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(回答先: 65歳雇用義務化についてのまとめ 投稿者 eco 日時 2013 年 4 月 09 日 02:27:43)
【第277回】 2013年4月24日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
「就活」に規制はない方がいい
企業や学生にとってはストレスに
就活後送りは何を改善するのか?
安倍首相は経済団体に、平成16年度大学卒業者の採用から、現在おおむね大学3年生の12月から始まっている採用活動の開始時期を、4年生の3月に後送りするように要請し、日本経団連をはじめとする大手経済団体のトップはこれを受け入れるコメントを発表した。
いわゆる「就活」の時期が遅くなる方が、学生が学業に専念できる期間が長くなるとして、大学側が就活時期の後送りを要望しており、政府がこれに呼応して今回の要望に至った。
しかし筆者には、この就活後送りが何かを改善するようには思えない。むしろ、ルールが変わることで、これに対応する学生と企業両方にとって不確実性とストレスが増すだけではないか。
学生の立場で考えると、就職の内定が遅くなるよりも、早い時期に内定を取ってしまった方が、勉強に集中できる面がある。大半の企業が大学の卒業を採用の際の条件にしているので、大学が学生にもっと勉強することを求めたいなら、カリキュラムの密度を上げて、卒業条件を厳しくすればいい。卒業できなければ就職もできない。さすがの学生君も勉強するだろう。
しかし、就職が決まった学生はさっさと卒業させて、学生にとって楽な物わかりのいい大学として学生におもねりつつ、次の受験者・入学者を募っているのが、多くの大学の実質的な経営方針であるように見える。
学生が勉強しないことの根本原因は、教師の質も含めて、大学の側の方針にある(質の低い大学を認可し続けている文科省の問題もあるが)。学業の、ひいては卒業生の「質」を上げることは、大学自身の努力でできることだ。「就活」を言い訳に使うな。
他方、企業の側では、他社も採用活動が後送りされるなら、採用期間が短縮され、また、内定学生の内定辞退への不確実性が減ずるという意味で、採用活動後送りの談合に参加してもいいと思うインセンティブは若干ある。
しかし同時に、営利企業として当然のことだが、他社よりも先に「いい学生」を確保したいと思うので、様々な形を使って「抜け駆け」をしようと努力している。
加えて、採用活動の開始時期に関するルールは、破っても具体的なペナルティのないザル法以下の「ザル・ルール」なので、学生から人気のある就活強者企業は世評を気にしてルールを守るが、そうでない企業は実質的にフライング内定を行使するというような形で、微妙な均衡が形成されて、就活に関するルールが曖昧に破られる状況が何十年も続いてきた。
今回のルール変更は、新たな均衡模索の過程で増す不確実性によって、学生と企業の双方の負担になる可能性がある。
何が現実的な価値かを理解していない
ブランドを毀損する大学の勘違い
厳しいカリキュラムと卒業生の国際性などについて評価が高い秋田県の国際教養大学のような少数の例外はあるが、多くの大学の卒業生の採用にあって、ほとんどの企業が、学生の「素材」を採用したいのであって、大学で身につけた知識を買いたいのではない。
採用の際に企業が見るのは、学生本人の人格(気持ちよく一緒に働ける若者か?)と能力(「地頭」の良さと目的達成意欲の強さ)の2点であって、後者の評価にとって有力な情報は、面接や筆記試験で多少は調べるとしても、大学時代の学業成績よりは、大学入試時点での達成度であるのが現実だ。
この点は、系列高校からのエスカレーター入学、推薦入学、AO入試(一芸入試)などによる入学生を受け入れすぎた私大が、近年そのブランド価値を毀損している様子を見るとよくわかる。
ビジネスとして大学を評価すると、自社の商品(卒業生)の何が現実的な価値になっているのかを正しく理解できていない場合が多いように思う。企業から見ると、大学が提供する付加価値で最大のものは、入試の客観性と入学者のクオリティだ。
もちろん、厳しいカリキュラムと卒業条件で、卒業生の質を上げることで大学固有の付加価値をつくる戦略はあり得るが、現実にそれに対応できるコストを負担し、かつ教員の質を確保できる大学は少ないのが現実だろう。
そして企業側は、こうした事情を十分にわかっている。
就活ルールに意味はあるのか?
採用活動や就活は自己責任では
そもそも、私企業の社員の採用活動について「談合」のごとくルール化することに何の意味があるのだろうか。
不自由になるだけで、企業にとって積極的なメリットはない。
学生の側でも、早く就職先を確保したい学生はそうすればいし、就職先をゆっくり考えたいと思う学生はそうすればいい。後者は、就活市場で立場の強い学生でなければ難しいかも知れないが、就職先を早く決めることの可能性の制限と、就職先を後で決めることのリスクとのトレード・オフは学生本人の責任で決めたらいい。
彼らはすでに選挙権まで持っている大人なのだから、それで何の問題もあるまい。まして、学生の側には事後的な「内定辞退」というオプションもあり、十分な選択肢を持つことができる。
企業が採用活動をいつ始めようが、学生がどの時点で就職先を決めようが、それぞれの事情と判断で決めたらいいことなのではないだろうか。
解雇が容易ではないことが
社員採用全般を保守化させる
日本で現在広く行われている「新卒一括採用」に、企業側ではそれなりの経済合理性がある。
個々人の採用にかける手間とコストは、まとめて採用を行う方が採用者1人当たりで低廉だし、年次が同じ社員同士を共通に扱いながら競争させることは、マネジメントを単純化する上で役に立っている。
「新卒」以外の人材も柔軟に雇うオプションがあることは企業にとって望ましいが、これはすでに行われている。企業は必要があれば、中途採用も行うし、専門家を雇うこともある。
ただし、こうした採用には手間とコストがかかるのが現実だ。卒業を遅らせた学生や、卒業後に定職に就かなかった若者、あるいは大学院修了者や修士、博士を、同年齢の新卒入社社員並みの扱いで採用し、処遇すべきだと企業に強要することは、筋違いだ。
企業にとっては、20代後半で専門的な論文を読み書きする能力がある人物が欲しい場合もあれば、そのような作業に不慣れでも、日常的な状況の処理能力が高く社会人としてのトレーニングを積んだ20代後半の人物を欲しいと思う場合もあるだろう。それは企業の判断でいいし、どちらの人物像を目指すかは、若者の側の判断でいい。
問題があるのは、よかれと思って採用した社員のパフォーマンスが不十分な場合に、解雇が容易でないことだろう。これは、企業の社員採用全般を抑圧し、内容的にも保守化させる要因になっているように思う。
就活プレッシャー減圧のための
真の解決策は人材流動化の促進
後の解雇が可能であれば、「面白そうな人物だから、雇ってみるか」といった大胆な採用がより容易になる。
中途採用・中途入社が現在よりももっと容易であれば、新卒時点の就職で長い職業人生の大半が決まる、というような切迫感は減少するだろう。
ただし、解雇に関する金銭的な補償の明確なルール化が必要だ。明確な補償額の設定は、雇用保険と別に、企業側に対して解雇の濫用を抑止するためのコストとしても必要だし、もちろん、被用者側の経済的なダメージへの補償でもある。
一方で、企業側は、人員整理のコストを事前に見積もりやすくなるので、より柔軟で計画的な経営ができるようになる。
会社都合の解雇に金銭的な補償の義務をつけた場合、いわゆる「ブラック企業」的な職場にあっては、社員を自己都合退社に追い込むような方略が採られる可能性がある。
職場で、労働基準の違反や、各種のハラスメントなどがあった場合には、社員の側から職場を去る際に、会社都合退社並みの補償金を取ることができるようにすることが望ましかろう。
加えて、労使の間の意見の違いを調停する仕組みも必要だ。組合を介さず、個人が会社と直接紛争を解決できるようなルールが整備され、かつあくまでも個人に向けた公的なサポートがあるとよい。
経済構造の変化への対応、成長分野への資源(人材を含む)投入、ひいては「就活」に過剰に集中するプレッシャーの減圧のためにも、最終的には全ての年代層にわたる人材の流動化促進が必要だ。
http://diamond.jp/articles/print/35133
アベノミクスの成長戦略を試す円安
2013年04月24日(Wed) Financial Times
(2013年4月23日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
円相場は1ドル=100円をにらんだ動きが続いている〔AFPBB News〕
「アベノミクス」にとって、今のところ首尾は上々だ。日本の株式市場は急騰しており、不動産市場も沸いている。消費者心理は6年ぶりの高水準をつけた。
そして、数カ月にわたり積極的な金融緩和への期待が高まった後、円相場は1ドル=100円の重要な節目に迫っている。円が最後に100円の大台をつけたのは、ちょうど4年前のことだ。
世界第3位の経済大国である日本の浮揚を掲げた安倍晋三氏の選挙運動が総選挙で同氏を勝利に導くことがはっきりした11月半ば以降、円は主要10カ国(G10)のすべての通貨に対して少なくとも2割下落し、韓国やロシアなどの貿易相手国は不当な優位性について不満をこぼすようになった。
だが、大幅に下落した通貨は本当に日本株式会社をより手ごわい競争相手にするのだろうか?
「円安=GDP拡大」が通用しなくなった?
エコノミストは確信を持てずにいる。これまでは、相関関係は確かなものに見えた。円安は輸出企業の利益を押し上げ、その輸出企業が次に採用や賃上げ、設備投資により多くの資金をつぎ込むという流れだ。
シティグループ証券のチーフエコノミスト、村嶋帰一氏は、一般的な経験則では、円が対ドルで10%下落すると、日本の国内総生産(GDP)が翌年に0.3%拡大すると言う。
しかし、現在は背景が異なる。2011年3月の震災以降、電力会社が失われた原発発電量を補うために燃料輸入を急いだことから、何十年間も安定した黒字が続いていた日本の貿易収支が赤字に転落した。
例えば、日本の液化天然ガス(LNG)輸入代金は3月に約6210億円に上り、震災前の3カ月間の平均金額のちょうど2倍になった。その結果、日本の家計が支払う電気料金は既に2年前より平均して約11%高くなっている。
HSBCのアジア経済調査部門の共同責任者、フレデリック・ニューマン氏は、円安が招く電気料金の追加値上げは消費を圧迫し、日本の輸出企業への「追い風を鈍らせる」恐れがあると指摘する。
円安が国内投資を大きく促すかどうかも不透明だ。日本企業は近年、諸外国のコストの安さと力強い需要を生かそうとして対外投資のペースを加速させてきた。日銀のデータによると、日本の対外直接投資(純額ベース)は2012年に1220億ドルに達し、2008年につけた過去最高記録と大きく変わらない水準にある。
円安でも国内投資が大きく増えない理由
恐らくそれ以上に重要なのは、投資を牽引してきたのが、企業収益が為替相場のレベルにあまり敏感ではない鉱業、小売り、通信などの非製造業だったことだろう。こうした業種はリーマン危機以降、日本企業による対外投資の約6割を担っている(10年前は半分を大きく下回っていた)。
このトレンドは、反転させるのが難しいかもしれない。日本貿易振興機構(ジェトロ)が最近行った調査では、69%の企業が今後3年間で海外事業を拡大させたいと答えていた。1年前に国外での事業拡大を目指していた企業は73%で、数字は大きく変化していない。
一方、海外で稼いだ利益はそのまま海外にとどまるかもしれない。例えば静岡に本社を構え、自動旋盤と腕時計部品の大半を国外で生産・販売するスター精密では、総額100億円の現金のうち、日本国内で保有しているのはたった20億円だ。
円安の結果として決算の数字がかなり良く見えるようになり、同社取締役の佐藤衛氏は「我々はアベノミクスの大ファンだ」と話しているものの、投資の重点は今後も国外に置かれるという。
野村総合研究所で金融市場の調査を率いる井上哲也氏は「輸出収入の拡大が以前のように国内の設備投資を促すとは思えない」と言う。
多くのアナリストや企業幹部は、結局、日本の古い問題の多くはまだ残っていると指摘する。円高は、高い税率、貿易、労働、環境の厳しい規制、エネルギー消費の抑制と並び、日本企業が近年不満をこぼしてきた「6重苦」の1つに過ぎない。
安倍首相は閣僚と財界人の諮問会議に、こうした問題に対処する最善策について6月までに報告を上げるよう求めた。
だが、金融、財政の刺激策が見事に当たった後、安倍首相の成長戦略を指すアベノミクスの「第3の矢」は今のところ、「かなり焦点が甘く、はっきりしていない」とJPモルガン証券のシニアエコノミスト、足立正道氏は言う。
