http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/521.html
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宗教改革者のルターは、偽ユダヤのタルムード思想を持つバビロン海賊団に対して、晩年に彼らの鬼畜振りに気付き、彼らについて
・シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
・更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
・宗教書を取り上げるべし
などと提言している。500年前のドイツにおいての文書を下記のリンクから拝借してその抜粋を学びたい。(全15回)
http://rekishijyoho.seesaa.net/article/28276204.html
ルター「ユダヤ人と彼らの嘘について」(6)
●彼らは十戒を愚弄し、神を馬鹿にする
もしも十戒が守られないのであれば、他の戒律など守ったとしても、それは神を愚か者のように扱う詐欺かペテン以外のなにものでもない。それはあたかも、悪魔の統領が祭司か牧師の衣装をまとってわれわれのあいだを歩き回ったり、戒律や生き方をすべて遵守するかのように振る舞っているのと同じことである。けれどもそうした精神的な装いのもとに真の悪魔・狼・教会の敵・冒者が跋扈し、福音も十戒も踏みにじり、呪い、非難しているのだ。神の御前でそれはなんとも素晴らしい聖人であることよ。
もしもこの世で一人の美しい女性が、慎み深い貞淑さ・気品にみちた作法・公正さをもって立ち居振る舞い、かつ処女であることを示す花飾りをつけてそぞろ歩きしていたとしても、裏では十戒に背く淫らで恥ずべき娼婦であったならば、表面的な純潔・公正・振る舞い・素晴らしい従順さなど、いったいなんの役に立とうか。彼女は、だらしない公娼らの七倍も軽蔑されることになろう。
かくして神は、表面的には戒律と高潔さを示しながらあらゆる種類の偶像崇拝と邪悪な行ないを彼らがしているので、預言を通していつもイスラエル人を卑しい娼婦と叱ったのである。とくにホセア〔前八世紀のヘブライの預言者〕が嘆いたように。
〈わたしは彼女の子らを愛さない。彼らは姦淫の子らであるから。彼らの母は姦淫をし、彼らをはらんで恥をさらし、そして言った。「私は恋人たちのあとを追う。彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油の飲み物を与えてくれる」と〉(「ホセア書」第二章四〜五節)
敬虔かつ清潔で見苦しくない装い、外見上、淑やかに振る舞う乙女や女性を見るのは実に素晴らしいことである。だが、彼女が娼婦であるなら、その衣装・装身具・花飾り・アクセサリーは肥溜の雌豚が身につけたほうがよりまともに見えるであろう。ソロモンが言ったように、「雌豚の鼻の上につけた黄金の飾りは、綺麗で馬鹿な女のようだ」ということになるだろう。
ゆえに彼らは、神の十戒を本当に信じない表面だけの信奉を自慢するのはやめたほうがよい。そうなのだ。それは、異教徒と比べて神の民である彼らの価値を七倍も低下させることになるのである。
彼らを彼らだけにしておこう。われわれは、哀願や五十一番目の讃美歌を唱える者、すなわち律法がなんであり、それを遵守することとしないことの意味がわかり、理解できる者たちと共に居させてほしいのだ。
親愛なるキリスト教徒よ、かくして盲のユダヤ人どもがあなたがたを誤り導くのを黙認するときには、自分たちがどうされようとしているのか、よく気をつけるべきである。そのような場合には、一つの諺が確かに成り立つであろう。「盲が盲を導くなら、両方とも堀に落ちるであろう」という諺が。
それ以上、彼らユダヤ人から学ぶものはない。神の戒律を知らないのに異教徒に対して高慢で居丈高になる彼らより、神の御前では、異邦人のほうがまだましである。なぜなら、彼らは神聖なものにそうした傲慢さをもっておらず、奢り高ぶる聖人や罪深い神者、嘘つきどもよりはるかに律法に適ったことを行なうからである。
●彼らの宗派は悪魔の巣窟である
それゆえにあなたがたは、ユダヤ人に対して警護を固め、次のことを知るべきである。すなわち彼らが集う場所は悪魔の巣窟以外のなにものでもなく、そこでは自画自賛・虚栄・嘘・冒・神と人間に恥辱をもたらすことが、悪魔の所業と同様に最も強烈で有害なやり方で実行されているのだということを。
ユダヤ人が説教しているどの場所でも、ひとにらみで人びとを傷つけ殺した危険なバシリスク(中世の伝説)〔アフリカの砂漠に棲むという伝説上の爬虫動物〕が話すのを聞いているのと同じであるとあなたがたは考えなければならない。
彼らは、神の怒りを通して、自分たちを自慢すること、見栄を張ること、神に偽りを言うこと、すべての異邦人を呪うこと等のすべてが正しく、そうしたことを行なうことが神への偉大な奉仕であり、高貴な父祖の血筋と割礼した聖人にふさわしいことだと信じるよう教えられてきた(たとえどんなにひどい悪徳のなかにあっても、どんなに自分たちが卑しいと思ったとしても)。彼らは、こうしたことを行なうことによって、神の加護が与えられてきたと考えているのである。彼らを監視せよ!
彼らは、自分たちがカナンの地、エルサレムの町、神殿を所有していたことを自慢する。神がそのような高慢と虚栄をなんども覆滅なされたにもかかわらず。
以前にアッシリア王がイスラエル人を遠くに連れ去り殺害した〔前七二一年北王国イスラエル、アッシリア王シャルマネセル五世に滅ぼされる〕のと同様に、とりわけバビロンの王(彼はユダヤ人を遠くに連れ去ったのだが)によってユダヤ人は殺害されることになった〔バビロニア捕囚時代=前五八六〜前五三八〕。そして最後に彼らユダヤ人たちは、ローマ人によって根こそぎ移住を強制され、荒廃させられたのである。
こうして千四百年前に彼らは、神が彼らの国家・町・神殿・聖職者・君主にいかに配慮をお示しにならなかったかを、またこれからも重んじようとされないかを、つまり彼らを神の選ばれた民であると見なしていないかを知ったはずである。
ところが、イザヤ〔前八世紀のイスラエルの預言者。神ヤーウェの正義と救世主の出現とを説いて民を警醒・激励した〕がそう叫んだように、鉄の首は頭を下げることもなく、鉄の額は恥じて赤くなることもなかった。彼らはたえず強情で、頑固で、盲目で、ものに動じることがないまま今日にいたっている。そして、神が再び故郷に連れ戻し、彼らにすべてのものをお返しになることを待ち望んでいるのである。(続く)
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