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アドラー心理学、「部下をほめてはダメ」の功罪
キーパーソンに聞く
心理学者の早稲田大学教授・向後千春さんに聞く
2017年3月28日(火)
柳生 譲治
『嫌われる勇気』(2013年刊)の出版・大ヒット以来、アドラー心理学のブームが今も続いている。アドラー心理学の冠がつけられた多様な書籍が出版されているほか、今年1月からはフジテレビ系列で同書籍を原作とするドラマ「嫌われる勇気」が放映された(〜3月16日まで)。しかし、テレビドラマについてはその内容が適切でないとして「日本アドラー心理学会」からの抗議文がテレビ局に送られるなど、アドラー心理学について一部誤解されたり、正確とは言えない内容が流通している部分もあるようだ。
このため今回は、アドラー心理学について長く研究をつづけ、『嫌われる勇気』の著者の岸見一郎さんと兄弟弟子(ともに日本におけるアドラー心理学の草分けである精神科医・野田俊作氏の弟子)の関係でもある、早稲田大学の向後千春教授に、アドラー心理学の効用や、同心理学についての誤解などについて語っていただいた。
向後千春(こうご・ちはる)氏
早稲田大学人間科学学術院教授
1958年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部、同大学院文学研究科で心理学を学び、東京学芸大学で博士号取得(教育学)。早稲田大学助手、富山大学助教授等を経て、2012年から現職。専門分野はアドラー心理学、教育工学、教育心理学。『幸せな劣等感: アドラー心理学〈実践編〉』『人生の迷いが消える アドラー心理学のススメ』『アドラー“実践"講義 幸せに生きる』『上手な教え方の教科書』など著書多数。
日本アドラー心理学会からテレビ局への抗議
アドラーブームが続いている中、今年1月フジテレビ系列で放送された「嫌われる勇気」の内容について、2月に「日本アドラー心理学会」から「ドラマには極めて重大な問題がある」と“物言い”がついてしまいました。「ドラマのアドラー心理学理解は日本及び世界のアドラー心理学における一般的な理解とはかなり異なっている」といった抗議内容でした。(※ 日本アドラー心理学会による抗議の全文)
向後:そうみたいですね。テレビドラマは娯楽ですし、私はそんなに目くじら立てなくてもよいのではないかと思いますけれども。テレビで放送されることをキッカケとして、アドラー心理学を知ってくれる人は増えるでしょうからね。
ドラマの原作の『嫌われる勇気』は2013年の発売以来、シリーズ累計180万部超の大ヒットとなり、現在に至るまでアドラーブームが続いています。翻訳版は韓国や台湾などアジアを中心とする海外でもヒット。岸見さんはかなり以前からのお知り合いだそうですね。
向後:日本におけるアドラー心理学の第一人者である精神科医の野田俊作先生に、岸見一郎さんも私も教わっていたのです。1980年代後半頃からです。だから岸見さんは私の兄弟子ということになります。
岸見一郎さんの『嫌われる勇気』については、向後先生はどのようにお読みになりましたか? 書籍の『嫌われる勇気』は、「哲人」と相談者である「青年」の対話形式でアドラー心理学を分かりやすく紹介している本ですが、相談者である青年への哲人のアドバイスが、ふつうの人の常識を覆すような内容で、読者からすると「そこまで言うか」というような厳しい指摘がなされます。向後先生の近著『幸せな劣等感 アドラー心理学<実践編>』などと比べると、かなりトーンが異なりますよね。
書籍の『嫌われる勇気』は、岸見さんとライターの「共著」
向後:書籍の『嫌われる勇気』は、岸見一郎さんとライターの古賀史健さんという方との共著の読み物ですよね。本づくりには腕利きのある編集者が関わったと言われています。編集者や共著のライターが、本を万人の手にとってもらうことを目的として、また内容を分かりやすくするために、アドラー心理学の一部を強調したり脚色したりした側面はあるのではと見ています。
(編集部注:岸見一郎さんや向後先生の師匠である野田俊作氏も、自身のホームページで「アドラー・ブームの火付け役である岸見一郎氏の『嫌われる勇気』は、『課題の分離』ばかり強調して『協力』に関連する考え方をあまり含んでいないので『名目アドラー心理学』だと思っていた」などと記述している。)
あえて人に嫌われる必要はない
要するに、岸見さんの著作ではあるけれども、どちらかというと、実際の執筆を行った古賀史健さんや編集者の影響が強い本ではないか、というお考えですね。
向後:そうです。例えば、タイトルについて言うと『嫌われる勇気』という言葉は刺激的なフレーズですが、アドラーの言葉ではありませんし、アドラー心理学の中心的なアイデアでもありません。それは岸見さんもご存じのはずで、キャッチコピーのようなものと私は考えています。
