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2017年3月10日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
生活保護の不正受給が深刻化しているという「定説」の怪しさ
世間で言われるように、生活保護の不正受給は本当に深刻化しているのか。筆者はその「定説」に疑問を持っている
生活保護の不正受給は
本当に深刻化しているのか?
今年1月以降、小田原市の生活保護ケースワーカーたちが「保護なめんな」と書かれた揃いのジャンパーを着て業務を行っていた問題は、その後、小田原市による検討委員会の開催へとつながり、現在も社会の関心を集めている。
しかし、1月に報道され始めた当初は、「きっかけが不正受給なら仕方ない」というネットの世論も目立った。不正受給は生活保護の一大問題と考えられている。世論が独り歩きした結果、「生活保護と言えば不正受給」と言う人までいる。
すべての制度には、義務を逃れ権利を濫用する行為が付き物だし、美しいタテマエがあれば醜いホンネもあるものだ。だから、税制があれば脱税があり、親の一部は子どもを虐待し、小中学校ではイジメ自殺が時々発生する。「納税と言えば脱税」「親と言えば子ども虐待」「児童・生徒と言えばイジメ自殺の加害者」とは誰も言わないのに、なぜ「生活保護と言えば不正受給」なのだろうか?
今回は、生活保護の不正受給にかかわるデータを読み解きながら、生活保護の不正受給がいったいどれだけ深刻化しているのかを検証してみよう。
まず、2002年〜20014年の年間あたりの不正受給件数を見てみよう。2002年に8204件だった不正受給件数は、2014年には約5.2倍の4万3021件となっていた。グラフを見てみると、おおむね右肩上がりとなっている。
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しかし、不正受給された生活保護費は、件数ほど増えていない。2002年から2014年にかけて増加はしているけれども、件数の増加に比べると「おとなしい」増え方だ。2002年に約54億円だった不正受給金額は、2014年には約175億円。件数が5.2倍の増加となっているのに対し、金額は3.2倍の増加だ。
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1件あたりの不正受給金額は
むしろ低下傾向にある
不正受給一件あたりの金額で見てみると、下のグラフのようになる。
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1件あたり金額は、2002年に約65万円だったが、その後はほぼ減少傾向にあり、2014年には約41万円となっていた。もし、1件あたり金額が不正受給の悪質さの指標になるとすれば、年々、悪質な生活保護費不正受給は減少していることになる。
原因として考えられることは数多いが、少なくとも「生活保護で暮らしている本人による悪質な不正受給が増えている」とデータで示すことは難しそうだ。むしろ、不正受給としてカウントされる件数が増える一方、少なくとも金額の面では、悪質度が低下している傾向があると言えそうだ。
どうも、件数だけを取り出して「不正受給が増えた(減った)」と考えないほうが良さそうだ。件数を何かの目安に使うのであれば、どういう不正受給がどれだけ増えたのかに関するデータと組み合わせ、何らかの重み付けをすべきであろう。とはいえ、不正受給に関するデータは、データの重み付けに関する推測が可能なほど詳細に明らかにされているわけではない。
では、無理なく手に入るデータから、何らかの傾向を読み取ることはできないだろうか。ほぼ「右肩上がり」の不正受給件数を前年と比較し、増加率を計算すると、下のグラフの通りとなる。
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そもそも、不正受給そのものの傾向や、講じられている対策が変わらないのであれば、不正受給の件数が前年に比べて大きく増えたり減ったりする理由はない。にもかかわらず、2013年までは増加が続いており、2013年はわずかながら前年比マイナスとなっている。このような変動が存在すること自体に対して、その変動に「なぜ?」という疑問が持たれないことに対して、私は疑問を持ってしまう。
また「ぱっと見」で、理由の説明が困難に思えるトレンドがある。2006年から2007年にかけ、また2008年から2009年にかけ、不正受給件数の増加率は、前年より減少している。2010年以後は一転して増加、2011年には前年比約150%という大きな増加率が示されている。その後、増加率は小さくなり、2014年にはマイナスに転じている。
この原因を、はっきりと思い浮かべられる方はいるだろうか。特に、前年よりも不正受給件数の増加率が著しく大きくなった2008年・2010年・2011年には、何が起こったのだろうか。とりあえず、東日本大震災の起こった2011年は除外するとして、2008年と2010年に、生活保護で暮らす人々のモラルを著しく低下させるような変化は存在しただろうか?
私にも、変化の原因のすべてに「思い当たる節」があるわけではない。しかし、思い当たることがらが全くないというわけではない。まずは、このデータの変動を、手がかりのある年から読み解いてみよう。
不正受給判定は変動相場制?
