http://www.asyura2.com/12/social9/msg/768.html
Tweet |
2017年3月11日 dot.
13歳から7年間、実父から性的虐待… 彼女はなぜ全てを告白したのか?
山本潤(やまもと・じゅん)/1974年生まれ。看護師・保健師。13歳から20歳の7年間、父親から性暴力を受けたサバイバー。性暴力被害者支援看護師(SANE)として、その養成にも携わる。性暴力被害者の支援者に向けた研修や、一般市民を対象とした講演活動も多数行う
山本潤さんは、父親からの性暴力によって「私」を失った。13歳のときのことだ。それから父親と離れて暮らすようになるまでの7年間、日常的に被害を受けることになる。『13歳、「私」をなくした私〜性暴力と生きることのリアル〜』(朝日新聞出版)には、そんな山本さんが自分を取り戻していく過程がつづられている。表紙の写真が印象的だ。現在の山本さんはこの写真のように自分の足で歩き、生きている。しかし、そこに至るまでには長い長い時間を必要とした。
看護師・保健師として医療現場で活躍すると同時に、「性暴力と刑法を考える当事者の会」代表も務める山本さんに、本書に込めた思いや願いをうかがった。
――当事者としてみずからの被害、そこからの回復を本として著した背景にはどんな思いがあるのでしょうか?
山本潤さん(以下、山本)「たとえば『痴漢に遭った』『性的虐待を受けた』と性暴力の事実を伝えると、多くの人は大変だったね、つらかったね、と思ってくださるでしょう。でも、被害当事者の内面がどうなっているのかまでには想像が及んでいないと感じます。電車に乗るのが怖くなって通学できないとか、男性を前にすると足がすくむとか症状はそれぞれですが、後の社会生活や恋愛、結婚……つまり人生そのものに多大な影響を与えることを知ってほしいと思いました」
――山本さんもこうして公に被害体験を話せるようになるまでには、ずいぶん時間がかかったようですね。
山本「被害にあっている最中の人、その傷からまだ回復していない人は、自分のことを話せません。思い出すだけで動揺することもありますから。人に話すのはとてもむずかしい……けれど、誰かが話さなければ性暴力被害についての理解はいつまでも得られないと感じています」
山本さんの混乱は、長くつづいた。深夜、女性ひとりで行くのは危険な場所に出かけ、アルコールに溺れたかと思えば、激しい性衝動に突き動かされて男性と一夜限りの関係をくり返す。つじつまが合っていないようにも見える一連の行動も、山本さんにとっては性暴力被害に遭ったことで失った「私」を取り戻すための“あがき”だった。そのなかには、母親との葛藤も含まれる。
――本書にはお母さまから見た娘の被害、回復、時とともに変化してきた母娘の関係をつづった文も収録されていますね。
山本「子どもが被害に遭ったとき、『親は何をしていたのか』といわれることがあります。家族も影響を受けずにいられないのが性犯罪ですが、特に私たちの場合は、娘に加害したのが自分の伴侶ということで、母の混乱はより大きかったといえます。母の心情から私たちの葛藤までを伝えることで、性暴力被害の全体像がより理解してもらえればうれしいです」
2005年ごろから山本さんは、性暴力や、被害者への看護ケアについての勉強をはじめる。それは自身で「回復を選択した」からこそ踏み出せた一歩だった。
――そこからの歩みがとても力強く見えましたが、性暴力について、その支援について知ることは山本さんにとって“力”となったのでしょうか?
山本「なぜ自分がこんな目に遭ったのか、性暴力とは何なのか……私は知りたかったんです。がん患者が自分の病はどういうもので、この検査は何のためのものなのかを知ろうとするのと同じです。自分なりに性暴力の問題がわかってきて、私が悪いからじゃなかったと思えたことは力になりましたが、それ以上のことがたくさん見えてきました。性暴力はいたるところで起きていて、その影響とともに生きている人がたくさんいて、でもそれを払拭(ふっしょく)しようと立ち上がる人たちもいる。人類はこの問題を解決できるのだろうか、ということも考えるようになりました」
――解決、できるんでしょうか?
