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家族と一緒では生きづらい …超高齢化社会にひそむ「本当の問題」
邪魔者扱いされていく高齢者たち
藤田 孝典
「高齢者が邪魔者扱いされるさまや、家族と同居しているのに孤独死する場面は、まさに高齢者問題のいまを描いている」
80歳の老女が、3世帯住宅に居場所を失い家出をする異色のマンガ『傘寿まり子』。この作品を読んでそう語るのは、ベストセラー『下流老人』の著者で、NPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典氏だ。
『傘寿まり子』では、老人が運転する車が高速道路を逆走してしまうシーンや、主人公がふらついて車に轢かれてしまう、など、目を背けたくなるような話がこれでもかというくらいに詰め込まれている。本作は1巻発売直後から話題を呼び、増刷を重ね続けた。
なぜこのマンガが支持されているのか――。作中に登場するような、ネットカフェに一時避難している高齢者や、年齢を理由に入居拒否を受ける方々のサポートを日々行っており、先日『貧困クライシス』を上梓した藤田氏が原因を分析する。
『傘寿まり子』の第1話はこちら(『まだ生きててごめんなさい…「まり子80歳、今日家を出ます」』)からご覧いただけます。
これが80歳のリアル
傘寿まり子とは、「80歳のまり子さん」を指す。文字通り、主役は80歳の高齢者だ。
少子高齢社会もついにここまできたのか、と思った。マンガまで高齢者の主人公が出てきてしまうとは……。セーラームーンは高校生、サザエさんですら20代の女性の設定だ。それをはるかに超える年齢の主人公を抜擢するとは驚きと言うか、何を考えているのか。ストーリーはちゃんと展開していくのか、と心配しかなかった。
しかし、結論からいえば斬新で現代的でリアリティもあり、非常に面白い。多くの現代社会を取り巻く問題も凝縮して取り上げており、好評になるはずだと思った。
80歳と言えば、日本では「後期高齢者」に位置付けられている年齢だ。いわゆる人生の終盤である。
マンガで登場するまり子の友人や旧知の仲間も亡くなっていき、その喪失感が見事に描かれている。家族と同居していながら、友人が孤独死する場面も登場する。実に暗い。暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
友人の孤独死にショックを隠せない… (C)おざわゆき
後期高齢者とは、まさにそんな「喪失の時期」でもあることがわかる。そして、冒頭から高齢者が邪魔者扱いされ、「私たちは早く死ねばいいのか?」という自問自答が繰り返される。
高齢期の自死は相変わらず減っていない。様々な喪失体験や自身の病気や悩みも重なり、死を自ら選んでしまう方も少なくないのが現状だ。そのような高齢者の心理状態を軽いタッチで読者に問いかけるように表現されている。
また80歳と言えば、個人差はあるものの介護が必要になり、在宅生活が難しく、介護施設へ入所する方もいるだろう。
病気がちになり、生活自体が困難さを増していくこともある時期だ。未来に向けて明るい展開を予想しにくく、どちらかといえば終焉に向かう暗い展開をイメージしやすいものでもある。
だからこそ繰り返し強調しておきたい。よくこの時期を生きる高齢者を主人公にしたものだ。そのアイディアにまずは称賛と敬意を表したい。
高齢者ネットカフェ難民
実はまり子は、そんな高齢者のイメージをひっくり返すような人物として描かれている。非常に前向きで明るい性格だ。
いくつかの苦難にも負けず、新しい挑戦にも積極的に取り組んでいく。80歳の女性とはとても思えないのである。なかでも家族との同居生活のなかに居づらさを感じ、家出をした後の場面展開は面白い。
特に、まり子がネットカフェ難民になる場面だ。これがまた現代的としか言いようがない。
まり子は家出をした後ネットカフェに向かう (C)おざわゆき
家出した高齢者や住居を失った人々が一時的に身を寄せる場所として、ネットカフェはよく知られるようになった。ネットカフェには、シャワーもあり、自分の部屋のようにくつろげる自由な空間がある。
一方で、原則として誰も干渉しないというような孤独で監獄のような印象も受ける。この現代の多様性ある人々を受け入れる不思議な空間の2つの特殊性を上手く表現している。
