のみが、この総司令部に行っていないのである。P524-528 http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/230.html 95投稿者:侍従長の回想 投稿日:2008年01月03日(木) 02時09分55秒 太平洋戦争に引き釣り込んでいった首謀者は昭和天皇であった。昭和天皇が南進策を主導し、戦争を長引かせてその間、私財の蓄積もはかった。最後は原爆投下と引き換えに、国体護持を獲得した。昭和天皇の「原爆やむをえない」発言は、1975.10.31、日本記者クラブでのことであった。 「東京裁判」などという戦争行為の一環として強行された国際法違反の裁判とはまったく関係なく、日本人自身の手で明らかにすべきである。裁判という形式は問はない、歴史的審判を下し広く国民が認識していく必要がある。
かつて筆者は、関口宏の司会するテレビ番組で、昭和天皇と笹川良一が席を隣り合わせて、野外で宴会している場面を見たことがある。笹川は元帥のような服装をし帽子もいかめしく、異様な光景であった。終戦時、笹川は自ら志願して巣鴨拘置所に入り、天皇が戦争責任を逃れるように工作したと笹川本人が語っているが、なんらかの恩義でも感じていたのであろうか。 http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/546.html 96投稿者:資産相続人 投稿日:2008年02月09日(土) 05時40分15秒 マルコスは、1930年代より当時の中国の国民党へ軍事費としてアメリカから発行された各種軍票の証人者となり、その権利を持ち、フィリピン大統領となってからは、国民党がフィリピン、インドネシア、タイ等東南アジアに移送したアメリカの軍票の管理者にもなっている。多くの人々がマルコスは旧日本軍の財宝(俗名 山下財宝)の金塊等を海外に持ち出し、資産を得たと考えているが、その殆どは軍票である。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)に5つの名義の口座が今も尚存在している。確かにマルコスは、若干の金塊とフィリピン国内で産出したマイニンゴールドを精製し、アメリカ、イギリス、スイス等へ運び出しているのも事実である。 97投稿者:資産相続人 投稿日:2008年02月09日(土) 05時42分01秒 マルコスが得た一番の利権は、太平洋戦争における日本の戦後保障に関する当時の連合軍のアジアの責任者の地位である。従って、インドネシアが、オランダの国際裁判所に申し立てたスマトラロイド、ジャワ等の金塊は日本が略奪したものだで、その所有権はインドネシアにあるとUBSを相手取り訴訟を起こしたが敗訴した。その後マルコスは、当時のインドネシア大統領と接触し、フィリピンのセントラルバンク(BSP)の保障で、UBS発行のGold Bullion Certificate(金証書)をインドネシア大統領並びに彼の指定名義人名で証書が発行されている。この証書も金塊のバックアップではなく、アメリカの軍票に含まれる金証書をバックアップにしたもである。 天皇制を維持された大きな理由は、日本軍が日本国内に持ち込んだ殆どの略奪した金塊をアメリカ、イギリス等の連合軍が持ち出すために、名義人が国際法上必要なためである。その後この金塊の交渉の為、昭和天皇の代理人(百崎氏)が、その交渉に勤めてきたことも事実である。 マルコスは、1983年彼の多くの子供にその資産を相続させ、実際にGLD(Good London Delivery)も金融機関に保管させている。しかし、その権利はあくまでもアメリカ、イギリス等に持たれ2003年まで、名義を貸した状態で推移してきた。逆を言えば、戦後から2003年まではその金塊等の運用利益は全てアメリカを初めその権利国の資産となっている。たとえば、日本国内の銀行にマルコスの子供を含めた関係者名義の口座が数多くあるが、口座名義人には1円の権利も無く、使用できる金員ではない。 98投稿者:資産相続人 投稿日:2008年02月09日(土) 06時13分10秒 日本より持ち出した金塊を自国の国債等に切り替えスイスのバーゼルにあるBIS(バンクフォーインターナショナルセトルメント)に預託しその運用資金がFRBやBOE(イギリス銀行)から日本に送金されるものが俗に言うM資金の元である。2006年にイギリス銀行から東京三菱銀行へ送金された金額が1京7500兆円にのぼつているがこれも証書の形であるため、ソフトでハード(キャッシュ)ではない。第57回還付金残高証明書も大蔵省発行の証書だがこれも前途の金員から発行されたもので、ペーパーからペーパーのみで現金はほんのわずか出回っただけである。 IMF発行のSDR(特別引出権、別名ペーパーゴールド)をアメリカ政府が承認した後、ペーパーによるペーパーの創作が一般的となり、今では、銀行保証書、定期預金証書等も借り物が出回っている。 99投稿者:。 投稿日:2008年03月07日(金) 20時25分06秒 ■ 100投稿者:昭和天皇の秘密メッセージ 投稿日:2008年07月08日(火) 22時39分46秒 ・・・米国の日本占領と不可分なのが、「日本のどこであれ、米国が必要と思う期間、必要と思われるだけの軍隊を置く権利」が与えられた、「在日米軍」の存在である。 日本の非武装中立に固執していたマッカーサーも、吉田茂政権も、講和条約後も日本全土に米軍を駐留させるとするトルーマン大統領ーダレス国務長官の方針に反対であった。 ところが50年8月に天皇陛下からマッカーサー宛に発せられた一つのメッセージが、マッカーサー、吉田茂の頭越しに、ダレス国務長官に届けられた。 これこそが、1947年9月に沖縄基地の長期使用をマッカーサーに提案した天皇陛下の秘密メッセージと並んで、日本の戦後を規定した天皇陛下の秘密メッセージであったのだ。 すでに象徴天皇であった昭和天皇の、この明らかに政治的な違憲メッセージは、何の目的で発せられたのか? 天皇は憲法9条による非武装の日本を米軍に守ってもらうために日本全土の米軍基地化を提案した、とする見方はある。 しかし、そのメッセージは、(当時はすでに極東裁判で天皇の戦争責任はなくなっていたが)「50年2月1日、ソ連が突如として天皇および数名の元日本軍高官を、細菌化学戦争にかかわった罪で国際軍事法廷に追加訴追を求める覚書を米政府に手交していた」後になされている。 