09. JohnMung 2013年6月11日 19:50:18
: SfgJT2I6DyMEc
: AlSFy6nRAU
>>07.さん、>>08.日高見連邦共和国さん、ご苦労さまです。 投稿主:taked4700のアホ記事に悪のりしたバカウヨ >>03. ZxJSEQwzQQ が一匹! 此奴が救いようのない情弱・脳弱のウスノロ野郎ということは、下記を読めば、明白である。 小沢氏に関する東日本大震災発災後、流された行方不明説等は情報錯綜による誤解が増幅されたものである。放射能から逃げたという流言は、野中広務の飼い犬である「松田賢弥」や「真相の道」=Vakaなどが悪意を持って関わっている。 2011年3月11日に東日本大震災発災後、3月28日には岩手入りをして岩手県の達増拓也知事らと会っていることは毎日新聞などが報道している。 小沢氏は、岩手県庁までは行ったが、被災地には行かなかった、と小沢氏を非難する者がいるが、まったくのガセ・デマの妄言に過ぎない。 下記スレでのアンカーNo.11>SmvsxHAIiYさんのコメントから、小沢氏は行方不明でもなく、ましてや放射能から逃げたといった流言は子ども騙しのガセネタであることが明白である。 また、以下の引用を合わせみれば、3月28日に岩手入りした小沢氏が東京にとんぼ返りした事情も理解できるはずである。 (引用開始) ”黄川田徹「復興に与野党はない」(『世界』2013年3月別冊)より(kojitakenの日記)” http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/150.html 投稿者 オロンテーア 日時 2013 年 2 月 18 日 11:08:10: LjwfVSkSJX/2w 11. 2013年2月18日 20:02:39 : SmvsxHAIiY >しかし、東日本大震災の時に雲隠れして「安否不明」説を流されたり、 雲隠れなんてデマを「世界」で撒き散らすとは、悪魔に魂を売ったのだろう。 3月11日には停電や通信の不通が発生し、震災前に岩手入りしていた小沢の消息を確認できず慌てた支持者がブログに「行方不明」と書き込んでしまった。それが「雲隠れ」の正体。そんな小さな間違いが広まったままだ。 しかし同じ支持者が13日のブログで無事だと訂正謝罪している。小沢は東京にいたとの投稿も続いている。 http://www.asyura.com/11/senkyo109/msg/906.html (3月11日には三宅雪子も自宅に電話して話している。) https://twitter.com/miyake_yukiko35/status/216471184542400513 爆発の続いている最中に議員や支持者と連絡が取れていたのに何が雲隠れだ? 雲隠れは間違いを利用して流されたデマだ。 実はその間小沢が東北を担当する非常事態対索院を構想していた。そして中曽根にも協力を頼んでいた。 3月19日の菅との会談もその話だった。 菅も当初はその構想に乗っていた。しかし自民党との連立は失敗した。 何が障害になって実現しなかったのかは詳らかでないが、事実には違いない。 中曽根という証人のいる事実だ。 http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-191.html (引用終了) また、小沢一郎氏を担ごうとする東北復興院構想等の超党派の体制づくりを悉く潰したのは、菅直人と取り巻き連中である。 (引用開始) 平野貞夫著『小沢でなければ日本は滅ぶ』を読んで 2012年11月14日 日本一新の会・達増 拓也(岩手県知事) 平野貞夫先生の近著『小沢でなければ日本は滅ぶ』(イースト・プレス)の読みどころは多々あるが、私が特に重要だと指摘したいのは、東日本大震災後の小沢一郎氏の動きである。 民主党の代表経験者や自民党の総裁経験者などを動員して、菅内閣を指導する「非常事態対策院」を設立する構想があり、その構想の中心に小沢氏がいた、ということが『小沢でなければ…』に書かれている。3月19日に行われた菅首相と民主党代表経験者の会合が一つのハイライトだったが、菅首相が突如、谷垣自民党総裁に電話で入閣要請をして断られ、挙国体制はひとまず頓挫した。 その後、3月28日に中曽根元首相にこの構想が伝えられ、中曽根氏もその気になったのが二度目のハイライトである。小沢氏は、そのような重要な状況下で、同日岩手入りして東京にとんぼ返りしたのだった。しかし翌日、菅首相サイドが断って来て、構想は幻に終わる。 私は3月16日の岩手県災害対策本部会議の席上、マスコミの前で、関東大震災の直後に政府が帝都復興院を設け、岩手県水沢出身の後藤新平が総裁となったことを紹介しながら、今回は「東北復興院」が必要である、と述べた。水沢を含む岩手県南をエリアとする「岩手日日新聞」だけが翌日記事にした。その週末に共同通信から受けたインタビューでも同じことを述べ、そのインタビューは共同通信の配信網には乗ったが、掲載した新聞は無かった。 私は岩手県水沢出身の小沢一郎氏を総裁とする「東北復興院」の設立を期待して発言していたのであり、同じ時期に国政の中央で「非常事態対策院」構想を巡る動きがあったのだが、実を結ばなかったのは本当に残念である。被災県の知事として自重していたのだが、もっとはっきりと、「菅内閣の対応ではダメだ」「超党派の挙国体制が必要だ」「小沢一郎氏が災害対策の指揮を執るべきだ」と発言すればよかったと反省する。 「被災地が地元なのだから、小沢氏はすぐに、ずっと、被災地入りすべきだった」という意見があるが、挙国体制作りこそ小沢氏がすべき、小沢氏でなければできない、重要な役割だった。6月の菅内閣不信任案を巡る動きも、その一環だったのだ。 また、「小沢氏が大震災に背を向けて東京から逃げようとしていた」というのは全くのでたらめだ、ということもよく分かる。そもそも発想の次元が違う。なお、小沢氏が東京にあって、震災がれきの処理などの重要課題に適切に対処していたことも、『小沢でなければ日本は滅ぶ』に書かれている。 これを書いている今日、小沢氏の二審無罪判決が出た。私は、ツイッターに次のように書いた。 「小沢一郎氏無罪。この間、多くの国民が検察の問題や戦後史の本質について深く学び、主権者国民の自覚によって日本を建て直さなければと痛感したと思う。大震災に引き起こされた自覚と相まって、日本を変える力になると期待する。」 今からでも遅くない。小沢一郎氏は、自覚した国民と共にある。自覚した国民の力が、新しい日本を創る。 (終) 追記 ☆本号は無限拡散希望につき、転載許諾を必要としませんので、お取り扱いを よろしくお願い申し上げます。 (引用終了)
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