とりあえず寝るところは何とかなった。生きていける。しかし、これからどうしたらいいものか、と。
NEXT ▶︎ ネットカフェ難民になる人
家賃もローンも払えない
事実としてネットカフェに一時避難して滞在している高齢者や若者からの相談を受けることがよくある。
まり子と同様に家族との不調和で家を失った人々や失業した人々、火災で家を焼け出された人々、さまざまな人々がネットカフェをよりどころにしている。
社会福祉の弱い日本において、ネットカフェは最後のセーフティネットにならざるを得なくなっているのかもしれない。いまも全国のネットカフェにはひっそりと生活の場所にしなければならない高齢者や事情のある方々が身を寄せているのだろう。
少し前には「ネットカフェ難民」という言葉が話題になった。政府も調査をおこない、全国には約5400名の人々がいることが把握されている。まり子の問題は現在進行形の日本が抱える社会問題を的確に表している。
まり子さん、意外とネカフェを気に入った? (C)おざわゆき
そもそもまり子が同居家族に居づらさを感じたのは当然で、彼女の家族は四世代同居であるにも関わらず、狭小な住宅だった。日本は都市部であればあるほど、住宅費が高騰しており、住宅を維持したり、新設する費用がかかり過ぎてしまう。
それぞれが独立する上でも家賃や住宅ローン費用などを捻出しなければならない。これもまた高いのである。だからこそ、低所得であるほど、あるいは収入が不安定であるほど、家族と同居せざるを得ない状況がある。
まり子の息子も収入が不安定で、孫も同様であるというのは、これも現代的と言わざるを得ない。ひとことで言えば、雇用が不安定であるため、家族を養ったり、独立して世帯を設けることが困難な時代なのだ。
非正規雇用は過去最多の規模で増加をし続けている。働いても処遇や収入が不安定であり、家族相互で助け合わなければ生計が維持できない人々は言うまでもなく増えている。
しかし、家族が相互に助け合える余裕はなく、どうしても自身の配偶者や子どもが優先となろう。高齢者の扶養はどうしても後回しにならざるを得ない。
もう自分の親を養えない
「家族原理主義」とでもいうべきだろうか。家族関係がよければ助け合うが、関係性が少しでも悪化すれば、最大の福祉機能である「家族」は機能しない。そればかりか、排除をする側として攻撃してしまう。
高齢者虐待や児童虐待、ネグレクトや毒親、アダルトチルドレンなど機能不全家族を表す用語は、この「失われた20年」でよく聞かれるようになった。家族にはもう高齢者の豊かな老後を支える余力を急速に失い始めている。
例えば、自分事としても考えてみてほしい。親から生活が大変だから、「来月から月額数万円から十数万円を仕送りしてくれ」と言われたらできるだろうか。
NEXT ▶︎ 「孤独死」という重い課題
それを続けていくことが困難な現役世代は実に多いことだろう。また親を扶養できないことを安易に責めることもできない社会構造がある。
そういう点で、まり子の家庭や同居家族は、それぞれに現代的な課題を抱えながら狭い家で共存をしている。よく日本社会を隅々まで把握されているものだと感心してしまう。
だからこそ、家族との関係性に耐え切れなくなったまり子は家出をし、その後の住まいを探す。この際も民間賃貸住宅を借りようとするが、高齢者ゆえの入居差別に遭い、家すらも単独では借りられない事実に直面する。
80歳だと家を借りにくい… (C)おざわゆき
居室内での孤独死を警戒して、大家や不動産屋は高齢者の入居を断る事例が後を絶たない。身寄りのない、家族を頼れない高齢者は最低限必要な住まいを得る際も困難が伴うのだ。
わたし自身も数多くの高齢者の入居契約時に緊急連絡先になり、そのうち数件は死後の遺品整理や家族への連絡、遺体の葬儀に関わってきた。これらを大家や不動産屋が調整をしながら行うとなると、不本意ながらも入居を制限してしまう心理状態に理解を示さざるを得ない。
孤立を極めていく…
そして、まり子は作家の仕事が減り、自身の社会内における「役割喪失」も体験している。80歳で仕事があること自体珍しいが、その仕事も年々減っており、孤立感を強めていく状況が理解できる。