かつて、シーボルト駐日公使は、47年9月に天皇陛下がマッカーサーに提案した沖縄基地の長期使用のメッセージを当時のマーシャル国務長官に転送した際、「疑いもなく私利に大きくもとづいていた」と語っている。 101投稿者:昭和天皇の秘密メッセージ 投稿日:2008年07月08日(火) 22時40分23秒 日本全土基地化の提案メッセージもまた、「自分を守ってほしい」というメッセージだとする推測が出てくる理由がそこにある・・・ 伊藤教授のこのような指摘が、史実として確立しているものなのかどうか、私は知らない。 しかし、少なくとも伊藤教授は、秦郁彦「裕仁天皇五つの決断」(講談社)、豊下楢彦「安保条約の成立」(岩波新書)、坂元一哉「日米同盟の絆」(有斐閣)、西村熊雄「サンフランシスコ平和条約・日米安保条約」(中公文庫)などの公表された文献を検証、引用しながら書いている。 重要な事は真実を知ることだ。真実に少しでも迫ることだ。 あたかも憲法1条と9条が一対となって成立したごとく、米国の日本占領が米国と日本の合作であったとすれば、今日の対米従属外交もまた、日本が自ら選択した政策という事になる http://asyura2.com/08/senkyo51/msg/686.html 102投稿者:龍健 投稿日:2008年07月10日(木) 21時20分37秒 あの時はみんなが天皇をかばったんだ。東条が責任をかぶったんだ。 仕方のない選択だ。 103投稿者:仕方のない選択 投稿日:2008年07月10日(木) 21時53分02秒 中国と日本に戦争を行わせ、有色人種を減らす政策は、現在も継続している。 ドレイパー一族は、ディロン・リード社という兵器売買と兵器購入資金融資の軍事金融企業を経営している。ドレイパーは、中国共産党軍にも、自衛隊にも、兵器を販売している。ドレイパーの兵器販売高をアップさせるために、日本と中国は戦争をする事になる。 クリントン大統領時代のペリー国防長官が、このディロンの社長である。 第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。 天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。 戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。 これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。 http://alternativereport1.seesaa.net/article/75345658.html 104投稿者:仕方のない選択 投稿日:2008年07月10日(木) 22時53分03秒 天皇の原爆しょうがない発言 昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていたのだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。 この会見の場で、 「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」 と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html 105投稿者:龍健 投稿日:2008年07月12日(土) 07時54分08秒 当時の天皇は神様だったから国民は何も言わなかったんだ。悪いのは 鬼畜米英と教え込まれてきたから、それに批判なんかすると、当時の 治安維持法にかかり、二度と家には帰れない。中国流で言う政治犯と してな。 106投稿者:矛盾に気付かないんだな 投稿日:2008年07月12日(土) 08時14分20秒 東京裁判の時は治安維持法はないんだけどな. 107投稿者:龍健 投稿日:2008年07月12日(土) 08時31分19秒 東京裁判は戦後だろう、戦時中の話だ。アホが、そんな事は中学生で も知ってるわ。 108投稿者:人間のクズ=天皇 投稿日:2008年07月27日(日) 18時10分54秒 1947年9月20日、天皇が、日本占領軍の指揮官ダグラス・マッカーサーと、マーシャル国務長官に送ったメモが、ワシントンの米国・国立公文書館に存在している。
そこには、 「沖縄に米軍の大部分を駐留させ、沖縄を米国領土とすることによって、日本本土を米軍支配から独立させる方法を取りたい」 と、記載されている。 つまり沖縄を「日本から切り捨て」、「沖縄だけに米軍を置き、犠牲にする事」を、天皇自身が米国に「提言」していた。 2008年現在、沖縄だけに米軍基地の大部分が集中し、米兵による少女強姦事件が沖縄で多発している、その真の原因は、天皇が「作っていた」。 天皇の、この「米軍との密約」には、「弱い者に犠牲を押し付け、弱い者を見殺しにし、自分だけは助かろう」と言う、卑怯者、「人間のクズ」の姿のみが、露骨に見えている。 ここには第二次世界大戦で、玉砕し自害した市民を多数出した、沖縄への憐れみの情など、全く無い。 これが天皇の「日本国民」に対する「扱い」の真実である。これが天皇の正体である。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 109投稿者:龍健 投稿日:2008年07月28日(月) 20時39分19秒 日本軍が天皇をかばい、国民も天皇をかばった。それだけだ。当時は 神にも等しい存在だったからな、今の感覚でものを言うのはナンセンスだ。 110投稿者:天皇こそ1級戦犯 投稿日:2008年07月28日(月) 21時36分47秒 真実はこうだ 敗戦後の日本国民の中になお深く根ずいていた 天皇崇拝的深層心理を米支配の構造に組み込んだ 結果、天皇は戦犯としても扱われず戦後20年以 上も君臨(象徴としても)し得た理由である。 故に長期にわたる軍国教育の成せる業とは言え やはり当時の国民にもその責任の一端を見るこ とが出きるのではあるまいか。 111投稿者:777 投稿日:2008年07月28日(月) 22時57分09秒 天皇が戦犯の訳ないだろ. 天皇とルーズベルトはグルだったのさ. 