http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/396.html
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(回答先: Re: 落胆するには及ばない。旗色を鮮明にすれば、問題は基本的に解決する。 投稿者 仁王像 日時 2016 年 8 月 12 日 20:01:35)
(デモクラシーの反対がシオクラシー)
・http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/155.html
(抜粋)
正常だった頃の副島隆彦は次のように指摘する。
<国民主権という不可解な虚妄>
・日本人はdemocracyを「民主主義」などと訳して、わかったつもりになっている。なぜdemos-kratiaが「民主」の「主義」などであろうか。Demosとは民衆、貧乏人大衆のことである。Kratiaとは、制度、体制、支配のことである。ゆえにデモクラシーとは「代議制民主政体」(民主政)と訳さなくてはいけない。即ち、国民の大多数である貧乏人大衆が、自分たちの代表を選び、その者に権力を握らせる政治体制のことである。民主政もまた冷酷な支配体制(政治体制)の一種なのであって、「無条件に素晴らしい」ことなどまったくないのだ。
主権なるものは、もともとは国王にある。国王が領土も民衆もすべて自分のものにしていたのである。ところが、民主政では、代表者が主権(権力)を握るのだ。日本の学者は、「国民主権」などという話を頭から信じ込んでいる。とんでもないバカたちである。保守派の人々までが、「国民主権」などという、外国では通用しない言葉を信じている。権力とは、民衆の代表者が持ち、行使するのである。そして、もしこの代表者が間違った政治を行い、国家と民族を危機に陥れた場合には、民衆がこれを引きずり下ろして殺す。これがデモクラシーなる政治体制なのである。だから、デモクラシーも、民衆に対する支配体制の一つなのだ。そして、このデモクラシーの対立概念は何かというと、それはシオクラシーtheocracy(神権政治)なのである。
『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』副島隆彦/講談社α文庫‘04年
『田中角栄の遺言』小室直樹/クレスト社 H6年から抜粋
第5章 デモクラシーとは何か
<デモクラシーと独裁制は矛盾しない>
デモクラシーとは何か。「民主主義」というのは答えにならない(訳しただけ)。
デモクラシーの反対は何か。多くの日本人は「独裁主義」なんて答える。とんでもない。民主主義独裁というのだってある。これはギリシャやローマの政治学者が充分に研究したことで、いちばん簡単なのは、委任独裁という形態。国が危急存亡の危機に陥ったとき、有能な人に独裁権を与えて、国を救ってもらう。これでローマでもギリシャ諸国でもずいぶん危機を脱している。委任独裁はデモクラシーと矛盾しないというのが、政治学学者の結論。
最近の例としてはヒトラーが政権をとった頃、欧米諸国ではヒトラーのやっていることはデモクラシーではないと批判した。けれどもドイツの学者は、これだって立派なデモクラシーだと反論した。ドイツ人の総意によって、ヒトラーは独裁権を握ったんだ。その度に国民投票を行っているではないかと(四年間の時限立法、全権委任法ができて独裁権力を掌握した)。
<デモクラシーの反対はシオクラシー>
デモクラシーには平和主義のデモクラシーもあれば、軍国主義のデモクラシーだってある。スパルタなどは典型的な軍国主義のデモクラシー。
語源的にデモクラシーの反対は何かというと、シオクラシー。神聖政治である。「デモ」というのは人という意味だから、極端に言えば、神様が政治と関係なくて、人間が行う政治であれば、専制王制であろうと貴族政治であろうと、民主政治であろうと、みんなデモクラシー。その反対が、シオクラシ−。
シオクラシーの例を挙げれば、(古代)独立をしていた頃のユダヤ人。ソロモン王とかダビデ王の時代は、王様が大きな権力を持っていたけれども、根本的にはシオクラシーである。なぜかといえば、どんな専制国王だって、預言者に叱られれば縮み上がった。
- Re:デモクラシーが万全でないように、おそらくシオクラシーも万全ではない。どちらをとるかはその地域の住民の総意が決めるべ 仁王像 2016/8/13 06:12:26
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