仕事を失うということは多くの人間関係や出会いの機会も同時に失うことを意味する。意識して地域活動や老人クラブ活動などに関わらなければ、他者と交流する機会は激減する。
高齢者のコンビニ弁当食・孤食の場面も描かれているが、食事だって誰とも共にすることがない高齢者は非常に多いのだ。
大手コンビニでは宅配食事業を始めているし、一人暮らしの人々を意識した商品の提供に急速にシフトしていることも店頭を覗くだけで理解できるだろう。現在でも一人暮らし高齢者は、約600万人存在する。今後も増加していくことが予想されている。
結局のところ『傘寿まり子』を読んでみて、わたしが出会ってきた生活困窮者支援の相談支援現場や高齢者支援の現場をよく捉えていると思う。特別な誰かの問題ではないからこそ好評なのだ。実に誰にでも起こりうる庶民の生活に迫ったテーマなのである。
ハラハラしながら自身や身近な家族とまり子を重ね合わせ、静かに応援してしまう感情が動く。深く考えながらでもいい、クスッと笑いながらでもいい、是非読んでほしい。
現代を果敢に生きるひとりの高齢者から得られるものはあまりにも大きいのだから。
「現代ビジネス」では『傘寿まり子』の第1話と第2話を特別公開中です。下記よりお楽しみください。
・第1話『まだ生きててごめんなさい…「まり子80歳、今日家を出ます」』
・第2話『「孤独死するから?」入居差別に苦しむ80歳の老女が向かった先とは』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51137?page=3
『傘寿まり子』第1話無料公開!まだ生きててごめんなさい…「まり子80歳、今日家を出ます」
おざわ ゆき
「ここは私の終の棲家じゃなかったの?」「早く死ねばいいってこと?」ベテラン作家の幸田まり子は息子夫婦、孫夫婦との生活に居場所がないことを感じ、ついには家出を決意するーー。
80歳が主人公という人気作『傘寿まり子』が話題沸騰中だ。まさかまさかの冒険ストーリーにページをめくる手が止まらない。驚きの決断までを収録した第一話を特別公開する。
NEXT ▶︎ もしかして家にいちゃいけない?
NEXT ▶︎ まり子を導く一本の電話
NEXT ▶︎ まだ生きててごめんなさい
家を出たのはいいものの、行き先のないまり子さん。まずはネットカフェに入るのだが――。第2話はこちら『「孤独死するから?」入居差別に苦しむ80歳の老女が向かった先とは』から。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50615
NEXT ▶︎ 編集者の「ある一言」
こもりっきりで大丈夫? 実はこの後ラブストーリーが待ってるんです。80歳の純粋すぎる恋愛――。続きはぜひ本書でお読みください!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51135
同志社大学の名物教授が「突然の退職」を通告されるまで
【ルポ・大学解雇】
田中 圭太郎ジャーナリスト
プロフィール
いま、全国の大学で教員の解雇や雇い止めをめぐるトラブルが急増している。志願者が減少傾向にある私立大学はもちろんのこと、2004年に運営が国から独立した法人に任せられるようになった国立大学法人でも教員の解雇・雇い止めが行われるようになり、特にここ5年くらいで顕著になっている。
「北海道のある弁護士事務所は、大学で教員の解雇が相次いでいることを受け、大学の実態を調査・協議するためのシンポジウムを開催しています」(教員の解雇について調査している札幌学院大学の片山一義教授)
個別の事案を見ていくと、教員の解雇が「密室の協議」によって恣意的に決められたケースが少なくない。理由を明確にされずに、気づいたときには解雇が決まっているのだ。
一体、大学で何が起こっているのか。先日も、西日本を代表する私大のひとつ、同志社大学で教員雇い止めをめぐる裁判が起こり、全国の大学関係者の注目を集めていた。この事例から、雇止めの背景を考えてみたい。
突然通知された定年延長拒否
「大学の不当な行為によって教壇に立てなくなった。もう3年間も裁判で闘っているが、今年7月に69歳になる。このままでは裁判に勝ったとしても、教壇に戻ることはできないかもしれない……」