112投稿者:777 投稿日:2008年07月28日(月) 22時58分25秒 大本営は兵隊をわざと死なせるような作戦をやった まともな戦争ではなかった――ほとんどが餓死か病死だった 武器も食糧も持たせず死ぬとわかった輸送船に乗せて送り出した 敗戦したとたんに、天皇も財界も官僚、政治家も平和主義者のような顔をした そして日本はアメリカの属国になった 丸ごと米単独占領 支配階級・日本を米国に売る 占領軍には1発も銃弾は飛ばなかった。 あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。 マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。 113投稿者:解説 投稿日:2008年07月28日(月) 23時04分50秒 日本は中国戦争で今のアメリカと同じ状態になった. そのままいったらロシアが攻めてきて天皇は極悪戦争犯罪人として殺される. そこでわざとアメリカに宣戦布告して,アメリカに日本を占領して貰うことにしたのさ. ルーズベルトと昭和天皇の仲介をしたのがルーズベルトの親友だった海軍の米内光政と永野修身だ. 永野修身は米軍病院で謎の死を遂げているがルーズベルトとの密約をばらされない為の謀殺だったそうだ. 114投稿者:解説 投稿日:2008年07月28日(月) 23時07分32秒 ルーズベルトと永野修身とはハーバード大学で二つ違いの同窓生だった。山本五十六もハーバードの同窓生でありこの三人が共謀して日本がわざと負ける様な作戦を立てたのさ. 115投稿者:米内を斬れっ!! 投稿日:2008年07月29日(火) 21時59分09秒 阿南陸軍大臣は自決する前に「米内を斬れっ!!」と言い残した. 阿南惟幾は太平洋戦争(大東亜戦争)末期、梅津美治郎参謀総長とともにあくまで本土決戦を唱えるが、昭和天皇の終戦の意志が固いことを知り、最終的には終戦に同意。軍事クーデターをほのめかす部下の軽挙妄動を戒めながら、8月14日夜、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で自刃。介錯を拒み、翌15日朝絶命。「一死をもって大罪を謝し奉る」との遺書は有名。 米内光政自身は戦後ものうのうと生き延びて、歴史書物や参考書には全く正反対の『善人』として紹介されています. 米内光政はアメリカのスパイだったようです。戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)でもアメリカ側から「米内が裁かれる事はない」とお墨付きだったのです。本人は「私が首相だったらこの戦争は始めなかったでしょう」と図々しい発言までして米内語録として歴史の本には出てきます 116投稿者:777 投稿日:2008年08月24日(日) 09時07分36秒 お 117投稿者:777 投稿日:2008年09月07日(日) 08時22分47秒 明治時代以降、天皇一族は日本人女性を多数、誘拐し、売春婦として海外へ売り飛ばして来た。 畑で農作業を行っていた女性を殴り、学校帰りの女子学生を殴り倒し気絶させ、天皇一族の部下達は誘拐し、売春婦としてヨーロッパに売却してきた。その数は累計50万人。全員、20歳代で梅毒等で死亡した。 天皇一族の実行した日本人大量虐殺である。 その虐殺の利益は、スイス、アルゼンチン等の銀行に「天皇の私財」として、金塊、債券の形で預けられ、運用され、莫大な利息・配当金を生み出し続けている。 この誘拐・売春業者=天皇の隠し資産は、海外での資産運用とは別に、「すぐに使える当座の資金繰りのため」日本国内では、一時国有化された、りそな銀行に1兆円眠っている(注1)。 この天皇の財産維持のために、この銀行は戦後GHQによる資産チェックを「唯一」逃れた銀行となった。 戦争を起こし、密かに米国製兵器を大量に購入し日本軍に支給していた武器密輸商=天皇一族、米国軍事産業に莫大な利益を与えた「死の商人=天皇」への、GHQからの、ご褒美であった。 2007年、長年蓄積されてきた天皇一族の「海外資産」の利息・配当金の一部が、天皇一族に支払われ、日本国内に持ち帰られた。その金額は数兆円規模に上る。 http://alternativereport1.seesaa.net/article/106103397.html 118投稿者:゜゜ 投稿日:2008年09月07日(日) 23時28分27秒 奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名奏太納在査鉈他名 奏太納在査鉈他名 119投稿者:777 投稿日:2008年09月14日(日) 00時26分38秒 ・・・吉田茂は講和条約締結の一週間ほど前からひどく不機嫌になったということなど、いつも興味のつきない話が、主に吉田健一(吉田茂の長男、英文学者)から出されるのであった・・・ これを読んだ時、私はすぐに、豊下楢彦著「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)を思い出した。 いわゆるサンフランシスコ講和条約は日本にとって極めて寛大な条約だった。 その条約を吉田茂は高く評価していたはずだ。それなのになぜ吉田茂は首席全権代表を強く拒んだのか。 この疑問に豊下教授はその著書で見事な推論をしてみせる。 講和条約に署名したくなかったのではない。その直後に控えていた日米安保条約に署名する事が嫌だったのだ、と。 そして、豊下教授は、少しでも対等な条約をと、粘り強い交渉を重ねた吉田茂に対し、天皇の戦争責任をせまるロシアの影響を恐れた昭和天皇が、日米安保条約の早期締結を命じ、出席を渋る吉田茂に、はやく出席し、署名するように、と迫ったからだ、と推論する。 だからこそ吉田茂は、日本国民や国会はもとより、全権代表団にさえ安保条約の実態を知らせることなく、責任をみずから一人に負わせる形で、サンフランシスコ郊外の米軍兵舎に一人赴いて署名したのである。 今日に至る戦後63年の日本を既定する日米安全保障体制は、昭和天皇と米国の利害が一致して作られたのだ。 http://www.asyura2.com/08/senkyo53/msg/517.html 120投稿者:777 投稿日:2008年09月15日(月) 01時06分47秒 美味しいの教えて ---------------- あんたらなんなのI ---------------- そうだったね!