過去の出来事から類推する「波」の正体
不正受給件数の増加率が前年より少なかった2007年と2009年は、生活保護の利用抑制、行政用語でいう「適正化」が行なわれにくくなっていた年だ。
2007年7月、北九州市で52歳の男性が遺体で発見され、「腹減った。オニギリ食いたい」と何回も書かれたノートが発見された。元タクシー運転手だった男性は、病気のため就労を継続できなくなり、前年2006年の12月に生活保護を申請。同月中に保護開始となっていた。しかしケースワーカーは強引な就労指導を行い、2007年4月、男性は「自発的」に生活保護の辞退届を提出した。生活保護を打ち切られた男性は、就労できず、他の収入源もなく、手持ち金や食糧が尽きるとともに、「オニギリ食いたい」というメモを残して餓死に至ったと見られている。
2007年は、生活保護基準の見直しが予定されており、政府は引き下げる方針だった。しかし男性の餓死が報道され、引き続いて「生活保護を利用させない」「生活保護を辞退させる」といったことに数値目標を設ける北九州市の生活保護行政の違法性が報道された。あまりにもショッキングな事件と、あまりにもショッキングな制度運用の実態が、日本全体に大きな反響を引き起こした。結果として、生活保護基準の見直しは見送られた(しかし、5年後の2012年に予定されていた基準見直しに際しては、第二次安倍内閣の成立を待って、2013年に大幅な引き下げが行なわれている)。
このような事件があると、不正受給への厳しい目は若干緩む。世の中に何があろうが不正は不正なのだが、少なくとも生活保護を辞退させられた上、おにぎりも食べられずに餓死した男性が世の中の話題となっているときには、安易な不正受給扱いにはブレーキがかかりやすい。2007年に増加率が減少した原因として最も考えやすいのは、北九州市の餓死事件であろう。
また2009年は、リーマンショックと「派遣切り」が大きな注目を浴びた、2008年の翌年にあたる。2009年の正月を、厚労省のすぐそばの「年越し派遣村」で過ごした人々の多くは、その直前まで就労していた人々であった。健康で、比較的若く、働けていたにもかかわらず、本人の責任とは言えない事情で仕事と住まいを失って、「年越し派遣村」にいたのである。2009年の日本では、生活保護を必要とする事情は「自己責任」とは限らず、就労できるから生活保護は不要とも言えないことが、おおむね納得されていた。このような年にも、安易な不正受給の追求は行なわれにくくなる傾向がある。
しばらくするとその反動で、厚労省も自治体の多くも「生活保護を引き締めなくては」と考え始める。もちろん、生活保護を必要とする事情のある人々がいれば、保護の対象にしなくてはならない。そうしなくては、その街で「おにぎり食べたい」餓死事件が起こるかもしれないからだ。しかし利用抑制は困難でも、不正受給の摘発強化は比較的容易だ。というわけで、不正受給の増加率は2010年に跳ね上がったのではないかと見ることができる。
東日本大震災の心理的影響と
生活保護制度運用の激変
では、前年比150%という大幅な増加となった2011年には、いったい何があったのだろうか。東日本大震災のドサクサに付け込んだ不正受給が多発したせいだろうか。
実際に、不正受給が多発していたかどうかはわからない。しかし、数多くの人々が「資産を失い収入もないけれども、見舞金や義援金はある」という状況に置かれていた東日本大震災直後の混乱のもとでは、たとえば「生活保護を申請したタイミングが、見舞金・義援金を受け取る前なのか後なのか」「見舞金や義援金に関する厚労省の通知・通達類が現場で熟知されているか否か」といったことによって、結果として不正受給となってしまうことも、逆に不当な不正受給扱いもあり得ただろう。また生活保護を必要とする人々の増加に伴い、「生活保護を引き締めなくては」という理由から不正受給扱いが強化された可能性もある。
その翌年である2012年には、生活保護制度運用に大きな激変があった。生活保護費を受け取り過ぎた場合に原則として適用される条文が、単純な受け取り過ぎに対して返還を求める生活保護法63条から、不正受給に対する同法78条に変更されたのだ。「まずは性善説」から「まずは性悪説」という大転換をもたらしたのは、2012年7月23日に発行された厚労省の課長通知(平成24年7月23日社援保発 0723 第1号厚生労働省社会・援護局保護課長通知)である。背景には、総務省が厚労省に対して「不正受給の処理を迅速にせよ」と求めたことがあった。確かに、原則を不正受給とすれば迅速化は可能だ。こんなことからも、不正受給件数は簡単に増えてしまうのである。