岸見さんと古賀さんの訴えたいことは、「自分の信念に従って生きるために人から嫌われたとしても、それは問題ではない」ということであろうし、私もその考え方に賛同します。しかし、あえて人に嫌われる必要はないのは言うまでもありません。ただし、本のタイトルとして用いた場合、結果である「嫌われてもいい」という部分が前面に出過ぎて、勘違いをする読者がもしかしたらいるのではないかとは思いました。
岸見さんの別の著作『アドラー心理学入門』(1999年刊)を読んでいただくとわかりますが、こちらは『嫌われる勇気』に比べると温かい語り口です。この本は古賀さんが岸見さんのアドラー研究に興味を持ったきっかけになった本とも言われています(参考記事 ケイクス「祝58万部突破!なぜアドラーの思想が絶大な支持を集めたのか?」)が、『嫌われる勇気』と『アドラー心理学入門』は同じ著者とは思えないですよね。『アドラー心理学入門』の内容の方が、本来の岸見さんではないかと私は思っています。
もちろん岸見さんの考え方が変わったのではなく、例えば「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」などにおいて、他者から嫌われることを極度に恐れる人が増えた現代に対応した内容にするために『嫌われる勇気』では、アドラー心理学の要素の一部を強調したということだと思います。
「課題の分離」を強調するのは、個人主義が根づいていないから
『嫌われる勇気』には読者をひきつけるための、オーバーな表現が少なくありません。相談者である「青年」(=読者)に対して厳し過ぎやしないかという印象があり、一読した時、自分にはなじめない感じがありました。それが最も端的に出ているのが、「他者の課題」には踏み込まないことを強調した部分ではないかと。
向後:「課題の分離」の部分ですね。
書籍『嫌われる勇気』には、「他者の課題を切り捨てる」という章があって、「課題の分離」について詳細に解説しています。例えば、子供が勉強するのかしないのか、あるいは友達と遊びに行くのかいかないのか、これらは「子供の課題」であって、親の課題ではない。親が「勉強しなさい」などと命じるのは、いわば他者の課題に対して土足で踏み込むような行為──などと書かれています。
テレビドラマの「嫌われる勇気」でも、「先輩」という呼び名はやめてくれと主人公が言い、困惑した後輩が「では、なんと呼べば?」と返すと、「それはあなたの課題です」と言い放ちます。主人公は「私とあなたは上下関係にありません」とも言っていたので、後輩と(アドラー心理学でいう)「縦の関係(支配と依存の関係)」になるのをおそらく嫌ったのでしょうが…初対面の先輩からこんな風に言われた後輩は、ちょっとキツイのではと…。
向後:確かに『嫌われる勇気』に書かれているような「課題の分離」を現実社会でいきなり実行すると、かえって生きづらくなるかもしれませんし、問題が起きる可能性はありますね。私個人としては、「あなたの課題」「私の課題」とわざわざ切り分けなくても、各人のプライベートセンス(私的感覚、その人が「正しい」と思っていることや「良い」と思っていることの集合体)はそれぞれ違うということを相互に認め合えば、誰の課題であるかは自然に分離されると思っています。このため、自分が書いた『幸せな劣等感』では、課題の分離には一切、触れませんでした。
人それぞれ違うところは認め、各人で共通できるところは合意できる感覚(=「コモンセンス」)として共有する。合意できないところは、そのまま放っておこうと。つまり「相手を変えようとはしない」こと。この心がけがとても重要です。相手を変えようとしたり、自分の私的感覚を相手に押しつけようとしたりするから問題が起こるのです。
実は、個人主義の欧米では一般的に「課題の分離」を強調する必要はありません。親子の間であっても、親は親、子供は子供と、別人格であるのが当然の社会で、もともと課題の分離がなされているからです。一方、日本など東アジアでは、いまも家族主義的であり個人主義はまだ浸透していません。家を中心に親や子の課題がくっついてしまっているのが現実なのです。
ビジネスの世界でも同様で、会社の中で上司の課題と部下の課題がくっついてしまっています。「君を見ていると、心配なんだよ」「おまえのためを思って指導しているのだ」などという言葉によって、部下を支配してしまう。これは問題です。
だから、岸見さんと古賀さんは、こういう背景をふまえ、日本の事情に配慮し、課題の切り分けを強調されたのかもしれません。課題の分離を強調した『嫌われる勇気』が日本のほかにも、韓国や台湾など、個人主義が浸透していない東アジアで大変な人気なのも、この地域の社会の背景にあるものを考えると、もっともな感じがします。
心配するという行為自体は私の課題、心配を相手に押しつけない
「課題の分離」とは、つまり向後先生の場合で言うと、ゼミや研究室の学生さんがたとえ単位を落とたり卒業できなかったりしても、放っておくという姿勢ですよね。それは「学生の課題」であると。