デプロは噛んじゃだめってやつだったね ルーランとかはあまい? みんなのいってるものは持ってない ---------------- エリミンは甘いよI ---------------- デプロメールはかんじゃダメだよ!多めの水で飲まないと食道に苦みがとどまって大変だよ! ---------------- 甘いよね。ビオフェルミンみたいな感じ汪嘯ン砕いて飲んでる ---------------- かみ砕けばいいんですね!ありがとうございます 121投稿者:、、、、 投稿日:2008年11月26日(水) 19時18分19秒 、、、 122投稿者:、、、、、、 投稿日:2008年11月26日(水) 19時28分47秒 、、、、、、 123投稿者:、、、、、、 投稿日:2008年11月26日(水) 19時57分26秒 、、、、、、、 124投稿者:、 投稿日:2008年12月07日(日) 09時16分36秒 、、 125投稿者:人間のクズ=天皇 投稿日:2009年01月02日(金) 19時40分45秒 1947年9月20日、天皇が、日本占領軍の指揮官ダグラス・マッカーサーと、マーシャル国務長官に送ったメモが、ワシントンの米国・国立公文書館に存在している。 そこには、 「沖縄に米軍の大部分を駐留させ、沖縄を米国領土とすることによって、日本本土を米軍支配から独立させる方法を取りたい」 と、記載されている。 つまり沖縄を「日本から切り捨て」、「沖縄だけに米軍を置き、犠牲にする事」を、天皇自身が米国に「提言」していた。 2008年現在、沖縄だけに米軍基地の大部分が集中し、米兵による少女強姦事件が沖縄で多発している、その真の原因は、天皇が「作っていた」。 天皇の、この「米軍との密約」には、「弱い者に犠牲を押し付け、弱い者を見殺しにし、自分だけは助かろう」と言う、卑怯者、「人間のクズ」の姿のみが、露骨に見えている。 ここには第二次世界大戦で、玉砕し自害した市民を多数出した、沖縄への憐れみの情など、全く無い。 これが天皇の「日本国民」に対する「扱い」の真実である。これが天皇の正体である。 「卑怯者、人間のクズ」が日本の代表で、伝統で無いのであれば、天皇と言う、この恥知らずな男は、日本とは何の関係もない売国奴である。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 126投稿者:天皇=売春業者 投稿日:2009年01月02日(金) 19時41分36秒 1885年.天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社.日本郵船が創立される。明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は.欧米から.あらゆる兵器を購入し続けていたが.欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。 そこで福沢諭吉は.「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」という指示を天皇に与える。賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出.売却」し.兵器購入資金を作る.というプランであり.天皇一族は.このプランに飛び付き.実行する(福沢諭吉全集.第15巻)。 1900年初頭から.天皇の命令の下.「海外に行けば.良い仕事があり.豊かな生活が出来る」という宣伝が.日本全国で大々的に行われた。日本の健全な家庭に育った.当時の若い女性達は.天皇の言葉を信じた。 天皇一族により.だまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり.天皇は.「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で.欧米の売春業者から女性1人あたり.数千円.当時.普通の会社員であれば10数年分の給与を手に入れていた。 その金額が数十万人分=莫大な資金が.この天皇一族のサギ行為.女性の人体販売により.天皇一族に転がり込んだ。その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが.大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。 天皇一族は自分の金儲けのために.健全な若い日本人女性を.だまし.売春婦として.欧米に「売却」して来た。天皇一族は欧米の売春業者と.タイアップした.日本の売春業者であった。 天皇により経営される日本郵船により.欧米に「売却」された日本人女性は.1人残らず.現地に着くと即座に.売春宿に「連行」され.監禁された。そして売春を強制された。初めての外国であり.逃げ場も.助けてくれる相手も居ない。数十万人の日本人女性が.天皇によって.売春を強制された。これが従軍慰安婦の原型である。 127投稿者:天皇=売春業者 投稿日:2009年01月02日(金) 19時42分06秒 日本郵船の共同経営者.三菱財閥も.この売春業で巨大化した。この莫大な富を生む売春業に参加させてもらった.お礼に.三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を.全額.三菱財閥の出資で建設する。渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が.昭和天皇の新婚の住居であり.それは.数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で.三菱の天皇に対する「売春業参加の.お礼」として建設された(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。 また天皇が大株主であった船舶会社.商船三井も.天皇と協力し.同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。 こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は.第2次大戦後.日本に進駐してきた米軍GHQの財務調査官により調査され.当時の金額で1億ドルを超える.と記録されている。 国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は.