1ドル=100円近辺が妥当な水準
その意味で、日本が15年以上に及ぶデフレからの脱却を果たそうとする中、1ドル=100円前後という現在の為替水準が妥当だと考える人は多い。
差し当たりこの水準なら、日本を停滞から抜け出させるには十分弱いが、安倍首相が改革を準備しているうちに輸入コストが大打撃をもたらすのを防ぐ程度には強いというのが彼らの見方だ。
「歓迎すべき円安がどの段階で望ましくない円安になるのか正確に特定するのは困難だ」。みずほ証券のチーフマーケットエコノミスト、上野泰也氏はこう話す。「だが、最適水準は恐らく今の水準前後だろう」
By Ben McLannahan
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37654
米国債の安定性を買う「債券王」
2013年04月24日(Wed) Financial Times
(2013年4月23日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
債券王の異名を取るビル・グロス氏が米国債に対して強気に転じた(写真はワシントンの米財務省前に建つ初代米財務長官アレクサンダー・ハミルトン像)〔AFPBB News〕
どの市場を見てもバブルになっているケースがほとんどだが、自分がキャリアを積み重ねてきたこの大きな、30年の長きにわたる債券の上昇相場が終わる気配は全く見られない――。ビル・グロス氏はそう言い切る。
米ピムコの共同創業者で、同社が誇る世界最大(運用資産2890億ドル)の債券ファンド「トータル・リターン・ファンド」の運用担当者でもあるグロス氏は、各国の政府と中央銀行が正真正銘の景気回復に弾みをつけられるまで下落相場はやって来ないと述べている。
長引く低金利と米連邦準備理事会(FRB)の国債買い入れプログラムを批判する人は多く、この施策のためにインフレ率が上昇し、金利も上昇して債券投資家が損失を被りかねないと彼らは警告しているが、グロス氏はこれとは正反対の立場を取り、米国債の安全性を評価している。
ほぼすべての資産市場がバブル
「小切手の発行と政策金利の安定という魔法のクスリが効いて何らかのタイプの経済成長が名目ベースで生み出されるまでは、債券の下落相場はやって来ないだろう」。グロス氏は本紙(フィナンシャル・タイムズ)にこう語った。
グロス氏はそういう状況を喜んでいるわけではないが、そう考えて運用せざるを得ないという。FRBと、日本や英国、そして欧州の中央銀行による金融実験の結果、「資産市場はほぼすべてバブル化しており、価格が歪んでいる」とグロス氏。
「リターンに対するリスクを管理する観点で見るなら、今最もバブル化していない市場はどこかが問題となる。悪いながらも気に入っているという投資先が特にあるわけじゃない」
グロス氏によれば、社債のクレジットスプレッドは縮小しすぎており、実質金利は低すぎ、株式のバリュエーションは高すぎる。「まあ、ああいうものにはみんなリスクがある」
資金を完全に引き揚げて様子を見るという手もあるが、マネー・マーケット・ファンド(MMF)に資金を寝かせたら20ベーシスポイント(bp、1 bp=0.01%)の利息しか得られない。従って、必然的に比較的安全な米国債を選択することになる。
「ピムコは米国債に引き寄せられている。過大評価されている資産の中で少なくとも最も安定しているのが米国債だと考えているからだ。米国債が安定しているのは、FRBの政策と比較的低いインフレ率のおかげだ」とグロス氏は語る。
同氏は3月末時点でトータル・リターン・ファンドの資産の3分の1を米国債に配分していた。同ファンドでは昨年7月以来の高い比率だ。
2011年に米国債売却に動き大失敗
このような見解は、米国債への投資を完全に避けるという2011年の同氏の判断とはまさに対照的だ。実際、この判断は誤りで、同氏のファンドの運用成績はほとんどの債券ファンドのそれを下回ってしまった。
調査会社モーニングスターによる債券ファンドマネジャーのランキングで最上位3%に15年間名を連ね続けていた人物にとって、例外的な不振の年となった。
グロス氏はかつて、「量的緩和」とFRBの債券買い入れプログラムが引き起こすインフレ率の上昇は危険であると考えていたが、現在ではむしろ、こうした取り組みの効果が小さすぎるのではないかと危惧している。
「米国の中央銀行は、インフレだけでなく実質的な経済成長も引き起こせていない。これは一体なぜなのか?」
同氏はそう自問した後、様々な要因が組み合わさっているのかもしれないと話している。あまりに性急な財政緊縮、人口の高齢化、新興国の低コストな労働力との競争、そして中央銀行の政策は逆効果かもしれないという「異端」の説などがそれに当たるという。
MMFや保険会社のビジネスモデルが崩壊
同氏によれば、ゼロ%に近い金利水準は、ゼロ%近くに張り付いた金利への上乗せで稼ぐことに依存しているMMFや保険会社、銀行などの業界を弱体化させている。「過去30年の間にプラスの実質金利という土台の上に築かれたビジネスモデルが、今では崩れてしまっている」という。
また、事業会社も積み上がった現金を投資に回せていないと指摘する。「この現象は、今のような金融政策の負の側面が限界に達しており、実体経済を拡大ではなく縮小させていることを示しているのかもしれない」
インフレで破綻かデフレで破綻か
危険な状況を説明するために、グロス氏は極端なシナリオを2つ描いている。「もしアルマゲドンに至る道をたどっているとしたら、昔のジンバブエやワイマール共和国であったようにインフレで破綻するか、恐慌時のようにデフレで破綻するかのどちらかになり得る」
前者なら投資家は金(ゴールド)とインフレ連動債を欲しがり、後者なら残存期間の長い米国債が買いを集める、とグロス氏は考えている。だが、どちらのシナリオもすぐには実現しないと付け加える。
どちらかを選ばねばならないなら、インフレになって破綻する方がいいと同氏は言うが、今のところは、企業のバランスシートが悪化するリスクよりも金利が上昇するリスクの方を取りたいという。「もし実質成長率が伸びずに失望を買うことになれば、明らかにクレジットスプレッドの方が大きなリスクにさらされる」からだ。
FRBが利上げに踏み切るレベルに経済成長率と失業率が到達するにはまだかなりの時間がかかり、2015年か「恐らくもっと先」の話になる、とグロス氏は予想している。
その一方で、人口動態のために債券には根強い需要が生まれていると見ている。
増え続ける高齢者が支えに
「債券は今後も、高齢者の投資先になり続けるだろう。値段が下がらなければいいなと思う。もっとも、高齢者はいつの時代になっても債券を欲しがるだろうし、今後は高齢者自体の数が増えていく」
従って、もし中央銀行がインフレを引き起こせなければ、「大転換が起こりつつあると喜々として語る人たちの言う下落相場にはならない。あと1年か2年、あるいは3年待ってもらわねばならないね。恐らく2013年には、そういう状況にはならないだろう」
By Dan McCrum
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37656
アベノミクスでホクホクの個人投資家 第3話
「日本株配当+不動産賃貸≒年金×2」の65歳
2013年4月24日(水) 日経マネー編集部 、 真弓 重孝
伝説の投資家、ジョン・テンプルトンが述べたあまりにも有名な言葉がある。
「強気相場は悲観の中で生まれ、懐疑の中で育ち、楽観とともに成長し、陶酔の中で消えてゆく。悲観の極みは最高の買い時であり、楽観の極みは最高の売り時である」。
65歳の個人投資家、赤城敬さん(仮名)はこのテンプルトンの言葉を体現するように日本株投資では、誰もが買わないような時に買うことを心掛ける。2010〜12年の3年間の運用成績は「+5%」→「+10%」→「+35%」と3年とも日経平均株価を上回っている。
65歳の赤城敬さん(仮名)は、年金の倍近い収入を、株の配当金と不動産賃貸から得ている。60歳で定年退職、63歳で嘱託勤務を退いた赤城さんの年金収入は年270万円。時価で3200万円の日本株の配当が年100万円、アパートの賃貸収入は410万円になる。金融資産は9000万円だ。
赤城敬さんの金融資産と過去3年の運用成績
賃貸収入が多いのは、1棟4戸(1戸の間取りは3LDK)のアパートを2棟所有しているため。1戸の家賃は6万1000円。経費を引くと月45万円の収入になる。もともとは赤城さんの父親が相続対策でローンを組み建設したもの。
数年前に父親が死去して、2000万円のローン残債とともに相続した。金利が4.3%と高かったため、赤城さんは2500万円の退職一時金から残債の2000万円を繰り上げ返済した。
残った500万円は日本株の購入に回した。赤城さんが日本株投資を始めたのは40代後半の1996年、JR西日本の上場がきっかけ。退職後に年金以外の小遣い稼ぎができたらというのが、投資を始めた動機だ。
現在は高配当銘柄や成長可能性のある割安銘柄を投資対象にする。保有銘柄数は約20。基本は相場の急落時など誰もが買わないときに買いを仕掛ける。
ここ最近の含み益の多い銘柄がIHI、みずほフィナンシャルグループ(FG)、穴吹興産、NEC、三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)だ(表を参照)。購入する際には、10年来高値・安値を見ながら判断する。
IHIとNECは宇宙・航空関連の将来性に期待した。穴吹興産は、赤城さんが持つ賃貸アパートの建設を穴吹工務店に依頼していた経緯から購入した。当時は低位株だったが業界での地位や実力を評価しての購入だった。
震災後はインフラの復興を見込んで日立造船と三菱重工業を、地熱発電の普及に期待して富士電機をそれぞれ購入。一部は売却し、50万〜60万円の売却益を上げた。
もちろん不振の銘柄もある。三菱自動車、日本板硝子、パナソニック、キリンホールディングス、タカラトミーは、3月末時点でそれぞれ約20万円から約90万円の含み損を抱えている。だが他の銘柄がこれらのマイナスを超えるパフォーマンスを上げ、赤城さんの金融資産を膨らます。投資の成績だけではない。
退職後も収入の2割を貯蓄
退職後も収入の2割近くを貯蓄などに回している。また、株の配当金や売却益は再投資に回して利子が利子を生む複利効果を獲得しつつ、旅行などにも使ってきた。
成績を上げてきた日本株の運用だが、今後は縮小する方針だ。東南海地震や、今年で証券優遇税制が廃止されることなどを考慮し、保有株を現金化して孫への支援に回したいという。
赤城さんが保有するNTT株の「配当金計算書」
ただし、月10万円程度の小遣いを稼ぐため、配当の良いNTTやNTTドコモ、みずほFGと三菱UFJFGの4銘柄は残したいとする。
日本株相場は昨年11月からの急激な上昇で、買い時を逃したと感じる人も多い。今から投資して果たして大丈夫なのか。そんな疑問を解消していくうえで、必要なのは相場全体は上がっていても、割安に放置されているバリュー株はないのかまず探してみること。また日本株以外に、今が底値と思えるような投資対象はないのか分析してみることも、分散投資の観点から必要だ。
おカネはこうして増えていく
少子高齢化とかアジアの追い上げなど先行きの暗い話ばかりが目に付く日本。しかし日本は1億円以上の金融資産を持つ富裕層が170万人を超える世界最大級のお金持ち大国。お金持ちはどのようにして資産を増やしたのか。個人の投資や節約術を数多く取材してきた日経マネーが、これぞスゴ技という事例を紹介していく。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20130419/246977/?ST=print
働いている割には実質所得が伸びないのはなぜか
GNIから考える成長戦略〜アベノミクスの中間評価(その2)
2013年4月24日(水) 小峰 隆夫
アベノミクスの3本の矢のうちの第3の矢「民間投資を呼び起こす成長戦略」の全体像は検討中であり、まだ評価を下すような段階ではない。そこで本稿では、検討過程で浮かび上がりつつある問題の中で、私が重要だと思う点を紹介してみたい。今回はGNI(国民総所得)という指標から成長戦略を考えてみることにする。
最近注目されているGNI
現在検討されている成長戦略の中で、GNI(国民総所得:Gross National Income)という指標が脚光を浴びつつある。3月8日に開催された経済財政諮問会議では、民間議員が連名で「経済財政政策から見た目指すべき国家像と成長戦略への期待」という文書を出した(PDFの資料はこちら)。その中に「成長戦略が前提とすべきマクロ経済的視点から見た定量的目標」という項目があり、そこには「実質GNI(実質GDP、海外からの純所得、交易利得)の持続的拡大、10年以内GNI拡大目標値設定」と記されている。安倍晋三内閣で策定されつつある成長戦略においては、GNIを重視していこうと姿勢が示されかけているのだ。