向後:学生が単位を落としたり、進級できなかったり、就職できなかったりすると私でも心配ですよ。でも心配するという行為自体は「私の課題」ということです。「自分はこんなに心配しているのだぞ。だからお前、がんばれよ」などと、その心配を相手に押し付けることはしません。
ちなみに、心配する延長線上で「この学生のために自分は何ができるだろうか」と考えることは、アドラーのいう「共同体感覚」というものに近づくことだと思います。共同体感覚とは、簡単に言えば、人とつながっている感覚、相手のために何ができるかという感覚です。
「対等の関係」がでできれていれば、ほめたっていい
向後先生は、学生をほめるということも普段しないのですか? アドラー心理学の教えの一つである、子供や部下を「ほめてはいけない」という部分に自分は心理的抵抗を感じ、これまでアドラー心理学になかなかなじめませんでした。
向後:アドラー心理学には「勇気づけ」という重要な概念があります。相手が自分自身を信じ、困難を乗り越えられるような言葉をかけてあげることです。しかし、勇気づけの際にアドラー心理学が推奨するのは、相手をほめたり、励ましたりするということではありません。ほめると、相手と自分の関係が、支配と依存の関係になってしまう可能性があるためです。
とはいえ、ほめたって別にいいのですよ。「アドラー心理学では、人をほめてはいけない」という概念だけが何か先行してしまっているような感じですが、私も人をほめることはあります。アドラー心理学の意図は、ほめることで「上下の関係」「縦の関係」(支配と依存)をつくってしまうことを危惧するということです。「先生が生徒をほめる」「上司が部下をほめる」──そのときに、ともすると縦の関係が発生してしまいがちです。縦の関係とは、一方が一方をコントロールしてしまう関係です。
相手との関係が支配・服従の「縦」の関係ではなく、対等の「横」の関係であることが何よりも重要であることをアドラーは説いています。親子の関係であっても、上司・部下の関係であっても、横の関係であることが大切です。横の関係とはそれぞれの人が対等であり、自分らしくいて、相互に協力し合える関係です。
「成長を促す魔法の言葉」など、ない
向後:横の関係が既に両者の間にできあがっていさえすれば、ほめても構わないと私は思います。繰り返しになりますが「ほめてはいけない」というのは、例えば「よく頑張ったな」などという言葉によって縦の依存と支配の関係がつくられ、ほめ言葉によって相手を支配するといった“悪用”が簡単にできてしまうためです。横の関係ができあがっているのであれば、その心配はないので、ほめたっていい。横の関係の人からの言葉には人は自然に耳を傾けるものです。逆に言えば、縦の関係であるときや、そもそも両者の間の関係ができていないときに、いくらほめても「勇気づけ」の効果はないでしょう。
ちなみに、「成長を促す魔法の言葉」といったたぐいの書籍が巷にはたくさん出版されていますが、言葉だけで相手を成長させるということはありません。それよりも重要なのは相手との関係性です。相手との横の信頼関係があれば、相手の眼をみてニッコリするだけで勇気づけになることもあります。魔法の言葉など存在しない以上、そのときの自分と相手との関係性の中で、最適な言葉や態度を考え出していくしか方法はありません。
「ここにいていいのだ」という感覚があれば、やっていける
アドラー心理学の中にある「他者に承認を求めない」という考え方については、私も納得しました。誰かの期待を満たすように生きていたら、消耗してしまうのは間違いないですからね。とはいえ、誰かに認められたいという気持ちは、かなり根源的な欲求のようにも思います。承認を求めない姿勢を続けるのは、なかなか難しいとも思います。
向後:承認欲求は誰しもが持っているもので、それ自体が悪いものではありません。ただ、承認されたいがために何かをするという目的設定は不適切です。たとえ、自分に欠点があり、承認を得られないとしても、欠点も含めて自分を受け入れる「自己受容」がまず必要であり、他者による承認の前にまず、完璧でない自分をそのまま100%自己受容できていること、自分を好きでいることがまず重要です。
少し脱線しますけれども、じつは「承認欲求」という用語はそもそも、アドラーより40年近く後の世代の心理学者、マズローの用語で、アドラー心理学では「承認欲求」という用語はあまり使いません。書籍『嫌われる勇気』の中に「承認欲求を否定する」という項目があり、「アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します」と書いてありますから、読者の方々にはその印象が強いのかもしれません。
アドラー心理学では、「承認」ではなく、むしろ「所属」を大きなテーマに掲げていると私は考えています。所属とは、言い換えるならば、自分の「居場所」であり、周りの人にどのように受け入れられるかです。「自分はここにいていいのだ、ここにいればやっていける」という感覚があれば、所属がうまくいっているということです。所属の問題は、人生の始まりから終わりに至るまで常に重要な問題です。