女性の人体販売で金儲けし.また日清戦争.日露戦争で中国.ロシアから得た賠償金を.自分の私財として「着服」していた。 戦争中.全ての日本人は餓死寸前の中.軍需工場で「無給」で重労働を行っていた。そうした重労働と.日本人男性=軍人の死によって.戦争によって得られた賠償金を.国民のためでなく.自分の私的財産として.天皇は着服し.密かに蓄財していた。 また日本軍が朝鮮.中国に侵略し.朝鮮人.中国人を殺害し.略奪した貴金属は.天皇の経営する日本郵船によって日本に運び込まれ.日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」という.巨大な壷に蓄財された。中国.朝鮮から略奪された貴金属.そして賠償金=侵略戦争は.天皇の個人的蓄財のために.行われていた。 この問題を調査したエドワード・ベアは.「天皇一族は金銭ギャングである」と.吐き棄てるように語っている(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)。 128投稿者:天皇=売春業者 投稿日:2009年01月02日(金) 19時42分34秒 1945年.日本の敗戦が決定的になると.天皇一族は.この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ.海外に蓄財を「逃し」始める。 天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて.スイスに850万ポンド.ラテンアメリカに1004万ポンド等.広島.長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中.天皇は自分の蓄財を海外に次々と.逃がす事に専念する。 この問題を調査したマーク・ゲインは.海外に天皇が逃した蓄財は.累計で5〜10億ドルに上る.としている(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。 広島.長崎に原爆が落とされ.膨大な死傷者が出.戦後.日本を.どのように再出発させるか.を考えなくてはならない時期に.天皇は.ひたすら自分の蓄財を守るため.数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。 日銀の地下金庫からは.莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され.アルゼンチンの銀行.そしてスイス銀行まで遠路.運搬されていた。中国では.日本に逃げ戻るための船舶が無く.逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数.強姦殺人され.子供が殺害されている最中.天皇は貴重な船舶を独占し.自分の金塊を遠路.アルゼンチン.スイス等に運び出していた。 天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く.日本人の事など.何も考えていない事は.明白である(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」 マルジュ社)。 なお.天皇が.第2次大戦中.「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の.天皇の共同経営者が.CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは.何故なのか? 129投稿者:天皇=売春業者 投稿日:2009年01月02日(金) 19時43分12秒 敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか? 天皇は戦後.このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り.CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に.港区の不動産を次々に買収し.またハイテク産業に投資し.莫大な蓄財を.さらに莫大に膨れ上げさせて行く。 天皇は神でも「象徴」でもなく.単なる金儲け主義の.金融ビジネスマンである。 そして.ここでも.「何故か」.CIAと天皇は「共同経営者」である。 天皇は.1940年代初頭から.スイス銀行に少しづつ蓄財を「移し」始めるが.ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが.虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。 天皇はヒトラーに請願し.ナチス・ヒトラーの口座の中に.「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい.そこに天皇一族の蓄財を隠していた。天皇と.ヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する.略奪ビジネスのパートナーであり.ナチスと天皇は一体であった(アダム・レボー「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ・・また.濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。 1924年.米国は「排日移民法」という法律を成立させる。日米関係は.まだ険悪ではなく.日本から.余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し.それを禁止した法律であった。 天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の.「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に.1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。 「米国のカリフォルニア州への移民拒否については日本を憤慨させるに十分なものであった。」 この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。 