山本「それはまだ私にもわかりませんが、幼少期から適切な性教育を受け、性だけでなく他者への適切な対応を学ぶ機会があれば社会は変わるでしょう。性暴力加害をする男の子には、友人グループのなかで関係を築くことがむずかしい子もいると聞きます。そんなときに女性の入浴をのぞいたり電車内で女性の体に触れたりすると、その高揚で無力感や孤独感が晴れた……これがきっかけで加害行為をくり返すようになっていくのがひとつの典型だと学びました。社会全体が、性暴力は性的欲求によるものではなく性を用いた支配・攻撃であると認識し、性暴力加害に適切な対応ができるようになれば変わる可能性があると考えています」
――いまのところ「性欲」と直結させる傾向が強いように見えます。
13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル
山本潤著
定価:1,512円(税込)
山本「性暴力もDVも、一方がもう一方を支配して傷つける行為であって、性欲の問題ではありませんよね。男女の格差が大きく性別役割分担意識が強い社会ほど性暴力が発生しやすい、という事実からもそれは明らかです。そうした社会では、女性は男性の性的対象としての役割を果たすべき存在だから、性被害があっても仕方がないと思われます。むしろ、性的な対象として振る舞っている女性が悪いとされるでしょうね」
日本でも、性被害に遭った女性の自己責任が問われることが多く、性犯罪予防は女性の自衛によってなされるものという意識がいまだ強い。
――こうして性暴力の実態について力強く発信されている山本さんが、もし13歳のときの自分、あるいは今、性暴力を受けている子どもたちに話しかけらかれるとしたら、どんな言葉を届けたいですか?
山本「信頼できる大人に話して、と。その人が適切に対応してくれなかったら、別の人に相談してほしい。ある人がいうには、大人の3人に1人は信頼できる人物だそうです。誰かに話すのはとても大変ですが、あなたの話を聞いてくれる人が必ずいます、あきらめないでと伝えたいです」
同書の冒頭では、2014年に米国ホワイトハウスが公開した「1 is too many」――性暴力は1件でもあれば多すぎる、というメッセージ動画が紹介されている。オバマ大統領(当時)をはじめ俳優やスポーツ選手、起業家の男性が世界に向けてそう発信する。こうして性暴力に対して強く「NO!」を尽きつける社会はとても心強い。だが個人にもできることはある、それは3人に1人の、信頼できる大人になることにほかならない。山本さんの一冊は、そんなことを教えてくれる。
(文・構成/三浦ゆえ)
※dot.より転載
http://diamond.jp/articles/-/120894
【第200回】 2017年3月11日 降旗 学 [ノンフィクションライター]
「悪魔祓い殺人」後を絶たず、信者に神の声は届かないのか
先月二二日、南米のニカラグアで二五歳の女性が生きたまま燃えさかる炎の中に投げ込まれ、死亡するという陰惨な事件が起きた。殺害されたのはビルマ・トルヒーヨさんという人妻で、彼女を炎の中に投げ込んだのは隣人ら数名の男たちだった。
主犯格の男はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(キリスト教福音派)の牧師になりすましてトルヒーヨさんを襲った後、数人の隣人らとトルヒーヨさんを拘束。衣服を脱がして裸にすると、火葬用の薪を燃やし、その炎の中にトルヒーヨさんを投げ込んだ。
トルヒーヨさんの殺害を、容疑者は、彼女が“悪魔に取り憑かれていたから”と供述しているという。殺人行為を否定し、“悪魔祓い”をしていたら、悪魔の魂によってトルヒーヨさんの身体が宙に浮き、そのまま炎の中に落ちて死んだのだと。
人ひとりを殺したにしてはあまりに陳腐な言い訳だが、容疑者が信仰していると言ったアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、容疑者は教団の信徒ではなく、今回の事件と教団は無関係との声明を発表している。
事件を報じたAFPは、トルヒーヨさんは“牧師になりすました容疑者に襲われた。その後、複数の人物が加わって……”とさらりと書いているが、おそらくこれは複数の男たちによる集団レイプ事件だ。欲望を遂げた後に被害者を焼き殺し、それを“悪魔祓い”と言い張る卑劣な事件だったのが実際なのだろう。
女性が生きたまま火葬される事件は、ときを同じく先月二五日にインドでも起きている。
肺感染症による心停止と診断された二三歳女性が荼毘に付された際、女性がまだ生きていることが判明した。火葬は急きょ中止されたが女性は助からず、司法解剖の結果、死因は心停止によるものではなく、“生きたまま焼かれた”ことによるショック死と診断された。