アルフレッド・アドラー(1870年〜1937年)。写真撮影は1930年。アドラー心理学は、人間性心理学のアブラハム・マズロー(1908年〜1970年)など後年の心理学者に大きな影響を与えた。実際に、マズローはニューヨークでアドラーのもとに通って多くのことを学んでいる。マズローは「私にとって、アルフレッド・アドラーは、年がたつにつれてますます正しいものになる」と書いている。(写真:IMAGNO/アフロ)
「所属」の感覚がないと、椅子はあっても居場所がない
「所属」の感覚が得られないと、どのようになりますか。
向後:例えば学校で「所属」の感覚がうまく得られないと不登校になるかもしれませんし、職場では出社拒否になるでしょう。言ってみれば、椅子はあっても居場所がない状態だと言えます。
クラスでも職場でも共同体の中では、自然にそれぞれの人の役割は決まっていきます。例えば、仕事はあまりできないけれど、人を笑わせることでよいムードをつくる「道化師」役の人も職場にはいるかもしれません。自然とそういう役割が決まり、役割のある人には問題は起こりません。
一方、役割や居場所がないと、精神的に不安定になってしまう懸念があります。役割を見出すことができず、居場所がないのはつらいものです。企業の管理職は、各人を競わせて誰が高いパフォーマンスを発揮するかを見るのではなく、各人の役割や所属感覚に気を配るべきなのです。
現在、インターネット上でSNSが全盛を極めているのも、アドラー流にいえば「所属」の感覚を、マズロー流に言えば「承認欲求」を必死で求めていることが背景にあります。みな所属や承認を求めてフェイスブックやインスタグラム、ツイッターなどの投稿をしますが、ネット上ではネガティブな反応が返ってくることもありますね。すると、「自分は受け入れられていない」という感覚を持ったり、傷ついたりすることになります。
ほかの人を超える優秀性を発揮する必要はない
向後:ほかの人を超える優秀性を発揮しなければ「所属」の感覚が得られないというわけではないのですけれどもね。なぜなら、アドラーが人類の最大の発明であるという「分業」が社会構造の中には存在するから。つまり、自分に与えられた役割の中で共同体に貢献できればよいのです。
「所属」の感覚を持っていれば、精神的に安定するということはいえるのですが、所属の感覚がないともう生きていけないのかといえば、必ずしもそうではないと思っています。なぜなら、家族という共同体を除いて、私たちは自分が所属する共同体を選ぶことができるからです。もし、あなたがある共同体に所属しているけれど「所属」の感覚が持てなかったり、そこから排除されようとしたりしているならば、そこを去ればいいだけですし、そこを去ったとしても人生に大きな影響はありません。私たちは、所属できる共同体が、せいぜい2、3個あれば安心して生きていけるのです。それは覚えておいていただきたいと思います。
アドラー心理学が正しいという保証はない、採用するのは自由
アドラーの心理学では、このほかにも、「目的論」や「ライフスタイル」「仮想論」「共同体感覚」といった、実生活に役立つ実用的なコンセプトがありますね。そうした概念や理論体系を知り、日常生活で実践するには、やはりテレビドラマを見ただけでは不十分で、書籍を読んだりして勉強しないとなかなかわからないと思います。本を読んで独習する上で、なにかアドバイスはありますか?
向後:アドラー心理学は非常に実践的な内容なので、アドラー心理学の本を読んで一つ学んだら、実際に使って確かめてみることをお勧めします。「アドラー心理学は使えそうだ」と思ったら、それをポケットに入れて日々を過ごしてみてください。たくさんある悩みも、徐々に晴れていくのではと思います。
ただ一方で、アドラー心理学も、人生や世界に対する一つの考え方に過ぎないということも知っておいていただきたいと思います。アドラー心理学を応用することで、読者自身がもうひとつ別の新しい生き方へのヒントをつかむことができるのではないかと私は信じていますが、アドラー心理学が正しいという保証はありません。自分に合わないと思えば捨ててほかの考え方を導入すればいいと思います。アドラー心理学の見方を受け入れるかどうかは、読者自身が決めていいのです。「あなたはあなた自身で自分の生き方を決めることができる」とアドラーが言ったように、アドラー理論を採用するか否かも、あなた自身の自由であり、あなたの決断次第なのです。
このコラムについて
キーパーソンに聞く
日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/032600247
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