日本人女性を.だまし.売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した.それに憤慨.激怒し.米国と戦争を始めた.と天皇自身が独白しているのである。 天皇一族は.神でも.「象徴」でも無く.人間のクズの集団である。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 130投稿者:人間のクズ=天皇 投稿日:2009年01月02日(金) 19時48分23秒 武器密輸商人である天皇一族は兵器販売促進=自分の金儲けのため日本を戦争に引きづり込んだ 、「劣った有色人種を核兵器で全滅させよ」と主張するキリスト教原理主義教会を創立した、ドレイパー一族である。 第二次世界大戦末期、ドレイパー一族のウィリアム・ドレイパーは、米国戦争省の最高幹部として、日本が米国に対し無条件降伏を申し出ていたにも関わらず、広島・長崎への原爆投下を決定した。核兵器の威力を実験するために、広島・長崎の市民を、ドレイパーは大量虐殺した。「劣った有色人種=日本人を核兵器で全滅させる」ためである。そこには、キリスト教原理主義教会とパイオニア基金に共通する、ドレイパー一族の人種差別思想が根本に存在した(拙稿「広島、長崎への原爆投下」を参照)。 戦後、ドレイパーはダグラス・マッカーサーの上官として、日本の総支配者として来日し、日米安保条約を起草し、日本への米軍駐留を永久化し、自衛隊を創立させる。 名目は、共産主義中国への防波堤として日本に軍隊を持たせる、つまり中国共産党軍と日本に、「戦争を行わせる」ためである。 しかし、中国共産党軍は米軍が育てた軍隊であり、ドレイパーの目的は、米軍直結の中国軍と米軍直結の日本の自衛隊を戦わせ、アジア人同士を殺し合わせる事にあった。「劣ったアジア人=有色人種を減らす」ためである(山極晃「米戦時情報局の延安報告と日本人民解放連盟」大月書店)。 131投稿者:人間のクズ=天皇 投稿日:2009年01月02日(金) 19時48分50秒 この中国と日本に戦争を行わせ、有色人種を減らす政策は、現在も継続している。 ドレイパー一族は、ディロン・リード社という兵器売買と兵器購入資金融資の軍事金融企業を経営している。ドレイパーは、中国共産党軍にも、自衛隊にも、兵器を販売している。ドレイパーの兵器販売高をアップさせるために、日本と中国は戦争をする事になる。 クリントン大統領時代のペリー国防長官が、このディロンの社長である。 第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。 天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。 戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。 天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。 これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 132投稿者:天皇は犯罪者 投稿日:2009年01月02日(金) 19時49分57秒 「第2次世界大戦に日本が参戦する事に、昭和天皇は反対であったが、軍部と東条英樹首相の暴走と、強硬さに押し切られ、嫌々ながら天皇は戦争に関与した」という、デマ宣伝がマスコミによって流されている。「天皇を、何とかして、戦争責任から逃がそう」という宣伝である。
1995年3月19日付、毎日新聞は、1944年7月20日付の天皇から、東条英樹宛ての勅語を掲載している。 「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下、十分に職務を果たした。」 天皇は.この公式の勅語で、第2次世界大戦への日本の参加は、「天皇が」決断し行った=朕の戦争である、と断言している。そして東条英樹以下、軍部は「天皇の指導に従っていた」と明言している。 天皇が戦争に反対の「平和主義者」などと言うのは、全くのデマ宣伝である事を、天皇自身が、ここで明言している。 山田朗は著書「昭和天皇の軍事思想と戦略」(校倉書房刊)で、膨大な資料と証言を積み重ねながら、政治と軍事の最高指導者として、また、最も正確な情報を収集し得る立場に居た者として、天皇に戦争を起こした責任がある、と結論付けている。 133投稿者:天皇は犯罪者 投稿日:2009年01月02日(金) 19時50分24秒 この膨大な資料と証言に反論し得る研究は、未だ出ていない。 戦争中、侍従次長として天皇の「側近中の側近」であった木戸幸一は、著書「側近日記」(東京大学出版会刊)において、真珠湾攻撃の成功直後、戦争の開始を、「天皇が喜び、飛び上がって、小踊りする」様子を描いている。 戦争の開始を、「喜び、飛び上がって、小踊りする」天皇が、どうして「戦争に反対する平和主義者で、軍部と東条英樹の強硬姿勢に引きづられた」事になるのか? こうしたデマ宣伝の背後には、再び「天皇を中心に日本を、力づくで統一」しようと言う、日本政府の意図が透けて見えている。 ロスチャイルドと結び付き、日本軍部に兵器を販売し、兵器の消費拡大=販売促進の目的で戦争を起こし、「金儲けに奔走して来た」、兵器販売業者=死の商人「天皇一族」の、「戦争ビジネス」の、21世紀における復活である。 天皇支持者は全員、この戦争画策人=人間のクズ=天皇の走狗である。 昭和天皇こそ、戦争を起こした責任者、戦争犯罪人として死刑に処されるべき犯罪者であった。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 134投稿者:777 投稿日:2009年01月02日(金) 21時20分22秒 オルタナティブ通信はガセネタが多いそうなので上記も本当かどうか分かりません. 僕も捕まりたくないので一言注記. 135投稿者:777君 投稿日:2009年01月02日(金) 22時53分10秒 君の刑務所行きはそう遠くはないだろう 流言蜚語の罪は重い 136投稿者:777 投稿日:2009年01月02日(金) 22時59分57秒 僕はコピペしてるだけだからね.真偽の判定は読者に任せる. 