医師の誤診が問題視されたが、女性の叔父が警察に提出した被害報告書から、事態は一変する。叔父は、こんなことを警察に打ち明けていた。
「デベッシュ(被害女性の夫)とその親族十一人がラッチナ(被害女性)をレイプして殺した。彼女は一二月一三日から行方がわからなくなっていた」(Techinsightより)
要請を受けた警察が捜査に乗り出したところ、被害女性の夫をはじめ十一人の親族はその日のうちに行方をくらませたという。
当局が詳細を公表していないため、司法解剖で被害女性に集団暴行の痕跡が見られたのか、また、昨年末から二ヵ月も行方不明になり病院に収容されるまでの経緯等々はわからないのだが、インドでのレイプ事件は、実はかなり深刻なのである。
今月六日、インド南部にあるカトリック教会の司祭が、教会運営の学校で一六歳少女に性的暴行を加え、妊娠出産させて逮捕されるという事件が発生している。教会の修道女五人と職員二名、医師の計八人にも、性的虐待の事実を隠そうとしたかどで逮捕状が出されたが、いずれも逃亡中とのことだ(AFPより)。
少し古いデータになるが、二〇一一年のインドでは、年間二万四〇〇〇件の強姦事件が発生している(インド政府二〇一一年統計より)。あくまで政府が把握している数値だが、それでも約二〇分に一人が犠牲になっている計算だ。当時のインドでは殺人事件の有罪判決率が約三九%なのに対し、強姦事件のそれは約二六%と低いことも強姦事件を助長しているとも言われている。殺人を犯しても四割しか裁かれないというのも驚きだが。二〇一二年一二月三〇日、朝日新聞はこんな事件を報じた。
〈事件は一二月一六日夜にニューデリーで起きた。友人の男性と映画を見た帰りに乗ったバスで男六人に襲われた。バスは正規の業者ではなく運転手も一味だった。レイプされ、鉄の棒で殴られて友人男性とともに車外に投げ出された(後略)〉
やり口があまりにも卑劣だ。また、強姦事件が絶えないのは、警察の捜査方針にも問題がある、と別の事例も紹介する。
〈北部パンジャブ州の村では、集団強姦された一八歳少女が二六日に服毒自殺。金で解決するか犯人の一人と結婚するように警察が迫り、捜査しなかったことを苦にしたと伝えられた。警官は男性が多く、女性への犯罪は取るに足らないと考える風潮があるようだ〉
インドにはカースト制度という身分制度があり、被害女性の身分が下位層だと事件そのものが注目されないことも強姦事件増加の理由になっているようだ。
話をニカラグアの“悪魔祓い”強姦焼殺事件に戻すと――、悪魔祓いが一般的に知られるようになったのは、一九七三年の映画『エクソシスト』のヒットからのように思う。当時、私は小学生だったが、エクソシストのインパクトは鮮烈だった。オカルトはいっときのブームになり、エクソシストのすぐあとには『オーメン』や『キャリー』、“決して一人では見ないでください”のキャッチコピーで知られる『サスペリア』のような映画が立て続けに流行った。ユリ・ゲラーの超能力ブームもこの頃だ。
日本にも古くからキツネ憑きや祟り、陰陽道に代表される占術・呪術の類があったが、このデジタルの時代に“わら人形”を使って呪いをかけようとした人もいるくらいだから、日本人は“悪魔祓い”のような信仰に染まりやすいのかもしれない。
ニカラグアでトルヒーヨさんが殺害されたと同じころ、一歳四ヵ月の城田麻雛弥(ますみ)ちゃんに“悪魔が憑いている”と言い、悪魔祓いの名目で麻雛弥ちゃんを暴行、死亡させた北爪順子容疑者(自称コンサルタント業)が群馬県警に逮捕された。
麻雛弥ちゃんの死因は頭部を強く打ったことによる急性硬膜下血腫と診断されているが、日刊ゲンダイが“捜査事情通”という人物に取材している。
「麻雛弥ちゃんの母親は、生後間もない頃から北爪容疑者の自宅を頻繁に訪れていた。北爪容疑者を“先生、先生”と呼んで慕い、家事などの手伝いをしていました。一方で北爪容疑者は“悪魔祓いが必要だ”と言って麻雛弥ちゃんの頭を床に叩きつけ、口に手を突っ込むなどして、日常的に暴行を繰り返していた。母親もその場にいたようです」
北爪容疑者は“中嶋順聖”を名乗り、体調不良などを訴えてアパートを訪れる信者の相談にのっては“お祓い”をして報酬を得ていたとのことだ。信者の数は一〇〇人ほどで、それぞれが和紙で作ったお守りや木札を数千〜数万円で買い求めていたという。
麻雛弥ちゃんの母親も中嶋順聖のもとを訪れる一人だったわけだが、中嶋順聖こと北爪容疑者は、麻雛弥ちゃんの“おなかに悪魔がいる”と言い、母親の実家にも“悪魔がいるから出されたご飯を口にするな”などと命じていたらしい。
〈母親が実家で飲食したと知ると、「いくらここできれいな身体になっても、(麻雛弥ちゃんは)魔物を吸い取る。おなかに悪魔がいる」と女児に暴行を始めたという〉(朝日新聞二月二四日付)
