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日本語で、エリートという言葉には、嫌な響きがある〜旧陸軍の杉山元元帥は、凄みがある端倪すべからざる能史だという/佐藤優
「君たちが知っておくべきこと〜未来のエリートとの対話」佐藤優/新潮社‘16年から
≪あとがき≫
日本語で、エリートという言葉には、何となく、嫌な響きがある。私はロシアで中立的な意味でエリートという言葉を日常的に用いるのを目のあたりにして驚いた。それぞれの分野のエリートは、それぞれ別の才能を持っているので、どのエリートがいちばん偉いかという発想がロシア人には気迫だ。
これに対して、日本語の日常的な用法で、「あいつはエリートだからな」、「エリート意識が強い人だ」というとき、間違いなく、否定的なニュアンスがある。さらにエリートと学歴が、ほぼ一体化されている。
山内昌之氏によれば、嫉妬をうまくかわしたエリートは、旧陸軍の杉山元元帥だという。自分の本当の力や真意を外に出すと必ず嫉妬の視線にさらされる。戦前の日本陸軍で、一貫して出世コースを歩んできた人間の一人に杉山がいる。
杉山元帥は、能力を決して表に出そうとはしなかった。同僚や部下の青年将校から、「ボケ元」や「クズ元」のあだ名が捧げられたほどだ。また、「ドア」というあだ名もあった。強く押すと開く。部下が強硬に迫れば要求が通るからである。ひどいのは「便所の戸」という言い方もあったらしい。陸軍兵舎の大便所は、押せば内と外の両側へ開くようになっていたようだ。つまり定見がなかったというのだ。
陸軍には杉山を警戒する人間は少なかった。
しかし「ボケ元」はそれほど単純な男ではない。自分を陸相から罷免せんとする近衛らの策謀を、ちゃんと知っていたからだ。近衛の真意を読み空とぼけながら政治状況に対応していったあたりに、、なのだ。もっとも、軍の権力者がこの程度の保身術でで昭和の激動期を生き抜けたのだから、日本がダメになったともいえよう。
日本の社会では、すぐ圭角(けいかく)や感情を出す人物は絶対に出世できない。杉山の茫洋とした態度は、すべて緻密な計算の上であった。それでいて勝負に出る度胸もあった。杉山は、石原莞爾を中央から追放し復活させなかった立役者のひとりである。
杉山のように、粘り強くハラを見せない人間は、現代のわれわれの周りにも必ずいるにちがいない。
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