http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/181.html
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尖閣諸島が日本の領土だという決定的な証拠が、またもや発見されました。
最初に私のコメントを記載します。
[コメント]
■ 中国による尖閣の領有権主張は、捏造だった
>尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。
明が琉球王朝に公式に提出した文書の中に記載されていたわけですから、これ以上確かな証拠はないでしょう。
尖閣諸島は明時代から中国の領土だったなどと言う中国の主張は、明確な証拠もないただの捏造であることがまたもや明らかになったのです。
■ 中国は近年、資源欲しさに事実を無視して領有権を強硬に主張してきたが、中国の主張は捏造が確定
>中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、
中国は資源欲しさに、事実を無視して領有権を強硬に主張してきましたが、その主張が捏造であることがまたもやはっきりわかったわけであり、その意味は非常に大きいと言えるでしょう。
■ 尖閣諸島が日本の領土だとの確かな証拠はこれもでにもあった
尖閣諸島が日本の領土だという確かな証拠はこれまでにもありました。
中国でさえ以前は日本の領土だと認めていたのです。
証拠は下記。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html
にもかかわらず、尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから、中国は突然領有権を主張するようになりました。
金になると分かれば人の土地を自分の土地だと言い張り、武力で脅す。
これが中国の正体です。
この中国の脅しにかけられているのは日本だけではありません。
中国は現在、フィリピン、ベトナム、マレーシヤなどにも軍事圧力をかけ、領土、領海を軍事力で拡張しようとしているのです。
■ 中国ははるか南の南沙諸島、南シナ海まで中国のものと一方的に主張し、軍事侵攻中
中国ははるか南の南沙諸島、南シナ海まで中国のものだと一方的に主張し、軍艦を配備して軍事侵攻を行なっています。
当然ながら、当事国であるベトナム、フィリピン、マレーシアなどは中国を激しく非難。
EU、米国も中国によるこの軍事侵略を大きく非難しているのです。
■ 尖閣だけではない中国の軍事侵略を、EU、米国、東アジアの国々と連携して阻止するべき
中国は欲しいと思った領土、領海は軍事力で侵攻し、実効支配していく。
中国がそういう強盗国家であることは、以上の通りもはや明らかです。
その中国の暴走の抑止となるのが、米国の膨大な軍事力です。
南沙諸島の場合は、米軍基地が当事国のフィリピンから撤退した後、中国の軍事侵攻がはじまりました。
フィリピンは米軍基地をなくしたことを今や後悔していることでしょう。
日本の場合には、米軍沖縄基地が尖閣諸島、沖縄への中国の軍事侵略の抑止力となっているのです。
ですから、この米軍基地の維持・強化につとめることが強盗国家:中国の暴走への抑止となります。
中国によるこういった不法な軍事侵略に対して、世界中が連携して対峙していく必要があるのです。
[記事本文]
2012.7.17 08:38 (1/2ページ)
尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。
◇
尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。
上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。
石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。
2012.7.17 08:38 (2/2ページ)
石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かった。
その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。
中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていた。
石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm
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