http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/632.html
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(回答先: 人は体術の心得がある方が、前頭葉三寸思考に堕ちらず物事の本性を直に察知する力が涵養されるのではないか 投稿者 仁王像 日時 2018 年 8 月 19 日 07:39:26)
人は自然体で生きて行ければ、それが一番だと思う。
ノモンハンで「敵を知らず己も知らず」戦ったのは日本陸軍だった。
人も”己を知らず”生きて行こうとするといろいろ不都合な事態になろう。ここでも途中から急に逆上したり、最初から逆上して現れたり…戦場なら討ち取られよう。
”己を知る”ということは意外に疎(おろそ)かにされているのではないかと考えるようになった。己の内面を静かに観察し客観視できれば、判断を間違うことも少なかろう。自分に変な縛りをかけ力んでそれに足を取られたり、身の程を知らないがゆえに過負荷をかけて悪足掻きしたり、といろいろある。己の何たるかを心得るということは生易しいことではないのかも知れない。
人には個性が有り、能力・資質も多様である。一様で個性がなければ面白くも可笑しくもない世界になる。自分を買い被ったり、その逆に不必要に卑下したりと本来の自己からかけ離れる。
己の生来の資質を伸び伸びと自然に顕現できれば、心身の健康にもつながりそれが一番良いと思う。相互のコミュニケーションも格段に向上する。
(補)ここでも虚勢を張る奴らも時々見かけるが、彼らは”己を知らない”というよりも逆に知っている者も含まれる場合もあるのではないかと思う(比率は小)。知っていながら自然体で振舞えないのは、人間性の複雑さ、としか言いようがない。
・http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/588.html
>われわれもこの場をお借りして何事かを語る時、自然体を心がけたいものと思うのである。
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