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「よく誤解されていることですが、性別適合手術は、ただ男性のモノをチョンぎるわけではありません。いくつか術式がありますが、基本は今あるもので女性器を造り直します」
「とりあえずうずらの卵はいらないので取り出します」
「次にソーセージを切り開き、中身を取り除き、皮と切り離します」
「ただ、もちろん造膣なしでは外見だけなので機能的なものはありません。早い話…このままでは男性との性交渉はできないです」
性別適合手術(SRS)について、ここまでリアルかつ詳細に描いた作品が他にあっただろうか(しかもイラスト付きで)!
元男性の漫画家が、性別適合手術を受けて女性になるまでの体験を描いた『僕が私になるために』が話題となっている。
社会人になって、自分は性同一性障害(GID)ではないかという疑いに向き合った作者が病院の精神科に通い、タイで性別適合手術を受けるまでの一部始終が赤裸々に明かされる、前代未聞のエッセイ漫画はなぜ生まれたのか。作者の平沢ゆうな先生に話を聞いた(第一話の特別公開はこちらをクリックhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/49307)。
確かに、手術のシーンはリアルに描き過ぎたかもしれませんね。男性読者があのシーンを読めば、相当なショックと強い痛みを感じるのではないでしょうか(笑)。そこまで生々しい部分を描いてもいいのかどうか、迷ったところもあったんですが、性別を変えるということは、物理的にも精神的にも、これだけ大変なことなんだ、という現実を知ってほしいという気持ちがありました。
だからこそ、手術時の様子はもちろん、リハビリがどれだけ過酷か、また、幻肢痛(失ったはず体の部位に、痛みを感じること)がどれだけ苦しいか、ということもすべてありのままに描いたんです。
実は私は、社会人になるまでは、自分が性同一性障害(GID)かどうかは自信がありませんでした。GIDにも様々なタイプの方がいて、たとえば鏡を見ているときに『自分は男だけど、本当は女だな』と確信を持てる人もいれば、持てない人もいる。性格の違いというか、違和感への認識の差というか…。
私の場合は、後者でした。大学生まで、普通の、あるいはちょっと変わった男の子として生活して、特に違和感を覚えることもなかったんです。時々「女の子になれたらな」と漠然と思うことはあっても、友達にそれとなく話してみると「俺だって、女になりたいときぐらいあるよ」と返ってくる。だから、思春期特有の感情の揺れ、としか思わなかったんです。
中学校の林間学校でお風呂に入るときに、どうしても裸を見られるのが恥ずかしくてバスタオルを胸まで巻いて着替えてからかわれたり、メールの文面に絵文字とか顔文字をふんだんに使ったら、男友達から「お前のメールを見てると、なんだかモヤモヤするんだ。頼むからもっと男らしい感じのメールをくれ」と言われたこともありましたけど…。
取り立ててどう、ということはなく、自分はちょっと変わってるのかなと思うぐらいでした。
自分は女性になりたいのではないかと強く思うようになったのは、社会人になってからです。大学卒業後、私はわりとお堅い社風の企業に就職したんですが、ここでの生活が大変でした。
考えてみると、会社というのは、とっても強く「性差」を意識させる場所なんですね。大学では、どんな格好をしてもなにも言われませんが、会社に入ると、多くの場合まずスーツ着用、髪は短め、そして飲み会の席での特有の体育会系文化、という「男のルール」が強要されます。
もちろん、中学高校時代も男物の制服を着ていましたが、思春期にそれを嫌がることは自然だと教えられていたので強く意識はしなかったんです。大学時代もジェンダーフリーな環境でしたし。でも社会人になっても、そういう男社会に身を置く自分に違和感を覚えたのです。その違和感は学生時代より遥かに強烈でした。
入社直後から違和感を覚えながらも、新しい環境に慣れていないからそう感じるだけだろう…そう思って過ごしていたのですが、一向にその違和感はなくならず、3年ほどが経ったとき、我慢ができなくなったのです。サラリーマンでいる自分がつらくて、今までではありえないような仕事のミスを連発しました。