このGNIという数字自体は、内閣府の経済社会総合研究所が毎四半期発表している国民経済計算速報にもちゃんと入っているのだが、これまではあまり注目されてこなかった。四半期速報を報じる新聞でも、GDPについては報じられるが、GNIに言及されることはほとんどない。多分大多数の国民は「そんな言葉は聞いたことがない」と言うだろう。
そのGNIが注目されるのにはそれなりの理由があり、それを考えていくと、日本の成長戦略の根幹にかかわる問題が見えてくる。そこでまず、「GNIとは何か」というところから考えてみよう。
名目で見た場合、GDPとGNIはどこが違うのか
我々が普段目にしている経済成長率は、GDP(国内総生産:Gross Domestic Products)の伸び率である。現在はGDPが中心だが、かつてはGNP(国民総生産:Gross National Products)が中心概念であった。1971年に、朝日新聞社が『くたばれGNP』という本を出して、公害などの観点から成長至上主義を批判したことがある。当時はGNPが成長の指標だったことが分かる。
では、GDPとGNIはどこが違うのか。我々は「日本全体でどの程度の大きさの経済活動が行われているのか」を知りたい。この点で、現在最も使われているGDP(国内総生産)は、その名の通り、「日本という国土(国内)の上でどの程度の生産活動が行われたか」を示している。生産活動が増えていけば、雇用機会は増え、国民全体の生活水準は高まるはずだ。それが経済成長である。
同じようなものとして、「国内総支出」「国内総所得」というのもある。この2つは名目値で見る限りは、国内総生産と同額になるはずだ。例えば、我々が200万円の自動車を購入したとしよう。この時、200万円の消費か行われ(国内総支出の一部)、200万円の生産が実現しており(国内総生産の一部)、誰かが200万円の所得(国内総所得の一部)を手にしたことになる。こうして一つの経済取引に対して「生産」「支出」「所得」がワンセットで同額動くのだから、日本全体の生産・支出・所得の合計は等しくなるはずだ。これを「三面等価の原則」という。
次にGNP(国民総生産)を考える。これは「日本国民がどの程度の生産活動を行ったか」を示すものである。今度は「国民」でとらえているので、日本人や日本企業が海外で稼いだ分も入り、逆に外国人・外国企業が日本で稼いだ分は入らない。この国民概念でも「国民総支出」「国民総所得(これがGNI)」があり、ここでも三面等価が成立するから、「国民総生産」「国民総支出」「国民総所得」は等しい。
本稿では「GDPではなく、GNIを見よ」と主張するわけだが、これは名目値で見る限りは「GDPではなくGNPを見よ」と言っているのと同じである。いわば「昔に戻れ」と言っているわけだ。ではなぜ昔に戻った方がいいのか。それは、グローバル化が進む中で、日本人・日本人企業の海外での活動、外国人・外国企業の日本での活動が無視し得ないほど大きくなってきたからだ。
名目GDPと名目GNIの差はネットで見た海外からの稼ぎを示している。両者を比較してみると、1994年当時は名目GNIが名目GDPより約4兆円(GDPの0.8%)大きかったのだが、2012年にはその差が約15兆円(1.5%)にまで拡大している。これは、海外進出した日本企業が稼いだ利益や日本企業(人)が海外投資によって得た配当や利子所得が増えたためである。
成長戦略とは、日本人・日本企業がいかに効率的に働いて、いかに高い所得を稼ぎ出し、それによっていかに高い生活水準を実現するかについての政策を明らかにするものであるはずだ。すると、「日本人・日本企業が国内で働いて、国内で実現した所得(GDP)」だけを最大化するための作戦を考えるのではなく、「海外で働き、実現した分も含めた所得(GNI)」を最大化するための作戦を考えるべきだということになる。これが、GDPよりもGNIを見よという第1の理由である。
実質で見た場合、GDPとGNIはどこが違うのか
次に、実質で見た場合を考える。ここから話がやや込み入ってくる。
前述のように、名目値で見る限りは、生産、支出、所得が等しいという三面等価が成立する。ところが実質ではこの原則が成立しないのだ。
「実質国民総生産」と「実質国民総支出」は一致する。支出と生産は、「買う側から見るか」「売る側から見るか」の違いだけであり、要するに同じものを見ているからだ。しかし、実質所得はそうではない。実質的な生産活動は同じでも、所得の実質価値が変動することがあるのだ。
この実質生産・支出と実質所得の違いをもたらすのが交易条件の変化である。交易条件というのは、輸出価格と輸入価格の比(輸入価格/輸出価格)である。例えば、輸入価格に比べて輸出価格が相対的に上昇すると(これを「交易条件の改善」という)、日本から見ると、同じ輸出でより多くの輸入品を受け取ることができるようになる。これが交易利得である。逆に、交易条件が悪化すると、交易損失が生まれる。この交易利得(損失)は、実質GNPには無関係だが(当然だが、実質GDPにも無関係)、実質GNIを変動させることになる。
成長戦略の中で実質GNIが注目されるようになった第2の理由がここにある。というのは近年、日本では交易損失が生じ続けているのだ。表は、実質GDP成長率と実質GNIの成長率を比較したものである。これを見ると、常に(2009年は例外)、GDPの伸びよりGNIの伸びが低く、その主因はマイナスの交易利得(つまり交易損失)が発生しているためであることが分かる。すなわち、我々は働いている割には実質所得が伸びない状態を続けているのであり、それは交易条件が悪化しているからなのである。
表 実質GDP成長率と実質GNI(国民総所得)の成長率の推移(%)
実質GDP 実質GNI GNI変化に対する交易利得の寄与度
2005年 1.3 0.8 -1
2006年 1.7 1.1 -1
2007年 2.2 2.1 -0.7
2008年 -1 -2.6 -1.5
2009年 -5.5 -4 2.2
2010年 4.7 3.5 -1.1
2011年 -0.6 -1.4 -1.2
2012年 1.9 1.7 -0.3
(資料)内閣府「国民経済計算」
多くの先進国では交易条件は不変で推移
ではなぜ、日本ではこうして交易損失が発生し続けてきたのか。この交易損失の発生を避けることができれば、我々は、実質的な働きに見合った実質所得を得ることができる。さらに進んで、交易利得が得られれば、働き以上に実質所得を伸ばすことができる。
この点は難問で、私もしきりに考えている最中なのだが、今のところは、円高やエネルギー価格の上昇に対して、付加価値削減型の対応をしてきたからではないかと考えている。
円高の場合を考えよう、日本では継続的に円高が進行してきた。円レートが上昇すると、円建てでみた輸入価格はほぼ円高分だけ低下する。円建ての輸出価格については、「外貨建ての輸出価格を維持して円建ての輸出価格を引き下げるか」「円の手取りを維持するために外貨建ての輸出価格を引き上げるか」の綱引きとなる。いずれにせよ程度の差はあれ、円建ての輸出価格は低下する。以上を総合すると、円建てでみた場合、輸出価格も輸入価格も低下するのだが、輸入価格の低下の方が大きいので、交易条件は改善することになる。
この時、外貨建ての輸出価格の引き上げ幅が大きいほど、交易条件の改善幅は大きくなる。ところが、日本は、円高に対して必死にコストをカットし、賃金を抑制し、外貨建ての輸出価格の引き上げを抑制しようとした。このため、せっかくの交易条件改善効果を十分享受できなかったのではないか。
エネルギー価格にどう反応するかについても同じである。輸入エネルギー価格が上昇した時、当然交易条件は悪化する。しかし、コストアップを最終価格に転嫁していき、輸出価格も同じように引き上げることができれば、交易条件の悪化を避けることができる。しかしここでも、日本は必死になって輸入エネルギー価格のコストアップを吸収しようとして、エネルギー以外のコストを削減し、賃金を抑制してこれに臨んだ。これによって輸入エネルギー価格上昇の交易条件悪化効果をフルに受けることになったのではないか。
我々の目から見ると、日本がそうした対応を取ったのはやむを得ないことであり、その以外の道はなかったように見える。しかし実は、先進諸国の中では、それ以外の道を歩んでいる国の方が多いようなのだ。前述の経済財政諮問会議における民間議員ペーパーには参考図表が付いており、この中に「交易条件の国際比較」という興味深い図がある(「経済財政政策から見た目指すべき国家像と成長戦略への期待」の「資料1−2」のうち5ページ)。これを見ると、日本は、輸出価格が低下して輸入価格が上昇しており、交易条件の悪化が続いているのだが、OECD諸国の平均では、輸出価格と輸入価格はほぼパラレルに動いており、交易条件はほぼ不変で推移している(ただし韓国は日本と同じ)。多くの先進国では、働きに見合った実質所得が実現しているのである。
ではなぜ日本は先進諸国の中で、交易条件悪化型経済を続けてきたのか。これまた難問で、私も答えを模索しているのだが、今のところは、次のような要因が複雑に絡み合った結果ではないかと考えている。
交易条件悪化型の経済構造となる理由
第1は、貿易構造だ。日本はエネルギーをほとんどすべて輸入に依存している。従って、エネルギー価格の変化は、ほぼ強制的に輸入価格を引き上げるだろう。一方、日本の主力輸出品は、新興国の追い上げに遭い、常に価格面で厳しい競争にさらされているため、価格を引き上げるという対応が難しい。この点、例えば、ドイツの輸出は、EUの中で強固なマーケット地盤を固めているので、価格を引き上げることができる。
第2は、産業組織だ。日本では大企業が関連会社とのネットワークを形成して(いわゆる「下請け」)、長期的な取引関係の下で生産を行い、輸出している。円高やエネルギー価格の上昇に際しては、これら関連会社とのネットワークの中でコストアップを吸収し、最終価格の引き上げを少しでも抑えようとしてきたのではないか。
この点では、例えば、ドイツでは、「ミッテルシュタント」という中規模企業群が、高い技術に裏打ちされた非価格競争力を持っており、これが輸出を支えていると言われている(法政大学の樋口一清教授のご教示による。同氏の「産業空洞化と地域企業の競争優位―日本版ミッテルシュタントの再発見」は、私が主査を務めた、日本経済研究センター「地域から考える成長戦略」研究分科会報告に収められている。同報告は、5月には同センターのウェブサイトで公開される予定)。日本の「大企業に従事する中小企業」というイメージとは相当大きな差があるようだ。
第3は、雇用構造だ。日本では、企業が雇用の維持に強い責任を持っているので、価格を抑え、付加価値を削ってでも、何とかして生産量を確保しようとする傾向がある。このため賃金を抑制してでも輸出量を保とうとする行動が取られやすくなるのではないか。
第4は、企業行動だ。日本の企業は、同業他社が進出する分野に横並びで重複進出し、同じような製品を巡って、日本企業同士で激しい競争を繰り広げる傾向がある。いわゆる「過当競争」と言われる現象だ。これに対して欧米企業は、個々の企業が独自の分野への進出を図り、その基盤を守る傾向がある。こうした企業行動の違いも、日本の輸出価格の引き上げを難しくしているのではないか。
こうした私の考えが正しいとすると、交易条件悪化型の経済構造は、日本の貿易構造、産業組織、雇用構造、企業行動に根差したものであり、それは簡単に変わらないものだと言えそうだ。今度策定されることになる新たな成長戦略では、技術革新、人材の育成、積極的な金融投資、成長分野への資源投入などにより、国際競争力を高め、実質GNIの成長を目指すという戦略が登場するであろう。
もちろんそれは重要なことなのだが、それは簡単なことではない。達観して言えば、そもそも多少の政府の成長戦略で日本の成長率を高めること自体が容易なことではなく、時間をかけて日本の仕組み全体をオーバーホールしていかなければ、長期的に国民を豊かにし続けることは難しいという時代に我々は位置していると言えるのかもしれない。
(次回は、女性の力を生かした成長戦略について考えます。掲載は5月8日の予定です)
小峰隆夫の日本経済に明日はあるのか
進まない財政再建と社会保障改革、急速に進む少子高齢化、見えない成長戦略…。日本経済が抱える問題点は明かになっているにもかかわらず、政治には危機感は感じられない。日本経済を40年以上観察し続けてきたエコノミストである著者が、日本経済に本気で警鐘を鳴らす。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130422/246988/?ST=print
ミドリムシのバイオ燃料は本当に有望か?