取り扱い原則が大きく変わったのであるから、2011年以前と2012年以後の不正受給件数は、注釈抜きで同じグラフに掲載すべきではないのだが、結果として何が起こっただろうか。
この2012年以後、不正受給件数の増加率が前年より多くなっている年はない。いったん「疑わしきは全部不正受給」としてしまった後では、不正受給を大きく増加させる要因は現れにくいだろう。このことの当然の結果として、不正受給は「増えにくく」なり、2014年には前年よりも件数が減少している。
となると、これ以上不正受給を「増えた」とすることは、もはや不可能であろう。不正受給を摘発しやすくするありとあらゆる努力の末、不正受給件数の増え方は「飽和」し、これ以上は増やしたくても増やせない領域に入ってしまったのだ。1件あたりの金額が減少していることは、このことの当然の結果とも言える。
現在以上に監視や摘発を強めたとしても、不正受給は増やせないだろう。本当はあるのに見つかっていない「暗数」部分は、現在までのデータの傾向を見る限り、ほとんどなくなっている。現在、金額総額で0.6%の生活保護費不正受給は、監視や摘発を強めれば6%や10%になるわけではない。生活保護受給者が「パチンコ屋にいる」「馬券を月に100円だけ買う」「3ヵ月に1回だけ低価格帯風俗店に行く」「回転寿司で外食」「楽しそう」「笑っている」といったことまで不正受給扱いする「新しいルール」でもつくらない限り、1%を「突破」するのも難しいだろう。
「不正受給はけしからん」と
言う前に冷静に考えるべきこと
今回は、徹底的にデータと出来事を照らし合わせながら、背景への若干の推測を加えつつ、「生活保護の不正受給が増えていて大きな問題である」という世間の仮説の真贋を検証してみた。
生活保護の不正受給に関連する問題は、この他にも数多い。たとえばメディア報道によって、市民が「生活保護の不正受給が増えている」ことを問題視するたびに、「私たちの払った税金」が納税者のために使われるようになるわけではない。増えているのは、福祉事務所へ警察OBを配属したりする人件費だ。その背景には、年金支給開始年齢の変更があったりする。
もちろん同時に、生活保護費は減らしやすく、増やしにくくなる。生活保護費は、自分自身に支給されるのではなくても、行政から「納税者の私たち」の側に支給される現金なのだが、そこが減りやすく、増えにくくなってしまうのだ。
「生活保護の不正受給?けしからん!納税者の私たちが可哀想ではないか」と立腹するのは当然の感情だ。しかし立腹した結果が、さらに「納税者の私たち」の首を締めるのであれば、まことに救われない。ときにはこのような見地から、頭に血が上らないよう、数字をじっくり眺めてみることも必要だろう。
(フリーランス・ライター みわよしこ)
http://diamond.jp/articles/-/120725
【第3回】 2017年3月10日 児島保彦
注意されても、92%の社員は行動を変えられない!
多くの人間は楽をしたいと思うもの。何度注意されても、ほとんどの人は行動を改善できない。しかしそれでは、会社の利益がどんどん社外へ流出してしまう。社員にやるべきことをやらせるには、どうしたらいいのか――。『儲かる会社は人が1割、仕組みが9割』の著者・児島保彦氏に、その秘訣を聞いた。
結果をしつこくチェックしなければ
意味がない
人間は必ず「楽をしよう」と考えるものです。それが仕事の効率化につながるのなら大いに結構ですが、どうしても「手抜き」や「さぼり」につながってしまいます。気がつけば当たり前のことまで、やらなくなってしまうものです。
これは「いい人材はいないのだから仕方がない」ですますわけにはいきません。そこで確実に会社の利益が漏れていくからです。
では、どうしたらよいでしょうか? 私も脅したりすかしたり、話法を変えてみたり、理論武装したり、あらゆることをやってみましたが、結果は同じでした。「わかっちゃいるけど、やらない」のです。あるいは「言われた直後はやるけれど、すぐに元に戻ってしまう」のです。
社員が当たり前のことをやらない、続かない原因は、「継続させる」ための知恵や工夫を、社長が実行していないことに尽きます。やるべき課題を与えるだけではダメなのです。社員を動かす決め手は、「やったか」「やったか」と繰り返し問い続けることです。
行動計画を立てることは、どの会社もやっているでしょう。しかし、この「やったか」「やったか」を、徹底的に追求する会社は少ないのです。
重要なポイントは、ことあるたびに繰り返し忍耐強く、やるべき課題について「やったか」「できたか」とチェックすることです。
