http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/371.html
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近代共和制を実現した諸国民と日本国民との間には、社会的背景意識に明瞭な違いがある。
一例を上げるなら、日本の派遣や過労死に至る労働者が経験してきた抑圧は、この国特有のものだ。
ワタミの経営者らは徴兵制支持者だが、その理由を、人に上下があることを教えるためと明言している。
この国の庶民から権力者までが暗黙の前提としている意識の基底には、歴史的な民族の形成過程で、常に漬されてきた世襲的階級制があるが、今日の共和制は、その克服の上で成立してきている。
諸国民は雇用関係を単なる契約と考え、雇用者と被雇用者の双方が、階級的前提を意識に付帯することはない。
そのため、一歩契約関係から出れば、人間関係にその延長を持ち込む事を許さないのが市民社会だ。
だが、日本国民は異なる。
此処でも「上級国民」という語が平然と使われているが、そこには個人の限定性を超えた恒常的社会前提が見て取れる。
その構造的原因を、階級制を『統合の象徴』とし、その古さを自賛している民族的特殊性に求めることができるだろう。
雇用、教育、家庭生活の隅々に至るまで、他の諸国民にはない階級意識が生命を抑圧してきているのだが、
今、注目すべきは、放射能汚染の蔓延に、この民族的宿痾が如何に作用するかということだ。
勿論、その前線は福島の地域社会となるが、民族体質である暗黙の階級的抑圧と統制がエートス政策に重層する時、
それがよりグロテスクに変容するすることを予想するのは難しくない。
すなわち、世界の他にはない、賃労働者が過労死する日本的力学とメンタリティーのエートス・バージョンだ。
食べて応援も、『国民統合』の正に発露と認識すべきで、それ故にこそ、外国人には理解不能なのだ。
既に、上の予兆は、福島から日本全土に染み出してきている。
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