「仕入れリスク」と「LCA」がカギとなるユーグレナ
2013年4月24日(水) 尾崎 弘之
昨年12月末、東証マザーズに新規株式公開(IPO)したユーグレナ(東京都文京区)の株価が絶好調である。同社はミドリムシを使った健康食品やバイオ燃料などを開発しているバイオベンチャーだ。4月につけた上場来高値は初値の5倍以上となり、時価総額は600億円に迫っている。最近の新興企業はPER(株価収益率)が重視されているので、PERが70倍に迫る株価パフォーマンスを見せるのは久しぶりである。
ユーグレナが扱い、社名にもなっているミドリムシの一種「ユーグレナ」は、バイオ燃料や栄養価の高い健康食品の原料となることが知られていた。ミドリムシは昆虫と間違えられることが多いが、ここでは、ミジンコのように動きながら光合成も行う、動物と植物のあいのこの「微細藻類」のことである。
ユーグレナ事業化のカギは量産化できるかどうかだが、同社社長の出雲充氏は東京大学農学部在学中から事業化の可能性を感じ、都市銀行に数年勤務した後に起業した。大手企業志向が強い東大生としては「変わり種」と言える。
ユーグレナをはじめとするバイオ燃料は、再生可能エネルギー(再エネ)全量買取制度の対象である。原油への依存を減らしたい日本としては、是非とも推進したいエネルギーだが、実は一筋縄ではいかない。
バイオ燃料といってもいろいろな種類があり、どれでも温暖化防止に役立ち、環境負荷が低いわけではない。数あるバイオ燃料の中で、なぜユーグレナが注目されているのであろうか。これを理解するキーワードは「仕入れリスク」と「ライフサイクル評価(LCA)」である。
仕入れリスクは、マイケル・ポーター米ハーバード大学教授の「ファイブフォース」に含まれる経営の重要な要素である。メーカーが原材料を仕入れ先から購入する場合、通常は買い手であるメーカーの立場が強い。しかし、原材料の調達が難しく希少価値があると、逆に仕入れ先のパワーが強くなり、場合によっては仕入れ先が価格を決定することになる。パソコン全盛時代の米マイクロソフトや米インテルがそうであった。買い手はこのような仕入れリスクをマネージしなければならない。LCAについては後で詳しく述べる。
バイオ燃料が再エネとみなされる理由
バイオ燃料は実用化がかなり進んでおり、ドイツでは、再生可能エネルギー消費の67%を占めている(2011年の実績)。米国では、2005年の「エネルギー政策法」によってバイオ燃料導入の数値目標が定められた。
カナダのIISD(インターナショナル・インスティチュート・フォー・サステイナブル・ディベロップメント=持続可能な開発に関する国際研究所)の調査によると、年間70億ドル(約7000億円)の補助金が、バイオ燃料の原料を作るトウモロコシ農家に支給されている。
バイオ燃料は植物を原料とするが、ガソリンや天然ガスと違って原料はほぼ無尽蔵である。これが太陽光や風力と同様、再エネとみなされる理由だが、燃やせば化石燃料と同じく二酸化炭素(CO2)を排出するのに、なぜバイオ燃料は温暖化防止に役立つとみなされているのか。
それは、原料に植物が使われているからである。植物は光合成により大気中からCO2を吸収するので、燃やして排出するCO2は元に戻っただけで、理論上大気中のCO2総量は増えないことになる。この考え方を「カーボンニュートラル」と呼ぶ。
エネルギーと食糧の競合で高まった原料の仕入れリスク
バイオ燃料を生産する企業にとって、競合商品はガソリンとディーゼルであり、値段、品質、サービスによってライバル企業との競争に備えればいい。しかも、バイオ燃料特有の補助金を利用できるから、その分有利である。
ところが、2008年を境に状況が変わってしまった。当時の米国では、トウモロコシ原料のバイオエタノールが伸びていたが、原油価格高騰をキッカケに食糧価格も値上がりし、原料である食糧の仕入れ確保が困難になってしまったのである。
シカゴ商品取引所の相場を見ると、2007年から2008年にかけて、トウモロコシと大豆の価格は最大3倍、小麦価格は最大2.7倍まで値上がりした。また、2008年には、ハイチやホンジュラスなどで食糧を求めて暴動が発生した。
この時期、原油価格高騰以外に穀物価格急騰の要因として指摘されたことは、豪州などの大規模な干ばつ、新興国の食糧需要増加、ファンド資金の穀物市場への流入、一部の生産国による輸出制限、そして、穀物がバイオ燃料に転用されたことである。
2007年のトウモロコシの世界生産量は7億8479万トンで、そのうち、42.3%が米国で生産された(出所:世界統計白書による)。同じ時期、米国で8382万トンのトウモロコシが燃料用に使われた(出所:米農務省)。この数字は、同年の世界のトウモロコシ生産の増加量にほぼ匹敵する。
米エネルギー省は、「2008年の穀物価格暴騰の主犯はバイオ燃料ではない」という内容のリポートを出したが、バイオ燃料への転用の影響が大きかったことは否定できない。
トウモロコシは家畜の飼料に使われるから人間の食糧と関係なさそうだが、飼料のコストが上がれば、食肉価格も上がってしまう。また、バイオ燃料補助金を狙って、小麦・大豆畑をトウモロコシ畑に変えることが増え、生産品種が偏ってしまった。この結果、食糧とエネルギーが競合して原料が不足し、仕入れ先であるトウモロコシ農家のバイオ燃料企業に対するパワーが強くなってしまった。
仕入れリスクが低い原料への転換
原料を仕入れることが難しくなれば、新たな原料を探さなければならない。そこで、穀物などの食糧を原料にした「第一世代バイオ燃料」に依存するのではなく、食糧にならない雑草、木くず、廃食油などを原料とした「第二世代バイオ燃料」の開発が脚光を浴びるようになった。(表1)
表1 主な第一世代と第二世代のバイオ燃料
(筆者作成)
ところが、第二世代バイオ燃料も仕入れリスクの解決に至らなかった。確かに木くずや雑草は食糧との競合がないのだが、ジャングルの中から雑草を調達すると、輸送のためのエネルギーが必要で、思ったより調達コストが高いからである。その分、CO2排出量も増えてしまう。
そこで、第二世代バイオ燃料の問題を解決すると期待されているのが、ミドリムシなどの微細藻類を原料とした「第三世代バイオ燃料」である。ユーグレナはこの一種である。
微細藻類を原料にするメリット
ミドリムシ、クロレラ、アオコなどの微細藻類は極めて効率的に光を吸収し、バクテリア並みに成長が早い。また、細胞内には脂質が多く含まれており、一部の藻類は石油や天然ガスの主成分である炭化水素を生産する。
実用化には、数万種の藻類の中から原料として最適な種を選別し、大量に培養することが必要となる。藻類は葉や茎がないため、陸上植物より廃棄物が少なく、タンクの中で培養できるという利点がある。
1990年前後、微細藻類を使ったバイオ燃料の研究が、米エネルギー省傘下の研究所で盛んに行われた。現在,米国で数十社の藻類ベンチャーが立ち上がっているのは、それらの研究成果が基となっている。シェブロン、ボーイングといった大企業も藻類市場に注目し、ベンチャーとの提携を進めている。
これら油の収量が大きい藻類は外敵の攻撃に弱いので、一般的に大量培養することが難しい。言い換えると、大量培養が難しいから、これまでビジネスにならなかった。藻類ベンチャーが注目を浴びているのは、大量培養技術に革新が見られるためである。動植物などの天然物は特許の対象にならないので、培養方法の特許化、またはノウハウとすることでビジネスを成立させる。
LCAによるバイオ燃料の選別
カーボンニュートラルによってバイオ燃料は再エネとみなされているのだが、最近、バイオ燃料ならば何でもカーボンニュートラルとみなされなくなっている。
バイオ燃料は植物の自然な成長、分解、死滅から作られるのではなく、人為的に植物を加工して作られる。加工プロセスには当然エネルギーが必要で、化石燃料を使えば、そこからCO2が排出される。加工での排出量が多ければ、トータルで逆にCO2を増やしていることになり、カーボンニュートラルでなくなる。例えば、セルロースで出来た固い外皮で覆われた雑草を原料にすると、加工のためのエネルギーが大きくなる。
こういった弊害を避けるために、光合成や燃やす時に吸収・発生するCO2だけでなく、製品のライフサイクル(生産、運搬、使用、廃棄すべてのプロセス)で吸収・排出されるCO2をトータルで評価する必要がある。これを「ライフサイクル評価」(LCA)と呼ぶ。
LCAを行うと、バイオ燃料は、化石燃料と比較してトータルでCO2排出を増加させているか、減少させているかの実態が把握できる。LCAでは、次の5段階において、エネルギー投入量とCO2排出量を評価しなければならない。
原料(バイオマス)の調達(農業機械や肥料の使用)
バイオマスの輸送(トラックや船舶などの燃料)
バイオマスの製造(前処理、化学的・物理的処理)
出来上がった燃料の市場への輸送(海上輸送と陸路輸送がある)
燃料の使用(燃焼によるCO2排出)
バイオ燃料であれば何でもいいわけではない
現在、バイオ燃料であれば何でもいいのではなく、LCA的にCO2削減効果が50%以上ある燃料しか使用を認めないという基準が欧米では作られている。この基準によると、CO2を50%以上削減するバイオ燃料は、ブラジル産サトウキビ原料のバイオエタノールと甜菜・建設廃材を使った燃料ぐらいしかない。藻類バイオ燃料のLCAは今後進んでいくだろう。
しかも、ブラジル産サトウキビといっても、既存農地で栽培されたものだけが基準に合致し、アマゾンの森林を開墾して栽培された作物はカーボンニュートラルとみなされない。森林開発によるCO2の増加がカウントされるからである。
また、原料から油やアルコールを抽出した後の残渣(残りかす)処理の問題も大きい。廃棄物処理にエネルギーがかかるし、環境汚染の原因にもなるからだ。この点、藻類から油を採った残渣はタンパク質やミネラルを含むので、栄養食品や天然ポリマーの原料として使える。
ユーグレナは株式市場でバイオ燃料企業と位置づけられているが、この分野からの収益は少なく、実態は「ユーグレナ健康食品企業」である。ただ、残渣を捨てて環境に悪影響を与えているバイオ燃料企業が多い中で、残渣も有効活用するエコシステムを開発するという戦略は注目に値する。
欧州ではディーゼル車の比率が高く、バイオディーゼルの有望な市場になるかもしれないが、ハイブリッド車と電気自動車が増えれば、バイオ燃料は頭打ちとなる。ただ、大型車、船舶、飛行機などクルマと違った有望な市場があることも事実である。バイオ燃料の市場は補助金、仕入れリスク、LCAが複雑に絡んで成長していくだろう。
戦略論で読み解くグリーンラッシュの焦点
再生可能エネルギーの推進やシェールガスの実用化などによって、エネルギービジネスはどう変貌するのか。産業発展論と経営戦略論の視点からエネルギービジネスをとらえ直す。戦略論のフレームワークをを駆使して、最新の動向を読み解く。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130419/246979/?ST=print
【第1回】 2013年4月24日 大竹文雄
なぜ、「経済学者」は嫌われるのか?
――実は「利他的」な経済学者が伝えたい、
経済学の「2つの醍醐味」
第1回 大阪大学教授 大竹文雄【前編】
「行動経済学」に「神経経済学」と、ここ数年、続々と「新しい経済学」の研究が芽生えています。これらの動きを生み出している、経済学や心理学、神経科学、さらには物理学といった研究領域が交わる「知の最前線」についてレポートします。
今回、話を伺ったのは、大阪大学 社会経済研究所教授・付属行動経済学研究センター長である大竹文雄氏。労働経済学、行動経済学といった分野で実績を残し、また最近ではNHK「オイコノミア」への出演や日本科学未来館の企画展「波瀾万丈!おかね道」の総合監修などと、幅広く活躍している経済学者でもあります。
第1回は、日本科学未来館と経済学という異質の組み合わせの企画展の監修をなぜ引き受けたのか、というお話を皮切りに、「経済学はなぜ嫌われるのか」「経済学者は利己的なのか」、伺いました。経済学者の印象が変わるインタビュー第1回、どうぞお楽しみください!(聞き手:萱原正嗣)
「経済学」は、なぜ嫌われるのか?
――「おかね道」とは、何ともインパクトのあるタイトルです。先生は、このタイトルを最初にご覧になったとき、「経済学者」としてどんな印象を持たれましたか?
大竹 「経済学者」の発想からかけ離れていて、衝撃でした。タイトルだけではありません。ポスターやウェブサイトのデザインも含めて、とにかくインパクトが強烈でした。ポスターについては、初めて見た瞬間「コテコテの大阪商人」を思い浮かべたほどです。
大竹文雄(おおたけ・ふみお)
大阪大学社会経済研究所教授・付属行動経済学研究センター長
1961年生まれ。京都大学経済学部卒、大阪大学大学院修了。経済学博士。専門は行動経済学、労働経済学。2008年日本学士院賞受賞。主な著書に、サントリー学芸賞受賞『日本の不平等 格差社会の幻想と未来』(日本経済新聞社)、『競争と公平感』(中公新書)など。最新刊に『脳の中の経済学』(共著・ディスカバー携書)。
でも、ある意味では、世間の人が「経済学」に対して抱いているイメージをうまく表現しているな、とも思いました。
私自身もよく経験しているのですが、初対面の人に「経済学者です」と自己紹介したときの、相手の反応はたいてい決まっていて、2つに集約されます。
ひとつは、「これから景気はどうなりますか?」とか、「これから儲かる株は何でしょうか?」といったことを尋ねてくる人。「経済学」というのは、景気の予測をしたり、お金の儲け方を考えたりすることだと、多くの人が思っているんですね。
もうひとつは、面と向かってはあまり言われないまでも、「経済学」という言葉にネガティブな印象を抱く人。こういった人はかなり多い。「数字だけしか信じない冷酷な世界だ」とか、「利己的で計算高い連中ばかりが集まっている」とか、そういうイメージですね。
経済学者自身が、そういう状況を揶揄して、「陰鬱な科学(dismal science)」だと表現することもあるくらいです。
「私自身も、「経済学」を誤解していた」
――そのような「経済学」に対する負のイメージを払拭するのに、かなり苦労されたと伺いました。
大竹 今回の企画展の準備を進めている段階でも、似たような反応に何度も遭遇しました。なかでも典型的な反応を示されたのが、本展を開催している「日本科学未来館」の館長の毛利衛さんです。
大竹 毛利さんのことは、みなさんもよくご存知だと思います。日本人で初めてスペースシャトルに乗った宇宙飛行士であり、科学者でもあります。その毛利館長が、未来館のスタッフたちがこの企画を提案した当初、「経済学」というのは「お金儲けのための学問だ」と、思っていらしたそうですし、私が初めてお会いした時も、まだ経済学にそういう印象をお持ちのようでした。
でも、毛利館長の反応も無理のないことかもしれません。何を隠そう、私自身が高校生の頃、経済学部に入って「経済学」を勉強したいと思ったのも、「将来の景気や株価が予測できて、お金儲けがうまくなるかもしれない」という期待にあったからです。今となっては笑い話ですが、とにかく、世間の人が思い浮かべる「経済学」のイメージには、「お金儲け」がまとわりついています。
とはいえ、「経済学」が、「お金儲け」とまったく無縁だということではありません。景気変動の予測や株価形成の要因を研究することも、「経済学」の重要なテーマのひとつです。けれども、必ずしもそれだけが「経済学者」の主要な仕事ではないのです。
むしろ、世間の人が「経済学」や「経済学者」に抱くイメージと、「経済学者」が実際にしている研究とは大きなギャップがあります。
世間の人から「経済学」は誤解されていますし、私自身も大学に入るまでは、「経済学」を誤解していたのです。
「経済学」の2つの面白さ
――先生も誤解されていたとは、驚きです。では、先生が感じられている「本当の経済学」の醍醐味とは、何でしょうか?
