>>13 仏教というのは権力迎合の悪質な宗教ビジネス 釈迦の教えとは全く違うものだからね:小乗仏教も大乗仏教も釈迦の教えに反するインチキ信仰 世に広まっている誤解に、釈尊は「六道輪廻」から解脱することを説いた、つまり生まれ変わりからの解放を説いたというものがあります。 しかし実は「輪廻」も「解脱」も元来、古代インドの支配階級だったバラモンの考えで、それらを含む思想が釈尊と同じころに『ウパニシャッド』という文献にまとめられてきますが、それは釈尊のとられる考え方ではありません。 それどころか、それらを批判していったのが釈尊でした。 そもそも釈尊の当時は、正統的なバラモン思想に対抗する一連の革新的思想家が出てきた時代です。
かれらは沙門(しゃもん=努力する人)と呼ばれ、釈尊もその中の一人でした。 釈尊の師であったといわれるアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタもそうですし、ジャイナ教の始祖ヴァルダマーナなど、「六十二見九十五種」という言葉もあるように、何十何百もの方々がさまざまな教えを説いていたといわれています。 その中にも生まれ変わりを否定する人はたくさんいたのですが、釈尊がそれを否定した仕方はきわめて簡単です。 生まれ変わりという考えは、われわれが常住不変・永遠不滅の「我」(霊魂のようなもの)を持つということを前提としますが、釈尊はそのような「我」はないと言われたのです。 趙樸初『仏教入門』(法蔵館)の記述にしたがえば、釈尊はわれわれも含め生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。 そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。 ただし、釈尊が冷静に学問的に研究した結果、そういう結論に達したのかどうかは微妙です。むしろ、輪廻という考えを否定するという動機にしたがってそう考えたと見ることもできます。 というのも、ここは非常に大事な点ですが、釈尊を含む革新的思想家たちがバラモンの教えを批判するのは、それがバラモン支配の社会を支えるための教え(今ふうに言えばイデオロギー)だったからです。 たとえば、輪廻という考えは厳然としてカースト制を支える教えとしてあります。 つまり、現在バラモンであるものは前世によい行いをしたからであり、反対にシュードラにあるものは、前世でわるい行いをしたからであり、来世でよい境遇に生まれたければ善いことをせよというわけですが、その善悪の基準とは、つねにカースト制を含む社会が存続するのに都合のいいものです。 善を行ない悪を行うまいとして道徳を守れば守るほど、一方では安逸を貪り、他方ではいかに努力しようとも悲惨な状況から抜け出すことの出来ない階層が存在するという状況が続くわけです。 これだけでも皮肉ですが、しかも、悲惨な状況にある者は、その状況を自分の前世の行いからくる運命のように受け入れて生きていくしかないと思いこんでしまうという点で、二重に悲惨なのです。 要するに、輪廻は身分差別には当然の理由があるんだという「こじつけ」として機能していたと考えることができます。 ですから、釈尊が輪廻を否定し「四姓平等」(四姓とは、バラモン:司祭者・クシャトリヤ:王族・ヴァイシヤ:庶民・シュードラ:隷民)を表明したということは、「カースト制度を正当化しようとするいかなる考えかたも許さない」ということを意味したわけですから、カースト制と闘う態度を明確にしたということができます。 しかし、残念ながら世間には、釈尊が輪廻を説いたというたぐいの仏教入門書が少なくありません。 しかし逆に言えば、その本が輪廻を釈尊が説いたもののように言っているかどうかは、その本が信用できるかどうかの一つの指標になるのではないでしょうか。 http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html スッタ・ニパータは釈迦の本当の教えなのか?
