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《表紙扉の文言》
イスラームと欧米の原理は、もはや「お互いを理解し合い、共約することは不可能である」という前提に立ち、これ以上の犠牲を避け、共存をめざすために「講和」を考える段階に来ている…中東研究の第一人者とイスラーム学者が、その理路と道筋を、世界に先駆けて語り合う。
序章 世俗主義と「イスラーム」の衝突
《テロ事件と加害者としてのフランス》
内藤 2015年1月のシャルリー・エブド事件に続いて起きた11月の「パリ同時多発テロ」事件から始めましょう。
中田 なぜフランスが狙われたのか、歴史を遡ればイスラーム側からはいくつもの説得力のある理由が考えられます。
かつてオスマン帝国を勝手に分割したサイクス=ピコ協定(1916年)ですね。フランスとイギリスはそれぞれ多くの植民地を支配していた。
イギリスは現地の習慣、制度を温存するやり方でしたが、フランスは建前では自由、平等、同胞愛の理念を掲げながら、イスラアームの人たちを平等に扱わないどころか、ひどい虐待を行っていました。それで失敗したわけですが、その典型例がアルジェリアです。1950年代の独立戦争では100万人近くの人が死にました。
内藤 「自由、平等、同胞愛」という「普遍的価値」を掲げながら、実質的にムスリム移民は構造的に差別され、冷遇されてきた経緯があります。
中田 そうですね。さらに、2013年のマリへの軍事攻撃もあります。
…「テロ」という言葉は自陣営の暴力を正当化し、負の歴史を隠蔽するために、対立する側の暴力に犯罪的なイメージを与えるアンフェアな言葉で注意が必要です。
次に「ライシテ」というフランスの大変厳格な世俗主義、がある。もともとフランスの近代化はカトリックを主要な敵として極端な正教分離の原則を推し進めてきたのですが、現在では敵対相手がイスラームに代わっている。
内藤 そうですね。20世紀末にムスリム移民が入ってくると、この世俗主義の標的がイスラームに変わった。それ以来ずっと…。
《ISが在仏ムスリムに迫る二者択一》
(事件後のISの声明は、クルアーンの文言を使って明らかにフランス国内のムスリムに呼び掛けていた。ムスリムの人たちにヨーロッパ側につくのか、自分たちにつくのか、二者択一を迫っていた、と中田、内藤)
《フランス型世俗主義への警告》
内藤 実際今も、フランスは世俗主義の原則を盾に、イスラームに対する差別を明らかに行っている。その典型例がムスリマ(スカーフやヴェール)の禁止令。あれは髪をさらすということに性的収差心を覚えるなら隠す、という女性の身体に対する意識の問題。なぜ剥ぎぎ取ろうとしないと気が済まないのか。いささか常軌を逸していると思うのです。
中田 ムスリムにとって、その教えは生き方そのものなのです。それが理解してもらえない。フランスは個人主義の国だといわれているが、実際は全体主義的な国ですね。
内藤 この問題に関していえば、フランスは全体主義的です。
中田 それなのにフランス人は、自分たちこそ個人主義だと思って疑いもしないから恐ろしいのです。
内藤 同胞愛を日本では「博愛」と訳されているが違う。身も心もフランスに捧げ同化すれば「兄弟の契り」で同胞として受け入れるが、宗教を表に出した場合は即座に出ていけ、ということになる。
中田 ドイツもある意味では全体主義的な国ですが、フランスとは違っていて、ムスリムとして「差別は受けるかもしれないが、我々の国に同化せよ」とは言わずに放置してもらえるだけ、フランスよりはましかもしれません。
《非対称な世界―欧米の暴力は正当でイスラームの暴力は「テロ」?》
(略)
《強固な差別の中でむしろ深まって行く信仰》
(略)
《ISの背景―新たな「サラフィー・ジハーディ」が生まれやすい理由》
(略)
《対話ではなく講和を》
中田 まずは迫害されている人に逃げ道をつくるための緊急措置を講じることが大事です。せめて状況を悪化させないための方途を考える必要があると思います。
内藤 空爆はIS殲滅の効果が薄く、むしろ過激な人間を各地に拡散させてしまう。
中田 イスラーム法学者として言いますが、イスラーム法の文脈においては、今なお西欧とも「講和」という方法を探ることは、理論上は問題なく可能です。
お互いの価値観はもはや「共存不可能」で、理解し合うことはほぼ不可能である、という前提に立って、文化や価値観の差異を認識し、妥協点を見出しながらの共存の道を探っていくしかないのではないかと思います。
ISのような組織がなぜ生まれたのか、その要因に西欧の差別的な優越感がなかったか、ISの成立要因を改めて見極め、イスラームのロジックを参照して対処を考えなければならないと思います。
《世俗主義と宗教の軋轢をどう和らげるか》
内藤 今のヨーロッパにおけるイスラーム・フィビア(イスラーム嫌悪・恐怖症)の問題も同じで、あれは主としてキリスト教徒とイスラームとが争っているのではなく、「世俗主義」と「イスラーム」が争っているのです。フランス程でなくても、西欧諸国はすでにかなりの範囲で政教分離しっていて、世俗主義の空間になっている。「公共の空間に神はいてはいけない」と西欧諸国が言っても、その論理はムスリムに通じません。
フランスでは、問題は深刻な事件が起こるところまで行ってしまいました。つまりお互い「共約不可能」である。ところがフランスは「啓蒙圧力」で無理やりイスラームを従わせようとする。それはもう無理だろうと気づくべきだと思うのです。
【出展】「イスラームとの講和〜文明の共存をめざして」内藤正典・中田孝著/集英社新書
- 和平会議でもタリバン上洛(来日)を実現させたカタールの存在感/内藤、中田 仁王像 2017/7/13 20:00:16
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