社長は「わかっているはず」あるいは「わかってくれている」といった甘い思い込みを捨ててください。やらないのが当たり前なのです。小学生の母親のように、「宿題はやったのか?」「宿題をすませてから遊びに行きなさい」と、毎日チェックすることです。
「やったか」「やったか」を、社員が最後には「やるしかない」「やらなきゃいけない」と思うまで、繰り返すのです。
理解することと実行することは
別ものである
やるべき課題を出し「やったか」とチェックすることは、社員の実行力を引き出すことにつながります。社員がいくら頭で理解していても、実行しなければ意味がありません。会社の利益にはつながらないのです。
こんな統計数字があります。100人の社員が同じことを聞いた場合、その内容を理解できる人8割の80人。理解したうえで、その内容に賛同する人はその半分の40人。そしてそれを実際に実行する人は、そのうち2割の8人だけだというものです。
つまり100人の社員に、いくら説教をしても、説明をしても、実行する社員は8人にすぎないということです。この数字は、私の経験と照らし合わせてもまさにそのとおりだと実感できるものです。
理解することと実行することは、まったく関係がありません。
社長が「どうしてもわかってもらって、実行してほしい」ことを、心を込めて一生懸命熱弁をふるって説明したとします。そして、社員のみなさんもそれに応えて「わかった、やります」と心から誓ったとします。
多くの場合、社長はこれでやってくれるものと確信して期待するでしょう。「よかった。これで利益が出るはずだ」などと思い込みがちです。楽観的な社長は「よし、これでできた」と思って「今期は楽しみだ」などと期待するかもしれません。
私が実際に遭遇した場面です。ある事件が起きました。報告、連絡、相談(ホウレンソウ)を疎かにしたことが原因で、会社に多大な損害を与えました。
「ホウレンソウさえしっかりできていれば、こんな損失を被らなくてもすんだのに。よし、朝会で全社員に話して徹底的に守ってもらおう」と社長は考えました。
「これからは報告をしっかりやり、連絡は忘れないように、そしてわからないことがあったら必ず相談するように!」
社員も「社長の言うことはもっともだ。ちゃんとできていればこんなことにはならなかった。これからはしっかりホウレンソウをしよう」と、本当に純粋な気持ちで思い、朝会は終わりました。
さて、数日たってどうなったでしょう。別に変わったことはありません。相変わらず上司は「そんなときは相談してくれよ」「連絡を忘れるなんて、しっかりしてくれよ」「なんでもっと早く報告しなかったのだ」などと怒っています。
実際に事件が起き、大きな被害が出た直後でしたから、社長の言葉は社員の頭の中に残っているはずです。にもかかわらず、ほとんどの人は頭で理解しただけで、実行には移していなかったのです。
「ホウレンソウを徹底しよう」「何事も迅速に」「挨拶をしよう」「明るい元気な会社」「コンプライアンスの遵守」「5S運動」「原価意識に徹してコスト低減に努めよう」――これらの言葉は抽象的です。理解はできても、「では、今から何をすればよいのか」、つまり何を実行すればよいのかがわからないのです。
これらの抽象的なスローガンを聞いただけで、実行に移すことができる社員は、先に述べたとおり100人のうち8人です。
組織の中で、92人とは違うことを8人の社員だけが継続して実行するというのは難しいものです。「おまえ、何をやっているの?」「今までうまくいっていたのだから、そんなことしなくてもいいんじゃないの?」――そう感じてしまう92人に悪気はありません。むしろ人間として自然な心理です。
すると、せっかく目覚めて行動を起こした8人も、1人抜け、2人抜け、結局、元に戻るのです。
やるべき課題を与えることと「やったか」のセットは、100人全員に、有無を言わさずやらせることに意味があります。職制の上下は関係ありません。全員に具体的な行動の課題を出すのです。
どんな会社も、必要に迫られて意識改革をしようとしますが、99%は成功しません。その原因は抽象的な説教や、言葉による威嚇といった精神論から入るからです。誰が聞いても否定できない抽象的な正論を聞いても、右の耳から入って左の耳に抜けるだけです。
行動しなければならない仕組みをつくって、その中へ社員を追い込んで、「やったか」「できたか」を繰り返し、体に覚えこませて習慣にするのです。習慣になれば意識が変わります。そこではじめて意識改革が成功します。会社全体で、一気に人を動かすには、この方法しかありません。
http://diamond.jp/articles/-/120346
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