仏教学を学ぶ者にとって、釈迦が、神の存在や霊魂の不滅性の是非を説かなかったことは、初歩中の初歩であるのだろう。そして、多くの仏教本には、釈迦は、人間にとって知ることのできない形而上学的諸問題については、それを問うても解答の出ないものであり、釈迦は、それらをことごとく捨て去ったと書かれている。(無記説) ところで、最古の経典『スッタ・ニパータ』に登場する釈迦は、「無執着説」を説きながら、一方では、「輪廻からの解脱」ということを言う。最初から、霊魂の不死性を肯定も否定もしなかった仏陀が、一体、何故に、再び「輪廻」という言葉を持ち出してくるのだろうか? これらのことは、『スッタ・ニパータ』を読んだときから、どうしても、私の頭から離れなかった疑問点であった。そして、もともと、本経典は、別々の時代に書かれた別の経典から編集されたものであり、全く別のものとして仏教を誤解釈した釈迦弟子が、仏陀の言葉として書き記したものであるのだろうか? あるいは、釈迦は最初から輪廻を信じていて、これらは、何かの点によって繋がっているものであるのだろうか? それとも、それらはナーガールジュナ(龍樹)が言うような「勝義諦」と「世俗諦」なのだろうか? 実を言うと、先日、由緒ある曹洞宗のお寺に、日本を代表する仏教学者である奈良康明先生の講演会があり、話が終わった後に、個人的に、これらの質問をもって行ったところ、お寺の奥にあった小部屋に、先生から直々に案内され、一対一で、先生からの、これらに関する解答を頂いたのでした。 『釈迦は無我説を説き、霊魂の不滅性は説かなかった。
しかし、当時の一般民衆のほとんどが輪廻思想を信じていて、釈迦は霊魂の不滅性を否定はしなかった。霊魂の不滅性を否定したなら、托鉢で飯も食えなくなっただろうし、それを信じる者には、その道で行きなさい、といった感じだった。 だから、スッタ・ニパータのは矛盾はない。』 その日の夜に、仕事が終わった後に、スリランカ出身の友人B氏と、これらについて、さらに深い部分にまで及んで話し合ったところ、まったく別の説が浮かび上がってきた。
その彼の説はこうである。 『当時のインドでは、ほとんどの人が輪廻を信じていて、釈迦は輪廻からの解脱に挑んだ。その到達点は梵我一如のそれと同じであり、ニルヴァーナに至った釈迦には輪廻それ自体が無くなってしまった。 それゆえに、神(ブラフマン)の領域にまで達した釈迦にとってはアートマンは輪廻することが無くなったために、霊魂は不滅ではなくなった。』 しかし、B氏の説はバラモン教や梵我一如とその到達点ばかりではなく、それに至る道までもが同じではないのか?
一体、釈迦の仏教は梵我一如であったのだろうか? いや、そんなはずはないだろう。釈迦の仏教が梵我一如の達人であったのなら、仏教は仏教である意味は喪失してしまうことになるのだろう。 私は、仏教のニルヴァーナの境地とバラモン教の境地とは、同一のものであることはB氏の意見と一致するが、釈迦の山頂に登る手法は、梵我一如のそれとは異なっていたのではないのかと思っている。 そして、「釈迦は霊魂の不滅説を説かなかった(否定も肯定もしなかったという意味)。 しかし、当時、霊魂の不滅性を信じる多くの一般民衆に対しては、霊魂の不滅性を否定はしなかった。」 という奈良先生の説に、私は賛同している。 もしかしたら、修行のレベルに合わせて釈迦は説法をされたのであろう。(対機説法) http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/47870614.html (マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34) ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。
「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」 「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」 「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」 「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」 「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」 すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。 「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。 だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。 ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」 「むろんである。」 「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」 「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」 「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」 「むろんである。」 「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」 「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」 そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。 「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。 その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・ そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」 (同上、増谷文雄訳) ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。
そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。 ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。 ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。 ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html ゴータマ・ブッダは紀元前500〜400年頃に生まれ80年間生きた。 研究者の間で生年に100年程の誤差あるが、もともとインドには正確な年代を記する習慣はなかったから、 むしろ100年程度の誤差ですんでいることは驚きでもあるといわれている。
ゴータマ・ブッダは「仏教」の創始者ということになるのかもしれないが、ブッダ は、 自分が教祖となり〈「仏教」という宗教〉を興すことを意図してはいない。 彼の言葉には、宗教一般に見られる「教義」を見い出すことはできない。 むしろ「私にはこのことを説くということがない」(スッタニパータ)という言葉が示すように〈概念や教義の構築〉とは 反対の方向を目指している。 ブッダの死後、弟子達によってブッダの言葉がまとめられた。さらに時代の流れと共にその当時の社会環境やほかの宗教、思想の影響を受け、変化してきたが、発祥の地インドでは13世紀に仏教は衰退した。仏教の外国への伝播には中国への北伝と南アジアに広がった南伝とがある。日本では北伝により仏教が入り各宗派が確立した。 何を指して「仏教」というのか、議論されるところであるが、紀元前後にぼっ興した新しい仏教(大乗仏教)は『スッタニパータ』に比べ、時空間の拡がりやお経の規模の拡大などが目につく。その内容に目を通 すと、『スッタニパータ』の内容をそのまま増幅させたようなものもあるし、異なる部分もある。概念的に要約され、隠れてしまったこともある。 私達がすでにもっている仏教についての知識を一旦取り払い『スッタニパータ』を読み直してみると、そこには、2500年の間に忘れられていた智慧があることが分かる。(2004.6.18改訂) もともとブッダは何を語ったのか、その時代に一番近い仏典とは何であるのか?