大竹 「経済学」には大きく2つの面白さがあります。
ひとつが、複雑な社会現象をシンプルな原理で説明するということです。「経済学」の技術で社会を分析すると、それまで見えていなかった現実の姿が見えてくることがあります。
たとえば、所得格差の拡大という現象があった場合でも、高技能者や低技能者に対する需要と供給ということを考えると簡単に説明ができます。コンピューターを中心とした技術革新のために、人の仕事はコンピューターの苦手な仕事に移ってきました。つまり、労働者に対する需要は、対人サービスや企業経営や製品のアイデアを考える仕事を中心に増加して、コンピューターが得意な定型的な事務仕事は減少しました。そうやって、需要や供給の変化を考えるだけで、需要が増えたタイプの仕事の賃金が上昇し、伝統的なホワイトカラーの仕事の賃金が低下したことが説明できてしまいます。需要と供給、インセンティブという概念をしっかり理解するだけで、様々な社会の出来事を説明できるのです。
一流スポーツ選手や一流芸能人は高額の所得を手にできるのはなぜか、保険に入っても一定額までカバーされない部分があるのはなぜか、をはじめとして、世の中には、すぐには理由がわからないことが多いと思いますが、経済学を学べば、こういうことに簡単に答えられるようになります。
大竹 もうひとつの面白さは、「伝統的な経済学」の「常識」からはみ出る動きが、「経済学」のなかで起きていることです。
「伝統的な経済学」では、経済活動を営む人間を、すべて合理的な存在と考えます。それが、よく知られる「合理的な経済人(ホモ・エコノミカス)」です。
けれども、ひとりひとりの人間の日々の経済活動が、合理的な判断にもとづいているかというと、必ずしもそんなことはありません。貯蓄をしたくてもできないとか、ダイエットをしたいのにできないとか、ギャンブルにはまってしまうとか、人間には、感情や直感に流されて苦しむ不合理な側面もあります。
しかも、その不合理な側面には、多くの人に共通する一定の「パターン」があることが知られています。そのパターンを考慮に入れると、合理的な人間像だけでは説明しきれなかった経済現象を説明できるようになるのが、また面白いところです。
それが、「行動経済学」と呼ばれる、「経済学」のなかでも比較的新しい分野です。人間の不合理さに焦点を当てて、経済現象を合理的に説明しようとするのが、「行動経済学」の醍醐味です。
今回の「おかね道」で取り上げられている10の実験のなかには、「行動経済学」の研究でよく知られる実験もあって、実際に体験することができます。人間の経済行動が、いかに不合理な直感や感情に支配されているか。そのことに驚かれる人も多いのではないかと思います。
夏休みの宿題をいつやるか?
――経済学の先生から感情について力説されるとは、思ってもいませんでした。人間の不合理さを示す具体的な例を、ひとつ詳しく紹介してください。
大竹 典型的なのは、夏休みの宿題をいつやるか、ということです。
大竹 夏休みが始まる前の時点では、毎日コツコツやる、あるいは、7月中に宿題を終えてあとは思いっきり遊ぶという計画を立てる。けれども実際には、8月31日になって慌てて宿題に取り掛かる。それが、ほとんどの人が思い当たる経験ではないかと思います。
これは、将来の利益と目先の利益を天秤にかけると、目先の利益を選んでしまいがちである、という「現在バイアス」として知られています。夏休みの最終日までに宿題が終わっているという長期的な利益より、毎日ひたすら遊ぶことで得られる短期的な利益が大きく見えてしまうのです。
将来の利益は小さく見えて、現在の利益が大きく見える。現在に偏っているから、「現在バイアス」ということです。貯蓄やダイエットの前に立ちはだかるのも、この「現在バイアス」の壁です。
実は利他的な生き物?――「経済学者」のホンネ
――「経済学」は、日常の行動パターンを説明できる身近な学問だということなんですね。
大竹 そのことを、ひとりでも多くの人に実感してもらいたいと思っています。それが、私がこの企画の総合監修を引き受けた一番の理由です。この企画展に協力してくださった多くの先生方も、そう感じているのではないでしょうか。
「行動経済学」は、極めて学際的な学問分野です。心理学や物理学、脳神経科学など、社会科学と自然科学を跨いでさまざまな分野の学問が融合した、非常にダイナミックな学問領域です。その各分野の最前線を走っている先生方が、みなさん忙しいにもかかわらず、積極的に協力してくださいました。
その背景にあるのは、「経済学」への誤解に対する不満です。
自分たちが感じている「経済学」の面白さが正しく理解されないばかりか、「経済学者」は、計算高くてこずるい、利己的でいけすかない奴らだと、白い目で見られてさえいます。 しかも、その嫌われ方に、合理的な根拠はまったくありません。世間の人の「思い込み」という不合理な直感で、悪評に晒されているわけです。
そんな中、今回監修した「おかね道」という展示について、日本科学未来館からご連絡いただきました。
この企画展によって、大勢の人に「経済学」の面白さを体感してもらえれば、こうした「経済学」への偏見を取り除いていくことができるのではないか――。そう思ってさまざまなジャンルの先生方とともに、多くの「経済学者」にも声をかけました。そしておそらく私と同じように思ってくれたからこそ、大勢の「経済学者」が、「経済学」全体の利益のために、貴重な時間を使って積極的に協力してくれたのだと思います。
自分のことしか考えず、冷酷だと見られがちな「経済学者」は、実は利他的で、情熱溢れる人たちだったということです。
※次回は、合理と不合理とは一体何なのか、どうすればよりよく生きていけるのか、に迫ります。第2回、大竹先生【中編】は、5月1日に掲載予定です。
ようこそ、科学×経済学の実験場へ!
波瀾万丈!おかね道
今日のランチやお小遣い、ローン返済に保険に年金。次こそは「賢い決断」を、と思いつつもいつも失敗していませんか?
あなたのお金の使い方には、あなたの判断や行動の“クセ”が現れます。そしてそんな“クセ”が、思わぬ形で社会にも影響を与えているのです。
お台場に現れた「架空の町」にて待ち構えるは、あなたの“クセ”、そして本当の姿をあぶり出す「10の実験」。ここで身につくは、お金と正面から向き合い、行動するための心構え――「おかね道(どう)」。科学と経済学、前代未聞のコラボレーション、ここに開幕!
◎さわって楽しい! 公式ウェブサイトはこちら!
→あなたの“クセ”をあぶり出す実験に挑もう!
→あの有名人にもこんな“クセ”が!? 「私の「おかね道」」更新中!
http://diamond.jp/articles/print/35163
【第3回】 2013年4月24日 佐々木融
インフレは円安圧力を強める効果があるのか?
アベノミクスで大幅な円安・株高が進んでいる。「どんどん円安方向に誘導してインフレ率も押し上げればいい」という意見があるが、それは本質を見誤っている。日本に今必要なのは、強い需要である。しかも、インフレが円安圧力を強める効果もそもそも疑問である。
日本銀行が2%のインフレターゲットを導入し、黒田東彦・新日銀総裁が異次元の金融緩和を行う中で、大幅な円安・株高が進んでいる。経済全般のセンチメントは明るく、金融資本市場も活況を呈している。
こうして未曾有の金融緩和を進める日本に、興味を持つ海外投資家は急増している。筆者は2013年1月最終週から7週間のうち、5週間を海外出張に費やし、海外のヘッジファンド等の顧客に日本の現状を説明してまわった。ミーティングは1日6〜7件にのぼり、それほど海外の投資家の日本に対する興味は強かった。
なぜなら、金融危機に揺れた世界経済の大きな流れの中で、日本が先頭を走っているからだ。欧米の投資家やエコノミスト、当局者は、自国経済が将来直面しそうな状況にどのように対処すべきか、シミュレーションする意味で、日本の動きに(反面教師としても)注目しているのである。
彼らからは「日銀は外債を購入して、米ドル/円相場をどんどん円安方向に誘導し、インフレ率も押し上げればいい」などとも、よく言われる。しかし、こうした意見は問題の本質を見誤っている。
日本に必要なのは、インフレでなく強い需要
前回も述べたが、日本経済にとって本当に必要なのはインフレではなく、強い需要である。需要が強くなれば、生産が増え、企業は雇用を増やし、雇用者所得が上がる。その結果、インフレ圧力が強まることになる。つまり、インフレは結果であって目的ではあり得ない。インフレが先に来ると、人びとは消費を減らし、景気はもっと悪くなる。
そもそも、円安がインフレ圧力を強める効果にも疑問が残る。実質実効レートベースでみると、1970年以降で最も円安になったのは2007年6月だ(米ドル/円相場は124円台まで上昇)。しかし、このときの日本の消費者物価指数は前年比マイナス0.2%だった。
内閣府の経済モデルによると、米ドル/円相場が10%円安方向に振れて、その水準を1年間維持できるとインフレ率は0.12%上昇する。これに従って単純計算すれば、インフレ率を直近2月の前年比マイナス0.7%からゼロに戻すには、円相場が対ドルで60%も下落して、その水準を1年間維持する必要がある。
仮に、スタート地点を昨年11月半ばの79円近辺としても、そこから60%の円安・ドル高水準は126円程度だ。その水準を1年間維持するなど至難の業だ。それほど、為替相場からインフレ率への波及効果は小さいのである。
円安からインフレにつながる経路として最も分かりやすいのは、ガソリンなどのエネルギーや、輸入食品の価格上昇であり、庶民の生活を直撃する。こうした形のインフレを、本当にみな望んでいるのだろうか?
<イベントのご案内>
新刊出版記念セミナー (主催:外為どっとコム)の開催が決まりました!
5月29日(水)20時〜 ☆お申し込みフォームはこちらです
<新刊書籍のご案内>
インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?
デフレ脱却をめぐる6つの疑問
日本では「デフレは悪で、インフレが望ましい」という考え方が広がり、定着しつつあります。特に安倍晋三首相が選挙前から「量的緩和の拡大」「デフレからインフレへ」などと盛んに発言し、実際にマーケットが円安・株高に動いたため、この風潮はますます強まっています。経済が停滞しているのも、若者の就職難もデフレのせいで、インフレになれば経済が活性化し、苦しい生活が楽になるがごとく喧伝されますが、本当にそうでしょうか?インフレが起こった場合、物価の上昇に追いつくほど給料が上がらない場合、銀行預金程度の資産しか持たない一般の人たちの購買力は低下して、今より貧しくなるのです。それでも皆さんはインフレを是とするのでしょうか。本書は、インフレの基本的構造や金融政策の仕組み、それらの個人や企業への影響、為替との関係などを分かりやすく解説した入門書です。
http://diamond.jp/articles/print/34923
成長戦略第三の矢は「女性です」と言い切るガッカリ感
2013年4月24日(水) 関橋 英作
成長戦略の第三の矢は、女性だそうです。その内容は、以前から問題になっている待機児童ゼロを目指すということ。仕事に本格復帰する女性を支援するものです。今頃何を言っているのだろう、と思いました。
そもそもマスコミをにぎわす「女性」というキーワード。初の女性知事誕生、初の女性宇宙飛行士、女社長がんばる、などなど。そんなに女性が活躍することが物珍しいのでしょうか?
まるで、男の専売特許でも取ったかのような書きぶりです。何だか妙な言葉使いがメディアを横行しています。
茶化された蓮舫議員
民主党政権時代もありましたね、「2番じゃ駄目なんですか?」でマスコミに茶化された蓮舫議員。男性議員だったら、あそこまでの話題になったでしょうか。
社会トレンドを見てもそうです。「子育てと仕事の両立は贅沢か?」「子育ても出世もしたい!」「女性のハードワークかっこいいぜ!」「スジを通しすぎる筋女という性」などなど。女性は売れ筋の格好のキャッチコピーかのように。
NHKまで、「仕事と子育て・女のサバイバル」というスペシャル番組を組む次第ですから、変というか反省?しているというのか。
いまは、2013年ですよ。男女雇用機会均等法が施行された1972年からは40年以上も経っています。
その内容は、労働者の募集・採用、配置・昇進・降格・教育訓練、福利厚生、職種・雇用形態の変更、退職の勧奨・定年・解雇・労働契約の更新について、性別を理由として差別的取扱いをしてはならない、という法律。
またその第2条には、女性労働者にあっては母性を尊重されつつ、充実した職業生活を営むことができるようにすることをその基本的理念とする、と記されています。何をいまさらでしょう!
酷い日本の大企業の現実
しかしご存じの通り、日本の女性管理職率は1割未満。大企業ではなんと約5%ほどしかない。先進国の中でも、韓国と並んで最も低い数字です。女性政治家も7%ほどの信じ難い少なさ。女性がリーダーを望んでいるかどうかは別にしても、異常な男社会は全く変わっていません。
そこで、働いている女性の本音を聞いてみたくなりました。知り合いの女性20人にアンケートを実施。職業は、メーカーや小売業、広告代理店、フリーランスなどで、職種も企画、営業、制作、マーケティングなど様々です。質問項目は、7つ。みなさん本音で答えていただけました。溜まっていたのでしょうか?
なぜ、女性の力が日本社会で発揮されにくいのでしょうか?
質問@:「なぜ、女性の力が日本社会で発揮されにくいのでしょうか?その原因や理由についてどう思われますか?」
最も多かったのが、上層部が男性で占められているので、女性は使うものという意識が依然強いこと。それに伴って、異質な意見を嫌うという傾向。
“口に出して言わなくても、女性はニコニコ笑っているのがかわいいという意識がある”“かわいい”ことはいいことだという価値がはびこっており、かわいくない=女性じゃない、モテないというような呪縛がある”“男性ばかりの集団に女性が一人いると、違う意見が出てきて、合意に至るのに時間がかかる。それを邪魔に感じる”と。
また、こんなことも。“日本の会社の“働き方”を強制的に変えてほしい。サービス残業、接待飲み、などおじさん的な慣習がありすぎる ”
“出産などで、会社にとどまることができず、キャリアを中断せざるを得なくなる。または、責任のある仕事が任せられなくなる。女性は出産や結婚を機に退職するものといった旧態依然とした社会の意識”。
この、女性は子育てのために長く働けないという既成概念はまだまだはびこっていることがよく分かりました。強烈です。
何だか時代が後戻りしているようで、暗い気分になってしまいました。
女性の最も優れたところは何だと思いますか?