同志社大学大学院・社会学研究科メディア学専攻の教授だった浅野健一氏は、2014年4月以降、教壇に立てない状態が続いている。大学側が突然「定年延長を認めない」という通知を突き付けてきたためだ。
浅野氏は、大学院の教授にほぼ自動的に認められてきた定年延長を、特別な事情もないのに拒否されたとして、学校法人同志社を相手取り、地位の確認を求める裁判を起こしている。
共同通信社の記者だった浅野氏は1994年、ジャーナリズムの研究者として新聞学専攻の教授に採用された。新聞学はジャーナリズム志望者が集まる人気の専攻で、新聞社に入るための「関西の登竜門」ともいわれている。浅野氏のポストはかつて思想家の鶴見俊輔氏が務めていた。新聞学専攻は現在メディア学専攻と名前を変えている。
同志社大学の教員の定年は65歳。だが、大学院の教授だけは1年度ごとに定年延長が認められている。健康上の理由や他大学に移るといった自己都合以外では、定年延長は基本的に認められ、1976年以降、93.1パーセントの教授が1年以上延長し、70歳まで務めた教授は74.9パーセントにのぼる。何の理由もなく定年延長を認められなかった教授はいなかった、といってよい。もちろん、浅野氏も定年延長を望んでいた。
ところが、浅野氏の場合、本人が全く知らないところで「定年延長を提案しない」ことが決められていたのだ。
NEXT ?? 「教授は足を引っ張っている」
誹謗中傷、罵詈雑言
研究室の郵便受けに「臨時専攻会議の通知書」が投函されていたのは2013年10月のこと。この通知をみてはじめて、浅野氏は自身の定年延長が認められないことを知った。
この決定を下したのは、浅野氏の同僚だったメディア学専攻の教授4人だ。浅野氏の定年延長を教授会に提案しない一方、別の教授(現在は退職)の定年延長は、承認された。
これは不当だと思った浅野氏が自ら定年延長を訴えると、教授会の議長から浅野氏の定年延長が提案され、審議が行われることになった。すると、浅野氏の退席後に、メディア学専攻の教授によってある文書が教授会の出席者に配られた。文書の存在をあとから知った浅野氏は、その内容を見て愕然としたという。
「浅野教授 定年延長の件 検討事項」と題したA4サイズ2枚の文書には、冒頭、次のように書かれている。
『研究者としての能力、論文・著書の内容の学問的質に問題がある。「運動」としての活動はあっても、大学院の教授の水準を満たす研究はない』
この書きだしから始まる文章は、ほとんどが浅野氏に対する誹謗中傷で占められていた。
・論文の内容には、客観的根拠がない推測による記述が多く含まれ、学術論文として不相応。
・大学院教授として品位に欠ける表現。
・院生・学生本位の教育がなされていない。
・貢献度が低く、逆に周囲の足を引っ張っている。
浅野教授への「誹謗中傷」が書かれた通知書
文書には「教授の水準を満たす研究はない」と断定的に書いているが、浅野氏が大学院の教授に就任して20年が経とうとしている。「教授の水準」は採用当時に大学が認めているのであろうし、あまりに論拠に乏しいものではないだろうか。
さらに<学科内の職場環境を極めて不正常にさせている>という項目では、こんな記述もある。
「専攻科の各教員は(浅野氏によって)常時強いストレスにさらされている。(中略)これによる突発性難聴や帯状疱疹などの発症(が認められる)」
言うまでもなく帯状疱疹はウイルスによって起きる病気であり、突発性難聴は原因不明とされている。それが浅野氏のせいだというのは、言いがかりでしかないだろう。要するに、別の学部の教授に「浅野氏がいかにひどい人物か」を印象付けるために、何の根拠もない罵詈雑言を並びたてているだけなのだ。
浅野氏はこの文書を作成し配布したとして、メディア学専攻の当時の教授5人に対しても名誉毀損訴訟を起こし、現在京都地裁で争われている。
後日の教授会で、再び浅野氏の定年延長が審議された。通常、定年延長は承認だけで決まっていたので、可決要件についての規定はなかったが、その場で「3分の2以上の賛成で可決」する無記名での投票が提案された。
投票の結果は「否決」。浅野氏は投票の際に退席させられたため結果だけ通知されたが、投票数などは明らかにされていない。
NEXT ?? なぜ教授は狙われたのか
なぜ浅野氏は「標的」にされたのか