ただし、麻雛弥ちゃんが死亡したのは二〇一一年五月のことだ。六年も事実が公にならなかったのは、信者をはじめ母親らが北爪容疑者のマインドコントロール下に置かれ、口を閉ざしていたからだそうだ。警察が捜査に乗り出した当初も、母親は北爪容疑者を庇うような証言をしていたとのことだ。事件の発覚は、元信者による内部告発によるものらしい。
北爪容疑者の施しにどれほどの御利益があったのかは定かではない。また、お祓いと言うからには何かしらの宗教が絡んでいるはずだが、それもまだ明らかにされていない。それでも、一〇〇人もの信者が北爪容疑者を慕っていたというから、北爪容疑者には人を惹きつける能力があったのだろう。
だが、人の心は弱く、もろい。だから人は信仰にすがるのだろうとも思うが、ときとして清らかな信仰心につけ込もうとする邪な宗教家がいるのもまた事実だ。カルトは無論のこと、新興、新々宗教の中にはペテンと呼ばれる紛いものもあり、藁にもすがる思いで神の助けを求めている人ほど、宗教の名を借りた詐欺に騙されやすいのかもしれない。よほど信仰心が強いか、妄信的に教祖を慕う信者にかぎって、体内に悪魔が巣食っているなどという戯れ言を信じてしまうのだろう。
悪魔祓いを理由にした殺人事件は後を絶たないと言ってもいい。たとえば一九八七年二月、大山大山祇神神示教会(おおやまねずのみこと・しんじきょうかい)の信者が“悪魔祓い”と称したバラバラ殺人事件を起こしている。
被害者の男性は大山大山祇神神示教会を退会したばかりの元信者で、彼を殺害し遺体をバラバラに刻んだのは被害者の妻と従兄弟で、ともに信者だった――、という事件だ。二人は被害者に悪魔が取り憑いていると言って悪魔祓いをしたが悪魔が出ていなかったため首を絞めて殺害。二人は、被害者の肉体が死ねば悪魔も死ぬと考えていた。そして、悪魔が身体から出ていけば、被害者は蘇生するものと信じて疑わなかった。
そして二人は、悪魔が再び被害者の身体に戻ってこないように、被害者の身体をバラバラに刻み始めた。二人は丸三日も休まず遺体を切り刻み続けたというが、たまたま事件現場となったアパートを訪れた知人が血の惨状を見て通報。警察が駆けつけたときも二人はまだ遺体を切り刻んでいたという(事件後、三人が入信していた大山大山祇神神示教会は“悪魔祓い”などの教典はないと発表)。
この事件が世間を騒がせると、連鎖反応なのか、新興宗教絡みの殺人事件が頻発した。
翌三月には悪魔祓いと称して新興宗教に入信した母親が一歳の子どもを手にかけた事件が起き、四月になると、次男にはキツネが憑いているので悪霊を祓うとの理由で長男長女が暴行を加えて次男を殺害した事件が起き、さらに翌月の五月には女祈祷師の家で放置された信者二人と乳児の遺体が見つかるという事件が起きた。祈祷師は“祈祷で死者は生き返る”と言って憚らなかった。
一九九五年には、祈祷師を名乗る江藤幸子宅で信者六人の腐乱死体が見つかり、後に“悪魔祓い殺人事件”と呼ばれる事件が発生している。これもまたキツネ憑き、悪魔祓いの名目で信者に暴行を加えて殺害した事件だった(主犯の江藤には死刑判決が下され、二〇一二年に刑が執行)。
聖職者や敬虔な信者さんらには叱られそうだが、神や悪魔なんてのは、知能を有した人類が編み出した創作物に過ぎないと私は思っている。それだけ人間の想像力は優れていて、しかし想像の中でしか語れないものだからこそ、私たちは神に祈りを捧げ、悪魔のささやきに惑わされるのだろう。
もし、神や悪魔が存在するなら、悪魔祓いのような高度な宗教行為は神さまの仕事であり、神さまにしかできないことだ。神の仕事を人間が代行しようとすれば、それこそ神をも恐れぬ驕りになるのではないか。月に代わってお仕置きをするヒロインはいるが、神に代わって悪魔祓いができる人間などいない――、と私は思うのだけれど。
だから、悪魔祓いの名のもとに女性を炎の中に放り込んだり、悪魔祓いと称して夫を切り刻んでも、悪魔は出て行かない。悪魔は、女性を炎の中に放り込んだ男たちの中に宿り、夫を切り刻んだ妻や従兄弟の中に宿っているからだ。
信仰や祈りは心を穏やかにし、魂を安寧な場所に導いてくれるかもしれないが、人を殺めることを辞さない信仰も他方では存在するようだ。神は“汝、殺すなかれ”と言っているのだが、人を殺めた信者たちに神の声は届かないものらしい。
参考記事:AFP3月1日・6日付、Techinsight3月4日付、日刊ゲンダイDIGITAL2月25日付、産経新聞2月28日付、読売新聞2月24日付、朝日新聞2月24日付
(ノンフィクションライター 降旗 学)
http://diamond.jp/articles/-/120807
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。