質問A:女性の最も優れたところは何だと思いますか?経験されたことを踏まえて、具体的に教えてください。
これは圧倒的に、感性とアイデア力という答え。
“理屈ではなく、これがやりたい、こうしたらうまく行きそうと見えるんです。おそらく生活の中でいろいろ見たり感じたりすることが多くて、それが感覚的につながりアイデアとして生まれやすい”。
“女性は、こうでなくちゃいけないという男性が持っている呪縛から自由で大胆なことを言ってくる場合が多い。結果、いいものが生まれる”。
女性は出世や社会通念などにこだわっていないので、発想が自由なのでしょう。だから、上司の顔色をうかがう必要もなく、こうでなくっちゃという固定観念に縛られていないのですね。
また、複数のタスクを同時に可能なこともできるのは、先が見えるので優先順位をつけることがいとも簡単なんですと。うらやましい限りです。
こちらはセンスの問題。“センスがいい人が多い。女子の方が、小さい頃から自分はこれが好きというのを見極めていて、好きな世界感を持っている”
また、“前例がないなどの杓子定規の判断しかできないのは感性力や気遣い力の不足だと思います”“母性、違う価値観に耳を傾け、受け入れる姿勢。共感力が高いこと”。
男性には欠落しがちな気遣い力。それは共感力だったんですね。パニクったときでも、チームに女性がいるだけで、ちょっとやわらかい空気が流れるのは、間違いなく女性のおかげ。
女性の力。すごいですね、この能力が存分に発揮されたらどうなるか、ああ、もったいない。
パナソニック ヤマザキ サントリー
実際、マーケティングにおいては、たくさんの企業が女性のアイデアを活かしている。パナソニックのナノケア、デイリーヤマザキの新ブランド「美◆Happy」、サントリーの「のんある気分」。トヨタ自動車や日産自動車でも、日頃の買い物や子供のベビーカー、自転車を積む、またはチャイルドシートの世話をするなど、男性では気づかない女性の視点でのクルマを開発しています。
もともと、マーケティングは女性向きの仕事。トレンドに敏感で、こういうのがあればいいのにという潜在欲求がよく分かっている。また、男の気づかないディテールにも気を配ることが得意なのですから。
こういう男性上司なら
質問B:女性にとって、こういう男性上司なら、力を発揮できると思われる資質を挙げてください。
“自分にはない能力を重要ではないことと切り捨てずに、生かすことができる懐の広さがある上司”“有能な点は誰にでもあるけれど、それを男女の差ではなく、個人の差として受け止め、指示、教育してくれる上司”
“女性はわがままなので、男性と同じような扱いをして欲しいときと、そうでないときがある。アメとムチを上手に使い分ける”
これは、女性に限ったことではありません。有能な点を、年齢性別の差ではなく、個人の差として受け止め、指示、教育してくれる上司。
こういう意見が多いということは、ガチガチ男な上司がまだまだ多いと、想像されます。いかがでしょうか、御社は?
男性部下とは?
質問C:女性が上司の場合、男性部下との対応はどのようにするのがいいと思いますか。その成果は?
“男性はプライドが高く、自分のことを自慢したがったり、すぐに認めてほしがりますので、そいういった事は否定しない。むしろ、男性の“前に出る力”を活用し大事なことは自分で決断をして責任を取る姿勢を持つ”
また、“世の中的に、女性上司に対するイメージは感情的なので、そうならない、むきにならない”
女性はちゃんと自分のことをよく知っています。驚きました。それでも、いまだに女性上司を面白く思っていない男性社員が少なからずいることも事実。女性管理職が少ないのは、そういう社会心理が大きな要因の1つであることは間違いないでしょう。
女性首相の利点は?
質問D:女性が、企業の社長や首相になったとしたら、その利点は?また、いままでとどんな違いが出ると思いますか?
質問E:日本社会で、女性進出が本当の意味で達成したときは、どんな変化が生まれると思いますか?
これ、難問だったようです。私もあえて質問したのですが。
私の広告代理店経験から思い出してみると、なぜ、女性の力が日本社会で発揮されにくいのでしょうか? たまにお見かけすると、やはり肝っ玉タイプの強い女性。男の中で生きていくための方法論だったのかもしれません。
今回答えていただいたことをまとめると、現状では日本社会は「Not ready」。時期尚早が本音でしょうか。それでもすてきな意見が多かったです。
“アルバイトやパートさんといった庶民の現場にまで、家庭でもママが働いてパパが主婦する、のが今よりも普通な感じになるとか。男性も自由になって個性が生かせるようになるのでは?”
またこんな意見も。“実はあまり女性がトップに立つのは好きではないです。なぜなら、今この時点で社長や首相になりたがる女性は男性的だから。もう少し女性は女性らしい部分を持ってそれを認められた人が出てくるのであれば、トップに立ち、その価値観で統率できると感じています”
つまり、誰が子育てしてもいいし、仕事が時間で計られなくなり、本当の多様な仕事のあり方が生まれるかもしれないということ。イクメンも専業主婦という名詞も死語になっているでしょう。
一度、試してみたい社会ですね。
何か言いたいことありますか?
質問F:そのほか、このイシューに関することで、自由にご意見をいただけますか。
“20代女性は、30〜40代の働く女子を見て憧れていないので、専業主婦が夢になってきている。そこまで男性化して働くなんて嫌だ、女性らしさを捨てるなんて嫌だ、と内向き傾向。もっとボーダレスで、フェアで、心がグローバルな日本にならないと、変わらない”
“女性がわがまますぎる点もよく見かけます。主張はするものの、仕事が嫌になりうまく結婚退職するとか、どうせ結婚したら辞めるし!などの発言を正々堂々と裏では話している”
“男女ともに日本社会は「大人」になりきれていない点に根ざしているような気がします。素晴らしい女性社長もいらっしゃる反面、企業の志はすばらしいのに女性ならでは嫉妬の固まりのような女性経営者も少なからず見かけます”
ここでは、女性自身の問題もきちんと指摘されています。ちゃんと自分たちのネガな面も理解していてすばらしいと感じました。
変わらない男社会が故に、最後は結婚して専業主婦にでもなりたいという女性が結構いることも事実と。
また、わがままなことだけ言ってあとは知らんぷり。女性だけで集まって愚痴大会。がんばりすぎないで仕事をする、など女性のあきらめにも似た態度があることが変わらないことの理由になっていると。
しかしその一方で、女性にしかできない子育てと仕事の両立への意欲も大きい。また、がんばるために準備と努力を惜しまない意欲的な女性も増えていることも指摘。
女性はしがらみが少ないので、とにかく新しいことを恐れない。このトライ精神こそ、女性が持つ大きな魅力なんです!と。
さて、アンケートの結果はいかがでしたでしょうか。改めて驚くようなことはそれほどありません。再確認のようなものですが、これらは男性へのメッセージのような気がしてなりません。
今こそ変化のとき!イノベーションを起こそう!クリエイティブに!と叫ぶのはみんな男。実は、女性は叫ぶ前に上手にやりこなしているのです。
今回のアンケートで分かった一番のことは、女性は圧倒的に自由であるということ。裏返せば、男は不自由。その不自由さに縛られながら、もがいても縄はほどけるはずもありません。
男とか女とか区別するのをやめにして、個人と個人を見る。これこそが、女性活用ではなく「人の生かし方」。
今は何でもかんで手取り足取り。男の大好きなマニュアル世界です。これでは、個が育つはずもありません。
まずは、すべてをスクラッチに。幸いなことに、男は不自由な状態なのですから、どうすれば呪縛から放たれるか。自力で考えてみる。良いチャンスです。
他力から自力へ。それこそが、新しくはじめて訪れるすてきな社会。さて、その道へ乗りだしてみましょうか。
マーケティング・ゼロ
メール・マーケティングに始まり、アフィリエイト、検索連動型広告、コンテンツ連動型広告、動画広告にRSS広告などなど実に多彩な発展を遂げているネットマーケティング。こうした広告のプラットフォームが次々と登場することは喜ばしい半面、企業は踊らされがちになります。本来、マーケティングとは何だったか? これを忘れそうになったときに皆様を原点に引き戻す、そういうコラムを目指しています。テクノロジーがどれだけ進化したとしても、マーケティングの原点はいつの日も変わらないのですから。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130422/247036/?ST=print
第95回】 2013年4月24日 高田 創 [みずほ総合研究所 常務執行役員調査本部長/チーフエコノミスト],森田京平 [バークレイズ証券 チーフエコノミスト],熊野英生 [第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト]
黒田ビッグバンで史上最低金利、活用は「今でしょ」
「おコメ」の味は薄すぎ、
投資家は「自炊」への発想転換も
――高田創・みずほ総合研究所チーフエコノミスト
「黒田ビッグバン」で史上最低金利
今年2月に日銀新総裁に黒田氏の指名が決まったとき、筆者に「ドリームチームだ」と語った海外投資家は、4月4日の黒田総裁が率いる日銀の決定を「Kuroda big bang、最高のプレゼントだ」とした。
かねて筆者が世界の中央銀行の「金融緩和オリンピック」と言っていることを受け、「今回のオリンピックの勝者は日本だ」と評価し、海外投資家をも十分に満足させるものだった。
4月5日に日本の10年国債金利は一時0.315%と、2003年6月に記録した0.43%を下回る日本の10年長期金利の最低値を更新した。これは、人類史上始まって以来の最低水準でもある。
今月4月2日に、米国でレンジャーズのダルビッシュ投手は完全試合を逃したが、4月5日に日本の市場参加者は歴史的瞬間に立ち会ったことになる。もとより、今日、日銀が行うインフレターゲットは、これまで各国中央銀行で行われてきたが、デフレに対処した対応は金融史上初と言ってよく、「金融政策の革命」に近い。
今や「おコメ」の味は薄すぎる
国債を中心とした債券は、多くの金融機関にとって運用の「おコメ」、「主食」として筆者は過去10年以上にわたって重視してきた。「おコメ」の味はキャリーとしての長短金利差にあるが、昨今、長期金利の大幅低下の環境下、「おコメの味」は随分と薄くなってしまった。
先に示したように、4月5日に10年金利は一時、0.315%まで低下した。このような極端な水準では、O/N金利との長短金利差は0.2%程度となる。それ以前の最低金利であった2003年の0.43%のときはゼロ金利政策下だっただけに、長短金利差は0.43%あったことからも、大きな差である。
足下で10年金利は0.6%前後に戻ったが、長短金利差は0.5%程度と過去最低水準の「極めて薄い味」である。その結果、「おコメ」で「栄養」を確保しようとしたら、「量」を拡大するか、もしくは「質」の観点から一層長期のゾーンで対応するしかない。
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今や「外食」や「おかず」も必要に
金融機関の運用においては、日本の「おコメ」だけでは栄養が不足することから、「外食」として海外の主食である米国の「パン」と言える米国国債、かなりの選別は必要だが欧州の「パン」や「パスタ」と言える欧州国債への流れも生じ得る。
外債投資は、機関投資家にとって注目の的となるだろう。また、もっと味が濃い「おかず」として民間クレジット商品である株式や不動産関連商品などにも関心を広げることが必要になる。
いくら味が薄くても国債を主食として食べる必要があるが、金利リスクヘッジの観点からも、エクイティ性のものを「おかず」として取り入れる工夫が2013年度の課題になる。金融緩和環境下、資産価格上昇が見込めるだけに、株式や不動産へのいち早い取り組みは大きな課題だ。
常に国債が主食だったわけではない
貸出は「お袋の味」
そもそも、バブル崩壊前までの「主食」は貸出の形態をとったクレジット資産であり、当時はあくまでも代替運用手段が余資運用とされた国債であった。しかし、バブル崩壊後のマネーフローで企業セクターが資金余剰に転じ、資金需要のある不足セクターが政府と海外しか残らなかったなか、政府への資金需要に応える国債運用が実質的「主食」になったのが、この20年である。
ただし、本来「主食」は貸出であっただけに、貸出へ回帰できればそれに越したことはなく、過去20年忘れかけた「お袋の味」でもある。それも日銀発表の2月の貸出金利(新規約定金利)で、長期(1年以上)は史上最低金利水準である0.942%にまで低下した状況にある。
民間投資家が自ら運用手段を
つくり上げる「自炊」が必要に
今回の日銀の金融緩和に伴う債券市場の状況は、日銀による国債市場の「クラウドアウト」であり、同時に日銀はあえて史上最低の金利を付け、金利の「底値」を意識させ、生態反応を失っていた資本市場を「覚醒」させようとした。
それでも、資本市場では資金需要は生まれないというのが多くの市場関係者の認識であろう。ただし、今後の金融機関の運用は、世の中にある「余った」「おコメ」を食べる行動から、自ら「自炊」していかに自らが食べる主食を企業と一緒につくり上げるか、また、アセットファイナンスとして金融商品をつくっていくか、さらに新たな次元の運用手段を模索することへの転換点を迎えている。
債券市場は、市場にあるものを運用する運用者側の時代から、投資家も資金需要者と一体になって運用商品をつくり上げる時代へのレジーム転換、そのために多様なリスクに向けたインフラ整備が改めて必要になってきた。
黒田新日銀は「持っている」
筆者は、今回の黒田総裁率いる日銀の対応は、従来と異なり実際に効果を示すのではないかと前向きに評価している。それは、今回の対応がより期待に働きかけるレジーム転換にあることに止まらず、より重要なのはその恵まれた「タイミング」にある。