被害を被ったのは浅野氏だけではない。浅野氏のゼミも解散させられ、学生は別の教授のゼミに変わらざるをえなくなったのだ。
困り果てたのは、博士課程後期に在籍していたインドネシアからの留学生だった。この学生は博士論文の指導を浅野氏から受けることができなくなったため、大学は2014年6月にこの留学生を2014年3月にさかのぼって、単位取得による満期退学とした。
博士号を取得して母国の大学でジャーナリズム論を教えるはずが、途中で退学させられ、人生を狂わされてしまった。浅野氏の退職から3年が経った現在も、浅野氏が大学院と学部で担当していた講座のうち、8科目が休講となっているという。
なぜ大学は浅野氏の定年延長を認めなかったのか。
背景のひとつに、浅野氏の定年延長が拒否された一方で、同じ時期に定年延長が認められたメディア学専攻の元教授との確執があったといわれている。
実は浅野氏は、2005年に『週刊文春』でセクハラ疑惑を報じられている。「浅野氏が学生にセクハラをして、大学当局が認定した」というものだったが、浅野氏は「事実無根」としてこれを全面否定。さらに情報源を探ったところ、件の元教授が自分のゼミに所属する学生を利用してセクハラを捏造し、『週刊文春』に情報提供していたことがわかったのだ。
浅野氏は文春側と元教授それぞれに名誉棄損訴訟を起こして、両方とも勝訴。裁判所は文春側に550万円の支払いを命じ、元教授にも71万円の損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡した。
「浅野氏が元教授を訴えた裁判は、2013年6月に高裁で浅野氏が勝訴し、最高裁判決が出たのは11月でした。浅野氏の勝訴が確定する直前に、元教授らのグループが浅野氏を大学から追い出しにかかったという印象を受けたことは否めません」(大学関係者)
もうひとつは、浅野氏が大手メディアを批判する態度や、安倍政権を「戦後史上最悪の政権」と批判する姿勢を、他の教授が好ましく思っていなかったことが考えられる。
例えば、浅野氏は担当していた授業「新聞学原論T」のシラバス(授業要項)に、福島第一原発事故の報道について次のように書いている。
『私は2011年3月中旬、原発報道が戦時中の「大本営発表」報道に酷似していると指摘した。日本の記者クラブメディアがジャーナリズムの権力監視機能を全く果たしていないことを市民の前に明らかにした。朝日新聞は11年10月15日の社説で、「大本営発表」だったとあっさり認め自省した』
実際に朝日新聞は「大本営発表」に加担したとの批判は免れないとして、自らの報道を検証している。しかし浅野氏に名誉毀損で訴えられている教授のひとりは、「明らかな誤読か、意図的な曲解と考えざるを得ず、研究者・教育者として極めて不適切な記載」と裁判の意見陳述で浅野氏の考え方を批判している。
またこの時期に同志社大学学長を務めていたのは村田晃嗣氏。村田氏は2015年、安全保障関連法案を審議していた衆議院特別委員会の中央公聴会に、政府与党の推薦で出席し、安保法案に賛成の意見を述べた。
このことが学内で批判され、村田氏は15年11月の学長選挙で敗れたとされるが、浅野氏は安倍政権に対し、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認など安倍政権の政策やマスコミへの高圧的な姿勢を雑誌などで批判してきた。安保法案については「侵略戦争法案」と著書でも批判している。大学としても、トップと考えが180度違う浅野氏を排除したかったのではないか、という見方もできる。
NEXT ?? 闘う手段が限られている
訴訟以外に闘う手段はナシ
浅野氏が学校法人同志社を訴えた裁判。提訴から3年1か月が経過した今年3月1日、京都地裁で判決が言い渡された。
浅野氏は裁判で「健康上の理由や自己都合など特段の事情がない限り、65歳以上の定年延長が認められなかった例はなく、定年延長は慣習」と主張してきた。
しかし、堀内照美裁判長は「大学院教授のほとんどの者が定年延長されているのは、審理の結果にすぎない」として、「特段の事情がない限り定年延長がなされるということはできない」と浅野氏の訴えを却下。「それ以外の浅野氏の訴えは判断するまでもなく、請求の理由はない」と、浅野氏が定年延長を拒否された経過の瑕疵については判断を避けた。
