07. 2013年2月01日 02:45:47
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【第9回】 2013年2月1日 佐々木一寿 [グロービス出版局編集委員] じつは、経済学は貧困問題が得意でもない!? 麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、上司や所長に叱咤激励されながらも、経済の現状や経済学について解き明かしていく連載小説。嶋野主任の甥・ケンジに経済学と経営学の違いを講義してきた前回までに引き続き、今回は、経済学で貧困問題を解決できるか?を考えます。(佐々木一寿)「どうすれば貧困を解決できるのか…*1。うーん。。。」 *1 第8回、註4を参照。経済学の基礎を作った立役者、アルフレッド・マーシャルのその動機は、なぜ貧民街で貧困に喘いでいる人たちがいるのか、という疑問にあったという。cf. Grand Pursuit: The Story of Economic Genius’,Sylvia Nasar 2011 ケンジは、叔父の嶋野主任と末席研究員による漫才仕掛けの講義のせいで、どうやら当初の「おカネ儲けに役立つか」という目的をすっかり見失ってしまったようだ。 完全雇用は理想か現実か… 末席は、ケンジが自分のペースに乗ってきていることを確認しつつ、ケンジをさらに一歩、経済学側に引き寄せるべく誘導を試みる。 「人間、どちらかというと貧困に陥らないほうが幸せそうですよね。それを実現するためにはどうすればよいのでしょうか」 「うーん。まあ、贅沢をいえばキリがないとして、ある程度のおカネが定期的に得られれば*2、なんとかなりそうな気がします」 *2 やや経済学的に言うところの「所得等の安定した状態」 わが甥は、なんと経済学的なセンスに溢れているんだ。嶋野は目尻が緩みそうになるのを、必死に我慢している。 末席は、ヤレヤレと思いながらも、嶋野の反応を肯定するように続けた。 「そうですね、定収がある程度あれば、貧困で困るということは少なくなりそうです。では、それはどのようにすれば可能になるのでしょうか」 「当たり前すぎるかもしれませんが、僕ならとりあえず、バイトします*3」 *3 やや経済学的に言うところの「自由(自発的)な求職活動」 お小遣いを多くしてもらうという選択肢を選ばなかった甥を、嶋野は誇らしく感じているが、一生懸命それを隠そうとしているのか、表情がぎこちなくなっている。末席は、いちいち気になるリアクションをする嶋野を、極力気にしないように努めながら続ける。 「なるほど。ケンジさんはしっかりされていますね。ところで、今はいいバイトはありますか?」 「うーん。すごくいいバイトっていうのは、今はあんまりないのかな。サークルの先輩がそう言ってました。時給はあまり高くないですけれど、バイトの面接をパスするのがすごく大変、ということもない感じですかね」 「では、ケンジくんはバイトをしようとすればできる状況なのですね*4。ちょっとおカネが必要になれば、アルバイトをすればなんとかなる」 *4 やや経済学的に言うところの「雇用の安定」 「はい」ケンジは現在、知り合いの家の家庭教師と、シアトル系カフェ*5のアルバイトをしているという。 *5 シアトル系カフェの代表格として、たとえばスターバックスコーヒーがある。 「ただ、ケンジくんは有名大学の学生だし、見た目もいいからアルバイト探しに苦労していないのかもしれない」 「えっ、でも、みんなそんな感じなんじゃないんですか。でも、違うのかな…」 ケンジは知り合い達の状況を思い浮かべながら答えた。 「たとえば、私がシアトル系のカフェでアルバイトしようとしたら、断られるかもしれない。また、家庭教師を頼んでくれる知り合いもいない人も多いかもしれない」 「うーん。でも、もしそうだとしても、アルバイトは他にもあるし*6、できるところでやればいいんじゃないでしょうか…」 ケンジは、末席の質問の意図を測りかねているようだ。 *6 やや経済学的に言うところの「労働市場の整備」 「まさにそうかもしれない。