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検察官が再審請求するとは考えられない。遺族以外でも、本人の遺志をよく知る者が再審請求できるようにする制度変更を! →<ハンセン病特別法廷>「差別が生んだ死刑」再審訴え(毎日新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/Je2FWpktOa #Yahooニュース
— Shoko Egawa (@amneris84) 2016年12月26日
<ハンセン病特別法廷>「差別が生んだ死刑」再審訴え
毎日新聞 12/26(月) 7:30配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00000003-mai-soci
半世紀以上前に熊本県で発生し、今なお残るハンセン病差別の象徴だといわれる事件がある。患者の裁判を隔離施設で開く「特別法廷」で審理された95件の中で唯一死刑が言い渡された「菊池事件」だ。無実を主張しながら死刑が執行された男性(当時40歳)を知る高齢の元患者らは「偏見や差別で捜査や裁判がゆがめられた」と訴え、名乗り出られない遺族に代わって検察が再審請求するよう求めている。【江刺正嘉、柿崎誠】
◇菊池事件 元患者ら、検察に要望
1952年、熊本県の山村で、かつてハンセン病患者の調査を担当していた元村職員が殺害される事件が起きた。逮捕されたのは、ハンセン病療養所への入所を勧告されていた男性だった。最高裁の許可を得て、公判は療養所などに開設された特別法廷で行われた。
裁判官、検察官、弁護人は白衣を着て手袋をはめ、裁判記録や証拠を箸でつかんだとされる。熊本地裁は53年、病人として県に通報されたことへの逆恨みが動機だとして死刑を言い渡した。
男性は無罪を主張し、「ハンセン病患者なる故に審理がおろそかであり、公正に裁かれていない」と訴えたが、最高裁は57年に「予断偏見を有して裁判をしたと認める資料はない」として上告を棄却、死刑が確定した。
国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」(熊本県合志市)入所者自治会長の志村康さん(83)は今では、男性と交流した同園唯一の生き証人になった。自治会役員として支援の責任者を務め、園に隣接する医療刑務支所に拘置されていた男性に毎月2〜3回面会していた。
父を早くに亡くした男性は小学校をやめ、農業で一家を支えた。獄中から無実を証明しようと独学で文字を覚えた。丸刈りでがっちりした体格。面会時には決して目をそらすことはなく、心優しい人だった。高校にいられなくなった娘の将来を何より心配していた。志村さんは無実だと確信した。
62年9月13日。娘が関東の高校へ転校すると決まったことを志村さんが伝えに行くと、「ありがとうございます」と大きな手で握手された。肩を抱き合って喜んだ。だが、実はこの日、3度目の再審請求が棄却されていた。男性は翌朝、刑場のある福岡拘置所(福岡市)に移され、その日のうちに死刑が執行された。
遺族は名前が知られることを恐れているため、再審請求が難しい。志村さんたちは憲法に反する差別的手続きで裁判が行われたとして、検察官が自ら再審請求するよう熊本地検に要請している。
特別法廷について最高裁は今年4月、偏見や差別を助長したと認めてようやく謝罪したが、菊池事件のような個別事件は検証の対象にならなかった。
事件当時、患者を根こそぎ隔離・収容する「無らい県運動」が最も激しく展開されていた。恵楓園は1000床増床され、官民挙げた「患者狩り」によって地域にハンセン病への恐怖心や差別が渦巻いていた。
志村さんは「菊池事件は無らい県運動がもたらした悲劇の象徴だ」という。「男性の無実を証明しない限り、ハンセン病問題は終わらない」。再審請求に応じない場合、年明け以降に検察の責任を問う国家賠償訴訟を起こして真相を究明することを検討している。
◇証言・凶器に矛盾
事件で有罪認定の柱になったのは、元死刑囚の男性から殺害を打ち明けられたという大叔母や伯父の証言と凶器の短刀だったが、疑問や矛盾が多い。
被害者の遺体が見つかったのは1952年7月7日。検視した医師は凶器を草刈り鎌と推定した。逮捕時に潜伏場所から草刈り鎌が見つかり、男性が「ガマ(草刈り鎌)で突き刺して殺した」と自供したとの調書がある。
一方、記録によると大叔母は遺体発見翌日、警察に「事件当夜(6日)に男性が訪ねて来て、自分と伯父の前で『殺してきた』と言った。『包丁を現場近くの小屋に刺してある』と話していた」と証言。警察は翌日、村内の小屋で短刀を発見したとされる。だが、伯父は「『ドス』を右手に握っていた」と、食い違う説明をしていた。
鑑定を担当した専門家は「凶器は鎌ではない」とし、小屋で見つかった短刀を凶器と認定した。だが、被害者が大量出血していたにもかかわらず短刀に血痕は付着していなかった。男性が事件当日に着ていた上着からも血痕は検出されなかった。
男性は無罪を主張したが、国選弁護人は検察側が申請した証拠84点全てに同意。1審では凶器を鑑定した専門家や大叔母らの公開尋問も行われないまま、死刑が言い渡された。
【ことば】菊池事件
熊本県の山村で1951年8月、元村職員宅にダイナマイトが投げ込まれ、元職員らが負傷した。殺人未遂容疑で逮捕された村に住む男性は、懲役10年を言い渡された後、控訴中に収容先から逃走。52年7月に元職員が殺害される事件が起きると、村内に隠れていた男性が殺人容疑などで再び逮捕され、死刑が確定した。
最終更新:12/26(月) 9:22
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