最近の研究では、もともとブッダが弟子達にしゃべったのはマガタ語で、それが口伝で残され、紀元前一世紀頃、パーリ語に置き換えられといわれている。パーリ語は南伝において口伝で流布したのであるが、19世紀、イギリスでローマ字表記にあらためられたパーリ語聖典(PTS:Pali Text Society)が、刊行された。それは今日でも研究者によく読まれている。 そのパーリ語聖典の中で、古層にあたるといわれるものに『スッタニパータ』、『ダンマパダ』、『サンユッタニカーヤ』がある。中でも『スッタニパータ』の第四章、第五章は特に古いといわれている。 詳しくは中村元博士が『ブッダのことば』(岩波書店発行)の後に、解説されているので、興味のある方はお読みください。 最後になったが、『スッタニパータ』はパーリ語のsutta-nipataをカタカナ表示にしたものである。suttaは「お経」、nipataは「集まり」だから、「経集」という程の意味になる。 私たちは、たかがこの30年だけを取り上げても、多くを学んで来た。その中で重要なことの一つに次のことがある。どれほど優れた論理体系でありイデオロギーであっても、「私たちのこころ」は、論理を構成する言葉の枠に入ることをよしとはしないことだ。論理体系だけでは、自分のこころは何も解決され得ないことに気がついてきた。 この2500年も前のブッダの言葉(『スッタニパータ』)にはそれらを解く道筋がある。(2009.4.14改訂) http://www.yamaji-kan.com/about.html 釈尊について知っておくべき基本的前提は、釈尊が確かにこの通りしゃべったといえる言葉は残念ながら一つも残っていないということです。 大乗経典はもちろんのこと、最初期の経典にもそれを見つけるのは困難です。
しかし、釈尊がしゃべった言葉にかなり近いだろういわれているものはあって、スッタニパータ(『ブッダのことば』岩波文庫)やダンマパダ(『真理のことば/感興のことば』同)の中の言葉がそれにあたります。 その中でも、スッタニパータの「八つの詩句の章」と「彼岸に至る道の章」をまず読まれることをおすすめします。そこには、仏教の基本的教えとされる「諸行無常」も「諸法無我」も出てきませんし、菩提樹の下で瞑想し自己と宇宙に関する究極的真理を体得したとかいった神話もありません。 それらは釈尊よりはるかに後の人が釈尊の教えを整理した言葉、あるいは、釈尊の教えを宣伝するために作った物語なのですから当然ですが、とりあえずそういうものをいったん忘れて釈尊の言葉を読む必要があると思います。 http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html 釈迦は輪廻や死後の世界や神の存在を完全に否定していた。
しかし、釈迦は当時の霊魂や死後の世界を信じている一般人には真実は言わず対機説法だけをした。 スッタニパータやダンマパダの釈迦の言葉が矛盾するのは真実と対機説法が混在しているから。 ダンマパダ http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/737.html
スッタニパータ http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/736.html ブッダ最後の旅 http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/738.html 対機説法の目的
スッタニパータ 第二章 小なるもの 第一経 宝
227 正しくある者たちに賞賛された、これら四組の者たち八人(四双八輩:正覚に至る四階梯の各々において学びつつある者と学び終えた者の計八人)が〔世に〕有るなら、彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。 これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。 http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html ここで布施を受けるのは、貧しい人々ではなく、バラモンの生活法に則って、家住期を終え、家庭を離れて遍歴修行する遊行者、あるいは祭祀を行うバラモンのことである。 ゴータマとその弟子たちもまた、住居と生業をもたない遍歴の修行者であった。 かれらも生存していくためにやはり在家から食を乞わねばならない。
そのとき、布施の功徳を問われれば、先のマーガとの問答にあるように、祭祀さえも認めることがあったのだろう。 後の経典は、動物供犠を除けば邪盛会でさえ、肯定されているのである http://www.eonet.ne.jp/~sansuian/com/comp5.html 要するに上記227節の意味は、
釈迦の弟子は特別な存在だから、もっと金を出せ という事ですね。そしてこれこそが仏教における釈迦崇拝の背景でしょう。 スッタニパータを書いた目的も