アンシャンレジームの白川体制は、2007年以降の欧米のバランスシート調整の真只中で、たとえその時期に自国通貨を切下げることが本音の「金融緩和オリンピック」に参加しても、事実上の目的である為替市場での得点は稼ぎにくかった。
しかも、そのルールは米国が決めているなか、日米関係の「失われた3年」も加わり、為替円高回避は困難だっただろう。一方、今回は異なるタイミング、すなわち、米国の2007年以降の調整が6年を経過し調整も終盤になり、日米関係好転も加わり為替円安への流れができている。ここでマインドさえ変えれば、回復を後押しすることが初めて可能になる。
バトンは日銀から
政府と民間に渡された
今後、政府による財政政策と成長戦略が加われば、少なくとも経済の底上げは可能になる。今回、「黒田ビッグバン」で日銀に期待されていたことが全て行なわれたことで、バトンは政府に渡されたと見るべきだ。
4月4日の日銀の声明文にあるように、政府は財政規律も含めた国債市場の安定に向けた条件整備、さらに成長戦略が不可欠になる。同時に、次のバトンは民間にも渡された。これだけの低金利をレバレッジとして活かすかどうかの裁量は、民間企業の決断に委ねられた。
まさに、企業は社債などの資金調達も含め、「今でしょ」をキーワードに史上最低金利を活用するかどうかの判断が迫られる。今年のような史上最低金利になれば、それ以上の条件で調達できる可能性は極めて低い。
企業と投資家が「今でしょ」と
意識することがデフレ脱却に
ここで、仮に不動産の価値が上昇するとしたら、また先行き期待が改善するとしたら、借入を行うのにこれ以上良い環境は歴史的にもない。なぜなら、ゼロ以下の金利水準で資金の調達はできないからだ。「資金を調達するのはいつか」の問いかけに、まさに「今でしょ」と皆が意識したとき、資産デフレの環境は大きく転換することになる。
日銀の黒田総裁は、「異次元」とされる金融緩和であえてこれ以上下がらないレベルの金利水準、金利の底値感を示そうとしたのではないか。こうしたショック療法で、企業と投資家に両面から刺激を与えようとしたと考えられる。
http://diamond.jp/articles/print/35131
【第211回】 2013年4月24日 成瀬順也(大和証券チーフストラテジスト)
個人の市場参加で活況の日本株
失速する新興国株と欧州株
株式市場の活況が続いている。東証1部の売買代金は4月15日まで8営業日連続で3兆円を超えた。2007年7〜8月以来の連続記録である。投資家別に見ると、主役は個人と海外。残念ながら国内機関投資家は元気がない。
個人投資家は、4月第1週(1〜5日)に差し引き6518億円を売り越した(東京・大阪・名古屋3市場の1・2部等合計)。06年4月第1週以来となる巨額の売り越しである。しかし、これをもって個人投資家が弱気と決め付けるのは軽率だろう。
個人投資家はもともと逆張り姿勢が強く、株価の上昇局面では売り越しとなりやすい。最近はIPO(新規株式公開)市場やPO(公募・売り出し)市場が好調なため、こうしたファイナンス銘柄を入手した(この分は買いに含まれない)個人投資家による利益確定売りが膨らんでいる面もある。
加えて、株価の急回復により、これまで長期保有を余儀なくされていた投資家から「やれやれの売り」が出ているとみられる点も見逃せない。塩漬け株の呪縛が解け、久々に株式市場に復帰しつつある個人投資家も少なくないのではなかろうか。
実際、筆者の経験でも、このところ申し込み段階で満席となる個人向けセミナーが続出するなど、個人投資家の熱気が感じられる。従来6〜7割程度だった申込数に対する実際の参加率が、9割を超えるケースも増えている。会場では、熱心に話を聞きメモを取る姿が目立つようになってきた。
昨年10月前半には15%台にとどまっていた個人投資家の売買シェアが、今年に入ってからは25〜30%に跳ね上がっている。ネットの売り越し・買い越しだけに目を奪われていると本質を見逃しかねないだろう。グロスの売買代金から読み取れる力強さと併せて判断したい。
もう一つの柱である海外投資家については、3月第1週に史上初めて買い越し額が1兆円を突破。さすがに毎週1兆円ずつ買い越すのは現実的でなく、連続買い越しは18週でいったん途切れたが、足元では再び2週連続の買い越しとなっている。
海外投資家の水源の一つである米国のファンドへの資金流出入を見ると、日本株ファンドは昨年11月に純資金流入に転じた後、流入額が拡大。2月中旬以降は高水準の流入が続いている。特にiシェアーズのMSCI日本株や、ウィズダムツリーの為替ヘッジ型日本株などのETF(上場投資信託)が人気を博している。
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一方、欧州株ファンドは2月中旬から、新興国株ファンドは3月から、それぞれ急失速。日本株の人気が際立つ格好となっている。
かつて日本株パッシングなどとやゆされたように、安定成長期待の米国株と、高成長期待の新興国株やハイリスク・ハイリターンの欧州株を組み合わせる手法が一般的な時期があった。今や、米国株と日本株の組み合わせが、特性が両極の関係にある商品を購入するダンベル型投資で最も有望なものだろう。
(大和証券チーフストラテジスト 成瀬順也)
http://diamond.jp/articles/print/34963
【第3回】 2013年4月24日
デフレ脱却は年金財政には福音
だが、それでも年金改革は必要だ
――日本総合研究所上席主任研究員 西沢和彦
真に社会保障制度改革に向き合えば、誰かしらから異論が出てくるはずである。それは、改革とは、限られた予算のもとで、既存の負担および給付構造を変えることとなるためだ。例えば、年金受給世代に追加的な負担を求め、それをもって、将来世代の負担を抑制するとなれば、年金受給世代から不満の声が出てくるであろう。あるいは、医療費の効率化を図るため、提供体制を改革すれば、病院、診療所、薬局などのなかから反発が出てくるであろう。誰にとっても丸く収まる改革などあり得ない。
そうした観点からすると、安倍政権が、真の意味での改革に向き合うのは、これからなのだと言える。では、安倍政権は、社会保障に関してどのような課題に取り組まなければならないのかを、3回にわたって考える。第1回目は年金改革を取り上げる。
にしざわ・かずひこ
日本総合研究所調査部上席主任研究員。1989年3月一橋大学社会学部卒業、同年年4月三井銀行入行、98年より現職。2002年年3月法政大学修士(経済学)。主な著書に『税と社会保障の抜本改革』(日本経済新聞出版社、11年6月)、『年金制度は誰のものか』(日本経済新聞出版社08年4月、第51回日経・経済図書文化賞)など。
アベノミクスによって、わが国がデフレを脱却し、消費者物価上昇率2%が確保され続けるならば、それは年金財政にとって福音となる。2004年の年金改正で導入されつつ、当初の意図に反し、今日まで全く機能していないマクロ経済スライドがいよいよ機能し出すためだ。マクロ経済スライドとは、いわば、インフレを利用し、政府が国民に負う年金債務を実質的に削減していく仕組みである。
もっとも、デフレ脱却に向けた取り組みと成否にかかわらず、早晩、安倍政権は年金改革に向き合わなければならない。デフレを脱却しマクロ経済スライドが機能するということは、例えば、個々の年金受給者にとって給付水準の低下を意味する。その影響度合いを広く共有した上で、必要に応じ低年金者対策など手当を講ずる議論が必要である。あるいは、デフレが続く場合に備え、マクロ経済スライドが機能するよう万全を期しておくことも必要である。
現時点、政府内において年金改革はほとんど課題として上っていないものの、2014年には、年金財政の定期検診ともいえる5年に1度の財政検証が予定されている。そこでは、新しい将来推計人口、経済前提のもと年金財政の将来像が更新される。この第2回財政検証が、そうした改革の1つの契機となり得るはずである。
デフレ脱却は
年金財政にとって福音
デフレ脱却、しかも、消費者物価上昇率2%は、年金財政にとって待ちに待った経済状況の到来といえる。2004年の年金改正で導入されつつ、当初の意図に反し、今日まで全く機能していないマクロ経済スライドが、それによっていよいよ動き出す環境が整うためである。マクロ経済スライドが動き出せば、段階的に年金給付水準が抑制されていく。給付抑制は、著しい高齢化が進むもと、現役世代から年金受給世代への所得移転である賦課方式を基本とする年金財政にとって、持続可能性を確保するために不可欠である。
マクロ経済スライドの仕組みを簡単におさらいしておこう(詳しくは「税と社会保障抜本改革入門」第4回を参照)。スライドとは、年金の給付額を改定することである。もともと改定の本則は、賃金スライド、物価スライドである。すなわち、前年の賃金上昇率、物価上昇率に応じ、翌年の年金額が改定される。具体的には、新たにもらい始める年金(新規裁定年金という)は賃金上昇率に、既にもらい始めた年金(既裁定年金という)は物価上昇率に応じてそれぞれ改定される。
マクロ経済スライドとは、こうした本則を一定期間棚上げし、本則に修正を加えて改定を行っていくことである。新規裁定年金の場合、(賃金上昇率−α)、既裁定年金の場合、(物価上昇率−α)で一定期間改定していくことにより、段階的に給付水準を抑制していくのである。αは正式には「スライド調整率」といい、0.9ポイントとしてしばしば言及されるものの、実際にはそうした確定値ではない。スライド調整率は、次のように定義され、毎年変化する。
スライド調整率=|被保険者の減少率実績値|+0.3 (||は絶対値)
例えば、2020年、30年、40年のスライド調整率は、それぞれ0.9、1.2、2.0ポイントと推計されている。ちなみに、定義から分かるように、GDP(国内総生産)やNI(国民所得)などといったマクロ経済指標とは直接的関係はない。
このマクロ経済スライドには、重要な「縛り」が加えられている。それは、賃金上昇率、物価上昇率からスライド調整率を差し引いてマイナスになった場合においても、マイナス改定はしない、すなわち、前年の名目年金額はあくまで維持することとされたのである(賃金上昇率、物価上昇率そのものがマイナスの場合、その分はマイナス改定する)。その背景は、マクロ経済スライドが確実に機能することよりも、2004年改正そのものの年金受給者の受け入れやすさを、政府が優先したためであろう。
こうした「縛り」がかけられているため、マクロ経済スライドは、デフレ下では全く機能せず、小幅な物価上昇幅では充分に機能しない。2004年改正時、物価上昇率1.0%、賃金上昇率2.1%という経済前提のもと、マクロ経済スライドは順調に機能していくと想定されていた。しかし、実際には、マクロ経済スライドは、今日まで機能せず、過剰な年金給付が続いている。それは想定以上の積立金取り崩しという形で、将来世代へのツケ送りとなっている。
マクロ経済スライドが
動き出した場合のインパクト
デフレ脱却によって、マクロ経済スライドがいよいよ動き出すとなれば、年金財政の持続可能性を高めるという観点から好ましい。翻って、個々の年金受給者の側に立てば、良いニュースではない。賃金スライド、物価スライドが棚上げされてしまうからだ。
賃金スライドがあるからこそ、新規裁定年金の水準が現役世代の賃金の伸びに追いついていくのであり、物価スライドがあるからこそ、既裁定年金の購買力が維持されるのである。マクロ経済スライドが動き出せば、これらは保障されなくなってしまう。それがいつ終わるとも知れず続くこととなる。
では、それはどの程度のインパクトであろうか(図表)。新規裁定年金を例にみてみよう。政府による最新の年金財政の将来推計は、2009年の第1回財政検証のものである。これに基づいて、将来の新規裁定時の年金給付額を計算し、現在の年金額と比較すると次のようになる。平均的な賃金で40年間、厚生年金に加入する男性サラリーマンを想定する。現在は、全国民共通に給付される基礎年金が満額で月6.6万円、報酬比例部分が月9.2万円、計15.8万円である。
2038年度には、「現在価値」に引き直して、基礎年金4.8万円、報酬比例部分8.4 万円、計13.2万円となる。2038年度とは、マクロ経済スライドの適用最終年限(すなわち本則の棚上げ期間の最終年限)として、第1回財政検証で想定されていた年である。とりわけ基礎年金が6.6万円から4.8万円へ1.8万円落ち込むことが目を引く。実際には、基礎年金も報酬比例部分も、より低い水準になるとみるべきであろう。
なぜなら、このような落ち込みをみせる額であっても、好調な経済のもとではじめて成り立つ計算であり、加えて、この間、積立金も減っていためである。第1回財政検証は、消費者物価上昇率1.0%、賃金上昇率2.5%、積立金の運用利回り4.1%などの経済前提を置いて計算されており、それによって、マクロ経済スライドは2038年度を持って終えることができる。実際には、こうした経済が実現するかどうかは分からない。
加えて、積立金もこの間、120.8兆円(2009年度末)から111.5兆円(2011年度末)へと約9兆円減ってしまっている。以上は新規裁定年金であるが、既裁定年金についても、マクロ経済スライドが適用されている期間、年金の購買力が低下し続けることになる。
このように、マクロ経済スライドが動き出すことにより、確かに、年金財政にとって福音となるが、では、社会保障制度として国民のニーズに適切に応えているのかといえば、疑問符がつく。特に基礎年金である。満額で月4万円そこそこの基礎年金では、「基礎」年金の名に国民が寄せる期待との乖離が著しいだろう。高齢者の貧困率も一段と高まるであろうし、現役世代にとっても、保険料納付インセンティブの一段の後退をもたらすこととなろう。年金財政の収支を合わせていくことはもちろん重要だが、他方、制度のあり方の議論が併せて必要となってくる。
デフレが続く場合にも備えを
将来世代へのツケ送り拡大回避
デフレ脱却に至らなかった場合も視野に入れる必要がある。デフレが続く、すなわち、これまで通りマクロ経済スライドが機能せず、積立金が想定以上にさらに取り崩されていった場合、そのツケは将来世代にしわ寄せされることになる。積立金を前倒しで使ってしまうということは、将来世代の一段の負担層・給付減を意味する。将来世代へのツケ送りを拡大しないよう、現在に生きる世代は、万全を期しておかねばならない。