137投稿者:777 投稿日:2009年01月02日(金) 23時03分00秒 俺も身の危険を感じる様になったから,ここからはおさらばする事にした. 後は宜しく. 138投稿者:↓ 投稿日:2009年01月03日(土) 05時53分35秒 葉っぱからも オサラバしなさい 139投稿者:↑ 投稿日:2009年03月18日(水) 15時12分40秒 よく調べているが、殆どが『Gold Warriors』からの借り物だと見た。歴史的事実と妄想をミックスして新しい物語を作っている。君の創作には無理がある。金の百合作戦と山下将軍との関係だ。山下将軍と東条英機との関係だ。山下将軍は金の百合作戦とは無関係だ。私は金の百合作戦の構成人員と作戦の全貌を掴んでいる。天皇家とも無関係だ。裏を取ってから意見を公表しろ!君のバックに天皇家と日本国民を貶める組織が見える。私達の歴史には君達みたいな売国奴の攻撃に負けない、確固たる真実が在る。歴史の裏を取りなさい。容易な事です。歪曲と嘘は恥ずべき事です。 金の百合作戦で得た大量の金塊は何処から来たのですか?アジアでの略奪で全てが補える量ですか?金の百合作戦は何時から始まったのですか?大量の金を日本が手にしてからですか?それとも手にする前からですか?サンテがアメリカの手先として動き出したのは何時からですか?貴方は分かっていません。もう少し勉強しなさい。 140投稿者:777は、 投稿日:2009年03月18日(水) 16時41分51秒 国家の法律のみでなく、その大元の 神仏の律法をも犯している状態だから 相当な反省懺悔を要す。 141投稿者:777 投稿日:2009年03月18日(水) 20時48分16秒 すべてオルタナティブ通信のコピペですから悪しからず: http://alternativereport1.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%93V%8Dc&vs=http%3A%2F%2Falternativereport1.seesaa.net%2F&fr=sb-sesa&ei=Shift_JIS 142投稿者:↓ 投稿日:2009年03月18日(水) 23時07分56秒 パソコンにウイルス連れてきてないか? 143投稿者:・ 投稿日:2009年03月18日(水) 23時10分08秒 製造元(メーカー)も販売者(店)も どちらも罪はある 144投稿者:いつも 投稿日:2009年03月30日(月) 21時40分50秒 >>134 いつもいつも、ガセネタばかり集める奴↓ 145投稿者:sssssssssssss 投稿日:2009年04月16日(木) 14時48分53秒 ssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssss 146投稿者:あ 投稿日:2009年04月20日(月) 12時19分34秒 創価学会は最高最悪テロリスト 147投稿者:あ 投稿日:2009年04月28日(火) 12時03分52秒 あ 148投稿者:777 投稿日:2009年07月13日(月) 00時06分32秒
21、マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには 長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。 A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。 ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。 イギリス人スターリング・シーグレツプは『The Yamato Dynasty』の「第十章、汚れた手」の中で、 「敗戦直前、昭和天皇の側近たちがひそかにスイス銀行に財産を隠匿した」と述べている。じじつ、 横浜正金銀行の株式の二二%はヒロヒトの名義であった。 かれはいう。 「膨大な戦利品の一部は潜水艦によって南米に運ばれ、スイス銀行ブエノスアイレス支店から入金された…… マッカーサーはこのことを知っていたが敢えて知らないふりをした。計算するとその財産は四千億ドルであった」と。 マッカーサーが承知して知らないふりをしたというのは汚職である。 ヒロヒトがマッカーサーを買収したという噂の真偽は、今となっては調べようがないが、火の無いところに煙は立たないという。 149投稿者:↓ 投稿日:2009年07月13日(月) 00時09分58秒 罰せられるぞ 150投稿者:↓ 投稿日:2009年07月20日(月) 21時49分07秒 ID:aDJ/IRZA 罰せられるぞ 151投稿者:↓ 投稿日:2009年07月23日(木) 00時52分27秒 ID:Gu3fCLIU >>777 777罰せられるぞ 152投稿者:777 投稿日:2009年07月23日(木) 01時02分17秒 文句はここに言ってね: http://alternativereport1.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%8F%BA%98a%93V%8Dc&vs=http%3A%2F%2Falternativereport1.seesaa.net%2F&fr=sb-sesa&ei=Shift_JIS 153投稿者:↓ 投稿日:2009年07月23日(木) 01時09分21秒 販売業者にも責任あり 154投稿者:追伸 投稿日:2009年07月23日(木) 17時50分52秒 >>152 無い頁 →リクエストされたページは表示できません。 サーバのアクセス権限がありません。 [2009-07-23T17:49:25] サーバー: blogapp250.seesaa 以上 155投稿者:やはり 投稿日:2009年07月23日(木) 17時51分32秒 自作文章だな 156投稿者:あ 投稿日:2009年08月19日(水) 20時38分01秒 あ 157投稿者:oっちゃん 投稿日:2010年06月12日(土) 22時58分36秒 やたらと色んな技を試してくるから、ついつい指導しちゃったよ! まぁけっきょく週3のトレーニングで俺使用になりました(笑) 指導料も一回5万でwww http://subekarazu.com/maromayu/ 158投稿者:共産主義者の大東亜戦争責任 投稿日:2010年06月22日(火) 21時47分24秒 共産主義者の大東亜戦争責任 http://www.nicovideo.jp/watch/sm6396722