善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。 というのを一般の人に納得させる事なんですね. 要するに,我々偉大なる釈迦の弟子にもっと金を出せ という事です. 輪廻転生や死後の世界を素朴に信じている無知蒙昧な一般人に大金を出させるには,釈迦の弟子が特別な選ばれた人間であると思わせなければならないですからね. ブッダというのは目覚めた者という意味で単なる人間にしか過ぎない。 さらに、部派仏教の段階で釈迦の教えは既に大幅に修正されていたので、釈迦の言説は100年後には既に真理だとは思われていなかったですからね。 悟った人間は阿羅漢と言われて、本来はその全員が釈迦と同格ですね。釈迦から阿羅漢に認定された弟子は当時、何千人も居たので、釈迦が特別な人間という訳ではないのです。 釈迦が何故神格化されたかと言うと、無知蒙昧な一般人にお布施を出させるには,釈迦が神で、その弟子も特別な選ばれた人間であると思わせなければならないからでしょう。
坊さんも水を飲んで霞を食べて生きている訳じゃないですからね. ハッタリも方便 要するに、僧侶にとって宗教は,職業として生活の為にやっているものなので,釈迦の本当の教えなんかどうでもいいという事なんでしょうね. 釈迦の悟りというのは、輪廻転生とか霊界・死後の世界と言われているものが、実際には人間の無意識の中で生起している現象に過ぎないという事に気付いた事なのです。神や悪魔というのも人間の心の中にしか存在しない、そういう事がわかったという事です。 俗に死後の世界とか霊界とか言われているのは心理学の言葉で言えば無意識の事です。人間が死ねば脳が溶けて、意識も無意識も一緒に消えてしまいます。従って、極楽も地獄も人間の死と共に消えてなくなるのですね。 輪廻転生というのも生きている人間の脳内で生じる virtual な経験なんです。そして、その事に気付いたのが釈迦の悟りですね。 ウパニシャッドにおいては、ブラフマン・アートマンが実在する事が真実だったんですね。アートマンというのは人間の魂なので、魂が実在すれば、肉体が滅びてもまた生まれ変わってくるという輪廻の考え方になってしまうのですね。 しかし、輪廻は当時のカースト制を維持する為に悪用されていた考え方なんです。 低いカーストの人間は前世で悪行をした報いだから、上のカーストの人には逆らわず、文句を言わず、がまんして苦しい労働に耐え、来世で高いカーストに生まれ変わる様に努力しなさいという上の人間に都合のいい考え方を押し付けていたのですね。 しかし、釈迦はカーストというのはアーリア人がドラビダ人を征服したから生じたもので、人間の価値とは関係ないとわかっていたんです。 それでカースト制を支えている輪廻転生、アートマンの存在を否定する考え方を探し求めたんです。 そしてその答えとして アートマンは存在しない(無我説)
生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。 そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。 を思いついたのです。
釈迦の悟りというのはこの無我説を実際の瞑想体験で確認するという事ですね。 神や悪魔や地獄の様な悩みの元になるものは普遍的無意識の浅い層にあるもので、そこからさらに深い所まで下りて行けば普遍的無意識の深い層(涅槃・空の世界)が広がっている。 従って、魂や死後の世界というのは幻影で、涅槃の世界からすべてを見る事ができる様になれば、苦しみもなくなるというのが釈迦の教えです。 ブッダというのは目覚めたる人間という意味ですが、目覚めるというのは魂や死後の世界というのが幻影だと悟るという意味なのですね。
仏教史を整理すると
@ 釈迦は輪廻転生や死後の世界が深層心理に基づく virtual なものだというのに気付いた。
A しかし、当時の人は魂の存在、輪廻転生や死後の世界を信じていたから、真理をそのまま教えたらパトロンの王侯貴族からお布施が貰えなくなる。
B それで、対機説法というのを考えて、魂の存在、輪廻転生や死後の世界を信じている一般人には真理を伝えないで誤魔化す事にした。
C 釈迦の弟子もお布施が貰えなくなると困るから、釈迦の対機説法を釈迦の教えとして仏典をまとめた。 スッタニパータで釈迦が否定した筈の天界や輪廻転生が語られるのにはそういう事情があった。
D 部派仏教で人間の心の深層の研究が進むにつれ、ブラフマン・アートマンが実在する事が確認され、釈迦の無我論をそのままの形で継承するのが不可能となった。
E 大乗仏教になると、釈迦の対機説法を当時の一般民衆に人気のあったヒンドゥー教に置き変えて、宗教ビジネスとして完成させた。 大乗仏教の空というのは本質的にはブラフマン・アートマンと同じものを指している。 その結果、大乗仏教での悟りも釈迦の悟りではなく、バラモン教・ヒンドゥー教の悟り、即ち梵我一如と輪廻転生からの解脱と本質的には変わらなくなってしまった。
F 日本に渡来した大乗仏教ではさらに、仏教の外見だけ残して中身を完全に自然神道に置き変えて、それまで村の古老がやっていた儀式を殆ど引き継いだ。 日本のお坊さんが本来の仏教では絶対にやらない筈の葬式やお盆で稼いでいるのはこういう事情なのです。
纏めると
インド仏教は外観だけ釈迦の教えに見せ掛けているが、中身はバラモン教・ヒンドゥー教に置き換えた。
中国仏教は外観だけインド仏教に見せ掛けているが、中身は道教に置き換えた。 日本仏教は外観だけ中国仏教に見せ掛けているが、中身は自然神道に置き換えた。
[スレ主【仁王像】による初期非表示理由]:2重投稿(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)
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