この違和感はなんなんだろう…。いろんな可能性を考えましたが、突き詰めると、自分はもしかして、女性になりたいんじゃないか、という答えに行きついたんです。その瞬間ですね、それこそ先ほどお話したメールの文面のような、過去の「思い当たる節」がいくつも浮かんできたのは。
幸いにして上司がとても理解のある人で、休職したうえで、戸籍も変えて、女性として職場に戻ってくればいい、と言ってはくれました。ただ、同じ職場で働くなかで、どうしても否定的な意見は聞こえてくるだろうし、好奇の目に晒されるだろうし。それに耐えられる自信がありませんでした。結局、会社と相談し、その時は一旦休職ということにはなりましたが、最終的にはその後しばらくして退職することに決めました。
それはもう、休職直後は不安しかなかったです。そもそも自分が何者なのかということに悩んでいるうえに、給料がないわけですから。生活は一気に不安定になります。仕事のことだけじゃありません。結婚はどうするのか。家族は理解してくれるのか。自分はこれから、どうすればいいのか…。正直に言いますと、その時は生きるのをやめようと思っていました。考えても考えても先が見えないというのは、本当に苦しいことなんです。
そんなときにふと、昔聴いていたラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」の中で、私が大好きなBUMP OF CHICKENボーカルの藤原基央さんが言った言葉を思い出したんです。
「人はどうせいつか死ぬんです。だから、生き延びて欲しい」
まさか、たった一言の言葉に救われるなんてことがあるとは思いませんでしたが、本当に、この言葉を思い出して、生き延びてみよう、という気持ちが生まれたんです。
私はそれまで、趣味で絵を描いていました。Pixivなんかにも投稿して、漫画家になりたいという気持ちもあったんです。もちろん、漫画で食べていくのは並大抵のことではない。それでも、どうせいつか死ぬんだから、それぐらいの博打はやってみようと。
とにかく、一本漫画を描こう。ダメなら、それを足元に置いて遺書代わりにして死ねばいい――。今振り返ると大変危険な発想でしたが、それぐらいの覚悟で、出来上がった作品―これは、『僕が私に〜』とはまったく違うものですが―をコミティアに持って行ったんです(注:コミティアは同人誌即売イベントの一つで、各出版社の漫画編集者が持ち込みの原稿を見るブースが設けられている)。
そこで出会ったのが、『僕が私に〜』の担当となる編集の方でした。幸運にも私が描いた作品に興味を持っていただいて、新人の登竜門である「ちばてつや賞」に応募してみないかというお話をいただいたんです。いま考えても、奇跡のような出会いでした。
残念ながらその作品は「ちばてつや賞」では二次選考で落選だったんですが、せっかくなんでもう一作描いてみたい…そう思っていた時に、タイでの性別適合手術が決まりました。漫画を描く一方で「どうせ最後には死ぬんだから、女性になる手術を受けよう」と、手術の手続きも進めていたんですが、そのタイミングで手術が決まったんです。それで、帰国後にその体験を描いたのが、『僕が私になるために』です。
性別適合手術を受けるまでの苦悩と葛藤、そして、手術後の違和感と変化―たとえば、ホルモン注射を打つことで、力が弱くなってコンビニの袋を持つのも大変だったりとか、やけにイライラしたりとか―についても、この漫画の中で赤裸々に綴りました。振り返ってみると、ツラいことのほうが多かった。ただ、どん底の「あの時」にくらべれば、今の人生はとても明るくなりました。
この漫画を通じて伝えたかったのは、「なりたい自分になるまでは、長く険しい道が待っている」ということです。私の場合、実際に性同一性障害じゃないかと悩み、自分の望む性になろうと決意してから法律上も女性になるまでに2年かかりました――ちなみに、これは結構早い期間だと思います――。それは、悩みと痛みの連続でした。それでも、いまは「なりたい自分」に少し近づけたかなと感じています。
私と同じ悩みを抱えている人。あるいは職場や学校で、なにか生きづらさを感じているんだけど、変わることにまで踏み込めない人。そんな人がこの漫画を読んで「変わるのって大変なんだな。でも、それを乗り越えないと、なにも始まらないんだな」と背中を押されるような気持ちになってもらえれば、嬉しいですね。