具体的には、まず、マクロ経済スライドの仕組みにおいて、前年の名目年金額割れを許容するよう年金法を改めておくことである。次いで、それでも足りなければ、支給開始年齢の引き上げなど他の方策の組み合わせも必要となってこよう。これらは、野田佳彦前政権が進めた社会保障・税一体改革において、改革メニューのなかに当初掲げられつつ、法案化以前に、具体的な議論にも至らなかったものである。今度こそ、着実に議論が進められなければならない。
こうした改革の契機となるのが、2014年に予定される第2回の財政検証である。財政検証とは、5年に1度行われる年金財政のいわば健康診断であり、将来推計人口、物価上昇率、賃金上昇率、積立金の運用利回りなどに一定の前提を置いて、今後約100年間の年金財政の姿を推計する作業である。前回は2009年2月に行われ、前述の経済前提のもと、「100年安心」という言葉こそ使われなかったものの、実質的には100年安心が宣言された。将来推計人口は、既に2012年1月に公表されており、残るは物価上昇率などの経済前提であり、こちらは、厚生労働省の審議会で検討が進められている。
もっとも、「改革をする」という政治の意思がなければ、何事も始まらない。現在の年金法は、マクロ経済スライドが効いて年金給付水準が下がり過ぎそうな場合には、それを食い止めるための措置を政府に求めてはいるものの、現在のようにマクロ経済スライドが機能しておらず過剰給付が発生していても、その早期是正を政府に求める内容とはなっていない。政治がやると決めなければ、改革に向けた議論は動き出さない。
改革などされずやり過ごされるシナリオも考えられない訳ではない。第2回財政検証においても、アベノミクスが目標とする経済シナリオに歩調を合わせ、例えば、消費者物価上昇率2%(第1回財政検証時+1%)、賃金上昇率3.5%(同)、運用利回り5.1%(同)といった経済前提を置き、100年間の年金財政の将来像を描いて、「やはり100年安心でした」ということを確認して終わってしまうことともなりかねない。
安倍政権が年金改革を躊躇するとすれば、理由は複数想像できる。2004年に「100年安心」と宣言してしまった手前、10年そこそこで法改正などできない、それでは100年安心がウソになってしまう。年金受給者にとって厳しい法改正をすることで3000万人の高齢者を敵に回すことはできない。あるいは、消えた5000万件の年金記録問題など、第1次安倍政権の足を引っ張った記憶も脳裏をよぎるだろう。もっとも、政権は躊躇することなく、将来世代の利益を視野に入れ、改革に踏み出すことが求められている。
http://diamond.jp/articles/print/35132
第19回】 2013年4月24日 山口揚平 [ブルーマーリンパートナーズ 代表取締役]
お金が最強のコミュニケーション・ツールなのは
最も抽象的で匿名性が高いから。絶対に消滅しない
ゲスト:岩井克人・東京大学名誉教授【後編】
お金の登場によって社会はどのように変化してきたのか?そして、お金自体の存在意義や役割は時代とともにどう変化していくのか?東京大学経済学部名誉教授・岩井克人さんと、『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』の著者・山口揚平さんの対談は、いよいよ「お金とは?」というテーマの核心に迫る。
お金がなくても成り立った、かつての「贈与社会」
山口 お金を使うという行為が純粋な投機であるとは、かねてから先生が貨幣論において展開されてきた説ですね。
岩井克人(いわい・かつひと)1947年生まれ。東京大学経済学部卒業、マサチュセッツ工科大学Ph.D.イェール大学助教授、コウルズ経済研究所上級研究員、プリンストン大学客員准教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学経済学部教授等を経て、現在、国際基督教大学客員教授、武蔵野大学客員教授、東京財団上席研究員、東京大学名誉教授。著書に、Disequilibrium Dynamics(日経図書文化賞特賞)、『ヴェニスの商人の資本論』、『貨幣論』(サントリー学芸賞)、『二十一世紀の資本主義論』、『資本主義を語る』、『会社はこれからどうなるのか』(小林秀雄賞)、『資本主義から市民主義へ』ほか多数。(写真・住友一俊)
岩井 そうです。純粋な投機だからこそ、インフレが進んで将来的にその価値が下がっていくと予想すると、誰も受け取らなくなります。すると、いっそう価値の低下に拍車がかかるという悪循環が生じ、ハイパーインフレへと至ってしまいます。お金は純粋な投機ゆえに、こうした危うさを秘めているわけです。
山口 一般的にはあまり目が向けられていませんが、日頃から私は世界の実体経済の何倍に相当するマネーが供給されているのかを注視しています。実は、リーマンショック前には、通常の8〜10倍もの規模になっていました。そこまで達するとバーストして金融収縮が発生するわけですが、お金は交換価値が高いだけにしばらくすると再び増えていって、やがては実体経済を大幅に上回る規模まで膨らみ、またもやバーストしてしまう。その繰り返しになっていると感じるんですよね。
岩井 お金そのものと金融とは違うものだと私は思います。先程、株式のみならず商品先物取引や金融派生商品にしても、最終的には実需に結びついているという話をしたとおり、金融の場合は、必ずどこかで実体経済とつながっています。そして、あまりにも投機マネーが膨らんで実体経済とかけ離れた状況になってくると、バブルが弾けて実体経済に収れんしていきます。ところが、お金の場合は、実体経済のどこともつながっていないんですね。ですから、お金に関しては、自由放任主義は不可能で、中央銀行によるコントロールが必要になるのです。
山口 資本主義社会とは、お金でコミュニケーションを図る世の中なのだと私は考えています。そして、お金は史上最強の言語であるとも思っています。なぜなら、それは世界共通の数字によって表現されているからです。
一方で、値段だけで単純比較されがちだという弊害も抱えています。私が考える資本主義の1番の問題点は、世界があらゆるものを数字で評価するようになってしまったことです。たとえば、私が大切にしているこの手帳と、先生が長年の研究をもとに書かれた本の定価が仮に同じだったとします。たとえ同じ値段であっても、それぞれの本当の価値に対する評価は、おのずと人それぞれで違ってくるものですよね。でも、それら文脈をすべて無視して、お金という数字はあらゆる価値を「匿名化」してしまう、そうした特性がお金に対する根本的な嫌悪感にも結びついているような気がします。私たちが、物の価値や文脈を生で伝えるために、贈与経済的なものを志向するには、貨幣が持つこの「数字」という鋭利なメディア特性の弊害があるのではないでしょうか。
岩井 山口さんは若いからイメージしづらいかもしれませんが(笑)、私の両親や祖父母はまだ昔ながらの共同体社会の意識を持って暮らしていました。わたしは、その息苦しさから何とか抜け出したかった。
フランスの文化人類学者のマルセル・モースが代表著作の「贈与論」において指摘していたように、完全な自給自足は不可能です。人間とは必然的に他人と交換しなければ生きていけない社会的な存在であり、交換こそ人間の本質であるとモースは説いたわけです。未開の社会でも近代社会でも人間は交換してきた。
違いは、交換の形です。近代以前は「贈与交換」という形をとり、近代に入ってお金を媒介とした交換となっただけです。近代以前の「贈与交換」については、確か山口さんもご自分の著書の中で触れていましたよね。
山口 はい、お金の限界について指摘する際に取り上げました。「贈与社会」が現代に蘇ってくるのではないかという話です。
岩井 最初は相手にモノをあげて好意を示し、その恩に応えてお返しがあれば、またモノをあげるというやりとりが繰り返されていくのが「贈与交換」で、贈与が交換を生み出しています。お互いの信頼関係によって支えられているわけで、きちんと返さない人は「敵」とみなされる。ところが、お金が生まれると匿名性の社会に変わる。人々は互いに相手のことを知る必要がなくなりました。お金さえ払ってくれれば、見ず知らずの人であろうが異民族であろうが敵であろうが、滞りなく交換が行われるわけです。
山口 相手ではなくて、お金を信用している、ということですね。
岩井 正確にいえば、お金を支えている社会の持続性さえ信用すればいい、ということです。社会主義者であるモースは、そのような貨幣社会から贈与交換を取り戻したいと考えていたが、それはともかく、人間関係が希薄になって水臭くなり、貧富の差も生じる。だから、人間は本能的にお金が嫌いです。
人間の究極的な目標である幸せはお金では買えない…
山口 お金を通じた貸し借りと贈与による貸し借りを単純に比較すれば、効率性においては前者のほうが明らかに勝っています。けれど、お金の場合は数字を捉えるという脳内処理だけの判断となって、文脈を読み取ったり心を含めた身体感覚全体で受け止めたりすることが難しい。数字による交換という効率性を追求した結果、むしろ人間としては非効率な交換になってしまっているのではないでしょうか?
岩井 そうですね。人間は絶えず交換している生物で、コミュニケーションにしても言葉を互いにやりとりすることで行っています。お金が登場したことで、確かに「交換」は非常に容易になりました。最初のうちは金や銀を使い、そのうち国家の権威を後ろ盾にするようになって、最近ではほとんど記号だけのやりとりと化してきています。その結果、人間はつねに他人との接触を求めているにもかかわらず、交換の喜びが失われてしまった。円滑な交換のためにお金は生まれてきたわけですが、クリック1つで取引できる世の中となって、交換が交換とは自覚できないほど抽象化してしまった。大昔の交換とは、酋長を筆頭に島の住民全員が参加して盛大な儀式や踊りを繰り広げながら行われるものでした。お金の登場でこうしたものが失われてしまったわけです。
山口 お金が人と人との関係を希薄化してしまったということですね。
岩井 以前、堀江貴文さんが「お金で買えないモノはない」と発言してヒンシュクを買っていましたが、実はそれは産業資本主義に関しての意外と的確な表現でした。かつて産業資本主義の時代では、工場を建設し、機械を備えて大量生産を行えば大きな利潤が得られました。これらはすべてモノですからお金で買える。つまり、お金を持っている人が勝者になる時代だったわけです。
堀江さんはまだその古いイメージを語っていたのですが、今はすでにポスト産業資本主義の時代で、もはや機械制工業は重要でなくなっています。肝心なのは人の創造性で、ここで重要なことは、人はモノではないということです。人はお金では買えません。ということは、お金の価値が弱まり、お金を持っている人が投資先を失って右往左往しているのが現状なんです。それで、先進国の人びとは新興国の安い賃金に目をつけて産業資本主義の復権を図ったり、リスクをとって金融派生商品に資金を投じたりしているわけです。
山口 お金ではけっして買えない創造性に秀でた人にとっては、活躍のチャンスが拡がる社会とも言えますね。
岩井 そう、グーグル、そしてフェイスブックのようなソーシャルメディアがその典型ですね。こうした新しいメディアは人びとに共感を与え、交換活動を与えています。その結果、人びとはお金で買えない何かにしか価値を見いだせなくなり、それらをいっそう欲しくなっていくわけです。
山口 若い世代で優秀な人ほど、センター試験の足切りのような感覚でお金のことを考えている気がします。お金はある時点までは必要だけれど、これ以上の人生の価値は買えない、と完全に切り離して考えているんです。そして、人とのつながりや信頼関係、共感といったお金で買えないもののほうを非常に大事にしています。
確かに産業資本主義の時代に数字は非常に使いやすかったし、お金は脳で考える最強のメディアかもしれませんが、衣食住を維持するための最低限の出費を除けば、もはやその必要性は薄れてきています。お金に代わってどんな新しいメディアが僕たちの交換を支えるのか?僕自身、その解はまだ見つかっていないというか、すでにあるのか、それともまだ存在しないのかもよくわからないんですが、いかがお考えですか。
岩井 解がないということが、まさしく本質なのですね。お金が最強なのは、最も単純で抽象的だからです。電子マネーが象徴するように、ただの数字ですから。しかもまさにその匿名性によってどのような人間とも繋がる「自由」を与えてくれますから、絶対に消滅しません。
その一方で、人間の究極的な目標はけっしてお金で買えません。事実、古今東西のあらゆる文学は、お金で幸せは買えない、と訴え続けてきました。ただ、その真理を知るためには、最低限のお金で衣食住を満たさなければならない。新興国の場合はその最低限のお金にも窮してきましたから、まずはお金を稼ぐことに目が向いている。そして、一定の成熟水準に到達してはじめて「お金で幸せは買えない」という真理を知る。逆説的ですが、お金では幸せを買えないことを知るためにはまさにある程度のお金が必要なのです。日本人もかつての高度成長期に、しがらみだらけの共同体社会だった田舎から逃れ、豊かさを求めて上京してきたものの、都会の孤独の中でお金で幸せは買えないという文学を書き始めたりする……。
山口 面白いことに今はその時代とは対照的で、僕たち世代を中心に東京から地方へとどんどん散っているんですよね。そして、地方でまた新しい共同体を作ろうとしている。面倒な物々交換をやりながら、あえてしがらみを作っているんです。逆の動きが加速しているというのは、非常に興味深いですね。
先生、今日は非常に有意義なお話を伺わせて頂いて、本当にありがとうございました。
<新刊書籍のご案内>
なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?
これからを幸せに生き抜くための新・資本論
http://diamond.jp/articles/print/34865
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