共産主義者の大東亜戦争責任(1,2,3) http://www.youtube.com/watch?v=GqJSU4v4VHA http://www.youtube.com/watch?v=F8-suGPP4sA http://www.youtube.com/watch?v=uFMtTokCuXs 1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の 社会主義(共産主義)化を「上からの革命」 によって成し遂げようとしてきた日本型 「革命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争 拡大) 、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が 進行し、大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非 難するのであれば、その母胎 となった社会主義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と 東アジアの社会主義化 が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物として ではあるが、アジアを白人帝国主義の植民地支配からの解放も生じたのである。 159投稿者:チロル君 投稿日:2010年09月06日(月) 18時07分58秒 顔面騎乗入りました! 夢のマソコマスク(爆笑) もうビラビラの感触でイキそうだったし(* ´Д`*) まさか俺の童帝が売れるとわな。大切にとっとくもんだな(笑) http://subekarazu.com/mkstktrz/ 160投稿者:通りすがり 投稿日:2010年11月23日(火) 18時04分14秒 ヒロヒトがマッカーサーに命乞いしたのは事実。 161投稿者:X 投稿日:2010年11月24日(水) 14時18分09秒 中国人に助けられた。 一億総天皇陛下の子と思ってる国民が死ぬ。 だから処刑はするな!とな。 162投稿者:↑↓ 投稿日:2011年07月26日(火) 23時05分53秒 ID:LA5k6qJr ハンネ777よ、 落書きスレッドは、スルー処分 支部管理局 163投稿者:学ぶ†認定宗教ニュース 投稿日:2011年08月06日(土) 11時38分32秒 ID:LA5k6qJr ポスト総裁先生・大川宏洋 師 公開対談『幸福の科学の未来を考える』公開(8/2)〜 大川隆法総裁と、大川宏洋常務理事兼総裁室長による公開対談『幸福の科学の未来を考える』大川宏洋VS大川隆法が行われました。対話では、大川宏洋常務理事の生い立ちが明らかになっていく他、映画製作にまつわるエピソード、若い人たちに対するメッセージなどが語られました。本対談は、8月2日以降、全国の精舎・支部・拠点にて公開となります。 http://www.happy-science.jp/news/lecture/182A.html 164投稿者:まとめ 投稿日:2011年08月07日(日) 01時01分01秒 ID:LA5k6qJr このようなスレッドを立てる輩に、反論の資格は無し 165投稿者:777 投稿日:2011年08月08日(月) 21時29分01秒 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで 日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、 “想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。 日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。 軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。 8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。 そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と 確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことは できなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。 情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。 原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 原爆投下/活(い)かされなかった極秘情報 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110806.html 広島への原爆投下は昭和天皇が要請して実現した:
原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝 http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html 166投稿者:>感謝 投稿日:2011年08月08日(月) 21時46分46秒 ID:LA5k6qJr どこに、感謝 してるの?? 167投稿者:やっと、 投稿日:2011年08月13日(土) 12時43分51秒 ID:LA5k6qJr ハンネ777、墓参りにでも行ったようだ。 ついでに、寺にも参れよ・・・ 168投稿者:nemoto 投稿日:2011年10月23日(日) 14時45分46秒 >今回だけだぞ(*・ω・)★ http://hemn.me/img/?d=3736041 169投稿者:age 投稿日:2011年12月19日(月) 03時53分18秒 挿入できるよ(´-ω-)★ http://www.64n.co/ 170投稿者:おおむらさき 投稿日:2013年09月19日(木) 10時43分12秒 在日問題が散見されている昨今とても興味深い内容でした。 うpしてくれてありがとうございます |