浅野氏は「被告の主張をコピペしたふざけた判決。高裁で逆転勝訴を目指す」と話し、すでに大阪高裁に控訴した。裁判は今後高裁で争われることになるが、同志社大学の他学部の教授は、取材に対し次のように話している。
「大学院の教授は特段の理由がなければ、院生がいなくても、研究所がなくても、定年延長されると認識している。実態をふまえていない判決だ」
定年延長制度がある他の大学の教授も、浅野氏の裁判を注目している。傍聴に訪れていた関西大学の教授は「同志社のやり方は納得できない。浅野さんには頑張ってほしい」と話していた。
なお、筆者は一連の裁判について、京都地裁判決後に同志社大学に取材を申し込んだが、「この裁判についての取材にはお答えしていない」という回答だった。
教員の解雇をめぐるトラブルは、報道される機会が少ない。大学側が教員の処分や解雇を発表した場合、報道機関は「大学が言うのだから、間違いはないのだろう」と捉えるのか、掘り下げて取材をしようとは思わないのかもしれない。
しかし冒頭にも触れたように、実際には大学教員の解雇や雇い止めをめぐる訴訟は増え続けている。前出の札幌学院大学の片山一義教授(労働経済論)は、大学教員が不当に解雇された事案をまとめたWEBサイト「全国国公立私立大学の事件情報」を開設している。
「全国国公立私立大学の事件情報」
http://university.main.jp/blog/
このサイトを見ると、私立大学だけでなく国立大学法人でも多数の訴訟が起きていることがわかる。掲載されているのはあくまで片山教授が知った事案だけ。大学の教員には横のつながりがあまりないため、もっと多くの大学で不当解雇が起きている可能性が高い。不当解雇された当事者は、孤独な闘いをしているか、泣き寝入りしているのではないか。
片山教授は不当解雇によるトラブルが増加した背景に、生徒数の減少とともに、国の大学政策の変更があると指摘する。
ひとつは2004年の私立学校法の改正。この法改正では大学の理事会の権限が強化され、理事会の思い通りに教員の採用や解雇ができるようになった。もうひとつは学長の権限を強めた2014年の学校教育法の改正。教授会の権限は、この改正によって学長の諮問機関レベルにまで下げられた。
いずれの政策変更も、学校を運営する側と、教育を担う現場との力関係のバランスを崩し、運営側の思い通りに解雇や人事異動が行われることにつながった。大学自治のしくみが変わったことで、解雇をめぐるトラブルは今後も増えていくだろう。
不当解雇が起こる多くのケースは、学部・学科の統廃合による教員削減か、浅野氏のように「教員不適格」といった理由による恣意的な解雇だ。大学の一部の人間により密室で協議されるため、本人が解雇されたことに気がつくのはそれが決まったあとになり、闘うには訴訟という手段を採るしかなくなってしまう。あまりに理不尽ではないだろうか。
「天下り教授」ばかりが跋扈する
多くの教員が解雇されている一方で、文部科学省の官僚が大学などに組織的かつ大量に天下りしていたことが明らかになっている。文部科学省の現職幹部とOBが協力し、国家公務員法違反を犯したうえで「天下り教授」が生まれていた。
片山教授によると、文部科学省からの大学教員や事務職員への天下り自体は2000年頃から増えており、これが従来勤務している教授らの不当解雇を引き起こす要因になっているという。新自由主義的な大学改革を推し進めるなかで、大学は文科省と密接な関係を持とうと考える。その改革の行きつく先は、教員のリストラが中心だ。
助手や講師、准教授を長い間務めながら、論文などの業績が認められて、ようやく教授のポストに就ける。民間から登用される教授も、それまでの業績の積み重ねがあって教壇に立つことができている。そんな教授の職を、大学の都合や一部の人間の感情によって、簡単に剥奪してよいものなのだろうか。
教員の解雇をめぐるトラブルの増加が、結果的に大学教育への信頼を損なっていることに、運営側の人間は気づいていないのかもしれない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51247
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