人によって、職に就きやすい/就きにくいということがあるかもしれませんが、努力をすれば必ずバイトは見つかる*7かもしれませんね」 末席はまたしてもクセ球を投げる。 *7 やや経済学的に言うところの「完全雇用の状態」 「うーん。でも、ちょっとまって、怪我や病気で動けなくなったら、かなり大変そうですね*8。雇う方も、そうならなさそうな人のほうがいいかもしれないし、条件もより厳しくなってしまうかもしれないですね…」 *8 やや経済学的に言うところの「非自発的失業の発生」 ケンジくんはなかなか、心優しい青年のようだ。末席は感心して続ける。 「もし、そういう人がいたら、その人はおカネをもらうのが難しくなってしまうかもしれませんね。自分ではどうしようもないかもしれない」 経済学の歴史的な逡巡―リバティか、リベラルか もはや叔父バカぶりを隠しきれていないが、本人は隠しているつもりの嶋野は言った。 「資産家であれば、しのげるのかもしれない*9がね…」 *9 いわゆる所得等の定収<フロー>以外の、資産<ストック>の充実。財産にはストックとフローがあり、たとえば課税するときにどちらにすべきか、といった議論の前提となる ケンジは即答した。 「ただ、僕みたいに資産家でない人にとっては、けっこう大変そうな気が…」 お財布を探している嶋野を尻目に、末席はケンジの言を受けて答えた。 「ある程度の資産家は、貧困の脅威をあまり感じにくい、と言うことはできるかもしれませんね。また、自身の能力に自信のある人もそうかもしれません。このような人たちは社会的には強者ですが、じつは貧困の問題を過小評価してしまうかもしれない。逆に、資産家でもなく、ハンディキャップを負っている人は、つまり社会的に弱い人のほうが、貧困に敏感で、実際にそうなりやすいかもしれない」 嶋野はケンジに促すように言った。 「貧困をなくすという目的で経済学を見るならば、どちらの視点のほうが、より重要になりそうだろうか」 「それは、後者のほうが切実なぶん、その意見を聞いたほうがいい気がしますね…*10」 *10 社会保障の拡充を重視する立場。第8回の説明における社会(社民)主義的立場に近い 末席はそれを受けて続ける。 「でも、それは社会的強者からは『怠け者の甘やかし論理』だと思われるかもしれない*11。怠けているから、貧困なのですよ、と」 *11 自由競争を重視する立場。第8回の説明における自由主義的立場を標榜 ケンジは眉間にシワを寄せながら答えた。 「うーん。難しいなぁ。そう思ってしまう人もいるだろうし。ただ、本当に困っている人もいるだろうし…」 「その逡巡は、経済学の歴史的な逡巡でもあります。自己責任によるべきなのか、不平等を是正するべきなのか*12」 末席は経済学の歴史の重みを込めて言っているつもりだが、いまいち貫禄が伴っていない。 *12 リバティ(自由主義)vs.リベラル(社民主義)。語源が一緒で言葉も似ているが、その政治経済学的立場は大きく違う、という典型例 「まあ、どっちもあるよね。ただ、どっちがより切実かという点で、どこまでを自己責任として、どこまでを寄付なりで救済するかというさじ加減は、先の米国大統領選*13ではないが、いまにも続く経済学の永遠のテーマのひとつなんだよね」 *13 各人の主張にかなり幅があるので一概にきちんと分けられるわけではないが、おおまかにいうと共和党・ロムニーが自己責任を問う立場、民主党・オバマが不平等是正の立場 ああ、結論を先に言っちゃうなんて。甥を助けているようで、じつは甘やかしているのではないか。私はバリバリの自由主義者でもないが、ヤレヤレだぜと末席は嘆息した。 ※a tribute to ‘On Economic Inequality’,Amartya Sen,1973(『不平等の経済学』アマルティア・セン著) ■GLOBIS.JPで人気の記事 ◇地元自治体の協力を引き出すネゴシエーション ◇LIXILグループCEO藤森義明氏 グローバル企業への変革とリーダーシップ ◇「運転資金」から読み解くプラスチック部品メーカー中国現地法人の営業担当・星田の悩み このコラムはGLOBIS.JPの提供によるものです。
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