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(回答先: 一神教のGod(神)は、人間ではない。人間を「創造」する、だから人間は神の所有物(奴隷)/橋爪大三郎 投稿者 仁王像 日時 2016 年 3 月 05 日 15:59:44)
第3部 いかに「西洋」をつくったか
≪イスラム教のほうがリードしていた≫
大澤 大づかみな印象ですが、キリスト教よりイスラム教の方が明快だし、首尾一貫性が高いように見えます。
橋爪 大事な点です。宗教的な首尾一貫性でいうと、イスラム教とキリスト教が競争したら、イスラム教のほうが信者獲得は容易でしょう。
キリスト教の優位については、キリスト教徒が、自由に法律がつくれる点だと思う。
≪なぜ神の存在を証明しようとしたのか≫
大澤 ぼくがよくわからないのは、中世の神学者・哲学者が神の存在証明に熱中したことです。彼らにとって、神が存在することは証明の対象ではなく、前提ですよね?
橋爪 なかなか、難しい問題です。存在証明は、これを信仰なしでやろうとするから、過剰な野心なんですね。なぜ、哲学の問いが、存在の問題に集中するのか。…哲学が神学から分離すれば、神を存在の根拠にできなくなる。となれば、神に代わって、理性が存在を根拠づけなければならなくなる、のではないかな。
≪世俗的な価値の起源≫
大澤 主権とか、人権とか、近代的な民主主義などは一般に、宗教から独立の、あるいは宗教色を脱した概念だと見なされている。実際、イスラム世界のどこかの国が、イスラム教に忠実な制度や政策をとると、西洋をはじめとする諸国は、神権政治のようなものはダメだ。人権や民主主義といった世俗の価値を優先させるべき、と批判する。しかし、こうした宗教色を脱した概念自体が、実はキリスト教という宗教の産物なのではないでしょうか?
橋爪 そのとおりです。いま言った、主権や国家の考え方はみな、神のアナロジーなんですね。近代国家はみな立法権を持っているが、立法権を持っているのは神のアナロジーだからです。
人権も、神が自然法を通じて、人びとに与えた権利という意味がある。神が人間に与えた権利を、国家が奪うことはできないから、そのことをはっきり、憲法に人権条項をつくって書き込んでおくのです。
≪無神論者は本当に無神論者か?≫
大澤 こう考えてくると、無神論とはどういうことなのか、よくわからなくなります。橋爪さんは、「宗教とは、行動において、それ以上の根拠をもたない前提をおくことである」、と独特の、証明されざる前提みたいなものを置いている。宗教をこのように広く捉えると、本当の意味での無宗教とか、無神論というのは、ほとんど不可能なのではないかと思ったりもします。
橋爪 日本人の考える無神論は、神に支配されたくないという感情なんです。もしそれを無神論というなら、日本人は無神論が大好きです。日本人は主体性が大好きで、カミが大勢いれば、カミひとりの勢力はそのぶん削がれる。主体性が発揮しやすい。神道がカミの像をつくらなかったのは、拝まなければいけないから。だから、神道はカミの像がないんですね。
≪キリスト教文明のゆくえ≫
大澤 これまでの「西洋」に由来する「近代」にも限界や問題があることが、西洋自身によっても、その外部にあって西洋を受け入れてきた人たちによっても、明確に自覚されていることではないか。環境問題やエネルギー問題にしても、あるいは民族や宗教の間の深刻な紛争や戦争にしても、あるいは資本主義が生み出した格差の問題にしても、西洋=近代の限界を示唆している。
そういう中で、キリスト教に下支えされてきた文明がどのように変容していくか。乗り越えていかなければならないのか。それが次の主題ですね。
【出典】「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎×大澤真幸/講談社新書‘11年
- 近代における天皇は、キリスト教の神と同じ構造を持っていた。これによって日本国民は“神である天皇の前では皆平等”となった 仁王像 2016/3/06 10:36:48
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