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(回答先: 中矢伸一『日月神示』のシリーズも再読し始めた。何度読み返しても汲み尽くせない深遠なコンテンツと思う 投稿者 仁王像 日時 2019 年 10 月 05 日 08:52:38)
「日本はなぜ神道なのか」中矢伸一/KKベストセラーズ‘08年
序章 真性神道とは何か
・一神教思考では、もはや人類の直面するさまざまな問題に対処できずない。そこで、いま注目すべきなのが、古来からわが日本国に存在した「神の道」−神道−である。日本人が天性として備えている霊的感受力から生み出された神道にこそ、人類を永遠の繁栄に導く“カギ”が隠されているのだ。
・日本神道の何たるかを語るには、まず、黒住教、天理教、金光教、大本教、そして『日月神示』の発生を、真の神道復活の動きと捉え、見直すことから始めねばならない。
・現在、さまざまな面において深刻な問題を抱えて苦しむ人類社会の窮状を救うには、根本的な改革が必要であること(が)指摘されている。
根本的な改革とは、人類の意識や価値観そのものを、根底から改めるということである。そのためには、宗教や思想、哲学などを超越した、より次元の高い指導原理の確立が早急に求められる。
・神社神道と国家神道が一体となったのち、別派独立した、この教派神道発生の動きのなかにこそ、真の神道の復活を示す“胎動”が現れていた。これに気づく者は誰もいなかったが、数千年の長きにわたって封印されてきた本当の神の息吹が、江戸時代末期の頃より、この日本列島に蘇り始めていたのである。
≪三種類の守護神と正流・外流≫
・守護神には、「正守護神」「副守護神」「本守護神」の三種類があると言われる。
つまり、その人の精霊(霊魂)が、高度な霊界からの直流的な正しき流れを受けるときは善なる霊、正守護神となり、本来神より天国の御用に奉仕する目的で与えられた肉体の正しき主となる。一方、低級な霊界からの歪んだ外部的流れを受けるとき、その人の精霊は悪霊、副守護神となる。
この副守護神の影響に振り回されることなく、よくこれを統御できるようになれば、その精霊は一躍して、本守護神となり、天人の列に加わることになる、というわけである。
これら三つのタイプの守護神は、自分とは別個の外部霊のことを指しているわけではなく、霊的自分の進化の段階と考えて良い。
≪「真の神道」にもとづく生き方≫
・真の神道とは、すなわち真の神憑りに至る道であると言っても過言ではない。真の神憑りとは、正守護神としての霊的自分に回帰することである。そのためには、常住坐臥において神を中心としたまっとうな生き方を貫くことである。
≪神道における教義とは…≫
・神道のなんたるかを知るには、「正守護神」の発動がなければならない。神界からの直接的な想念の伝達、すなわち正流(内流)を受けることなくして、真正なる神道の本質の開示を得ることは不可能である。
≪真の神道における「神」…≫
・神道について、自然霊をすべて神と見る原始的なアニミズム信仰から発展したものと考える人がよくあるようだが、この見方は根本的に誤っている。多神教でもなく一神教でもない。
キリスト教では、宇宙は神の創造物であり、神は宇宙の外側にある二元論だが、真の神道とは、この点が決定的に違う。
神道の絶対神は、御自分とは別なところでこの世を創ったのではなく、御自分の内部に、宇宙そのものを産み給うたのである。宇宙は神の体内に収まっている。よって、この宇宙は、どの部分を切り取っても神の身体の一部ということになる。
また、この神は無限に「分霊」する。人間はみな、神の直接の分魂をいただいているのである。
≪なぜ神道には戒律がないのか≫
・真の神道では、神と自分が分離していない。正守護神に回帰し、正流をつねに受けるような自己となれば、神氣体に満ち、神と我は一体となる。すなわち、「内在の神」となる。このような信仰の段階に至れば、戒律や律法は不要となる。あるのは、ただ歓喜のみである。なぜなら、神とは歓喜そのものだからだ。
・これが真の神の道である。神道とは歓喜の道であり、歓喜に戒律や裁きはない。
≪神とは「一神則多神則汎神」なり≫
・神とは歓喜そのものであり、宇宙は弥栄の法則と秩序により、呼吸をしている。その一部は、われわれ人間の目からは、確かに人格神や人霊として顕れることもある。これもまた一神則多神則汎神の原理である。
≪万民に等しく敷かれた神道≫
・神道とは、日本民族が考え出したものではなく、あるいはどこか他の民族が日本に持ち込んだものでもない。それは一言で言えば、天地剖判(ほうはん)の当初から弥栄発展の道として定められている、宇宙の絶対法則・秩序のことである。
よって神道は、日本人のみに適用されるものではない。国谷民族を問わず、万民に等しく敷かれたものである。
ではなぜ、日本に神道があるのか。それは日本が世界の霊的中枢であり、世界の「雛形」であるためだ。
・われわれ自身が率先して神氣を受け、光り輝いて見せるからこそ、他の国の人々が、さまざまな宗教や民族性の違いを超えて、これに倣うようになるのではないか。そのために、一人ひとりが神の道を実践することが肝要となってくるのである。
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